青葉城西 | ナノ


▽ 熱愛宣言


いつものように1日の全授業が終わり、帰り支度をして彼氏の教室に向かった。彼、岩泉一はバレー部のエースで、今日も今日とて部活に励むのだろう。彼と放課後デートをしたい、だとか、せめて一緒に帰りたいという願望がないわけじゃない。周りのカップルを見るたびに、はじめのことを思い出して寂しくなったりもする。けれど、あたしは何よりも彼が楽しそうにバレーをやっている姿が好きなのだ。その為なら、このくらいの犠牲は厭わない。

「はじめ、」
「ん、もう帰んのか?」
「うん、今日は掃除当たってないし」
「そうか、気を付けて帰れよ」
「ありがとう、はじめも部活頑張ってね」
「おう、さんきゅ」

いくつか言葉を交わし、はじめはあたしの頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でる。髪型が崩れるけれど、この撫で方がはじめらしくて好きだったりする。「じゃあね」と手を振ると、はじめも「ん」と片手を上げた。本当は部活を見学していくことも出来るけれど、はじめの邪魔をしたくない一心で真っ直ぐ帰路につく。見たくないわけではない。が、前に「見に来てくれたら岩ちゃんも喜ぶと思うよ」と、彼の幼馴染である及川くんに言われてから、試合は見に行くようにしているから、彼の雄姿はばっちり記憶しているつもりだ。
ちらりと、さっきまではじめが居た教室の入り口に目を向けるが、既にそこに彼の姿はなかった。あたしは、一体何を期待したんだろう。彼がそこに居たところで、もう一度手を振るくらいしかできないのに。ふう、と溜息を吐いて、前を向く。と、同時。

「ひっ、」

思わず声が漏れたのは、目の前に突如現れた男の子のせいである。決して優しそうとは言えない厳つい顔つきに加え、敵対心剥き出しな鋭い目つき。派手な金色の髪の毛も、はじめと反比例していて恐怖心が煽られるが、あたしは確かにこの子を知っている。京谷賢太郎。バレー部で、はじめの後輩にあたる。部長である及川を含め、人に懐かない性格でありながら、何故かはじめにだけは懐いているという不思議な男の子である。そんな彼が、あたしに何か用だろうか。あたしと彼の接点と言えば、はじめくらいしかないと思うが。

「話、あるんすけど」
「……は、はい」

言い方だけを取って貼り付ければ、物腰の低い感じに聞こえるかもしれないけれど、彼を目の当たりにした今、威圧感しか感じ取れない。それも、年下相手に敬語で返事をしてしまうくらいには。それから1秒と経たずして、その威圧感が彼のデフォルメではなく、あたしに対する敵意だと気付かされたけど。
すっ、とあたしに向かって伸びてきた手に、思わず身を縮める。流石に、やっと真剣に部活に取り組みだした彼は、あたしに手を上げるなんてことはしないだろうけれど、反射ってやつだ。伸びてきた手はあたしの胸倉を掴んで、あたしと彼の距離を一気に縮めた。少女漫画のようなトキメキは一切ない。どちらかというと、青年漫画の喧嘩シーンである。

「岩泉さんと別れろ」
「……え、」
「お前が居るとあの人の邪魔になんだろうが」

それは、低く、唸るような声だった。
一瞬、その言葉の意味を理解できず、あたしと彼との間に空白が流れる。岩泉さんと別れろ、というのは、つまり、その通りはじめと別れろということで。あの人の邪魔になる、というのは、きっとバレーの話で。あたしの存在が、はじめのバレー選手人生を邪魔している、と。彼が言いたいのはそういうことなのだろう。その言葉に彼の意思が含まれているかどうかなんてわからないし、あたしが知っている彼は、そんなことを思うような人間じゃないという事は分かっているのだけれど。
あたしがそれを気にしていないかと聞かれれば、話は別である。あたしが居ることで、はじめの負担が増えるんじゃないか。折角の部活休みの日に、デートしてくれることが、はじめにとっては迷惑になるんじゃないか。気にしていないわけじゃない、気にしたくないから無視しているのだ。

