短編 | ナノ



これ以上のなにを欲しがればいい

 
 あ、と、小さな声を飲み込んだのは、彼女の笑顔が見えたから。
 反射的に零れてしまう声ですら飲み込もうと自棄になったのは、彼女の笑顔を自らの行動によって潰してしまうのではないかと一瞬でも臆してしまったから。
 少し離れた所に居る彼女はいつだって俺以外に笑みを浮かべてみせる。俺に視線を向けることはなくて、そんな彼女に淡い期待を抱き、一人で撃沈するのは俺だ。
 これが恋なのかな。
 彼女を見るといつもの俺が俺じゃなくなる。なんてお約束の展開なのだろう。
 俺を冷めた目で見るのはマッキーだ。
 なら告白すれば?
 その言葉に瞬いたのは俺で、ああ、その手があったのか、なんて発想に至った。
 マッキーはそんな俺を気味悪がるように見るけれど、そもそも俺、女の子に告白したことないし。付き合いたいっていうから付き合って、別れたいと言われるから別れることを繰り返す俺にマッキーの言う“告白”の選択肢は存在しなかった。
 しかし、彼女にどう俺の心情を伝えればいいのだろうか。今までの彼女たちを振り返るものの、俺のどこが良いなんて聞いたことないし、彼女たちはいつだって我が儘に想いを募らせて、我が儘に去ってしまったのだ。参考にならないだろう。
 どうしたものかな。
 首を傾げる俺を見兼ねてか、マッキーは更に言葉を残した。
 取りあえず向き合ってみろ。
 成る程。彼女の前に俺が登場して、その場の勢いで告白しろってことか。……なんて、上手くいく訳ないでしょ。そもそも、アドリブ効かないで有名なんだよ、俺。……まあ、俺の主観だから傍目の意見は知らないけどサ。
 
「すべこべ言うな女々しい」
 
 岩ちゃんに一蹴されて、彼女が見えた時に俺は足蹴りを喰らった。
 蹴られた背中を押さえながら視線を上げれば、驚いた表情のまま固まる彼女が目の前に佇んでいるのが理解出来た。
 
「あ、ごめん」
 
 角から如実として現れた俺をさぞ可笑しい人間だと思っただろう。反射的に零れた謝罪の言葉を聞いて、彼女はようやく本来の動きを取り戻したようだ。
 
「いや、こちらこそ」
 
 違う。俺のプランと違う。
 そんな世間話をしたい訳じゃなくて、もっと、こう、なんて言うのかな。格好いい言葉を選びたかったのに。
 
「ええっと、岩泉くんに蹴られてたの大丈夫?」
「え、あ、ウン! 大丈夫。この通りぴんぴんしてるから」
「その割には音が大きかったけど」
 
 背中にあざとかできてるんじゃないかな。
 いつもなら岩ちゃんに怒るものの、彼女と会話が続いている今を考えれば俺は蹴られたことを喜ぶべきなのか。
 もしかすれば隠れMなのかもしれない。自らの性癖に疑念が生じていれば、彼女の頬に赤みが差していることに気付く。これは俺を応援するためにやってくる女の子たちにありがちな反応だ。
 ……となると、彼女はもしかして俺のことを知っている? 知っているだけじゃなくて、俺のことが、好き?
 
「あ、えっと、じゃあ私行くから」
 
 踵を返そうとする彼女の手を掴んだのは俺の手。
 じんわりと伝わる熱の影響か、俺の頬まで赤く染まっている感覚を覚える。
 初めて言葉を交わしたのに、不可抗力と言えどスキンシップまでしてしまった。岩ちゃんグッジョブ。
 
「俺、実は前々から[キーンコーンカーンコーン]
「あ、予鈴! ごめんまた今度」
 
 手からすり抜けた彼女の腕は白くて柔らかくて、一瞬の内に消えてしまった。
 廊下を駆け出す彼女。そんな彼女を前に呆気にとられる俺。
 背後から複数名の吹き出す笑い声が聞こえてきたのが憎らしい。
 
これ以上のなにを欲しがればいい
20150104
 
及川くんはこれくらい恋愛に対して残念だといい。