小説 | ナノ
恋模様




▼暑い冬の日




 バイトは禁止。僅かなお小遣いは服や遊びで簡単に消えてしまう。高校生のお小遣い事情なんて、きっとみんな似たようなものだ。だから、片想い中の松川くんに「クリスマス、どっかに行かない?」なんて誘われた時も、そんなに期待などしなかった。あたしは松川くんと一緒に遊べるだけで嬉しいから、最早、それがプレゼントとすら思っていたのである。
 それなのに。

 放課後。教室で待っていて、という彼の言葉通りに教室で過ごしていれば、少しした頃に息を切らした彼が。そんなに急がなくてもいいのに、と思ったけれど、あたしは彼のそういうところが好きだから、あえて何も言わない。
「お待たせ、行こうか」
 彼の言葉にこくりと頷き、席から立ち上がる。たったそれだけの行為なのに、いつもよりもお淑やかに動いてしまうのは、やはり「恋」というもののせいだろうか。彼がそばにいるというだけで心臓がどくどくと鳴り響くから、そっと胸を押さえて、聞こえませんようにと祈るばかりである。
 そんなあたしが椅子から立ち上がっても、彼の慎重には到底及ばない。大きな背中が目の前に立ちはだかり、行く先を見せまいとするのだ。クラスの友達ならば文句を言えるけれど、好きな人が相手となると何も言えなくなってしまうのだから仕方がない。視界については諦めることにして、少し前を歩き出す彼に置いていかれないよう、いつもより歩調を速めるあたし。
 すると、そんなあたしの気持ちに気付いてくれたのだろう。不意に足を止めた彼は「ごめん、歩くの速かった?」と。あたしは咄嗟に「大丈夫だよ」なんて答えたけれど、こんなに体格差があるのに「大丈夫」であるはずがないのだ。
 あたしの言葉を強がりだと受け取ったのか、それとも、もとよりあたしの返事など気にしていなかったのか。途端、歩調を遅くした彼は、あたしと横並びになるよう、ゆっくりと歩き出す。それと同時に再び騒ぎはじめる心臓は、この数時間で一体どれくらい寿命を縮めたことやら。
 そうして移動すること三十分弱。辿り着いた先は、クリスマス風に装飾された水族館だった。彼の財布から出てきた前売り券は、いつ入手したものなのだろう。貰い物だとすれば、一緒に行く相手にあたしを選んでくれたことが嬉しいし、今日のためにわざわざ買ったのだとしても嬉しい。
 しかし生憎と「その券、どうしたの?」というあたしの問いかけに対する返事は「秘密」の一言のみ。妖美に笑う彼の姿を見てしまえば、深追いすることなんて不可能で、あたしは口を噤んだ。
 どちらにせよ、こうしてデートに誘ってくれた以上、あたしとここに来ることは想定内だったということである。嬉しさと、それから安心感。ほ、と息を吐いたあたしを見て、彼は首を傾げた。
「大丈夫? 疲れてない?」
「うん、大丈夫」
「そう、よかった。疲れたらいつでも言って。」
「ありがとう」
 まさか、好きな人が自分をデートに誘ってくれたことに安心して溜息零しました、なんて言えるはずもなく。フロアを跨ぐごとに「休憩する?」と聞いてきたり、自販機を見つけては飲み物を買ってくれたりと至れり尽くせりな彼。
 そこまでしなくても大丈夫だよ。結局彼に甘えて、ベンチに座ってジュースを飲みながらそう言うあたしに、彼は一言「ごめん」と。それから、困ったように眉を下げられては、なんだかあたしが悪いことを言ってしまったみたいで。今度はこちらから「ごめん、」と紡げば、彼は少し戸惑った様子で「え、あ、」なんて。
「なんていうか、その、本当はもっと上手にエスコートするつもりだったんだけど、緊張して上手くできなくて……、なんか、俺が振り回してるだけっていうか……、嫌になったら、ちゃんと言って、」
 体を丸めて、あたしの顔を覗き込みながらそう言う彼は、いつもの大人っぽい表情ではなく、年相応の子どもらしい表情をしていて。言葉とは裏腹に「そんなこと、言わないでほしい」という彼の気持ちが伝わってくるのだから面白い。尤も、あたしはそんなことを言うつもりなどないし、寧ろあたしの方こそ彼が楽しめているか不安に思っていたくらいである。
