冬の寒さがこたえるようになってきた十二月のはじめ、マフラーに顔を埋めたわたしは心操くんと電車に揺られていた。「あそこ空いてるよ」と自然に座らせられた席から手すりを持って外に意識を向ける心操くんを見上げる。
 
「どうしたの」

 恋愛とは惚れたほうが負けなのだ。こういうさりげない気遣いに毎回ときめいているわたしの負けはとっくの昔に決定していて、なんだか悔しい。わたしを好きだって言ってくれたけれど、心操くんがわたしにときめいてくれる瞬間なんてない気がする。
 それが悔しくて、ゴツくて大きなスニーカーを靴の先でつっつく。わけがわからないと言いたげに首を傾げる心操くんにお構いなしにもう一度つっつくと、「お返し」とスニーカーの先で軽く踏まれてしまい、しょうもない戦いはあっけなく幕を引いた。 
 
 電車を降りて改札を通り過ぎる。あまり来たことのない土地にわたしはあたりを見渡した。
 
「どっち方面かなあ?」
 
 駅に着いてからスマホを触っていた心操くんが「むこうみたい」と指さした方へ二人で歩き始めた。
 
「どのくらいかかるの?」
「ネットには徒歩十分って出てたよ」
 
 そう言って見せられた画面には可愛い猫たちの写真が映っている。今日のわたしたちは猫カフェに向かっていた。なにを隠そう、一週間前に心操くんから誘われたのだ。
 文化祭のときに「今すぐ付き合うとかはできない」と言われていていたのに、まるでデートの誘いみたいで、わたしはこの一週間どきどきしっぱなしだった。友だちに服を見繕ってもらったら、「もう今さらだからあんまり聞かないでおいてあげるけどさあ……」と若干呆れられた。多分というかほぼ確実に心操くんが相手だとバレていたと思う。
 心操くんと前みたいに話すことができるだけでわたしは毎日が嬉しくて、しかも心操くんがわたしを好きってわかっている状況で待つことは全然苦じゃない。
 それでも、少しでも可愛いって思われたい。できたらわたしみたいにどきどきしてもらいたい。そう思ってしまうのは贅沢な悩みなんだろうな。
 
「苗字はこういうとこよく来るの」
 
 少し歩いた先には目的地の看板が立っていた。可愛い子猫の写真と営業時間が載っている。
 
「ううん、初めて!だから楽しみだったんだ〜」
「そうなんだ。行き慣れてるのかと思ってた」 
「猫と話せるから?」
「それもあるけど。女子って好きだろ、可愛いの」  
「たしかに好きだけどさ。でも心操くんも好きだよね、猫」 
 
 若干近寄りがたい印象の心操くんが猫を愛でる姿って可愛いんだよなあ。トシコさんといるときに柔らかい表情をする心操くんを思い出して、ふふ、と笑いが漏れた。
 わたしの頭の中を読み取ったのか心操くんは「まァね」と少し照れた様子で首に手をやった。
 
 三匹の姉妹猫たちに囲まれ、わたしは尻込みしていた。
 "猫たちが穏やかに過ごせること"を売りにしているカフェのオーナーの思いというのは必ずしも猫たちに幸せをもたらせるわけではないらしい。猫たちは穏やかすぎて刺激が足りないらしかった。そこに話しのできる人間が現れたのだから、いい暇つぶしになったというわけだ。
 
「あんたらつがい?」 
「もう交尾はした?」 
「やだあーこの人間はまだ子どもよ、まだミケイケンってやつよ!」 
「わ、わたしたちそういうのじゃないからっ!」
 
 まだまだ大人の猫というには幼い彼女たちの興味は思春期の人間と同じく、わたしと心操くんという人間の男女関係だった。率直すぎる問いかけにたじろいでしまう。
 別の大人しい猫と遊んでいた心操くんが、「なんて言ってるの」と視線を猫に合わせたまま猫じゃらしを揺らす。
 
「エッ!た、大したことはなにも言ってないよ!なんで!?」
「……なんか苗字、焦ってるから」
「焦ってない焦ってない!」  
 
 心操くんが猫の言葉がわからなくってよかった。つがいだとか交尾だとか未経験だとか!こんなこと絶対に聞かれたくないもん。恥ずかしくてまともに心操くんの顔が見れない。

「ふーん、あんたの片想いってやつね」  
「なによ、あんたもメスならガバっといっちゃいなさいよ」 
「オスなんて身体を擦り付ければイチコロだってママが言ってたわ」 
 
