大砲娘と世界征服論.U | ナノ



兄と弟

 
 
 つんと鼻についた消毒のにおいにゆっくり目をあければ、白色に囲まれた部屋の中にいた。
 此処は医務室なのだろう。横になっていることに気付いてゆっくり上体を起こす。
 
「っ、頭痛い」
 
 身体を起こすのに頭が後からついてくる。そんな感覚を覚えて、自分が熱を出してここに居ることに気付いた。薬や栄養ドリンクを飲んで挑んだものの、結局高熱を出してぶっ倒れたてしまったのだろう。問題は、私自らが此処へ来たわけではなく、誰かに連れて来られた訳だ。
 痛む頭を押さえながら辺りを見渡せば、カーテン越しに誰かいることに気付く。
 
「誰?」
「お、起きたか」
 
 カーテンが揺らいだと思えば遠慮なしに開けられる。そこには冬島さんが立っていた。
 起き上がろうとすれば、寝てろと一言、冬島さんに肩を押されて再びベッドに沈み込んだ。この時、自分が今まで着ていた服ではなく大きめのシャツを着さされていることに気付く。
 
「あれ……もしかして私、冬島さんに襲われた?」
「バァカ。お前みたいな色気ねえヤツなんて相手にするか。俺はたまたま此処へ来ただけだ。つーか、番犬のせいで手を出すとか出来る訳ないだろ」
「番犬?」
 
 色気がないという言葉にもかちんとくるものがあるけど、“番犬”という言葉の意味がよくわからず首を傾げるが彼は答えをくれそうにない。
 しかし、冬島さんがたまたま居ただけってことは私を運んだ人物が冬島さんではないということだ。最後に思い出せるのは階段を何段か飛ばしで降りていた時だ。手すりを掴みながら降り、ぐらりと身体が傾いたのを誰かに助けられた。その相手が此処まで運んでくれたのだろう。
 
「あ! 時間がやばいんだった!」
 
 どれくらい寝ていたか分からないが、ラボでのディスカッションの時間が迫っていたのだ。
 再び起き上がろうとした私の肩を掴んだ冬島さんは私の監視役なのか起き上がることを許さない。

「まあ、お前はもうちっと寝てろ。鬼怒田さんには俺から連絡したし、なんなら熱出させるまで仕事押し付けんなって言っておいたから」
「けどあれは大学の研究と重なって、」
「ピーピー騒ぐな。そんなに元気があるなら、本当に手ェ出してやってもいいんだぞ?」
 
 首筋から鎖骨に掛けて指先で撫でる冬島さんを私は知らない。
 冗談ではなく本心なのかと思えるほどに真剣な眼差しを受けて、熱の影響ではない寒さが身体を震わせた。
 
「……なにしてるんですか」
 
 沈黙の降りた医務室の空気も雰囲気も打ち破ったのは第三者の乱入だ。冬島さんに向けていた視線を入口に向ければ、そこには二宮の姿があったのだ。二宮を捉えた私に彼は気付いていないようであった。私に手を伸ばす冬島さんを睨んでいるようにも見える。
 
「はいはい。番犬のお出ましだ。俺は退散するぜ」
「え、え?」
「取りあえず葵、今日はウチに帰って寝ろ。ラボなんて行くなよ。もし行ったことが俺の耳に届いたなら、その時はマジで襲うからな」
「(さっき色気ないって言ったじゃん)」
 
 冬島さんなりの心配なのだろう。素直に首を縦に振った私を見届けた後、冬島さんは二宮の肩を叩いて医務室を後にした。この場に残されたのは私と二宮の二人きりで、なんとなく今までのやり取りで此処まで運んでくれたのが二宮だということに気付く。
 
「えっと、ありがとう?」
 
 冬島さんの後ろ姿を見届けてる二宮に声を掛けた。
 
「階段から落ちてきたから誰かと思ったら。自分の体調管理も出来ないのか」
「……おっしゃる通りです」
 
 年下の二宮に説教される私。まあ、今回は私が全面的に悪いので文句は言えないんだけどさー。
 大きくため息を吐き出されたことからも縮こまるしかない。しかも、二宮のシャツだろうそれを着ていることからも、色々と手間をかけさせてしまったようだ。
 
「風間さんは? 迎えに来れないんですか」
「蒼……風間は非番だし、大学で授業受けてると思う」
 
 元々今日は朝から別行動であった。私がランク戦のあとにラボへ行くことを風間も知っていたから今日は大学に一日中居ると言っていた。諏訪と木崎の予定は分からないが、なにも聞いていない所からも何かしらの用事があるのだろう。
 しどろもどろになっていまった理由は二宮が薄っすらと眉間に皺を寄せたからだろう。
 咄嗟に言葉を詰まらせた私を見てなにを思ったのか、二宮はケータイを操作し始めるのだ。その僅かながらの間が気まずくて、一層のこと冬島さんに頼み込んでこの場から連れ出して欲しかったと思えてならない。
 
「(二宮の様子じゃ、一人で帰るって言い張れば怒るんだろうなあ。蒼也に連絡したら来てくれるかなー。けど、熱のこととか何も言ってなかったから蒼也にも怒られるのかー、嫌だな)」
 
 かと言って、高校生組に頼んでしまえばパワハラになるし、他の人に頼れるほど私の友好関係は広くない。冬島さんは家に帰れと言っていたけど、隊室であれば距離も比較的近いし、二宮も文句を言わないのではないだろうか。
 自分の考えが纏まった時と二宮がケータイを懐にしまったのはほぼ同時だ。
 
