小説 | ナノ
恋模様




▼どんな服がお好みですか



 どんな服がお好みですか。
 まるでアパレル店員のような言葉を投げかけられたのは、朝起きてすぐのことだった。一緒に暮らしてからデートしてないよね、なんて話になったのが昨日の夜のこと。ならば、明日は朝早く起きて、久しぶりにデートらしいデートをしようということになったのだ。
 どうせなら学生の頃みたいに、駅前で待ち合わせとかしたい、だとか。やっすいハンバーガーを食べて、カラオケだとかボーリングだとかに行って、帰りもやっすいファミレスでご飯を食べたい、だとか。学生の頃に戻ったみたいに、お小遣いを三千円だけ持って遊ぼう、だなんて。
 帰りだけは、手を繋いで一緒に帰ってこようね。
 そう言って、くすくす笑いながら眠りについたのである。日付にすれば昨日の会話だけれど、時間にすればほんの八時間ほど前のことだ。まさか忘れたとは言わせない。いや、あちらだって、忘れているわけじゃないだろう。だからこそ、まるでアパレル店員のような口調で「どんな服がお好みですか」なんて聞いていたのだと思う。
 恋する乙女でもなければ、子どもでもない。自分の服を選ぶことくらい簡単だろうし、そもそも変にこだわった服装なんてしなくても、ありのままでいいのに。
 女子か。
 思わずぶつけたその言葉に、女子、ではなく「彼」は、だってお洒落したいじゃん、と。だったらお洒落でもなんでもすればいいじゃないか。待ち合わせデートというのは、彼と待ち合わせて初めて本日の衣装を知って「その服、カッコいいね」だとか「似合ってるね」だとか話すところから始まるのに。これではとんだネタバレ案件である。
「お前の好きな服が着たい」
「あたしの好きな服を考えるところからがデートでしょ」
「何それ、気が重い」
 まるであたしが強制しているような言い回しだが、何度も言うけれど、なんだっていいのだ。大事なのは貴大が何を着ているかじゃなくて、一緒にいるのが貴大だということ。ごく一般的に変じゃないような服装であれば、無理に着飾る必要は何一つない。寧ろあたしは、二人お揃いでジーンズにパーカーだって構わないくらいだ。
 何でもいいけど、朝ごはん冷めちゃうよ。そう声をかけて見たものの、あー、だとか、んー、だとかどうにも決めあぐねているその姿に、愈々、笑いがこみ上げてくる。宙で止まったままの箸から目玉焼きが滑り落ち、ボトッと音を立てて更に逆戻り。跳ねたソースが、部屋着にしていたTシャツに染みて、今度は本格的な「あぁ、」が零れ落ちた。
「ごめん、汚した、」
「行く前に洗濯機回そうと思ってたから、軽く洗って突っ込んでおいて」
「はぁい、」
 何に対しての「ごめん」なのかは分からないが、汚れた部分を軽く引っ張ってこちらにアピールしてくる様子は、宛ら子どもである。少し跳ねただけだから、簡単に落ちるだろうし、そんなことよりあたしの服じゃないから、そんなことは気にしないんだけど。怒られると思ったのだとしたら、それは何だか心外なのだが。
 そんなお子ちゃま貴大くんは、切り替えの早さも子ども並み。先程服を汚したばかりだというのに、またしても目玉焼きを掴んだ箸は宙で止まったまま。この間買ったあのジャンバーが、とか、あのズボンとあの靴は合わない、とか呟いているところを見る限り、頭の中は勝負服のことでいっぱいらしい。
 貴大のお皿からウインナーを二つほど奪って食べたことも、あたしだけ一人でデザートの杏仁豆腐を食べていることも気付かず。貴大の集中力がすごいのか、あたしの忍びの技術がすごいのか、なんて無駄なことを考えながら淹れたてのコーヒーを啜った。
 貴大が服で悩むところなんて見たことがないから、これはこれで新鮮で面白いけれど、一体いつになったら決まることやら。あたしの方は服を決めているから、貴大が決まってから準備を始めても遅くないだろう。やっと目玉焼きを口に含んだ貴大を観察しつつ、あたしはもう一口、コーヒーを啜った。
「貴大って、デートの時、いつもこんなに悩んでたの?」
「いや、遅れたくないから三日前から前日の夜までには決めるようにしてた」
「わぁ、」
「え、なに、キモい?引いた?」
 あたしの意思とは関係なく零れた感嘆詞に、貴大の眉が下がり、不安げに揺れた瞳があたしを捕らえる。別に深い意味は無いし、あたしとしては、そっちの方が貴大らしくて好きなのだが。不安に思う反面、勝負服にこだわりたいというこだわりの強さも含めて、全てが貴大らしい。
 そんなことないよ。そう言って笑って見せれば、貴大は安心したのか嬉しそうに頬を緩めた。それから、あと一時間以内に決めるから、なんて。
「ゆっくりでいいよ」
 あの頃のデートは、貴大にとって常に真剣勝負だったのだろう。それはあたしだって同じだ。これが最後のデートにならないように、精一杯の背伸びをして、相手に少しでもよく見てもらいたくて頑張っていた。
 それが今はどうだろう。結婚して、お互いのだらしないところも沢山知って、それでも大好きで。そうして現状に安心して、あの頃のように相手を思って頑張ることが、殆ど無くなってしまったんじゃないだろうか。貴大はあたしのために一生懸命に背伸びをしようとしていて、そんな姿も可愛くて。それだけで満足している自分が、なんだか寂しい。貴大に好かれたい気持ちは、今も昔も、全く変わらないのに。
 食べ終えた食器を片付けて、あたしが向かったのはクローゼット。そこに収納された様々な服を手にとって、時には並べてみて。あー、だの、んー、だのと唸りながら、頭の中で自分に着せていく。そうして暫く悩んだ結果、あたしが出した答えはただ一つ。
「ねぇ、貴大、」

 ―――どんな服がお好みですか。




マシュマロより(181011)






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