冬組 | ナノ


▽ そういえば、愛されていた


低気圧が迫ってきているのかもしれないな。少し重くなった頭の片隅でそう思いながら、垂れ流しになっていたテレビの電源を消した。学校やら仕事やらで誰もいない静かな談話室のソファで、ふう、と小さく息を零して横になる。ベッドの寝心地と比べてしまえば、ソファのそれは当然のように低レベルなわけだが、どうしてか今日はベッドまで体を運ぶ気になれない。それもこれ全てこの低気圧のせいだろう。
こういうことは、なにも今日が初めてというわけじゃない。何年か前から定期的に俺を襲うこの症状は、今までも幾度となく俺を苦しめてきたのだけれど、幸か不幸か誰にも気付かれることなく。本音を言ってしまえば、今日だって「眠たいから」なんて適当な嘘で誤魔化して、今頃は自室のベッドで療養に尽くす予定だったはず。どうやら、どこかで何かの選択肢を誤ってしまったらしい。

「ただいま」
「ただいまー」

うつらうつら。夢と現実の間を彷徨ってどれほどの時間が経ったのだろう。この寮に住んでいるメンバーの中で1番聞き覚えのある声と1番好きな声が聞こえ、そういえば今日は2人で近くの劇団の手伝いをしに行くと言っていたことを思い出した。ということは、もう日が暮れた頃だろうか。目を開ける気力もない俺には確かめる術などないのだけれど。俺が声だけで判断した2人、幼馴染の丞と俺の彼女である名無しさんは、足音から察するにもうそろそろこの部屋に入ってくるはず。その前に体を起こして平成を装いたかったのだが、そんな俺の願いは露知らず、全く動こうとしない体と近づく足音。ガチャリとドアを開ける音がすると同時に、今日は散々な日だな、と客観的な感想が浮かんできたから少し笑えた。

「ただいま」
「ただいまー……わ、ビックリした。」
「どうした?」
「紬、こんな所で寝てる」
「紬が?珍しいな」

ソファの目の前で会話しているのだろう、気のおける2人の存在がすぐ側にあるというだけで、先程までは感じられなかった安心感に包まれる。それに加え、珍しいと丞が零すほどにソファで寝るのは俺らしくない行動だったらしく、不意に名無しさんのものと思われる手が額に触れたかと思えば「ちょっと熱い」と。名無しさんはきっと眉を下げて不安な表情をしているだろうけれど、寝ているだけなのにここまで察してくれる2人の気遣いに嬉しさが込み上げる。こんなにも心配してくれてるんだ、俺ももう少し頑張らないと。
薄っすらと目を開ければ、1番に視界に飛び込んできたのは名無しさんの顔。因みに予想通りの心配顔だ。窓から差し込む光はオレンジ色で、テレビを消した時間を考えれば、ある程度は眠れていたらしい。「あ!紬起きた!」という名無しさんの声に反応して顔を覗かせた丞の手には、体温計と冷えピタが収められていた。

「紬、大丈夫?」
「こんな所で寝てたら悪化するだろ。部屋行くぞ。」
「うん……ごめん、」
「謝るくらいなら早く治してくれ」

言いながら淡々と俺の脇に体温計を挟んだ丞は、腰に手を当てて溜息を零した。これはもしかしたらお説教コースかもしれないな、と諦め半分で苦笑いを返す。が、そんな俺と丞とのやり取りに、隣の彼女は不満があったらしく、ダンッと近くのテーブルを叩いたかと思えば「もっと紬に優しくしてよ!病人なんだよ!」なんて。「だから俺は紬を思って、」「全然思ってない!ダメ!紬はあたしの部屋で看病するから!」「頼りないからダメだ」「あたしの紬なのに!」眼前で繰り広げられるこの言い争いは一体何なのだろう。というか、こういうのって普通は本人の前でやらないんじゃ……。
嫁と姑のような2人の会話を聞いていれば、心配してくれているということが伝わってきて、嬉しさのあまり笑みが零れる。数分後、顔に熱が集まって爆発寸前な俺に気付くまで2人の喧嘩は続いた。


(わ!紬が!顔真っ赤!)
(とりあえずベッド運ぶぞ)



(170423)


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