短編 | ナノ



柔らかな低温がすべる

 
 少し背伸びをして履いて通ったパンプスも、今日でおさらばかと思えば少し精々した気持ちになる。
 ああ、失恋って思ってた以上に堪えるものなんだな。なんて一人で考えた所でどうにもなる訳ではないのに、終わりの見えないループのように、そして、走馬灯のように今までの彼と過ごした日々が甦るのが憎らしい。
 友達としては上々すぎて、休日によく二人で遊んだりもした。
 もしかするとこれはフラグ立ってる? なんて、友人に背を押されたこともあって告白をしたのにも関わらず、結局は惨敗。
 なけなしのプライドが邪魔をして、理由は聞くに聞けなかった。笑うことも、泣くことも出来なかった。
 それなのにも関わらず、彼と別れた帰り道に込み上げてきたものを吐き出すようにして泣けば、今まで私の中で募った思いに間違いなく、私は中に居る私と一緒で“彼を好き”なんだと思った。
 さて、友人にどう報告するべきか。
 シンプルに状況を報告するべきか、彼が悪いと話を盛り、一層のこと彼を悪役に仕立て上げようか。
 
「はは」
 
 意味もなく言葉が零れた。
 泣いて、泣いて、瞼が重い。頑張って練習した化粧もきっと無様な格好で落ちているのだろう。ウオータープルーフにしていなかったのも敗因の一つ?
 考えれば考えるほど、身体が怠いし、つま先が痛く真っ直ぐ歩くのですら億劫になる。傍からみた私は残念な格好なのだろう。見栄を張るからだと言われてしまうかもしれない

 
「帰ったら、靴擦れの所に絆創膏。目元を温めて、寝るか」
 
 意識が飛ぶまで酒でも飲んでみようか。ふらふら自宅への道を歩きながら考えていれば、見知った背格好の男が居ることに気付いた。
 風間だ。夜道を歩く私を叱咤する気なのだろうか。我ながら口煩いクラスメイトを持ってしまったものだ。
 回れ右をして回避したいものの、彼は私に用事があるのか家の前から動く気配を見せない。そうこうしている間にも私と彼の距離は徐々に縮まり、パンプスを引きずる音に気付いたのか、モッズコートに顔を埋めていた風間が顔を上げたのが見とれた。
 白い息が彼の口元を覆う。切れ長の瞳が僅かに見開かれ、無様な私の姿を捉えたのが感じられた。
 
「名前」
「どうしたの風間くん。私に用事?」
 
 会話出来る距離まで近づいた時、彼の視線を遮るようにさりげなく俯いてその場をやり過ごそうとする。
 
「午後からの講義に出席していなかっただろう」
「なんで知ってるの」
「お前の友人から聞いた」
「、へえ」
 
 私の小さな呟きは闇空に白い息として溶け込んだ。
 風間の言葉をまとめると、講義に出席しなかったことで、課題のレポートを風間が直々に持ってきたということだ。彼もボーダーの仕事帰りらしく、こんなに夜遅い時間になったとのこと。
 淡々と言葉を紡いでいた風間の言葉を右から左へ受け流しながら聞いていれば、不意に低音が聞こえなくなる。
 どうしたものかと僅かに顔を上げれば、私より僅かに少し低い背丈の彼がじっと此方を見ていることに気付いた。
 
「どうした、静かだな。お前が静かだと気味が悪い」
「……この際だから言っておこうかな。つい先ほどね、振られたの」
 
 誰にとは聞かれなかった。どうやってとも言わなかった。
 ただ、風間が一瞬だけ瞳を泳がせて閉口したことが何よりの言葉であったと考えてしまう。
 
「あんなに息巻いていたのに、結果がこのザマよ。そりゃあ私でも元気なくすでしょ」
「……」
「今、友達にどう報告するか悩んでる所。今の所知ってるのは風間だけだから誰にも言わないでね」
 
 友人よりも最初に明かしてしまった事実には自分でも驚くものの、風間だからだと納得してしまう自分が居るのだ。
 それでも、気丈に振る舞いたい自分が居ることで、伝えたのは伝えたものの顔を上げることは出来なかった。
 私たちの間を冷え切った風が吹き抜ける。涙の跡を辿るように容赦ない風が頬を滑った。
 
「誰にも言うつもりはないが、少し意外だった」
「え?」
「そんな結果になるなんて思ってなかったからな」
 
 私が視線を上げるのと風間が俯くのが殆ど同時であったことに驚く。
 いつもは視線を逸らすなんてことをしない相手だと知っているため尚更だ。そして、そんな風間が私の失恋に対して驚いていることに対しても驚いていた。
 応援された素振りはなかった。グループの一員として風間が居る前で好きな人が居ると吐露したことがあったものの、直接告げた訳でもなかったのだ。
 呆気に取られる私を余所に、風間は口元に薄い笑みを浮かべた。
 その笑みがどんな意味を持つか、私は答えを持ち合わせていない。
 
「本当は言うつもりはなかったのだが、お前が、名前が泣いていた姿を見るのは自分が思っていた以上に堪えるな」
「なに、言って」
 
 顔を上げた風間と私の視線が絡む。
 射抜くように力強い眼差しの赤を友達の誰かが格好良いと零していたのを不意に思い出してしまった。

「お前があいつを好きだったように、俺がお前を好きだったと言えば?」
 
 鉄仮面な男だと思っていた。冷静沈着で何事に対しても熱意を傾ける男ではないと思っていた。
 ――それでも、私を見る目の前の風間の瞳に、先程、失恋に至った男にはない熱を感じるのだ。
 
 
柔らかな低温がすべる
 
 私たちの間を風が通り抜ける。
 火照った頬を撫ぜる風が心地よいくらいに感じられた。
 
20150104