短編 | ナノ



ピアスホールで愛を埋める

しーたんさまより


風間蒼也は高性能な人間だ。

決して口数の多い性分ではなかったが、誠実かつ男気のある性格は人々を惹きつけ、媚びたことなど一切ないはずなのに気が付けば彼は周囲から慕われる人間となっていた。
特に彼の所属する界境防衛組織ボーダー本部では多くの者が彼へと憧れを抱き、チームメイト達はもちろん、多くの後輩達からも羨望の眼差しを受ける存在であった。
しかし、そんな風間も完璧な人間ではない。

その日、風間は尋常ではない疲労を抱えていた。
未成年達には任せられない深夜任務を体調不良の同僚の穴埋めとして連日入れられた。
しかし大学の講義は待ってくれるはずもなく、寝る間もないままに自室に戻りシャワーを浴びて、ルーズリーフの入ったリュックを背負って部屋を出る。
そういう日に限って七限まで授業は埋まり、今度は自室に戻る暇もなくボーダー本部へと足を運ぶ。
そういう日々が続いて3日が経った。
ボーダーの過酷な任務と同時進行で行われる大学生活の中で、空いた講義の間にとる睡眠時間は僅か2,3時間。
実体ではないとはいえ、夜間ぶっ通しで体を動かし続ける彼にとってその現状はまさに窮地というべきか。
疲れ切った体と苛立ちの止まない心はまさに、心身ともに限界を示していた。
講義には集中できず、細やかであるものの普段であれば間違えるはずのないミスが重なり、それにまた腹が立つ。
この現実から逃げ出したいと思う気持ちが強くなり、それでも講義をさぼるという選択肢を選べない自身が情けない。
その時の風間には、前方に映し出されたスクリーンの文字の意味もマイク越しに響く教授の声も何もかもが煩わしかった。

ーーー頭が、痛い。


「ねぇ」

囁くような声が響いた。
声の発信源へと目を向ければ、そこには日本人離れした脱色された髪がやけに似合う男が口元を緩ませてこちらを覗き込んでいた。
無造作ながらにセットされた髪から覗く左耳には一瞬顔を歪めたくなる程のピアスがちらつく。

「抜けよっか、講義」

先ほどと変わらないほどの声量でそう言い放った男は、風間の返事を聞く前に手元に広がった白紙のルーズリーフを空っぽのカバンへと突っ込んだ。
風間はそれをただ呆然と眺めている。
普段の風間であれば、それを断り、一瞥するところであったが、その時の風間にそれだけの判断力はなかった。
だから彼が微笑みを浮かべて、ほら早く早くと急かすのを受け入れ、流されるがままにそそくさと片付けをしてしまったのであって、決して風間は本来このような行動を取るような人間ではないことをここに記しておく。

教室を抜けて、手を引かれるがままに向かった先は中庭だった。
ベンチの点在するそこは講義のない学生達が思い思いに時間を過ごしている。
男は適当に空いていたベンチを見つけるとパッパッと軽く汚れをはたき腰を下ろした。
そして座ったことで身長差の逆転した風間を見上げて、自身の膝を叩く。

「膝枕」

何を言っているんだ、この男は。
普段の風間であればそう思うはずだった。
しかし前述した通り、やはり今の彼にそれを思う程の余裕はなかった。
風間は男の隣の空いたスペースに腰を下ろすと、そのまま決して柔くはないその膝へと頭を預けた。
そこではじめて、風間は、この男は誰なんだろうという疑問を抱いたが、それを口にする前に彼の思考は、骨ばった手に不器用に撫でられた頭に感じた体温と共に沈んでいった。


目が覚めると辺りは閑散としていた。
空は鮮やかなオレンジへと色を変え、昼間に見掛けた学生達はそれぞれ帰路へ着いたようだった。
久々にとれた長時間の睡眠に、微睡む脳を自身で叱責した時、風間は妙に暖かい枕に気がついた。
勢い付いて体を起こすと、頭上からうわっという間抜けた声が響いた。

「おっ、きたんだ?おはよう」
「あ、あぁ。おはよう」
「あはっ、しゃべれるんだ」
「……どういうことだ?」
「昼。なんも言わないから話せないかと思ったよ。
…覚えてる?相当やばそうだったから返事も聞かずに連れ出しちゃったけどさ。隈、少しは薄まったみたいだね、よかった」

