短編 | ナノ



口の中でふやけた言葉が零れないうちに、

 
正月企画 匿名さまリクエスト 
 
 
 どうやら私は最近“恋”という得体の知れないものを覚えたのかもしれない。
 はっきりと“恋”だと断言出来る理由は、今までの経験と生まれた年月が語っているけれど、“かもしれない”と曖昧な言葉で繋げてしまうのは、相手が相手だからなのだ。
 公立高校である烏野高校の周辺にはコンビニやスーパーなどがない。勿論歩けばそうかからない距離にある訳だけど、学校と駅を繋ぐ道に寄り道出来る場所が限られているのだ。それがあの人の店番をしている店だと言ってもいい。
 個人経営のコンビニと言えば分りやすいのかもしれない“坂ノ下商店”は名前の通りに坂の下にある店で、最近の進んだコンビニのように淹れたてのコーヒーが飲める店ではないものの、店主の気さくさがローカルな町に馴染んでいて私は好きだった。
 
「おお、名前ちゃんじゃないか。いらっしゃい」
「こんにちは」
 
 最近は仕事が追い込みの時期でもあって、残業の毎日や出張に行っていたりと十分な自由時間が確保されていなかった。やっと取り組んでいる企画が落ち着き、上司から貰った連休を帰省に充てていた私は常連顔負けの顔つきで坂ノ下商店の暖簾を潜ったのだ。
 
「何時ぶりかしら! 久しぶりね、こっちに顔を出したのは」
 
 店主であるおばさんはそう言って頬を緩めて笑顔を見せた。実家に帰るのも嬉しいけれど、知っている人たちの笑顔を見るとほっと一息つくことが出来る。

「最近仕事が立て込んでいて、やっと帰る時間が出来たんです」
「あらそうなの。東京で仕事だなんて大変ねえ。そうだ、繋心呼んで来ようか? 繋心!」
「るせーな、聞こえてるっつーの」
 
 高揚した気持ちが隠せていないまま、おばさんは店の奥に声を投げかけた。すぐさま返ってくる返事に苦笑いとほんの少しの緊張を忍ばせた私は仲の良い家族のやり取りを見つめるのだ。
 繋心さんとは久しく会っていなかったけれど、奥から顔を覗かせた姿はいつも通りの彼を思わせた。
 くたびれた上下ジャージの服装と、痛んだ金髪をカチューシャで止めている姿。口元にはいつもの煙草が咥えられていて、面倒くさそうにおばさんとやり取りをする。その姿を見れば仙台へ帰ってきたのだと再認識させられる。
 
「悪りいな、名前。ちょっくら出てくるわ」
 
 最後の言葉はおばさんに向けられたものなのだろう。下駄を履く繋心さんの姿を尻目に捉えつつおばさんに会釈をした私は店を出るために再び暖簾を潜った。
 
「繋心さん、久しぶりだね」
「変わってねえな。名前は」
「私からしてみれば繋心さんも変わってないけれど」
 
 ジャージ姿の彼と少しお洒落を意識した私が並んで歩く姿はなんだかちぐはぐな気がする。けれど、それが私たちなのだと考えると不思議なくらい、このちぐはぐな感じが様になっているのだ。
 挨拶のような会話から話題はどんどん広がった。半年近く会うことの出来なかった時間を埋めるように私が話題を提供して、あるいは繋心さんが提供することで私と繋心さんが同じ時間を共有出来る気がしたのだ。彼が高校生たちのバレーの監督をしていると知った時は以前に聞いた昔の話を思い出して笑ってしまったけれど、夕日に照らされた彼の横顔を見て、今の時間を大切にしているのだと実感することが出来た。
 
「(そういえばデート、したことないなあ)」
 
 一方的に告白をされて付き合ったことはあった。あの時はそれが恋愛だと信じて止まなかったし、私の中でも充実した日々であったことに間違いはない。けれど、今までの人たちのように、色んな店を見たり、美味しいディナーを食べて鮮やかなイルミネーションを見るようなそれと繋心さんとの時間は一緒であって違う気がしてならないのだ。
 それを考えた時、単調な私の頭の中でなぜか彼との時間を“友人と過ごす時間”と捉えることが出来なかった。今までの恋人たちのような甘い時間と寸分も違わないと断言出来たのだ。それが、最近“恋”という得体の知れないものを覚えたのかもしれないに繋がるのだった。
 
「悪いな」
 
 会話の途切れ様に訪れる一瞬の沈黙。いつもであればそのまま無言と言うこともあるのに、突然繋心さんは謝罪の言葉を口にしたのだ。
 
「急にどうしたの」
「いや……なんつーか、俺はアイツらと居ることで悩むこともあるけど毎日が楽しい。けど、お前が疲れた時に傍に居れなくて」
「それで申し訳ないとか思ってるの?」
 
 立ち止って横を見る。繋心さんも私を見たけれど、眉が僅かに下がっていつもの男気ある雰囲気とは違った。
 確かに、確かに彼の言う通り、弱音を吐きたい時も傍に居たい時も抱きしめてほしいと甘えたい時だってある。そういう時に決まって繋心さんを思い出して物理的に離れている距離に何度悩んだのことだろう。けれど、私が大学を卒業して彼が今のように店番をしている時、はっきりと告げたはずだ。私は私の夢の為に希望した企業への就職を果たし、夢を諦める訳にはいかないのだと告げ、彼は店を切り盛りしているおばさんの後を継ぐのだと真っ直ぐな瞳で私に言ったのだ。
 私の抱える恋心なんて、私より何年も生きている繋心さんからしてみれば見え透いたもののように思うし、彼の優しい言葉一つ一つが私と同じ気持ちを抱いた上での返事なのだと知っている。
 
「強いな、名前は」
「繋心さんが私を強くしてくれるんだよ」
「ああ、知ってる。……知ってるから、幸せなんだよ。俺は」
 
 携帯灰皿に吸っていた煙草を押しつぶして繋心さんは農作業で荒れた手を私の前に差し出した。それにマニキュアの目立つ私の手が重なるのはどう見てもちぐはぐだ。
 それでも包み込まれる大きな手のひらも、温かい体温も手を引かれる感覚も嫌いじゃないし大好きだ。
 
「ねえ、繋心さん。キスしよ」
 
 私を見た彼はゆっくりと屈む。あと数日すればまた暫く会えないことも、物理的に離れていることの不安も、仕事のことも、何もかもを彼に押しつけて迷惑を掛けさせたいのに、彼への気持ち一つが全てを吹き飛ばす程のパワーを与えてくれる。

口の中でふやけた言葉が零れないうちに、
 
 好きだよ。何度心の中で唱えただろう。
 
…………
匿名さまリクエスト
両片思いになったのだろうか。書きたい話がありすぎて二転三転した結果がこれです。
リクエストありがとうございました。
20150114