200人うぇい企画 | ナノ
KNIGHT


 悩みを言わせてほしい。
 あたしは恋愛というものをしたことが無い。家族や友達のことが好き、という気持ちと、異性の誰かを好きになる気持ちはどうやら違うらしいけれど、あたしにはそれが分からないのだ。だから、友達の恋バナはいつも聞いているだけである。恋愛は辛い、と友達は言っていたけれど、あたしから言わせれば、その辛さを経験していることこそが恋愛であり、それすら楽しんでいるように見える。
 そんな友達のことを恨ましく思うことはしょっちゅうで、あたしももうそろそろ恋愛というものをしてみたい、というのが本心である。
 それはさて置き。
 恋愛をしたことこそ無いものの、告白は何度か受けたことがある。これは決してあたしがモテる、という話ではない。隣のクラスのサッカー部の男の子が、随分とあたしのことを気に入っているらしいのだ。回数にして五回。何度断っても「俺は諦めない」という言葉が返ってくるので、その気持ちはサッカーに向けてほしいなぁ、なんて思いながら毎度その場を何とかやり過ごしているというのが現状である。
 どうやら、件の告白大会の第六回目が本日執り行われるらしいということを判明したのはつい先程の事だった。
「今日も、話がしたい」
 彼がそういう時、決まってその日の昼休みにお弁当を持ってあたしの教室に現れるのは、何度かの経験上、分かっている。逃れられなくもないが、こういうのは逃れた後が怖いから、上手く断ることも出来ない。恋愛の意味で好きだと思ったことは無いけれど、何度かこうして昼休みを一緒に過ごしてきたので、彼が悪い人間じゃないということもちゃんと分かっているつもりだ。だからこそ、断りにくさは増してしまったのだが。
 そんなあたしの、酷く歪曲した恋愛事情が、隣の席の赤葦くんにバレてしまったのは、一体いつの話だっただろうか。確か、告白されているところを目撃したとかで、赤葦くんに「アイツと付き合うの?」なんて聞かれたような気がする。勿論、嘘を吐く理由なんてなかったから、素直に「断ったよ」と答えてその会話は終了したが、その次の告白大会も目撃されていたらしい。「困ったことがあったら俺に行って、何とかするから。」と至極真剣な表情で言っていたのを鮮明に覚えている。あの表情は流石に、ちょっとだけキュンとした。