そう笑った男に風間は眠りにつく前までに彼を苛んでいた負の感情がすっと消えていくのを感じた。
そして、その感覚に疑問を抱く前に男は話を続ける。

「諏訪、今日から夜間任務戻れるってさ。だから今日は休んでいいみたい」

すんごい謝ってたよ、と続けられた言葉に、なぜこの男が体調を崩していた同僚や任務のことを知っているのかということを片隅に、風間の心は、肩の重荷が下りたことによる安心感に満たされた。

ここからは、風間がこの後、知ることになるのだが、男の名は苗字名前。
ボーダーには所属してはいないが諏訪とは高校時代からの友人であることからボーダー内部のことも大まかに把握をしている。
風間の存在は以前から知っていたが特に接点はなく、認識のみの存在だったようだ。
そして、昨夜、体調を崩した諏訪の穴埋めに風間が入っているということを見舞いに行った時に申し訳なさそうに漏らしていたことから現状を知るに至ったらしい。
(まさかあんなに重症だとは思っていなかったけどね、と思い出しては苦笑いを浮かべていた)
その後、気まぐれではあるが諏訪の代わりに謝罪に出向いてやるつもりでいたらしいのだが、風間の見るからに弱り切った姿を見て放っておけなくなり、あのような行動を取ったのだと、今では見慣れた笑みを浮かべて話した姿を風間は(いい意味でも悪い意味でも)忘れることができなかった。





最近、俺の中に、ある感情が芽生え始めている。
正体の見えないそれを、俺は持て余していた。


「ピアスホール、増やしたいんだよね」

昼時の喧騒とした食堂に唐突に吐き出された言葉に思わず俺の手元は狂い、口元に近付けたカツはカレーの元へと戻っていった。
隣に座る木崎は眉間に皺を寄せ苗字の左耳にかかる髪に手を伸ばし、確認するかのように持ち上げる。
苗字の正面に位置する俺や隣に座っていた諏訪は眼前に広がるグロテスクといっても過言でない光景に先ほどまで顔を出していた食欲がみるみるうちに退いていくのを感じた。
(事実諏訪に関してはオエッと口元を抑える仕草をした)

「ちょっと、急に何?木崎くん」
「これ以上、どこに開ける隙間があるんだ」

と、木崎が称するのも無理がない程に苗字の耳は耳たぶはもちろん、軟骨に至るまで所狭しとピアスホールが覗いていた。
苗字は少し鬱陶しそうに顔を歪めて木崎の手をやんわりと払い、隣で未だ口元を抑える諏訪に肘鉄をいれる。
いてぇ!と思わず叫んだそれは昼間の賑わう食堂に自然と紛れた。

「失礼だなぁ。そんないうほど穴開きじゃないよ」
「いや、十分すぎるだろ」
「諏訪うるさい」
「いっって!!!」

なんでもないような顔をして再び手元のオムライスを掬う苗字にわざわざ突っかかる辺り、諏訪の脳は単細胞生物以外の何物でもないのだろう。
上半身を動かさないままに悲鳴を上げさせたことから、足グセの悪さが出たように思える。

「どこに開けるつもりなんだ」

単純に感じた疑問を口にした。
そして自らの発言について深く考えることもなく、再びカツを掬い上げ、再び湧き出た食欲に次こそはと落とさないようにと、口を開けて放り込んだ。

「トラガス」
「なんだそりゃ」
「穴の前にある出っ張ったとこ。ここ」
「っ、ごほっ」

(そこは穴を開けていい場所ではないだろうっ)

そもそも人の体に穴を開けていい場所が一つでもあるのかと聞かれても微妙としか答え難いが、苗字が説明のために指差した場所はいわゆる耳珠と呼ばれる箇所。
耳の穴の前に位置するそこはピアスを付けたとして、聴覚の邪魔になるとしか思えないと感じるのは自身が妙に生真面目なせいなのか。
せっかく丁寧に口に運んだ好物のカツは味わう間もなく腹の底へと落ちていった。

