骨抜きなんです。「鍋だー!」 チャイムが鳴り響き、ドアが開いたと同時に飛び込んできた声に脱力するしかない。 鼻頭を真っ赤に染めて、ぐるぐる巻きのマフラーに顔を埋めていた葵がリビングに寒い風を届けてきた。 「ほら、諏訪! 外はこんなに寒いんだぞー」 「冷てえ! おい、やめろ葵!」 かじかんだ手で諏訪の頬を包み込んだ葵との攻防を繰り返していれば、その後ろからのんびりと雷蔵が顔を覗かせた。 ―ー今回集まることになったきっかけは、大学の講義を受けている時に木崎から鍋の誘いが来たことから始まる。諏訪はそれに二つ返事を返せば、風間も行くと言う。葵と雷蔵は研究室に籠っていたが、ダメ元で連絡を取った所、此方もOKの二文字が返ってきたのだ。 そうして集まったメンバーはもはや定番となりつつあつ諏訪の家で鍋をつつくことになったのだ。 「つーか、寒いの分かってるからこっちはこたつに入ってんだよ。扉閉めろ! 寒い!」 「えー、私ももうこたつに入ったから外に出たくない。雷蔵頼んだ」 「へいへい」 4人掛けのこたつに5人で座るのはいささか窮屈に感じるものの、こたつを出している家が諏訪の家だけなので文句を言うことはない。 風間の隣に腰を下し、上着を脱ぎ捨ててこたつに足を伸ばした葵は雷蔵に声を掛けた。既に慣れたやり取りなのか文句を言わずに扉を閉めに行った雷蔵の行動で部屋の温度が保たれることになった。 「木崎ぃー! 鍋まだ?」 「もう少し待て。鍋は煮込んだ方が美味い」 「えー」 不平を零しつつ、籠の中に入っているみかんに手を伸ばした葵の行動は何年共に行動していても掴めることはない。 諏訪は煙草に手を伸ばそうとするが、隣に座る雷蔵に肩を叩かれた。 「つーかさ、此処の面子って葵に甘すぎないか?」 ぼろぼろとみかんの皮を零す葵に変わって風間がみかんを剥き始まる。薄皮まで綺麗に剥いた後に葵の前へ置けば、それを美味しそうに頬張る葵姿があった。 雷蔵だってそうだ。葵が煙草を嫌いだと知っているからの行動に不公平だと声を上げてしまうのも仕方ない。 葵の脱ぎ捨てたコートをハンガーに掛ける木崎の面倒見の良さは兄貴肌なのでどうしようもないだろうが、風間は腐れ縁と言えて世話を焼き慣れているが雷蔵は違う。雷蔵は出会い頭にここまで過保護ではなかったと言い切れる自信があった。 諏訪のごちた言葉を拾ったのは鍋を掴んでこたつに近づいてきた木崎だ。 「今に始まったことじゃないんだし、仕方ないだろう」 「仕方ないつってもなー。ガキじゃねえんだし」 「そのガキ以上に手が掛かるから仕方ない」 研究室でも可愛がられているぞ。そう付け足した雷蔵の視線は鍋に向けられており、中途半端な形で話題が途切れることになった。 「! なふぇ。なふぇたふぇふ」 「急いで食わなくても鍋は逃げないぞ」 「風間、葵の分を入れてやれ」 「ああ」 みかんを口に押し込んだ葵は目を輝かせる。そして手に取り我先に鍋へと意識を向けるのだ。 確かに、確かに良く集まる面々の中では葵だけが唯一の女と言えた。男女差はないと言いつつも、なんだかんだで甘やかしている事実は性別が原因であるのかもしれない。 それにと、諏訪は葵を横目で見やった。 「(いつみても不思議なヤツだな)」 葵は誰の目からみても美人な顔貌だ。そんな葵と同年代であり仲が良い事実は周囲から羨望の眼差しを受ける結果に繋がっている。しかし、そんな彼女の着飾らなく気さくな様子が結果として今の状況を生んでいるのだと考えれば、この光景も気心が知れた、そんな仲だからなのだろう。 白滝を頬張る葵を見ながら諏訪は自分の器に具材を盛った。湯気の出る鍋はこの季節ならではの食欲をそそる。 「うん、美味いな。やっぱりこういうメシを食うと研究所に籠る意味を考えるわ」 「あ、分かる! 研究所に籠ってると美味しいものは食べれないもんね。木崎のごはんおいしいもんなー」 「そりゃあどうも。研究に一段落はつきそうなのか?」 4人用のこたつに5人分の足が入る状況はお世辞にも快適とはいいがたいが、腰を下した木崎は文句を零すことなく食卓の会話に参入する。 話の専らは近況であった。雷蔵と葵の研究経過の話や、大学の話。ボーダーの話。一度話し始めれば終わることを知らず、鍋に伸ばす箸も止まらない。新しい缶チューハイのプルタブを開けていれば、向かいから葵の手が伸びてくる。 呑ませると後が厄介だ。そう考えれば諏訪の行動も限られてきて、気付いていない振りをしながら喉へ運ぶ。こたつ越しに諏訪の足を蹴る葵が居た。 「年明けも鍋食べたい。次はキムチ鍋!」 「キムチは前も食ったろ。次こそもつ鍋だろ」 「カレー鍋」 「それってカレーじゃねえか!?」 風間の提案したカレー鍋がカレー好きな葵にもヒットしたようで、諏訪のツッコミを無視して二人の会話が盛り上がる。 葵に甘い木崎のことを考えれば、次の鍋は鍋ではなくなる。そう思って顔をあげれば、諏訪を見ている葵と目が合った。 「諏訪」 ただ名前を呼ばれただけなのに、目が合っているだけなのにこれから言われることが予測出来てしまうのが厄介だ。 「諏訪、私カレー鍋が食べたい」 隣で雷蔵が吹き出すのが分かった。逆サイドの木崎と、向かいに座る風間が普段のポーカーフェイスを忘れて諏訪を見ているのが感じられた。 きらりと光る葵の瞳が諏訪だけを見据える。小ぶりな唇をきゅっと噛みしめて懇願するに近い顔つきに根を上げるのは時間の問題であった。 「だああ! いいって言うしかねーじゃねえか」 「「わーい」」 「風間、お前卑怯だぞ! 葵をいちいち使ってくんな」 両サイドから慰めるように諏訪の肩を叩く雷蔵と木崎の姿があったものの、二人とも笑いを堪えているのか肩が震えていたので茶化されている気しかしなかった。 一層のこと、思いっきり否定してしまうことを考えたものの、両手を上げて喜ぶ葵の姿を見れば今回はいいかと諦めてしまう感情が勝ってしまう。それが永遠と続いている今があるのに、不思議と嫌だと思わないのが憎い所だ。 骨抜きなんです。 20161220 ← |