「岩泉さんに近寄んじゃねぇ」

ぽろり。あたしの目から涙が零れようが、彼は全く表情を変えないのだから、随分とはじめ思いの一途な後輩を持ったと思う。もしも本当に、はじめがあたしを邪魔だと思っているのなら、その時は別れる決断をしなければいけない。でも、あたしは、一番にはじめを信じているのだ。彼の言葉一つに負ける程、弱い気持ちじゃない。
殴られようが、どうなろうが構わない。キッ、と睨み返して見せるけれど、効果があるかどうかもわからない。それでもいい。負けたくないという気持ちさえ伝われば、それで。
その間にも涙は止め処なく溢れ出して、あたしの視界をぼやけさせていく。
すると、不意に彼の腕から力が抜け、胸倉を離そうとはしないものの、少しだけ距離があけられて。ついに観念してくれたのかとも思ったけれど、どうやらそういうことではないらしかった。

「京谷、」
「……っす」
「お前、俺の女に何してやがる」

それは、一度もあたしに向けられたことのない声。けれど、よく知る声でもある。大好きなはじめのものでありながらも、はじめから出されているとは到底思えない、地を這うような低い声だった。あたしの背後から投げかけられたその声は、あたしの横を通り過ぎ、京谷くんにぶつけられる。彼が腕の力を弱めたのは、はじめが現れたからだったのか。妙な安心感の中、一人で勝手に納得していれば、突然あたしの体は後ろへ引っ張られ、それからすっぽりと大好きな腕の中に収められた。

「黙って聞いてりゃ、勝手なこと言ってんじゃねぇよ。俺が弱ぇって言いてぇんだったら、それはコイツのせいじゃなくて、俺自身のせいだろうが。押し付けんな。……それに、コイツが居るからどんなに大変なことでも頑張れんだよ。勝手に俺の生き甲斐を奪ってんじゃねぇ。こんな俺が先輩で嫌だっつうんなら、避けるなりなんなり好きにしろ。」

怒鳴るでもなく、𠮟りつけるでもなく、ただ自分の意思表示をした彼は、誰かを従える気も誰かに従う気も無いのだろう。じゃあな、とあたしの手を引いて京谷くんの横を通り過ぎるはじめに、迷いなど微塵も感じられない。ただ、怒っているのだけは確かだけど。
「……すん、ません、した」過ぎ去り際、京谷くんは小さな声でそう呟いた。はじめは、足を止めるけれど、振り返らない。許すつもりはない、そういうことなのだろう。

「……俺はバレー部の副部長だ」
「っす」
「お前だけに厳しくするつもりはねぇけど、部活に私情を挟まねぇほど大人じゃねぇからな」
「……っす」

そう言うと、はじめは再び歩き出した。
「怖ぇ思いさせて悪かった」と、先程とは打って変わって、優しい声があたしに向けられる。そんなはじめに「ううん、嬉しかったよ」と返せば、顔を赤くした彼は口を隠すように手を当てて、ごほん、と小さく咳払い。

「嘘じゃねぇから」
「うん?」
「生き甲斐、っつったろ。本気でそう思ってる」

だから、その、これからも……。もごもごと言い淀む彼は、らしくもなく言葉尻を小さくした。そんな彼の代わりに。
隣で歩くはじめのネクタイを引っ張って、無理矢理こちらに向かせると同時に、彼の唇に自分の唇を押し付けた。それから「これからもよろしくね」と紡ぐ。目を大きくして、声も出せずに固まるはじめ。あたしも同じくらい、はじめが好きなのだと分かってくれただろうか。
「それじゃ、部活頑張ってね」手を振って、今度は振り返らずに歩き出す。心配とか、不安とか、寂しさとか、そういうのは全て彼が取り払ってくれたみたいだ。

因みに数日後、岩泉さんを従える女、とかなんとかで京谷くんに懐かれた。



(070527)


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