「やめろ」
「人間のやることじゃないぞ」
「これ以上キモくしてどうすんだよ」

「うわあ、一斉になに。俺は聖徳太子じゃないんだけど」
「茶化すな」
「言うと思ったぁ」

木崎の一喝に対して、苗字は咎められたことを気にしていないような返事をして、のんびりとオムライスを口に運んだ。

「まぁ、病気なのかもね。諏訪の煙草みたいなもん。やめられないの」
「穴を開けるのを?」
「うん」

変態かよ、と諏訪が呟くのが聞こえる。
こちらまで聞こえるということは隣にいる苗字の耳にも届いているはずなのだが、反応を返さないところを見ると何か思うところがあるのかもしれない。
穴を開けた時の快感か、消毒する度にじくじくと疼く痛みか、自分の体を自分で傷つける背徳感か。
その気質のない俺にはわからない何かを、苗字は、感じているのだろうか。

ゾクゾクと、背筋に静電気が通ったかのような感覚が、自身の中を這い回った。

「まぁ耳だけに収めてるんだから大目に見てよ」
「…頼むからへそピとかやめろよ」
「なんで?さすがにやるつもりはないけど」
「痛くて見てられねえ」
「ははっ、意味わかんない」

苗字と諏訪がじゃれ合う姿を見つめる。
彼らは高校からの付き合いということもあって、その仲の良さは俺たちとは一線違ったものだった。

(でもきっと、諏訪は知らない)

苗字がピアスホールを開ける時に感じる何かの正体を。



「俺がやってもいいか」

「は?か、風間?」
「え、なに。風間くん、どうしたの」
「ピアス。俺に開けさせてくれないか」

視界の端で諏訪と木崎が、目を見開きこちらを見つめるのが見えた。
この場で俺が易々と意見を変えるような人間ではないことを知っているのは、紛れもない彼らであった。
しかし俺自身、自分でもなにを口走ったのか、脳はいまだ追いつけていなかった。
(なんでそんなことを言ったのかは後々わかるようになるけれど)
妙な沈黙の中、自身の善心が断ってくれと祈っているのに気が付いた。
きっと、俺は追求してはいけないものに、確かめてはいけないものに、今、俺は、手を出そうとしている。
この道は踏み出してはならないのだと、善心が叫んでいる。

先ほどの言葉を吐き出した唇とは裏腹に、苗字を見つめるその瞳は後悔に塗れていた。

「…嫌じゃないなら、いいけど」

苗字の返事はこちらに主導権を委ねるものだった。
こいつはこういう男なのだ、と漠然と初めて出会った時のことを思い出す。
自由を愛しているけれど、人をよく見ている人間なのだ。
真逆な性(さが)を体現してみせた俺を、見抜いた上で、笑ってみせるのだ。

「いい。やらせてくれ」

(そういうことをされると、また、ーーになる)

この気持ちの正体を暴こう。





ある夜、俺は苗字の自室にいた。
苗字の住むそこは、良くも悪くも学生らしい部屋だった。
狭い玄関から続くほぼ同じ幅の廊下には、片や簡易キッチン、片やユニットバスが設置されている。
短い廊下を抜けてすぐの一室は決して広いとは言えたものではなかったが、私物の少ない苗字にはベッドが多くの割合を占めるその部屋がよく似合った。

「ついでだし、泊まって行ってよ」

いつもの笑みを浮かべて、苗字はそう口にした。
ベッドの縁に座った彼の足元にはピアッサーが、開封こそされたものの未使用のまま、転がっていた。

結論として、俺は開けられなかった。
左側の髪を持ち上げて、耳珠に針を当てて数秒、押し込めばいいだけのそこに指を添えることしかできなかった俺を、苗字はわかっていたかのように受け入れた。
そうして、その言葉を吐いたのだ。

シャワー浴びて来なよ、と勧められるがままに押し込められた風呂場で俺はやっと正気を取り戻した気がした。
食堂で会話したあの時から今日まで、どこかふわふわとした感覚が俺をつきまとっていた。
きっと、俺はそれに酔っていたのだ。

(…………馬鹿だ)

まるで、俺らしくない。
わざと冷水のままにしたシャワーを浴びれば、元々俺の持っていた冷静さが姿を表した。
元々、何かに執着する性分ではないのに、今更なにを思っていたのだろう。
彼を知るうちに覚えた気持ちの正体は、まだはっきりとはしていない。
でもこれは、やはり知ろうとすべきではなかったのだ。
やはり、あの時の俺は正気ではなかった。

