200人うぇい企画 | ナノ
HAPPY


 幸せの捉え方は、人それぞれ異なります。
 例えば、好物を食べるだけで幸せと感じる人もいれば、好物であってもレストランで星三つつくほどの美味しいものを食べないと幸せを感じられない人など、その秤は様々なのです。ですが、幸せに生きていく、ということを前提に考えるのならば、やはり前者の方が幸せを感じやすい、と言えるのではないでしょうか。

 これは、とあるバラエティ番組で、専門家の人が話していた「幸せについて」の考え方である。ボーっとテレビを見ていたせいか、他の内容は大して覚えていないのに、何故かその言葉だけがあたしの頭から離れなかった。もっとも、その事実に気が付いたのも、目が覚めてすぐのぼんやりとした思考で、知らぬ間にその台詞をリピートしていたからなのだけれど。
 あたしは決して幸せじゃないわけではない。と思う。―――と、いうのも、他の人と幸せについて比べたことなど無いからである。多分、人間みんなそうだ。
 買ってきたばかりの卵を落として全て割れてしまうこともあるし、新品の服を初めて着たその日に汚してしまうこともある。割り箸が五回連続で綺麗に割れなかった時は流石にクレームを入れてやろうかと思うくらいにイラッとしたし、お気に入りのキーホルダーが満員電車で揉まれたおかげであたしの元から去ってしまった時は泣きそうな程悲しかった。
 けれど、何も悪いことばかりじゃないのだ。
 あたしには、岩泉一という、大好きな彼がいる。卵が全部割れたその日の夜に偶然にも彼が卵を買ってきてくれたり、汚れた服を隠すために「これ着とけ」と彼のパーカーを貸してくれたり。割り箸が五回連続で綺麗に割れなかったことを彼に話したら「俺は綺麗に割れたことねぇけど」って不貞腐れながら笑い話に変えてくれた。お気に入りのキーホルダーは、彼とデートした時にお揃いで買った物だったから、尚更悲しかったけれど「そんなの忘れるくらい楽しい思い出作ってやるから泣くな」って慰めてくれたのを覚えている。

