大砲娘と世界征服論 Another | ナノ



不機嫌の向こう側

 
「ねえ、神崎さんこれから暇? 俺らと一緒にランク戦しましょーよ」
「いや」
「それならお茶しないっすか? 美味しいケーキ屋知ってるんすよねえ」
 
 隊室に向かうためにラウンジを通り過ぎようとしたことを今更ながら後悔してしまう。目の前にはB級隊員と思える男たち。先ほどから何度も断りを入れているはずなのに、しつこく絡んでくるのだ。
 嫌だという拒否の意味も兼ねてじりじりと後退したのにも関わらず男たちは一歩、また一歩と距離を縮め、壁際に追い詰められれば嫌でも対応せざるを得なくなる。
 
「(あー、誰か来ないかなあ)」
 
 仮に風間がこの場に現れたとしよう。きっと彼は一人でふらりと出歩く葵を咎めるだろう。諏訪であれば茶化してきそうだと考えた時、出水や米屋の高校生たちを求めてしまうのは今までの経験から導き出された答えただと言えた。
 特に最近はC級がB級に昇格することが多く、眼前に広がる光景のようになにかと調子に乗り出す面々が出てきても不思議ではないのだ。
 一層のこと、ランク戦を引き受けてポイントを根こそぎ奪ってみせようか。
 
「(弱い相手から搾り取るっていうのは私の美学に反するわ。アイビス出して脅してみる?)」
 
 様々な可能性を考えながら男たちの言葉を受け流している時であった。眼前に現れた黒に瞬くしか出来なかった。
 
「おい、お前ら邪魔」
 
 舌打ちと共に告げられた言葉は棘があって暴力的だ。
 葵を取り囲む男たちはその言葉に感化され声を上げようとした時だ。相手の存在に驚き言葉を失うのだ。
 
「何度も言わせんなよ。邪魔だつってるだろ」
 
 影浦雅人。B級2位の影浦隊隊長だ。
 男の威嚇に戸惑いを隠せないまま、葵を取り囲んでいた男たちは渋々とその場を去るのだ。
 B級の上位と下位では圧倒的な実力差があることを理解していたのだろう。
 
「へえ、中々賢い選択してるじゃん」
 
 実力差から、そして影浦の攻撃的な性格を知っているから退いた点は賢い選択と言えるだろう。しかし、影浦の登場に驚くのであれば、A級である自分に絡むのは如何なものだろうか。
 目の前に立つ男の姿も忘れ、悶々と考えこんでいれば、自分のすぐ隣に逞しい腕が近づいてきたことに気付く。
 
「おい」
「なに? あ、助けてくれてありがとうね。どうしようか悩んでたんだ」
 
 ありがとうと改めて告げてその場を立ち去る予定であったのに関わらず、一気に詰められた距離に葵は嫌でも口を閉ざすしか出来なかったのだ。
 男たちから解放されたと思っていたが、今度は伸ばされた腕が葵の行く手を防ごうとする。壁ドンと巷で流行りの行動を影浦が知っているかは不明であったが、葵は影浦を見上げるしか出来なかった。
 
「へっ?」
 
 葵の中で、影浦との関係性は割と円滑だと思っていた。
 特に親しい間柄でなければ一人で行動を取りたがる影浦であったが、葵と同じ狙撃手であり影浦隊のメンバーである絵馬ユズルを通じて知ることになった葵とは嫌々ながらも話すようになったはずだ。
 友人とは言えないが、他人とは言えない関係。そんな認識を抱いていた葵からしてみれば、目の前で眉間に皺を寄せる男の真意を掴むことが出来ていなかった。
 
「私、なにかした?」
 
 影浦を怒らせるようなことをしただろうか。
 確かに、思い出せば勝手に隊室で寛いでいたこともあったし、座る彼の髪を乱雑に撫ぜたこともあった。しかし、それはその都度指摘されていた為、今しがた影浦が怒る理由が分からない。
 首を傾げた葵は根気よく影浦の言葉を待った。そうすることが口数の少ない影浦の言葉を引っ張り出す一番の方法であると知っていたからだ。
 
「……別に。ただ」
「ただ?」
「お前、ほんっとバカだよな」
 
 息を吸って、吐いて、改めて告げられた罵倒に葵は驚いた。そして反論をしようと声を上げようとするが、それより早く影浦が葵との距離を詰めるのだ。鋭い彼の瞳が真っ直ぐに葵を射抜く。息を詰めてただただ縮まった距離に驚くしか出来ない。
 
「バカって言うほうがバカなんだよ」
「あ?」
「……すんません(なにこの子、怖っ!)」
 
 反論を許さない声を聞いて反射的に謝罪の言葉を述べる。
 ラウンジの一角で異様な密着度を見せる葵たちを遠巻きに見守る隊員たちの姿があることに気付き、影浦との距離に恥ずかしさが込み上げてくるのだ。
 
「声を掛けられないようにするから、ちょっと離れて。私たち見られてるし」
「どうせ離れたら忘れるんだろ。一層のこと男避けでもしてやろうか」
「へっ?」
 
 反対の手で首筋のシャツを掴んだと思えば、いきなり引っ張られる。
 声を上げようとするよりも早く、首筋に噛み付かれるのだ。
 
「痛っ」
 
 ラウンジのざわめきよりも目の前にいる男の奇行にただただ唖然とするしかない。抵抗をみせればあっさりと離れたものの、噛み付かれた首筋はじんじんと鈍い痛みを与えた。
 顎までマスクを下げている男を睨むようにして見れば、先ほどの不機嫌さから一転し、上機嫌な男と視線が交わる。
 
「なんで噛み付くのよ。猫なの? ねえ、影浦って猫だったの?」
「……に゛ゃー」
「かわいくないし!」
 
不機嫌の向こう側
 
「その噛み痕、どうしたんだ」
「不機嫌な猫に噛まれた」
 
 隊室へ入るなり詰め寄ってきた風間に素っ気なく返事をした葵は、次、なにかあっても絶対に影浦へ助けを求めないよう心に決めた。
 

影浦は相手に分からない形で嫉妬をぶつければいいと思う。
20160520