ボーダーと大学。
それだけでもパンクしそうな俺が、これ以上なにかを背負うべきではないということはあの3日間でよくわかった。
現状維持、それが、ベストだ。

置いてあったタオルとサイズの合わない部屋着(きっと苗字のものだろう)を身につけて、部屋に戻れば、そいつは何事もなかったかのように入れ替わりに風呂場に向かった。
苗字の座っていたベッドは、シャワーを浴びる前と何も変わっていなかった。
取り落としたピアッサーもそのままそこは、時間が止まっているようだった。

部屋の入り口で棒立ちのまま部屋を見渡す。
いま思えば、1人でこの部屋を訪れたのは初めてだった。
いつもは他の2人を誘って宅飲みをするか、レポートをするか。
しかし広いとは言い難いこの部屋でそれを行ったことは、記憶の中でも数える程だった。

「…はぁ」

ため息を吐いて部屋に足を踏み入れる。
先ほど苗字が座っていたベッドへと足を進める途中で、視界の端がきらりと、輝きを放った。
思わずそちらに目を向けると、苗字の所有する数少ない家具の一つであるチェストの上にそれはあった。

(これは、)

「ルビーのピアス。おしゃれでしょ」

背後から突然聞こえた声に風間は思わず肩を跳ねさせた。
いつの間にかBGMとなっていたシャワー室から響く音たちは消えていた。

「随分と、早いな」
「そう?いつもこんなもんだよ」

俺の傍(わき)に立った苗字は髪の水分を吸い取らないうちに、風呂場から出てきたのか、ぽたぽたと髪の先から水滴が落ちていく。
思わず肩に掛かったタオルを引き抜いて頭を覆って軽く押し揉んでやると、苗字は驚いたように目を見開いた。

「わっ、そんな、いいのに」
「風邪を引かれても困るからな。…やりにくいな、しゃがめ」
「ははっ、ならお言葉に甘えて」

諏訪や木崎程ではないが、それなりに身長のある苗字の髪を、十分に拭いてやるにはこの体勢は少しやりにくいものがあった。
言われたように腰と膝を軽く曲げて頭を俺の方へと近付けた苗字の髪をタオルで叩いていく。
A級1位に所属する最弱A級隊員程ではないが、それなりに伸ばされた髪は脱色させたとは思えない程にきめ細かく、痛みを感じさせない。
同じような状況であるはずの諏訪の髪は見るからにごわごわとしているのに、この差は一体なんなのか。

「風間くん、髪拭くの上手だね。ボーダーの後輩のも拭いてあげたりするの?」
「見てられない時はすることもあるが。世話を焼かれたくない奴らばかりだから、あまりないな」
「へぇ。お年頃ってやつ?」
「だろうな」
「もったいないなあ」

こんなに気持ちいいのに、と喜色の含んだ声が響く。
タオルで見えてこそいないが、いつもの笑みを浮かべていると想像するのは、極めて容易かった。
だいたい水気が取れた辺りで声を掛けると、はぁい、と緩い返事が返ってきた。
頭からタオルを抜き取り、苗字が顔を上げる。

「っ、」

鼻が、ぶつかった。
近い。
先ほどよりも大きく開いた苗字の瞳の中に、同じくらい目を丸くさせた俺が見えた。
互いに驚きを露わにさせ、しかし、どちらも離れようとは、しなかった。

「か、ざまくん」
「…なんだ」

動物が親愛を示すかのように、鼻を合わせたままに言葉を発する。
息が掛かるのを感じる。
シャワーを浴びた時の決意が、あれだけの後悔が、陥落していく。
これは、駄目だ。

「あのピアスさ、風間くんみたいだなって思って買ったの」

「は、」

「気持ち、悪いよねぇ。俺もさ、買ってから何してんだろうって思って」
「そもそも、俺、あぁいうシンプルなの、あんまり付けるタイプじゃないし」
「捨てよう、とか思ったけど。捨てられなくて」
「だから、買ってからずっと、あのまま。
…ねぇ、風間くん」

「どうすればいいと思う?」

苗字が、僅かに震える唇から言葉を発する度に、湯冷めしているはずの頬が、薄く染まっていくのが見えた。
普段飄々としている瞳は、軽く潤み、年甲斐もなく涙がこぼれ落ちようとしている。

(やはり、俺は)


