※映画のキャラです
※がっつりネタバレしています
 
 
 
 
 伸びをして、狭いベッドのなかで誰にもぶつからなかったことに不思議に思いながら名前はゆったりと瞼を上げた。ごろり。端まで寝転んでも誰もいない。覚醒しきっていない頭で、ぼうっと天井を見上げる。
 すっかり見慣れた低い天井。寝返りをうつたびに軋む固いベッド。トーストの匂い。フライパンの上で何かを焼く音。多幸感に包まれて、名前はまた目を瞑る。
 
「おっと。いい加減そろそろ起きろよ」
 
 その声に、名前は再び起動した。にゅっと視界に飛び込んできたのはロディ。一張羅と言い張るカッターシャツではなく、ラフな服装で軽く髪を下で結んでいる。今日の彼はオフなのだ。
 
「おはよぉ」
「おはよ、眠り姫さん」  
 
 名前の起床を確認すると、ロディは軽口を叩いてキッチンへと戻った。
 トレーラーハウスのなかは狭い。ベッドとリビングとキッチンが一直線にまとまっている。ベッドから目と鼻の先にあるキッチンスペースで、ロディは朝食を作っているようだった。
 名前はテーブルに目を向けた。ロディがパンの載った皿とコップを向かい合わせに並べていく。ここに住んでいるのはロディとロロとララの三人。遊びに来ている名前が一人。それなのに、並んだ皿は二人分。皿が二つ足りない。

「ねーロロとララはー?」
「んなもん、とっくに行っちまってる」
 
 壁にかかった時計は九時を回っていた。なるほど、二人のスクールの時間はとっくに過ぎている。四人で寝転んでいたはずのベッドを占領できていた理由がわかった。
 気だるい体を半分起こす。どうにも寝違えたような違和感と奥歯の痛みに、昨夜の情事を思い出した。幼い弟妹たちが寝ているベッドのすぐそば、古びた固いソファの上。声を出すのを必死に我慢していたことを。
 
「さ、起きた起きた」
 
 はた、と見上げれば夜中のことなんて無かったかのようにすっかり朝の顔をしているロディが再び目の前に現れた。
 名前はベッドに逆戻りしてシーツに顔を埋める。急に恥ずかしくなったのだ。
 
「何やってんだ?」
「……ロディのバカ」
「はあ?いいから早く起きろって。飯が冷めちまう」
 
 なあ、と起床を促すロディの声が、シーツに埋まった顔のすぐ近くで聞こえて名前はぼっと顔に火を灯した。「あとで食べる」くぐもった声で素っ気なく返事をするが、耳まで真っ赤だ。
 
「ははーん」
 
 その一声で、見えないはずのロディの表情が名前の頭の中で鮮明に映し出された。きっと、ろくでもないときにしか見ない悪い顔をしているはずだ。
 男性にしては細身な手が名前の顔の横に添えられ、ベッドに沈む。頭のすぐ近くにロディの気配を感じた。今日に限って緩く下で結っているロディの垂れた髪が、首の後ろをくすぐる。バクバクと速まる心臓。体の芯が熱くなって、名前はぎゅっと身を縮めた。
 
「えっち」
 
 囁かれ、息を吹きかけられる。ぞぞぞ、と耳元から足の先にかけて甘い痺れが走った。声にならない声を、昨夜のように奥歯を噛んでやり過ごす。
 髪を啄みにきたご機嫌なピノを捕らえて、名前は声を押し殺して笑っているロディを睨みつけた。真っ赤な顔で、迫力も何もあったものじゃないけれど。
 
「それは!そっちが!」
「ふーん?俺が?」
「ロ、ロディが……!二人が寝てるからって……ロロもララもいたのにっ!わっわたし、するつもり、なかった、し……」
 
 言いながら、名前の勢いが弱まる。
 ロロとララを二人で挟んで、真ん中から寝息が聞こえ出した夜中のこと。そっと探るように絡められた足に応えたのも、静かにベッドを降りたロディを追ったのも、二人分の寝息が聞こえるなか、落ちそうなソファの上で言葉を交わさずにお互いの吐く息を頼りに肌を合わせたのも。ロディだけが責められる謂れはない。彼が強制したことは一度もなかったのだから。
 ロディは「ふーん?」と目を細めて笑っていた。楽しくて仕方がないといった表情だ。名前の手の中のピノも同じ顔をしているせいで、余計に羞恥心が募った。
 