 あたしの方こそごめんね。もう一度謝るあたしに、彼は少しだけ驚いた顔をして「なんでそんなこと言うの、」と。誤解を生んでしまったのだろうか、彼の瞳はゆらゆらと揺れ、分かりやすく「不安」を表している。
「松川くんと居るのは嬉しいんだけど、その、あたしも緊張してるっていうか、」
「え、なんで、」
「え、えぇっと……、秘密、」
 彼があたしにそう言ったのと同じように、あたしも彼に向かってそう答えて笑ってみせたけれど、どうやら彼に「秘密」の言葉は効かないらしい。先程までの不安げな表情はどこへやら。演技だったんじゃないかと疑ってしまうほど、けろりと表情を変えた彼は、いつの間にかその口角を上げていて。
「そんなこと言われたら、期待しちゃうよ」
 意味深に笑ってみせる彼に、不覚にもあたしの胸はドキリと弾んだ。
「期待してもいいよ、って言ったらどうする?」
 あまりにも下手くそな駆け引きだ。こんなの、答えを言ってしまったも同然である。そんなあたしの隙をつくように、彼は「こうする」と、たった一言。けれども言葉なんてそれだけで十分で、すぐ後に交わされた口付けが、彼の答えの全てを随分と分かりやすく教えてくれた。
 人がまだらな平日午後の水族館といえど、こんなことを公共の場でするのはなんだか恥ずかしくて。周りに人はいない代わりに、水槽の中で優雅に泳いでいる魚たちと目があってしまって、思わず足元へ視線を落とす。
 彼は彼で、衝動的に行ってしまったのだろう。ごめんね、と小さな声は、彼のものじゃないように思えた。
「そんなことされたら、期待しちゃうよ」
 今度は、あたしがそう言う番。それに対して、彼からの答えは「もっと期待してよ」である。そんなことを言われてしまっては、期待しない方が無理な話だ。
 そうだ、こんな所で悪いんだけど。ふと、彼はそう言って徐ろに鞄をごそごそと漁りだし、何かを取り出したかと思えば、その手には綺麗にラッピングされた紙袋。
「クリスマスプレゼント、受け取ってもらえる?」
 随分と下から目線な彼の言葉にこくりと頷いてみせ、代わりにあたしも鞄の中からラッピングした袋を取り出した。中身なんて大したものじゃない。高校生でも買えるような安いマフラーだ。
 それに比べて、彼がくれたものは触り心地抜群の生地で出来たストールである。こんなことを考えるのは無粋かもしれないけれど、きっと高かったに違いない。
「膝掛けとしても使えるかなって思ったんだけど、使ってくれる?」
「ありがとう、絶対使う」
「俺もマフラー絶対使うね」
「うん。本当は手袋にしようか迷ったんだけど、なかなか松川くんに似合いそうなのが無くて、」
「探してくれただけで嬉しいよ。それに、」
 それに? 聞き返したあたしに、彼は手を差し出してにこりと笑う。その手が何を意味しているのか分からずにいれば、あたしの目の前で止まっていたはずのそれは、急にあたしの手を攫っていってしまった。
 ぎゅう、と握られて、全ての神経がそこに集まっていく。彼は、そんなあたしの気持ちなど知りもしないのだろう。
「手袋が無い方が温かい」
「っ、で、でも、あたしの手、冷たいから、」
「いいんだよ。お前が温かいって思えたら、俺はそれだけで温かいから。」
 優しい表情でそんなことを言うから、思わず自分の気持ちを言ってしまいそうになる。いっそのこと、好きだと言ってしまいたいけれど、残念ながらそこから先の勇気が持てないまま。松川くんと繋がっている自分の右手に視線を落として、期待してもいいんだよね、と独り言ちた。

 サンタさんへ。
 今年のクリスマスプレゼントは、あと一歩の勇気を。



クリスマス2018(20181225)









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