 休日の朝。こんなに無駄な時間の使い方をしたら、休日出勤の皆様に怒られそうだけれど、あたしは随分のんびりと朝食を食べながら、ここまでの話を彼に投げ掛けていた。猫舌のあたしは、こうでもしてゆっくりと食べないと、お味噌汁で躓くことはもう大分前に学習済みなのだ。
 こんな、面白いのかよくわからない話を至って真剣に聞いている彼は、あたしより何倍も多い朝食をあたしより何倍も早く食べ終わったのに、その上で、こんな戯言を聞いてくれるのだから本当に優しいやつだと思う。
「三つだけ、言いたいことがある」
 話がひと段落したところで、彼はずい、と三本の指をあたしの前に突き出した。
「まず、割り箸が上手に割れないっつー俺の悩みを勝手に笑い話にすんな、こっちは本気で悩んでんだから」
「ぶふっ」
 瞬間、漸くあたしの対応している温度になったお味噌汁たちが、あたしの喉を通ることなく、飛沫となってテーブルに広がった。
「汚ぇ!」
「ちょっと!お味噌汁飲んでる時に笑わせないでよ!」
「だから笑う話じゃねぇっつーの!」
 彼が持ってきてくれた台拭きを有難く受け取って机を拭きながらも、込み上げてくる笑いに耐えきれず肩が震える。力が強くて、けれどそれに比例するように不器用で。そんな所が可愛いなぁ、と思った時には既に惚れていた。まさか、割り箸ごときで悩むような繊細さを持ち合わせているとは思っていなかったけれど。
 今度から、割り箸がつくようなもの―――例えば、ラーメン屋さんだとか、お祭りの焼きそばだとか―――を食べる時は、是非とも彼に割り箸チャレンジをさせてあげよう。ほら、練習したら克服できるかもしれないし。
「それから二つ目、」
 あたしが笑っていることは、この際放っておく方向に持ち込んだらしい。呆れたように溜息を吐いた彼は、あたしに構わず言葉を紡いだ。
「お前は時々、極端に人の話を聞かなくなるのを直した方がいい」
「と、言いますと?」
「卵は、その日の朝、帰りに買ってくるって言っただろ。新品の服着てった時も、どうせ汚すからスパゲッティはやめろ、って言ったのに、そんなに食べるの下手じゃないし、とか言い訳して食ってたし。」
「あ、あれ……そうだった、かな……」
「おいこら、とぼけんな。満員電車の日は、帰りに連絡くれたら迎えに行くって言ったのに、連絡くれなかっただろうが。」
 誰が悪いんだ、なんて問い詰められれば、そりゃあもう犯人は確実にあたしである。
 卵の件は全く記憶にないけれど、その他は確かに彼の助言があったような。けれど、お洒落な服を着た日は、お洒落なランチをしたいと思うのが女子として当たり前の思考ではないだろうか。それを彼に理解してもらおうというのは無理な話だけど、あたしはあの日も確かにそういう考えを持ち合わせていて、だからこそ意地を張ってでもスパゲッティを食べたのだ。
 満員電車の日は、友達と遊んだ帰りだったと思う。休日だったから、帰り頃に連絡くれたら車で迎えに行ってやる、なんて言っていたのも鮮明に覚えている。だけど、なんせ休日なのだ。わざわざ迎えに来てもらうのは申し訳なかったし、そんなに混むとも思ってなかったし。結果的に、誰かのライブがあったらしく、電車は激込みで。けれど今更連絡するのもなぁ、と躊躇ってしまったのである。
「そ、そんな怒った風に言わなくても……」
「あ?そりゃあ、こっちの心配を無碍にされたら怒るだろうが、普通」
「おっしゃる通りです」
 彼が正しいということは、卵を落とした日にも服を汚した日にもキーホルダーをなくした日にも散々聞かされたのでちゃんと分かっている。勿論、少しは学習しているつもりだ。彼の話はちゃんと聞くし、助言は素直に受け止めるし、困ったらすぐに呼ぶ。簡単なこと。
 まぁ、分かってんなら良いけど。そう言って、彼は息を吐く。
「最後、三つ目」
「何でしょう」
「幸せじゃねぇ、って少しでも思うことがあるなら正直に言ってくれ。不満があれば直すように努力は出来る。お前が幸せじゃねぇなら、俺も幸せになれねぇ。」
 至って真剣な顔の彼。
あたしは決して不満があったから彼にそういう話をしたわけじゃないけれど、もしかしたら、ここまでの会話の流れであたしが幸せを感じていないと思ったのだろうか。だとしたら、少し申し訳ないことをしてしまったかもしれない。
 前述の通り、自分の幸せを誰かのそれと比べることは出来ないのだ。だから、あたしという存在が、全世界の中で幸せに生きている部類なのか、不幸せな部類なのかは分からない。だけど、だ。
「あたしは毎日幸せだよ」
 朝起きて、はじめが寝ぼけ眼で「おはよ」と紡いだ瞬間とか。作ったご飯を「うめぇ」と言って食べてくれた時だとか。テレビを見て、同じタイミングで笑っちゃった時だとか。今、こうして彼と話していることも、そう。
嫌なことだってそれなりにあるけれど、それを悠々と超えてしまうくらいの幸せを感じているのだから、これはもう幸せということなんじゃないだろうか。
「いつも隣にはじめが居ることが、一番の幸せ」
 真っ赤な顔で「俺も」と紡いだ彼は、照れた顔を誤魔化すようにコホンと一つ咳払いをした。そんなことで隠れられるわけなど無いけれど、それが今の彼の精一杯なのだと思うと、自然と笑みが零れる。

 あぁ、ほら。幸せだ。



リクエスト・てんのちゃん(180401)






back