「しないつもりもなかったくせに?」
「……違うもん!ロディの意地悪っ!もうやだ!」 
 
 半泣きになって、名前は足元にあった布団を引っ張り上げて潜り込んだ。一緒に巻き込まれたピノが嬉しそうに名前の頬に体を擦り寄せ、頬を啄む。こんなからかいも、彼にとっては可愛くて仕方がないということらしい。
 彼はよくこの個性について「しょぼい」だの「役に立たねー」などと自虐するけれど、名前にとってはこんなに厄介な個性は他にないと思っている。名前がこうして拗ねたって、ロディがからかったって、ピノが言葉よりも素直に愛を伝えてくれるから喧嘩にすらたどり着かない。
 「ピ、ピ、ピ」と鳴きながら頬をつつくピノを相手に名前は「ずるい」とぼやいた。
 
「ほら、この話はもうなしにしてやるから出てこいよ。デートに行くんじゃなかったのか?」
「……わたし、眠り姫だから」
「はいはい」 
  
 そっと布団から顔を出すと、額に優しく唇を押し付けられた。眠り姫へ目覚めのキス。期待通りのものを貰って、名前は拗ねていたはずの表情を和らげる。嬉しくてたまらなかった。
 そんな単純な恋人が愛しいとばかりにロディは柔らかな笑みをこぼし、指通りの良い髪を優しく撫で掬って唇を落とした。 
 
 身支度を終え、テーブルにつくと、名前はすっかり冷めてしまったトーストを齧った。家の冷蔵庫からくすねてきた卵とソーセージとトマトが居心地が悪そうに皿に載っていた。
 
「今頃ママ、困ってんじゃねーの。卵もソーセージもトマトまでもねえ!って」
「いーの。ママいっつも買いすぎて冷蔵庫いっぱいだもん。きっとね、持ってけってことだと思う」

 ロディたち兄弟は貧しい暮らしを強いられている。今でこそ真っ当な職につき危険な仕事から手を引いたロディだったが、だからといって貧しさが消えて無くなったわけではない。
 だからこうして遊びに来る度に名前は家にあるものをこっそり持ち出していた。それはときに、小さい頃の思い出のワンピースだったり、捨てる予定のトースターだったり、冷蔵庫が閉まらないほどある食料だったり。
 母はきっと物が失くなっていることに気付いている。その犯人がどこに持ち出しているかも。しかし、以前と違って母は何も言わなかった。それが答えだと、名前は思っている。
 ロディはまだそこまで名前の母に心を許したわけではないだろうけれど。 
 
「どうだかねぇ。ま、貰えるものはありがたく貰っとくけどな。ロロもララも喜んでたし」 
「嫁姑問題は根強いなあ」
「……誰が誰の嫁だって?」
「だってロディの方が家事得意だもん」   
「納得いかねえ」
 
 そう言ってロディは渋い顔を作ったが、洗濯機の止まる音が聞こえるとさっと椅子を引いて立ち上がる。しまった、と顔を顰めたロディに食べていたソーセージを向けて、「ほらね」と名前は得意げに笑った。
 
 ポンコツ、とロディたちが呼ぶ洗濯機はいつも洗濯の途中でピー!と甲高い音を立てて止まる。もともとゴミ捨て場に置いていたジャンク品だったのを騙し騙し使っているためだ。
 屋外に置いた洗濯機をなんとか動かして戻ってきたロディは大げさに肩をすくめてみせた。
 
「いい加減寿命かねぇ。……そうだ!君のママ、そろそろ洗濯機とか買う予定ない?」 
 
 ぱちん、と指を鳴らして戯けてみせたロディに、名前はむっと頬を膨らませた。
  
「もーロディ調子良すぎ!図々しい嫁はママに嫌われるよっ」
「ジョーダンジョーダン、そう熱くなんなって……つーか、嫁じゃねえからな」 
 
 食事を終え、なんとか脱水まで辿り着いた洗濯物を二人で洗濯紐に通していく。なかには名前がララにプレゼントしたお下がりのワンピースもあって、「これ、ララのお気に入りなんだぜ」とロディが得意げに笑う姿を見て、名前も嬉しくなった。
 トレーラーの屋根に登り、手すり部分に洗濯紐を括り付けたロディが空を見上げる。カラッと乾いた空気と晴天。まさに洗濯日和だ。
 
「せっかくいい天気だし、他にもなんか洗う?」 
「洗濯ばっかしてたら出掛ける時間なくなるだろ」
「昼から出掛けたらいーじゃん。普段しないから、こういうのも楽しいんだあー」
「そっちがいいならいいけどよ」
 
 本日、名前の通うハイスクールは創立記念で臨時休校をしている。日頃働き詰めのロディも久しぶりの一日休みだ。二人の休みが被ることはほぼないため、名前は何日も前から今日のことを楽しみにしていた。それを知っていたからこそロディは遠慮したのだろう。だが、名前にとっての目的はデートではなく、ロディと二人で過ごすことなのだからなにも遠慮をする必要はないのだ。
 
