短編 | ナノ



ロマンス=ゴーゴー!

 
 いつもと同じ時間、いつもと同じ決まった場所へ飛び出してくる彼に少しでも近づきたくて、私は覚悟を決めたのだ。
 いつもと同じ時間は平日の朝6時という学生にしては少し早起きな時間帯で、いつもと同じ場所はなんてことのない普通の住宅街の道で、私の家の近くにある公園のから飛び出してくる彼は真っ直ぐ学校へ向かって駈け出していく。
 私はそんな彼の後ろ姿を毎日欠かさず見るのが不思議なくらい型にはまった習慣となっていて、中学の時は苦手だった早起きも彼のおかげでちょっぴり得意になったのだ。短いオレンジの髪の風に遊ばせて、白い息を吐き出しながらも弾んだ調子で走る彼は後ろ姿から見ていても“輝いている”ように見えるのだ。実に不思議なくらい。
 一度、母親に告げたことがあった。“早起きの秘訣は?”と握り拳をマイクと見立てて差し出された時、咄嗟に、以前にゴミ出しを頼まれた時に見つけた後ろ姿を追いたくなったと。その時の母の表情は稀に見ることの出来ない呆気に取られた表情で、自らの失態に気付いて羞恥心を覚えた記憶がある。しかし、それでも私は顔すら見たことがない彼を毎日目で追っているのだ。
 彼の走り出す先にある学校に私も通っている。所謂、今年の4月に入った新入生という部類に括られていて、憧れていた華の高校生だ。けれど、入学して早々私は彼のような輝く自分を見いだせずにいた。恐らくオレンジ色の髪を持つ彼は学校に何かしらの楽しみを見出しているのだと考えることが出来るけれど、私は彼の持つ喜びも、幸せもない。学校で見つけることが出来た友達との学生生活と彼の背中は何だか同じでない気がしたのだ。
 
「よし、」
 
 時間はいつもより10分早い時間で、私は既に制服を着て玄関に立っていた。最近の彼は、決まった場所に姿を現す時間帯にバラつきが見られる。まるで誰かと毎日競っているように一刻、また一刻と早くなりつつあるのだ。私が見落としかけた日だってあったのだ。10分前でも決して油断出来ない。
 ローファーに足を通してお手製のお弁当を片手に家を出たのが彼が出てくる8分前。既に明るくなりつつある外の景色に目を細めて門を潜って歩き始めて5分。私は彼が飛び出してくる路地の角に立っていた。
 彼が走ってくる位置から此処は見ることが出来ない。彼の速度を考えれば一瞬だけ通る角に居れば本当に僅かながら、彼が見えると考えた。我ながらなんて変質者のような真似をしているのだろうと考えてしまう。彼と知り合いになりたい訳ではないけど、正面から輝いているだろう彼を見てみたかったのだ。自分にないものを持っている彼に言いようのない“羨望”を抱いているのだと分かっている。そして手に入るものではないと知っていながらも私は彼を知りたかったのだ。
 時間が経つにつれて私の心臓は早くビートを刻む。拍動を繰り返して言いようのない緊張と興奮が一手に襲いかかってくるのだ。そこでふとクラスメイトたちの話す“恋愛”というモノを思い出した。“恋愛”とは深刻な病気で、一度罹ってしまえば中々治ることのない厄介なものだと聞いていた。症状は全て当てはまっている気がする。だって私は気付けば彼のことをずっと考えている気がするのだ。
 
「っ、」
「あ!」
 
 誰かが走る音が聞こえた刹那、路地から飛び出してきた彼と一瞬だけ目があった。けれどそれがあまりにも一瞬であった理由は彼がタックルをするように私の方向へ飛び込んできたからだ。
 正面からぶつかって私と彼は殆ど同時に尻もちをついた。身体を投げ出された私は鞄に入れ忘れていたお弁当箱を手放していた。
 
「痛っ、」
「ごめんなさい! 大丈夫?」
「あ、うん。私もごめんなさい」
 
 驚くほど早く彼は飛び上がってペコペコと何度も頭を下げた。そこで初めて視線が交わったが彼は見たことのある子であったのだ。確か隣のクラスに居る男の子だったように思う。背の高くて目つきの悪い子と一緒に居る姿を何度か目にしていた。
 しかし、そんな彼があの後ろ姿の人であることは信じられなかった。背格好は同い年を連想させたが、後ろ姿は大きなものに感じられていたからだ。
 私が立ち上がる最中も謝り続ける彼に申し訳なさを感じる。元々は相手から見えない場所に立っていた私が悪いので彼に非はないのだ。寧ろ謝るべきは私なのだろう。彼を見てもう一度謝ろうとしたけどそれを上回る程で彼が叫んだ。

「おっ、お弁当!」
 
 彼の指差した先は私が放り投げてしまったお弁当だ。地面に落ちたそれは一目見ても分かる程に中身は飛び出して無残であった。
 
「ごめん、本当にごめんなさい!」
「私こそ立ち止まっててごめんね。気にしなくていいから」
「でも、」
「それより急いでたんじゃないの?」
 
 我に返った彼は足を進めようとした。彼の後ろ姿を見た時から彼にとって“それ”がとても大切であることを知った。こんな所で足止めされるのは彼にとってよくないだろう。
落ちたお弁当には申し訳ないけど、一度家に帰るほうがいいかもしれない。お弁当を拾おうとしゃがんだ私より先にしゃがみ込んだのは学校へ向かうと思っていた彼だ。彼は中身が零れないように丁寧に拾ったのだ。
 
「た、確かに急いでたけど、そんなことより楽しみにしてたお弁当を台無しにしちゃったほうが一大事だよ!」
 
 お弁当を楽しみにするかしないかは個人によって差があると思うけれど、あまりにも真剣な彼の表情に思わず頷いてしまった。謝ってほしい訳ではないけれど、このままずるずる彼を引きずり込むのは私の習慣であった“輝いている”彼を見送ることが出来なさそうだ。どうしようかと考えた末に出た答えは実に単調なものであった。
 
「なら、今度」
「?」
「今度どこかで会ったら、その“急ぎの用事”について教えてもらっていい? こんな時間に学校へ行く子って中々いないよ」
 
 間抜けな表情が面白くて笑いをかみ殺せずにいたら顔を赤くさせて何度も頷いてみせた。顔にはありありと弁当と次会う時の約束という不確かな約束を天秤にかけている様子が見られたけど、本当に来るか分からない次に賭けてみるのも楽しいかもしれない。
 
「頑張ってね!」
「う、うん?」
 
ロマンス=ゴーゴー!
 
 昼休み、今朝見かけた彼が辺りを見渡しながら歩いているのを見つけた。背の高い彼とセットでない姿はなんだか新鮮だ。一方的に交わした約束を思って口元に笑みが広がるのを感じる。
 いつもと同じ時間、いつもと同じ決まった場所から飛び出してくる彼に少しでも近づきたくて、私は覚悟を決めた。あの時はただただ輝く彼の存在を知りたかった一心であったけれど、今はそんな彼自身にも興味が出てきたなんて現金すぎる話なのかもしれない。輝いている彼に近づきたい私の本心は暫く私だけの秘密にしておこう。
 
20140406
思っていた以上に日向出なかった。