「もうそろそろ、俺の事好きになってくれればいいのに」
 恋愛漫画のような台詞を吐いたのは、勿論、サッカー部の彼である。何度も紡いだ「ごめんね」を今日も今日とて繰り返す。そうすれば彼も同じように、諦めないからな、と返すのだろう。何度も同じことを繰り返したから、この先の展開は大体読めているし、その対応も想定済みだ。―――この先の展開がいつもと同じだったら、の話であることに気付いたのは、それからすぐの事。
 今日の彼は、諦めないからな、とは言わなかった。その代わりに、唇に暖かいものが触れる。
 状況を理解する余裕なんて無くて、あたしはその場を逃げ出してしまったのだ。走っているけれど、行き先に当てがあるわけではない。ただ、あの場から逃げ出さないといけない気がして、適当に物陰に隠れては、溢れ出す涙を何度も袖で拭う。
 あれは確かに、キスというものだった。けれど、世間一般的にしているソレなんかと一緒に出来ないくらいに大切な、所謂ファーストキスと呼ばれるものだったのに。好きでもない人と、しかもあたしの意思とは関係なく奪われてしまったことが、悔しくて、恥ずかしくて。悪い人間じゃない、なんて勝手に安心していた過去の自分が情けないから、余計に悔しいのだ。
「ねぇ、大丈夫?」
 近くに人が居るのだと気付いたのは、そう声を掛けられてからだった。人の存在に気付かない程、学校で号泣してしまうなんて恥ずかしい。のに、どうしてか顔を上げてしまったあたしは、その人物を見て、更に恥ずかしさを募らせた。
「あ、かあ、し、くん」
「どうした?」
 しゃがみ込んでいたあたしの傍に、赤葦くんも同じようにしゃがみ込んだかと思えば、優しく背中を撫でられる感覚に、恥ずかしい反面、心が落ち着いていくのが分かった。あたしが話さない限り、赤葦くんも深追いするつもりは無いのだろう。ただ、あたしの涙が落ち着くのを待ってくれているらしい。
 漸く涙が落ち着いた頃、遠くの方で聴こえたチャイムに「あかあしくん、じゅぎょう、」と紡げば「俺ってそんなに薄情に見える?」と少し困った顔をする彼。あたしを待っている、というのが確信に変わり、それと同時に申し訳ないという気持ちがあたしの心に浮かび上がる。
 あたしのファーストキスごときで、関係のない赤葦くんにこんなに迷惑をかけてしまった。授業をサボらせて、一緒に居てくれて、そのくせあたしは何も話さないなんて。自分のしていることに後悔の波が押し寄せて、再び視界がぼやけてきた、丁度その時。
「俺の意思でここに居るから、気にしないで」
 まるであたしの心を読んでいるかのようにそう言ってのけた彼は、あたしの頬をそっと拭って優しく微笑んだ。
「前に、困ったことがあったら何でもするって言ったの、覚えてる?」
「……うん」
「無理に話せとは言わないけど、あれ、本気だから」
 あぁ、またその顔。
 あたしをキュンとさせる、その真剣な表情を見ていると、どうしてか赤葦くんに頼ってしまいたくなる。けれど、赤葦くんにとったら、あたしのファーストキスなんてほんの些細なことに過ぎない。もっと悪ければ、そんな小さなことで赤葦くんの時間を潰してしまったことに幻滅されるかもしれない。
 話してしまいたいという気持ちと、話して嫌われるのが怖いという気持ちが相まって、その結果、あたしの口から零れ落ちたのは、そのどちらでもなかった。
「……どうしてそんなに優しくしてくれるの?」
 その言葉に、赤葦くんは一瞬だけ動きを止め、それから少しの間の後に「聞いても引かない?」と。優しくしてくれる理由を聞いて「引く」というのは、一体どういうことなのか見当もつかないけれど、とりあえず頷いて見せる。そんなあたしの返事に目を泳がせるなんて、彼らしくもなく動揺しているのだろうか。
「ごめん、そんなに言いたくないことなら、」
「いや、大丈夫、言う。……待って、言うから。……ごめん、ちょっと待って。」
「大丈夫、待ってる」
 あたしが言えたことではないけれど、時間はたっぷりあるのだ。少しずつ、けれど着実に赤くなっていく赤葦くんの顔を覗き込みながら、本当に聞いても良いのだろうか、と不安になったが、そんなの今更だ。赤葦くんが「言う」というのだから、その時を待とう。
 そう思ってから、十秒か、三十秒か、一分か。兎に角、本当に「ちょっと」待ったあたしに、赤葦くんは口を開いて、それからぱくぱくと意味もなく空気を吐き出した。否、どうやら不発だったらしい。もう一度、こほん、と咳払いを一つして赤葦くんは口を開く。それから。
「好き、」
 だから優しくするんだよ。そう消え入りそうな声で呟いた赤葦くんからは、普段のクールさなんて微塵も感じられなかった。困るようなこと言ってごめん、と付け加えた彼に、思わず「ううん」と首を左右に振る。と同時に、困ってないよ、と言いかけて思わず口を噤んだ。
 困ってない、というか、嬉しい、というか。明らかに、先程までサッカー部の彼に抱いていた気持ちとは違う自分の気持ちが、イマイチ理解できない。だって、あたしに向けられた言葉は、同じ「好き」なのに。
「……あたしね、恋愛とかしたことなくて、だから、これがどういう感情なのかよくわかんなくて、でも、」
 赤葦くんのふとした表情にキュンとしたり、好きという言葉に嬉しさが込み上げたりする。そういうのはもしかしたら、俗にいう恋というやつなのかもしれない。
「この感情が恋だったらいいなぁ、って、今、思っちゃった」
 そう言って笑って見せれば、深く息を吐きながら首を垂れる赤葦くん。もしかしたら答え方を間違ってしまったのかもしれない、というあたしの不安とは裏腹に「ちょっと、そういうの、ずるい」なんて必死に言葉を紡ぐから、どうやら言葉選びは正解だったみたいだ。全く隠れていない赤い耳のことは、もう暫く秘密にしておこう。

「俺、本気で落とすから、その時にまた告白させて」
 という赤葦くんの宣戦布告に、短期決戦になりそうだなぁ、なんてどこか他人事のような感想を抱きながら、その話は一旦終了となった。が、思い返せば、本題はそれではない。
「……あのね、」
 赤葦くんが意を決して告白してくれたか、それとも赤葦くんを頼ってみたい気持ちになったからか、理由なんてものはさっぱり分からない。けれど、話しても良いという気持ちにさせたのは、確実に赤葦くんである。くだらないと幻滅されるかもしれないし、さっきの「好き」を取り消されるかもしれない。そんな不安の反面、赤葦くんなら大丈夫だと思ってしまったのだ。
 ―――ファーストキスを奪われました。
 瞬間、赤葦くんの表情が険しくなり、けれどもすぐに笑顔に戻して「後でちょっと……やっとくから、安心して」と一言。その言葉の意味が分からずに「やっとく?」と聞き返したけれど、笑顔で「気にしないで」と言われたので、それ以上追求することは出来なかった。

 それから赤葦くんとお付き合いを始めたのは一か月後。「やっとく」の意味は未だに分からないけれど、あの日以来サッカー部の彼から告白されることは無くなった。あたしの友達が陰で、赤葦くんのことを「ナイト様」と呼んでいたけれど、その理由についても今度詳しく教えてもらおうと思う。



リクエスト・つきちゃん(180404)






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