青葉城西 | ナノ


▽ この世界に終わりを


いつの頃からか、自分はちゃんとここに居るのに、何故か皆とは別の世界に暮らしているような感覚に度々襲われるようになった。それは例えば、部長という責務によるものだったり、勉強も部活も両立して活躍していくことへの周囲からの期待だったり、そういったプレッシャーを感じた時に俺の中でよく起こる現象らしい。この症状が俺だけに起こるものなのか、誰にでも起こりうるものなのかは分からないけれど、一つだけ分かるのは、どうにもこの症状が厄介ということだ。

「及川、ラーメン食いに行こうぜ」
「ごめん、今日はいいや」
「あ?腹の調子でも悪ぃのか?」
「ううん。今日は先約があるから。」
「……そうか、気ぃ付けて帰れよ」

俺の脳内で勝手に作り出された額縁の向こう側で、幼馴染の彼が怪訝を露わにして眉を顰めた。それもそうか、いつもの俺ならホイホイと着いて行くはずなのだから。体調を疑う幼馴染は何一つ間違っていない。間違っているのは、幼馴染でありチームメイトであり部長と副部長という絶対的信頼関係を築いているはずの彼に、このことを一切打ち明けられていない俺の方だ。勿論、俺だって長く隠し通せるものだとは思っていないけれど、だからといってこの幼馴染に打ち明ける勇気もない。
ごめんね、ともう一度謝罪の言葉を零した俺は、部室の鍵を彼に託して、皆より一足先に部室を後にした。寒くもないのに身震いをしては、ジャージの襟を立てて首元を隠す。もしかしたら、今日は今までで1、2を争うくらいに大きな波が来ているのかもしれない。自然と両腕が自分の体を抱きしめるような形になっていて、次第に歩調も速くなっていく。
早く、早く。大好きな彼女のもとで治療してもらわないと。

「名無しさん、」

チャイムを鳴らせば彼女が現れて。額縁を越えられないでいる俺にふわりと笑った彼女は、額縁の向こう側からこちら側に手を伸ばしてきて、それから俺の頬にそっと触れた。暖かいその手は何故か濡れていたけれど、まるで壊れ物を扱うかのように大切そうに俺の目元に触れられれば、心地良さに思わず溜息が零れて。「おいで」と両手を広げる彼女に、俺は額縁を取っ払って、倒れ込むように彼女の腕の中へ落ちていった。

「俺っ……また、全然、だ、めで、っ……」
「うん」
「悔し、けど、なっ、何もできな、くて……」
「うん」
「お、れ……居な、い、方が、良いの、かな……とか、っ、考え、」

苦しくなって、息の仕方さえ忘れてしまいそうな俺の背中を名無しさんは優しくポンポンと叩いてくれて。「大丈夫、大丈夫」なんて、落ち着く彼女の声に全てを委ねる。彼女に大丈夫だと言われると、本当に大丈夫な気がしてくるから魔法みたいだ。

「あたしは、徹が居ないと生きていけないよ」
「……ほ、んと?」
「ほんと」

だってあたし、徹の彼女だもん。
嬉しそうに笑って、けれど「恥ずかしいからあんまり言わないけどね」なんて顔を真っ赤にする彼女を抱きしめてしまったのは、きっと不可抗力だ。こんなに情けない彼氏でごめんね。迷惑、いっぱいかけてごめんね。言いたいことは山ほどあるけれど、今渡すべき言葉は一つ。
「ありがと、名無しさん。」心はもう暖まったけれど、あと少し。捻くれた俺の世界が終わるまで、どうかこのままで。



(170423)


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