赤が嫌いになった理由 | ナノ


愛してるをやり直そうか
 
 彼女、和音さんと知り合ったきっかけを話そうと思う。
 和音さんは小さな会社でOLとして働いている人で、俺はボーダーの人間。全く接点のない二人が出会ったきっかけは何処にでもある横断歩道であった。
 信号が赤から青に変わった。足先を目的の方向へ伸ばし、歩み始める群衆の中、俺も例に漏れることなく反対側へ渡ろうと歩み始めていた。その時、スーツをきた目の前の女性がパスケースを落としたのだ。
 それを俺が拾って彼女に渡す未来を視た。そして、そんな彼女が振り向き様に涙を堪えている所を視た。そこまで視えても放っておくとが出来ず、俺は彼女のパスケースを拾って彼女の肩を叩いたのだ。
 
「お姉さん、落としましたよ」
 
 肩を震わせえ、振り向きざまに驚いた表情を作った彼女は俺が視た通りになった。そして、はやり彼女は涙を目に溜めて今にも嗚咽を零しそうであった。
 ただ、決定的に違ったことがある。それは、拾い物をしてそれを渡した通りすがりの人としてやり過ごそうとしていた俺が二の次の言葉を発したのだ。
 大丈夫ですか。話を聞きましょうか。
 言わば他人の俺が他人の心配をする。初対面の人間に気を遣われることに普通であれば抵抗を見せるだろう。発言した俺自身も自分の言葉に驚いたくらいなのだから。けれど彼女は小さく鼻を啜った後、眉尻を下げて微笑んだのだ。
 
「えっと、迅くんだっけ? 私は和音。さっきはありがとう」
 
 声を掛けたことで視えていた未来が変わった。彼女と関わることで、次々のその後の未来が明るみになるのだ。
 近場にあった喫茶店に入って、俺は彼女の奢りだというコーヒーを前に対面して自己紹介を重ねていた。既に彼女の瞳に涙はなく、年相応の笑顔を添える姿は大人だという印象と、謙虚な印象を与えていた。俺の知っている年上の女性と印象が異なり、負けん気の強い周囲と彼女には決定的な壁があるように感じられた。しかし、泣いていた理由を明かさずにパスケースを拾った感謝を並べられれば、彼女の大人としてのプライドが顔を覗かせている気がするようにも感じられる。
 
「……さっきは見っともない所を見せてしまってごめん」
 
 彼女が口を開くまで聞くことは避けられた。しかし、彼女は意を決して触れたくない話題の片鱗に自ら手をかけた。
 その時の彼女の声は僅かに震えていた気がする。けれど、初対面と言える関係の俺は、彼女のことを未来で視ただけであって実際はなにも知らないでいたので素面を装い言葉の続きを待った。
 
「ちょっと落ち込んでて、」
「辛くなってしまって」
「泣きたくなっちゃったんだ」
 
 彼女は言葉を並べた。並べられた言葉がウソではないことを俺自身見抜いていた。
 しかし、いまいち核心に触れることのない言葉を聞いて、彼女の強さも弱さも知ってしまったのだ。気丈に振る舞いたい気持ちと、初対面の年下を引っ張ってまで喫茶店て連れてきて、弱音を零してしまいたい気持ち。ちぐはぐな彼女を前に自分の中で彼女という存在が興味へと傾いていくことになんとなく気付いてしまう。
 視えた未来から目の前の彼女に惹かれてしまうことを叱咤し、牽制する俺が居て、目の前の彼女に近づきたいと欲張ってしまう俺も居る。
 
「迅くんさ、これから暇?」
 
 時間から考えても彼女が考えていることをなんとなく見抜いてしまった。
 この誘いに乗ってしまい、後悔するのは自分だと視えた未来が俺に警鐘を鳴らすのに、頷いてしまった俺の心理はなんて子供なのだろう。
 初対面でみた彼女の涙に庇護欲が湧き出した。自分であればと、心の何処かで涙を流す彼女の先に居る存在へ対抗心が生まれた。
 連れていかれたホテルで俺は数時間前に出会った彼女と身体を重ねた。ベッドに沈み、瞳に涙を溜める彼女が出会いがしらの彼女と重ねって胸が苦しくなった。
 ――救ってあげたいと。守ってあげたいと。笑顔にしてあげたいと。心の底から思ってしまった。
 情事を済ませて、シャワーを頭から被った。その隙間に聞こえる彼女の電話の内容にきつく拳を握ってしまう。
 シャワーから出た俺を見るなに彼女は冷静な顔を作って謝罪の言葉を述べるだろう。罵ってほしいのかもしれない。自分という価値を俺の中で落としてほしいのかもしれない。しかし、そんな彼女の本心を知る俺は自虐的な行為を繰り返してしまう彼女に惹かれてしまうのだ。
 
「和音さん、俺……和音さんのことを大切にしたいです」
 
 握りしめていたケータイが震えていた。彼女に気付いてほしいと震えて自己主張をするケータイに彼女は気付かないフリをして、眉尻を下げて瞳から零した涙を見て、そっと彼女を抱き締めるのだ。
 
愛してるをやり直そうか
 
 付き合っている恋人と些細な喧嘩がきっかけで広がった溝。それを修復する術を失った彼女が俺に繕うのが視えていた。
 これでいいのかと問いかける自分に気付かないフリをして、彼女を掻き抱くのだ。
 
20170428