 訳知り顔なおませな三匹は、尻尾を立ててゆったりと揺らす。ちびっこ猫なりに、セクシーな動きを表現しているのかもしれない。それにしても、クラスの男子といい押せ押せなアドバイスばかりもらうのは、わたしが肉食女子に見えるからなのか。
 
「人間社会はそんな単純じゃないのっ」 
「はーたかが人間がえらそうに」
「んもう、世話が焼けるちゃうっ!」 
「姉ちゃんやっちゃえ!」 
 
 突然、一匹がわたしの服の袖を咥えて引っ張った。「わっ」予想外の出来事に反応できず、体はバランスを崩す。起き上がろうとしたわたしの背中に、止めとばかりに今度は残った二匹が勢い良く飛び乗った。為す術がないわたしの体は、隣に座る心操くんへ沈み込んだ。
 
「……大丈夫?」 
 
 上から心操くんの声がする。彼の膝に乗っていた猫は遠く離れたところからわたしと三匹に向かって威嚇していた。見上げると心操くんが少し困った顔をしてーーあんまり見たことない表情だったーーいた。最悪だ。わたし、心操くんの上に乗っかってる。
 
「っごめん!」 
 
 慌てて体を起こし、心操くんと距離をとる。無意識に密着していた自分の体を手で撫でると、「別に……」と心操くんは気まずそうに視線を外した。撫でていた手が固まる。最悪だ。胸が当たってしまった!
 
「もっとくっついときなさいよ」  
「弱虫ねえ」 
「それよりあいつ、いまあたしらに威嚇したくない?」 
 
 三匹は好き勝手に囃し立てている。
 
「もーやだ!あっちのお客さんとこ行ってきて!」 
 
 いつしかのクラスメイトたちがごとくからかってくる三匹のお尻を別のお客さんの方へと押し出した。最悪。もう泣きそう。
 
「……遊ばれてるね」
「うん……」  
 
 会話こそできるものの、それから店を出るまで、わたしと心操くんは妙な距離を保ったままだった。
 
 
 
 帰りもまた電車に揺られた。行きよりも空いていて、車内にはポツポツとしか人がいない。心操くんは隣に座った。
 
「さっきの猫たち、なんて言ってたの」
「……教えな〜い」 
 
 店でのハプニングがあるからなるべく体が当たらないようにしているけれど、電車がカーブに差し掛かるとその遠心力で肩が当たる。なんだか顔を見れなくて、「ごめん」と心操くんの靴に向かって謝った。
 
「……そういえば、こないだヒーロー科の演習に参加させてもらったんだ」
 
 駅に止まって、暖房の効いた車内に冷たい風が入ってくる。さむ、と呟いてマフラーを巻き直していると、ようやく顔を見られるようになってきた心操くんがさっきの会話の続きかのような口調で切り出した。
 
「月末の?午後の授業いないのそういうことだったんだ!聞いても教えてくれないから特別訓練とかだと思ってた」
 
 さっきまではいたはずの心操くんがいない!と気付いたとき、周りに聞きまわったことを思い出した。クラスメイトはみんな首を傾げていて、先生は「そのうちわかる」と意味深なことを言うばかりで具体的なことは何も教えてくれなかった。放課後、寮に戻ってきた本人に聞いても、「……まだ内緒」と機嫌良さそうで、きっと相澤先生と訓練とかさせてもらったのだろうなと勝手に納得していたのだ。
 それがヒーロー科の演習に混ぜてもらってただなんて。そりゃすごく嬉しかっただろうな。だからあのときあんなに機嫌が良かったんだ。ヒーロー志望の子たちと一緒に演習を受けられるなんて、すごく良い経験を積めたんだろうな。 

「良い経験ができて良かったね!」
「ああ、うん。そうだね」 
 
 どこか上の空のような返事に首を傾げる。演習、楽しくなかったのかな。でもあの日は機嫌良さそうだったし、今だって機嫌が悪そうなわけでもないし。どちらかというと、なんだろう。緊張しているようなそんな雰囲気がする。「本題はそこじゃなくて」と心操くんが少し固い声で紡ぐ。
 