どうしようもない、馬鹿だ。

21歳、男、ひょろいが身長は俺よりも高い、耳は穴だらけ、声は掠れている、そんな苗字を、かわいいと思う。
苗字名前という男を、好きだと、思ってしまう。
その薄く染まった頬を撫でたいと、その瞳から溢れる涙を舐めたいと、震える唇に、キスをしたいと。


「なぜ、そんな風に、聞く」

「…君は、いつでも正しいから」

そんなわけ、あってたまるか。
現に今、大きく道を踏み外した男だぞ。
俺は、決して一般的に幸せと称される人生の正しい筋道を、外れる予定などなかったそのレールを、決意した側から脱線したような、どうしようもない男なのだ。


「…座れ」

軽く肩を押すと、苗字はまるで人形のようにベッドへと腰を下ろした。
それを視界の端で捉えながら、チェストの上に投げられた輝きを放つピアスに手を伸ばす。
手の中に収まったそれを確認して、苗字の前に立つ。
苗字の瞳は、ぼうっとして、何を考えているのかわからない、初めて見る表情を浮かべて俺を捉えた。
誰も話す者がいない、この空間で、ピアスのポストからキャッチを外す金属音だけが響く。
湿り気の抜けたさらりとした髪をかきあげて、穴だらけの左耳を覗かせる。
いくつも空いたピアスホールから耳たぶの1番自然な位置を探して、刺す。

「よく聞け」
「うん」
「それ、絶対に外すな。他の穴は何もつけるな、塞げ。これ以上、穴を増やすな」
「えっ、」
「できないというのはなしだ。いいな」

身体の割に大きいと言われることの多い手を苗字の両頬に添える。
動物に躾るように目をしっかりと合わせる。

「ご褒美ないと、できないよ」

いつもの苗字とはまるで別人のように、眉を下げて、見るからに困った表情を浮かべる。

「何がほしい」
「なんでも、いいの?」
「あぁ」

「ならさ、こっち、開けてほしい」

そう言って、苗字は普段は決して見せることのない、右耳を晒した。
そこは耳たぶの一つ、赤い痕を作っただけの左耳とは全く別物の耳。
本人が口にしたことはないが、諏訪曰く中学生の時に自分で開けるのに失敗して、あまりの痛みに怯えて未だにいじれていないそこ。
処女みたいだと思ってしまった自分が、心底気持ち悪かった。

「いいのか」
「風間くんなら、いいよ」
「…意味がわからない」

俺のため息混じりのその声に、苗字はやっと、いつもの見慣れた笑みを浮かべた。

この耳に、針を突き立てる時。
その時が来れば、きっと俺は、苗字を犯すのだろう。
想いを伝えることもしていないのに、ただ漠然と、そう思った。



「風間くん」

複雑に混じり合う思考の中に、出会った時と変わらない苗字の声が響く。
そこは中庭ではなく苗字の部屋だけれど、ベンチではなくベッドだけれど、腰を下ろして俺を見上げて笑う彼は、あの時と何も変わっていないように見えた。
ただ一つ、あの時とは違うということをアピールしてみせるように、穴だらけの左耳に一つ、鈍く光る。

「膝枕」

何を言っているんだ、この男は。
今までの俺であればそう思うはずだった。
しかし、もう違うのだ。
俺は、風間蒼也は、苗字名前という男に、惚れてしまっているのだ。

俺は苗字の隣の空いたスペースに腰を下ろすと、そのまま相も変わらず決して柔くはないその膝へと頭を預けた。
ちらりと見上げると、やけに嬉しそうな苗字と目が合う。

「蒼也くん」

骨ばった手は、あの頃と変わらず不器用に俺の頭を撫でる。
突然の呼び声に、思わず口にしそうになる想いを、押し留めて平常を装った返事を返す。

「なんだ」
「はやく、奪ってね」

なにを、という疑問を口にする前に苗字はそっと俺を撫でていた手を口元に持ってくる。

「しぃ」

魅惑的な表情。
惚れてしまった弱みというべきか、それ以上俺がそれについて口を出すことはできなかった。
再び頭を撫でられて、眠りを促される。
段々と、微睡む思考の中で、俺は苗字の奪うべきなにかを探す。
お前は俺に一体なにを望むのだろう。


ただ今は、苗字の望むなにかが、おれの望むそれと同じであればいいと、願って。






>>ピアスホールを愛で埋める。
 
 
しーたんさまよりいただきました。ありがとうございます。