短編 | ナノ



ねこと俺



 烏野高校には“ねこ”がいる。飼い猫でも野良猫でもなくて“ねこ”というあだ名の人間が居た。それが名前だ。しかしそのあだ名は“あだ名”と呼ばれているだけであって、俺は彼女を名前と呼ぶし、それはクラスメイトや先生も変わらない。ただ、些細な仕草を見て思うことはやはり“ねこ”なのだ。


ねことおれ


「名前ー、名前ー」

 昼休み。俺は体育館裏へやって来ては名前と、彼女の名を呼ぶ。そして、視線はもっぱら陽当たりの良さそうな所をさまようのだ。
 体育館裏にいると居場所だけが告げられただけのメールをもう一度確認して小さなため息を吐きだす。場所を変えたのかと再び辺りを見渡してみれば、柔らかい猫っ毛が風になびいてふわふわと漂っているのが見えた。

「名前、」
「あ、こーし」

 “こーし”と呼ぶ彼女は俺の幼なじみで“ねこ”と呼ばれている名前だ。名前は両腕の中に小さな包みを抱え、陽当たりの良い場所でこくりこくりと船を漕いでいた。俺が彼女に声を掛けると寝呆け眼で此方を見上げた。相変わらずな幼なじみに苦笑いを浮かべながら彼女の隣に腰掛ける。今日も良い天気だ。

「俺は孝支なんだけどなあ、」

 再び寝入りそうになる彼女をなんとか揺すり起こして自分と、そして彼女の手の中にある弁当の包みを解く。彼女の弁当は俺より小さいのに色あざやかで、ひとつひとつが小さくて可愛らしい。タコの形をしたウインナーをフォークでつつき、彼女の前に差し出した。

「ほら、名前」
「うん」

 大きなくちを開けてぱくりと食べた彼女は目尻を緩ませる。それだけでも美人な顔貌が滲むのだから複雑な気持ちだ。未だに俺を幼稚園以来の名で呼ぶし、世話のかかる幼なじみなのに、まるで見た目だけがむくむくと成長し、内面は相変わらず猫っぽい気ままさが残る。
 栗色のやわらかい猫っ毛に色白い肌、細長くしなやかな曲線を描く四肢。身体全体で洋人形を思わせるだけに見ず知らずの男が虜になるのだ。

「(ま、ソトもウチも知っていて尚更そばにいれる人は限られてくるけどね)」

 幼稚園以来の付き合いとなれば染み付いた世話焼きな性格を曲げることは出来ないだろう。再び視線が絡む無言の合図から、俺は再びフォークで次のターゲットとなる具材を掬うのだ。一口サイズに作られたおにぎりは、俺の弁当の中にあるご飯と比較的していくつ分に相当するのだろう。

「ほら、ねこ。次のご飯だよ」

 俺を待つ名前の姿から仔猫を連想してしまった俺は、冗談を踏まえつつ玉子焼きを差し出した。俺の冗談を何処まで本気にしたのか、彼女は弾けるように目を見開いた。アーモンドの形をした瞳がしっかりと俺を見た瞬間だ。

「……私、ねこじゃないもん」

 口先を尖らせて頬を膨らます。名前は不貞腐れているを体現した表情で小さくゴチた。予想通りの反応をしてくれた彼女はこれまた予想通りの言葉を俺に向ける。

「ねこじゃないから、名前で呼んでよ」
「名前って?」
「うん」
「名前」
「なに、こーし」

 名前は俺の名を呼んで擦り寄ってきた。やっぱりそんな仕草はねこそっくりで、俺は笑いを噛み殺しながらもふわふわな猫っ毛を撫ぜるのであった。

ねこと俺