「……編入試験、受かったよ」
 
 気付けば心操くんのほうへ身を乗り出していた。顔を合わせるのが恥ずかしいとか肩が触れるのがどうとか、そんなこと全部頭の中から消えていた。   
 
「っほんと!?」 
「うん。先週、正式な手続きの書類とか渡された」 
「おめっおめでとうぅぅ!すごいね!心操くん、本当に……ずっと頑張ってたもんね。うわ……なんかすっごい嬉しい。泣きそう……」
「……泣かないでよ」 
「だって、嬉しくて」
 
 中学の頃、「受からないから」と自虐的に笑っていた心操くんが。ストイックに頑張り続けていた心操くんが。ようやく夢への一歩を踏み出せる。心操くんの頑張りが報われてよかったと思うと、感極まらないわけがなかった。下瞼の上でなんとかくいとどまっている涙を指で拭っていると、春と比べてゴツくなった心操くんの手がわたしの手を握った。涙で濡れてるから汚いよ、なんて言う隙なんてなかった。
 
「……俺は苗字のそういうところ、好きだよ」 
 
 心操くんが真っ直ぐな目でわたしを見ている。
 うん、ってくぐもった声で頷いた。わたしも好きとかもっと言いたいことがたくさんあるのにうまく言葉が出てこない。信じられないくらい脈が早くなるのも顔が熱いのも、車内の温度が高いせいじゃない。
 
「クラスが違っても会える関係になりたいってずっと思ってた」 
 
 わたしだって、わたしだって同じことをずっと思ってた。クラスが離れるのが寂しい、もっとずっと一緒にいたいって。
 カーブに差し掛かる。揺られた勢いで肩がぶつかる。握られた手に力がこもった。
 
「彼女になって欲しい」 
 
 もしかして、今日のって本当にデートだったんじゃないかって今更思った。心操くん、最初からそのつもりで誘ってくれてたんだって。
 文化祭の日から今日まで、いつかこんな日がくるのかなって、ずっと待っていた。
  
「苗字の気持ちが変わってないなら、だけど」
「変わるわけないじゃんかあ……ずっと好きだもん……」 
 
 また新しい嬉し涙がこぼれた。「彼女にしてください。お願いします」と泣きべそをかくと、「待たせてごめん」と心操くんは眉を下げてわたしの涙を袖で拭いてくれた。
 
 電車を降りてからも心操くんは手を離さなかった。上から握られるみたいに繋がれていた手は、いつのまにかお互いの掌を確かめ合うように繋がれている。心操くんのものなのかわたしのものなのかわからない熱にどきどきしすぎて死にそうだった。冬なのに、全く寒くないや。
 このまま寮に帰るのかと思うと名残惜しいな。不意に、心操くんの歩みが止まる。
 
「あのさ……どっか寄らない?マックとか」
「……わたし、新メニューでたやつ食べたい」
「うん。じゃあ行こう」 
 
 ちょうど、まだ帰りたくないなって思っていたところだった。次の行き先へわたしを引っ張っていく心操くんも同じことを思ってくれているのかな。
 そう思うと嬉しくて、また熱が上がる。掌はもう熱いほどで、滲み出した汗が恥ずかしくて、「ちょ、ちょっと待って」と一度手をほどいた。服で拭ってーーその動作をしてから、これって行儀悪いかなあと心配になったけれどーー、それからおずおずと心操くんに向かって手を差し出す。これはなかなか恥ずかしく、自分からいくのはかなり勇気がいった。だってさっきまでずっと心操くんから手を繋いでくれていたから。
 心操くんはすぐに握手するみたにわたしの手を握ると、「……こっち」と言って組み直した。指の隙間に心操くんの指が割って入る。ごつごつした男の子の指。さっきよりも密着したそれは、こそばゆくて、恥ずかしい。せっかく拭った汗がすぐに湧いてきているのがわかる。さっきよりも一段と死にそう。空いた方の手でマフラーを引き上げた。
 
「……心操くん、いじわるだっ」
 
 恥ずかしくて隣を見れない。けど心操くんが笑っているのがわかった。掌が小刻みに震えてる。「苗字にだけだよ」ってなにそれ。わたしをこれ以上ときめかせるのはやめてよね!
 
 
2021.8.7

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