「帰るぞ。送る」
「いや、いいよ。二宮もなんか用事があるから此処に居るんでしょ? 隊室でも寝れるし」
 
 言いかけた言葉を飲み込んだのは、二宮が私に覆いかぶさるようにして近づいたからだ。慌てる私に気付かないように、二宮は距離を詰める。彼の端正な顔つきがはっきりと判別できなくなる距離となり、鼻と鼻が触れ合う僅かな距離に息を飲んだ私は反射的に目を瞑ったが、彼は私の耳元でもう一度、帰るぞと言うのだ。
 羞恥心が身体の中で暴れまわる。体温が先ほど以上に上昇したんじゃないかと思えるくらいに身体が火照る。口を開くにも何も発することが出来なくて、ただただ首を縦に振るしか出来なかった私の姿に彼に満足したようで、上体を起こして私の手を引いた。本部へ出るまで私を背負おうとする彼に抵抗出来なくて、されるがままだ。
 
「(キスされるかと思った、)」
 
 自分の浅はかな勘違いが恥ずかしくて、私を背負う彼の肩口に顔を埋めた。
 
……
 
 本部へ出た彼は、駐車場に停めている車の助手席へ私を押し込んだ。
 私のアパートは歩けば比較的近い距離であったが、人ひとり背負って歩くには大変な距離なので、彼に促されるままシートベルトを締める。ケータイを取り出して手短に用件を伝えた後、エンジンをかける二宮に目を向けた。
 
「(二宮の車に初めて乗ったなー。なんというか、二宮の匂いがする)」
 
 我ながら恥ずかしい発想であるが、蒼也の匂いとは違う二宮に匂いに否応なしに先ほどのことを考えてしまう。二宮はどう思っただろうか。恥ずかしい人間だと思われたかもしれない。
 
「風間さんに連絡したのか?」
「うん。けど返事はまだかな。講義中はケータイ見ないと思うし、早くても30分後になるかも」
 
 蒼也はケータイを普段から見ない。それは私も同じだけど今日は別行動な訳だし、見てくれないかなーという期待があったりする。図々しい考えだけど、なにかと世話焼きな彼の考えは何年も付き合っていれば察することが出来るのだ。
 
「仲が良いんだな」
 
 今日は二宮から蒼也ことをよく口にされる気がする。
 珍しいなーと思いつつ間違っていない考えに首を振って肯定の意を示す。誰が見ても仲が良いと思うのだろう。言われ慣れた言葉に私はいつも通り頷いて見せるのだ。
 しかし、二宮の言いたいことが他の人とは全くの別物であったことに気付くのは、その次に飛び込んできたワードからだった。
 
「兄のことは忘れたのか?」
 
 バックミラー越しに二宮と捉えれば、彼は前を向いたままだ。
 彼の“兄”と言った人物が二宮の兄でなく、蒼也の兄――進さんであることに気付くのは私たちの関係を二宮が唯一知っているからだろう。
 私は開いていた口を一回閉口させた。どう言葉にすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
 ――蒼也の兄、進さんは私の大好きな人だ。それは今も変わらない。今もずっと、一番好きな人。
 けれど、彼が亡くなって何年も経つ。その間に私は様々な人と出会ったし、様々な人と関わっている。昔の私のように、彼を、進さんを一番好きだと大声で言えるのだろうか。
 
「忘れる訳、ないじゃん」
 
 忘れる訳がない。忘れられる訳がない。
 私の記憶にしっかりと刻まれた彼の笑顔を、逞しい腕を、優しい声を忘れるはずがない。けれど、彼はあの時から私の中で止まってしまっていた。その笑顔を忘れないように蒼也の笑顔と照らし合わせていたのに、幼い頃に亡くなった彼を今の蒼也と照らし合わせることが出来なくなってきたのだ。
 
「(蒼也を蒼也と認識している私が居る。私自身の自覚しない所で、着実に進さんは私の中で一番じゃなくなりつつある)」
 
 思い出されるのは進さんと出会ってからの日々だ。それらは色褪せることなく私の中に残っている。彼が居たからこそ、私は蒼也に出会った訳だし、ボーダーへの入隊も決意した。
 今の私は彼がきっかけで成り立っている所が多い。
 
「いい加減、認めたらどうだ」
 
 彼との思い出を掘り起こす私を現実へ引き戻すように二宮が口を開いた。そこから紡ぎ出される言葉の数々はまるで私があの時から一歩も前に進んでいないかのようで癇に障る。
 進さんの死は私なりに克服してきたつもりだ。だから今だって冷静に考えることが出来ている訳だし、思い出の一部として残されている。

「別にいいじゃん。想うかどうかは私の勝手な訳だし、それを二宮にどうこう言われたくない」
 
 気付けば捲し立てるように声を上げた。
 声を荒げた私を二宮は横目で一瞥するだけで、口を開くことがなかった。それがますます癪に障るのだ。
 僅かに震えたケータイの存在に気付いて無言で取り出した。そこには蒼也からの私の体調を気遣う言葉がディスプレイに映っていたけれど、私はそんな彼に来なくていいと一方的な返事を送り付けるのだ。今、蒼也に会ってしまうと私は進さんを意識してしまうだろう。
 二宮の言葉が頭の中を駆け巡る。
 私にこれ以上、なにを認めろと言うのだ。

兄と弟
20170422