或る日常のヒトコマこのチャンスを逃す訳がない。学校を出て足早へ校門へ向かう俺は端から見れば可笑しさこの上ないのかもしれないけど、早く早くと気持ちが急かし、自然と俺の足も速く動くようになるのだ。 部活がないこの日。チャイムの音を聞いて教室を飛び出してから校門を抜け、右へ左へ。住宅街の間を縫うように歩き、先にある拓けた道を両断する線路の手前で一時停止。その間にケータイで時刻を確認してからもう少しだと喝を入れて再び歩き始める。 予定を回ってからやってきたバスに苛立ちながらも乗り込んで、額に浮かんだ汗を拭う。徐々に姿を現す大学に自然と息が零れた。 「あれ、及川くん」 「こんにちは、名前さん」 校門に凭れていながらケータイを操作していれば、聞き慣れた声を耳が拾う。顔を上げて彼女を見れば、予想通りの表情を浮かべていた。 小首を傾げる些細な仕草が彼女を大人っぽくも子供っぽくも見せる魔法のようで、見事に俺はその魔法から抜け出せなくて、ただただ見つめる彼女に合わせて笑みを浮かべて見せた。 「なんで此処に?」 「んー、名前さんに会いたかったからじゃダメかな」 からかうように、しかしあながち間違っていない返答をする俺に、彼女は困った笑みを浮かべた。情けなく下がった眉は俺が瞬きをする頃に元へ戻り、次には恥ずかしそうに綻んだ笑顔を見せる。 そんな彼女の笑った顔が好きだった。アポが取れない、感情のままに突き動かされる俺の行動を咎めようとせず、やんわりと受けとめてくれる。隣を歩き始めた彼女から大人のカンロクなんてものは残念ながら感じられないけれど、その優しさに俺との差を感じてしまう。 「ありがとうね」 「いえいえ。俺の大切な名前さんに何かあると困るので」 「及川くんってすぐそんなこと言う」 彼女は恐らく気付いているのだろう。偶然にしては間が良すぎることや、走ってきたことが分かる首筋を伝う汗。そして、隣を歩き触れ合える距離が俺を緊張させていることを。 けれど俺だって彼女のことは色々と知っているつもりだから負けていないはずだ。口から出た言葉と気持ちがちぐはぐであることとか、本当は嬉しいこととか。お互いがお互いを知っていて、けれど敢えて口にするつもりがないこの距離を俺も彼女も楽しんでいるのだ。 指と指が僅かに触れ合った。次の瞬間には距離が開いた理由が緊張からという単純でベタな展開だったので、可笑しくて二人で顔を見合わせて笑った。 「今日はグラタンにする予定だけど食べて帰る?」 「名前さんが良ければ」 「……その回答はズルいなあ」 「なら、グラタンも名前さんも食べたい、デス」 俺の指先が彼女の掌を攫って、ぎゅうっと握り締める。お互いの指先が強ばることはなく、寧ろ初めからこのカタチが当たり前であるかのように優しく馴染む。もう、だなんて飽きれた声を上げる名前さんの頬は熟れた林檎さながらに赤くて、我慢できずにこの場で食べてしまおうと思った俺は間違っていないはず。 20130727 |