200人うぇい企画 | ナノ
CAR


 それは突然始まった。
 朝の三時というべきか、夜の三時というべきか。親しみのある午後の三時ではなく、普段ならば夢を見ている真っ最中な午前の三時に、彼、松川一静は突然現れたのだ。それから、何の前触れもなく「ドライブ行くから準備して」と。
 早く、と彼に急かされて身支度はすぐに整ったが、心の準備は全くできていない。これは、きっと、多分、デートというやつなんだろうけれど、あたしが知っているデートというのは前以て約束をして、前日の夜に「明日、何着ていこうかな」って迷ったり、いつもはしないネイルなんかをしちゃったりするようなものであって、こんな風に突然訪れて連れ去られるようなやつではない。というか、彼と付き合って五年ほど経つが、今までこんなことは一度も無かったのに、急にどうしてしまったのだろう。
「よし、行こう」
 彼に手を引かれて車へと誘導されてしまったことにより、それらの思考はすぐにどこかへ飛んで行ってしまった。それもそのはず、車内はお菓子や飲み物、それからあたし用にとブランケットまで用意されていたのだ。イマイチ状況を理解できていないあたしに対し、用意周到の彼。サプライズらしい、ということを漸く理解したあたしは、期待を込めてこれ以上何も聞くまい、と素直に車に乗り込んだ。
「眠たかったら寝てていいよ」
「ううん、大丈夫」
 いつもより控えめなBGMは、どうやらあたしの為だったらしい。急に起こされた上にマッハで準備させられたお陰で、眠気などというものはどこかへ飛んで行ってしまったのだが。かと言って、寝る以外に特別することもなく、一先ず傍にあったお菓子を手に取る。「あ、これ、新商品だ」なんて言いながら早速お菓子を開けて口に運べば、隣からクスクスと笑い声が聞こえて。なに、と反抗するあたしに、犬みたいで可愛かったから、と。随分と酷い言われ様な気もするが、可愛いと言っていたから今回は見逃してやろう。
「あ、美味しい」
「あーん」
「はい、あーん」
「……ん、うまい」
 真っ直ぐ一直線の道路、片手くらい放せるはずなのに、わざわざこうして「あーん」してもらおうとするあたり、彼は本当に賢い、否、ズル賢い。そうわかっていながらも「あーん」をしてしまうのは、安全運転の為である。っていうのは言い訳に過ぎず、単にあたしが彼を甘やかしたいだけなのだが。いつもこうしてリードしてくれている分、別の所で存分に甘やかしてあげる、というのがあたしの恋愛方針なのだ。だって、ほら、彼だって犬みたいで可愛い。
「ん?どうした?」
「いや、何でもない」
 あまりにも彼を見つめていたせいか、彼がチラリとあたしを見て、それからくすりと笑う。彼のことを考えていた、と素直に告白しても良いけれど、それはやっぱり恥ずかしくて。無理矢理に会話を終了させて、あたしは口にお菓子を詰め込んだ。

 目的地に着いたのは、それから数十分後のことだった。
少し歩くよ、と言われて、薄暗い中で彼と手を繋いで歩いていく。いや、歩くというよりは、階段のような道を上る、という表現の方が正しいかもしれない。あまり足場が良いとは言えない道のりに「気を付けて」なんて声を掛けながら、手を引いてゆっくり歩いてくれる優しい彼。彼女のあたしが言うのもなんだけれど、とてもよく出来た男である。
 そんなことを考えながら歩いていれば、辿り着いたのは柵に囲まれた、展望台のようになった小さなスペースで。思わず柵の傍まで駆け寄れば、眼前には大きな海と、今にも顔を出しそうな朝日。もしかしてこれを見せるために、と聞こうとして彼を見れば、それと同時に「もうすぐ出るよ」と声を掛けられ、その声につられるようにして視線を朝日に戻した。そして。
「っ、わぁ!綺麗!」
 現れた朝日は、光の筋で境界線をはっきりと映し出し、海はその光をキラキラと反射させ宝石を散りばめたように輝いている。一秒ごとに姿を変えていくそれらから目を離せずに居れば「そんなに喜んでくれて良かった」と彼。声色から安堵が伝わってくる。それから、これを一緒に見た恋人達は一生幸せになれるんだって、と。確かに、どこかの展望台で朝日を一緒に見たカップルや夫婦は一生幸せに暮らせる、なんて話を小耳に挟んだことがあったけれど、まさかそれがここだなんて思いもしなかった。
「あたし、もう幸せだよ」
 チラリと彼を見て、それから朝日へと視線を戻す。あたしの為にいつも一生懸命で、優しくて、頼りがいがあって。こんなに素敵な人と一緒に過ごせている、そのことが既に幸せなのだ。そう、ありのままの気持ちを口に出したあたしに、彼からの反応はなく。不思議に思って彼を見やれば「それじゃあ、」と付け足して。
「もっと幸せにならない?」
 そう言って差し出された小さな箱に、ドキリと心臓が跳ねる。驚きのあまり声を出せずにいるあたしの目の前でその小箱を開け、中から取り出したリングが左指にはめられた。「え、えっ、」と、未だに上手く言葉を発せられないあたしに、彼はくすりと笑う。そして。

「結婚しませんか」

 落ち着いて見えるのは表情だけな様で、震えた声と朝日に負けないくらい真っ赤な顔が、彼の緊張をつぶさに表している。そんな彼に、首を縦に振ることでしか気持ちを伝えられないあたしを許してほしい。精一杯のイエスを伝え、それから彼の胸へと飛び込んだ。
 一緒に朝日を見たら一生幸せになれる、なんて噂はもしかしたら本当なのかもしれない。



200人うぇい企画「C」car・ひのちゃんより(171016)





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