200人うぇい企画 | ナノ
Innocent


 彼は多分、機械なんかじゃなくて、ただ、人よりちょっと疎いんだと思う。それが短所であり、時には長所となりえる、彼の特徴なのだと知ったのは、ついさっき。

 あたしは、一年生の頃から彼の事が好きだった。
 例えば、誰よりも丁寧に掃除をしているところとか、部活で忙しいはずなのに授業をしっかり受けているところとか。挨拶は欠かさずしてくれるし、行動の一つひとつが綺麗。まるで機械みたいだとクラスの誰かが笑っても、彼の毎日に革新的な変化が訪れることは無かった。
 どうしてそんなことを言われても怒らないのか、と前に聞いたことがある。別に仲が良かったわけじゃない。隣の席だったから、たまたま。そうすれば彼は、迷いもせず「笑われてもえぇ、俺がそうしたいからやんねん」と。
 瞬間、あたしは気付いてしまったのだ。彼の行動一つひとつに何ら意味など無かったとしても、丁寧にしっかりやるということこそが彼の信念なのだ、と。それはきっと機械なんかじゃ出来ない。自分の思いを貫くという、彼なりの生き方なのだ。
 ―――かっこえぇな。
 その言葉を発したという意識は無かった。けれど、彼が驚いた顔をしていたから、きっと音となって外に弾き出されたんだと思う。それからすぐに授業が始まってしまったから、その時の彼の気持ちは聞けなかったけれど、あたしは多分、あの瞬間、彼の事が好きになったのだ。

 三年生になっても、彼との関係に進展はなかった。
 彼は部長になったらしく前よりもせかせかと動いていたし、何より、彼の態度から「恋愛」という感情を汲み取るのはとても難しかったからである。奇跡的に、三年間同じクラスだったにも関わらず、彼があたしに向ける態度は、一年生の頃から何一つ変わっていないように思えた。
 自分からアピールをしてこなかったわけではない。バレンタインデーにはちゃんと本命チョコレートをプレゼントしたのだ。何一つ顔色を変えずに「チョコレートおおきに」とホワイトデーにお返しをくれたけれど。付け入る隙を与えてくれない、というよりは、そもそも彼に付け入る隙など無いのかもしれない。
 そうして悶々としながら過ごしていたある日の事。黒板に並んだ自分と彼の苗字に、そういえば日直だったなぁ、と思い出した、のだけれど。日直の仕事である黒板消しは、身長の都合により「俺がやる」と言った彼に逆らうことが出来ず、担任の都合により五時間目に渡された日誌を休憩時間に書き終えることも出来ず。
 放課後、日誌書いておくから、と言ったあたしの言葉を無視して、彼が前の席の椅子をひっくり返して腰を下ろしたのが数分前。
「ごめん」
「ん?謝るようなことしたんか?」
「だって、部活あるのに」
「えぇねん、俺がそうしたいから」
 あぁ、やっぱり、彼はあの頃と何一つ変わっていない。こうしてあたしのことを待ってくれているのも、途中で投げ出せないという彼の信念なのだろう。彼は、優しいようで、優しくない。あたしの気持ちは、きっと、彼には分からないのだ。
「……北くんは、いつもかっこえぇな」
 これは、あたしなりの皮肉だ。いつも真っ直ぐで、カッコよくて、あの日から何一つ変わらない。あたしと北くんの関係も同じ。あの日からずっと平行線のまま進んでいくこの関係は、きっとこれから先も交わることなど無いのだろう。大好きで、大嫌いだ。
 賢い北くんのことだから、きっとこの嫌味も届いてしまうだろう。機械みたいだと笑った、過去のクラスメイトより、今のあたしの方がずっと最低だ。
 あたしの言葉に、北くんからの返事は無かった。日誌を綴っていくペンの音だけが教室に響く。彼に皮肉をぶつけたところで、あたしの恋心に終わりが来ないことは、自分が一番よく分かっているつもりだ。この日誌が書き終わるのと同時に、彼への気持ちも終わってしまえばいいのに。
 ぱたんと日誌を閉じて、顔を上げる。思っていたよりも近くにあった彼の顔にどきっとしたが、そんなことより、見たことのない彼の表情に心臓を握られたような気がした。
「……え、北くん?どないしたん?」
「別に、何でもない」
「そんなん言うて、泣きそうな顔しとるやん」
 いや、泣きそう、というより、泣いている、が正しいのか。ぽたりぽたりと零れ落ちる雫を拭いもせず、ただ唇を噛みしめる彼。あたしの一言が、そんなに彼を傷つけてしまったのだろうか。それとも、他に何かしらの悩みでもあるのだろうか。
 泣いている人間、しかも男子を前にして、どんな反応をするのが正解なのか分からない。女子同士の様に「どないしたん?話聞くで?」は、果たしてこの場合の正解なのだろうか。一先ず、もう一度「北くん?」と声を掛けてみるのが、あたしなりの精一杯。
「褒められたいからやっとるわけやない、のになぁ。お前にかっこえぇって言われると、胸が苦しくなんねん。こんな気持ちは初めてで、ようわからん。」
「ねぇ、それって、あたしのこと、」
 言いかけて、口を閉じる。多分、この言葉は、本人の口からきかないと意味がないのだ。

 首を傾げた彼に、笑顔を向ける。
「あたし、北くんが好きや」
 難解なこの感情を彼に教えるのは、きっとあたしの役目。今はまだ真っ白な彼の心が、いつか色鮮やかになった時に、今度こそ、胸が苦しいというその気持ちの答えを教えてもらおう。



(180411)







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