「おうちデートも楽しいもん!ね、ピノ」
 
 名前が楽しげに笑うものだから、ロディもつられて笑った。そんなこと杞憂だとわかったのだろう。ピノが名前の周りを大きく羽ばたき「ピィ!」と元気いっぱいに返事をした。
 
「つーかさ、家でもしろよな。ただでさえ親不孝者なんだからよ」    
「たまにお手伝いしてるもん。それに乾燥機があるんですぅ」
「はー。贅沢三昧なプリンセスなことで」 
「いーでしょ。わたしと一緒にいたらそのうち全部ロディのもんになるよ」
「そら楽しみだ」
 
 デートの予定が変わっても、二人でいることは変わらない。軽口を言い合いながら、未来の話を当然のことのように受け入れるロディに名前は幸せで満たされていった。
 
「んーでもなに洗う?」
「シーツでも洗うか」  
「はーい。持ってくるね」 
 
 トレーラーハウス内を歩くたびに幸せが積み重なっていくような気分で名前は先程まで寝ていたベッドに向かった。
 ベッドまではたいして歩かなくてもすぐにつく。シーツを剥がすためにかけた手を止めて、名前は一人笑みを零した。
 こんなにも小さなベッドで、よくもまあ毎回四人も寝られるものだ。きっとロロとララがもう少し大きくなったら、自分はソファで眠らなきゃいけないだろうな、と。
 朝のようにもう一度寝転んでみる。一人だと広く感じた。四人だと狭い。じゃあ、二人なら?
 今日は二人とも休みだ。ロロとララはスクールに行っていて。名前とロディは二人っきり。
 ふと過ぎった考えに名前は一人顔を染め、羞恥に耐えかねず丸まっていた布団に包まる。
 
「これじゃあロディの言うとおりじゃんかあ……」 
 
 火照った頬を見られたくない。だって恥ずかしいから。だけど見てほしい。だって"恥ずかしい"の先を望んでいるから。名前の相反するようでいて、そうではない複雑で単純な気持ちはいつだってロディに向けられている。
 名前は小さく唸った。でも、今日は。恥ずかしくても。二人で出来ることをしたい。
 名前が来てから五分も経たずに足音が聞こえてきた。頭から布団を被った名前は、ふぅと息を吐いて、布団カバーを握りしめる。
 
「おいおい、どんだけ寝たりねーんだ?」
 
 呆れた声が布団を剥がそうと手をかけた。名前はその手をとって軽く引くと、ベッドの中へと誘導する。導かれるままベッドに入ってきたロディの肩を押して、布団ごと一緒に倒れ込む。上に乗り上げ、目をまんまるにさせたロディの半開きの唇に触れるだけのキスをして、そのまま唇を耳に添わせた。
 
「もっかい、しよ」

 今度は奥歯が痛くならないように。二人きりで。
 真っ赤な頬と潤んだ瞳でロディの出方を窺う。それがどんな武器になるか本人はまだわかっていないのだ。
 ぎゅっと眉根に皺を寄せ、薄っすらと頬を染めたロディは名前の後頭部に手を回すとぐ、と自身の方へ引き寄せた。名前はそっと瞼を下ろす。薄い唇が合わさって、離れて。またくっついて。いつの間にか上下は逆転していた。
 期待していた熱が降ってくる喜びを噛み締めながら、名前は後ろに手を回しロディの髪を止めるゴムに指をかける。緩く縛っていたため簡単に解けた彼の髪がはらはらと顔に落ちてくる。それが擽ったくて、名前はキスの合間に小さく笑いを漏らす。

「へへ、ロディに閉じ込められたみたい」   
「そういうの、どこで覚えてくんだよ」
 
 不満顔を作ったロディの突き出された下唇を名前は柔らかく食んだ。彼のこの癖が愛しくてたまらない。
 布団のなか、ロディの髪のなか。二人だけの世界。みだらで、ロマンチック。
 絡まった足に自身の足を擦り寄せ、ロディを見上げる。
 
「ね、ロディ」
 
 恥じらいがちに続きをねだるような目で見つめる名前に、ロディが唾を飲む。
 
「目覚めのキスじゃ足りない、よ」
 
 今朝のワンシーンを持ち出して、上下する喉仏に頭を横にしてキスをする。びくりとロディの身体が揺れた。
 喉の奥で唸り、ロディは名前の額に自身の額を合わせる。鼻先と鼻先が触れ、唇が名前のものに到達する前にぼやく。
 
「……こんな大胆なお姫様いてたまるかっての」 
 
 布団の外ではピノが羽根を真っ赤に染めて、顔を隠していた。
 
 
 
2021.9.4 

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