「名前、顔溶けてる」
トーク画面を何度も見返すわたしを彼女はそう表現した。でへへ、と溢れ出る幸せな笑みをプレゼントすれば、もうひとりの友人からは「うざい」という一言が返ってきた。大丈夫、今日のわたしはそんなことじゃ傷付きませんので!
"明日食堂行かない?"
昨夜、勇気を出して誘ってみた。画面のなかのアイコンーーロードバイクのサドルの上に白猫が乗っている可愛い写真だったーーが"いいよ"と言う。わたしは舞い上がった。"体育のあとだから食券機横集合ね!"と送ったあとにスタンプを連打して"通知切っていい?"と脅されるほどに。
というわけで朝からスマホを見るたびににやにやしているわたしに対して友だちは呆れていた。そんなのもう慣れたもん。
そんな休み時間を終え、迎えた男女別の体育がたったいま、チャイムによって終わりを告げた。
「じゃ、今日の昼は別行動で!行ってきま〜す!」
「はいはい」
「戻ってこんでよろしいので」
史上最速で制服に着替えーーきっとホークスより速いはず!ーー、冷たくあしらう友だちをよそに駆け足で食堂へ向かった。
わたしの方が先に着くと思っていたのに、すでに心操くんは券売機の隣に立っていた。「心操くん!はやいねっ」スマホを触っていた心操くんはわたしの存在に気付くと、「……なにその顔」と口元を緩めた。
「どんな顔!?変!?」
「……変っていうか、表情筋がなさそうな顔?」
デレってしているって言いたいのかな。頬をむにむにと摘んでみるけれど顔の筋肉の有無はよくわからなかった。
「というか、それどっちかっていうと心操くんじゃない?」
普段あんまり感情が表に出てこないし。なんなら、よく知らない中学のときは本人を前にしてそんなことを言ったような気もする。今思うと、未来に好きになる人に対してなんて酷いことを言ったんだ!過去のわたしのばか!
「よく言われる」
そう言ったわりに心操くんは笑っていた。なにさ、表情筋あるじゃん。その笑顔にわたしがドギマギしている間に、心操くんは食券を買うために列に並んでいた。わたしも彼の横に立って、そっとその顔を見上げてみる。
「なに?」
「も、もっかい笑わないかな〜って。レアだから」
「面白いことしてくれたら笑うよ」
「……こしょこしょとか得意?」
「……それはやだな」
ワキワキしている手はぺち、と可愛い音で叩かれた。残念、大笑いが見れると思ったのに。
食堂には何度も来ていて、特に寮生活が始まってからはほぼクラス全員がお世話になっている。でも、心操くんと来るのはあの春以来だ。
「苗字決めた?」
すでに食券を買い終わった心操くんに続いて、わたしもお金を投入する。様々なメニューに挑戦しているけれど、コンプリートには程遠い。毎日何を食べようか熟考しながら買うのだけれど、今日のわたしは何を選ぶかは決まっていた。迷うことなく、かつ素早くボタンを押す。
「じゃんっ!今日は自分で選んだもんねっ」
悩んでいる横からやってきた指にカツ丼定食のボタンを押された春。今日はそうはさせなかったぞ、と"からあげ定食"と書かれた食券を自信満々に見せると、心操くんは目を丸くした。そして、「覚えてたんだ」と呆れ顔で笑った。
「トシコさーん!」
昼食後、わたしたちはトシコさんに会いに来ていた。
寮生活が始まってからは頻繁に顔を出しているせいか、昨日ぶりに会ったトシコさんはそっけなくって、「毛づくろいしたとこなんだから、ベタベタ触らないでちょうだいよね」と抱きしめようと広げていたわたしの手を尻尾で打った。多分、最近メタボ対策のために高級缶詰を差し入れしていないことも大きい気がする。
「相変わらずだね」
「そっちこそ……」
わたしにはツン対応のトシコさんは胡座をかいた心操くんの股の間にトンと飛び込んでくると喉を鳴らしながら彼に体を擦り付けた。「ヒトシなら特別に触ってもいいわよ」というデレっぷりだ。言葉が通じているのはわたしなのに!悔しい。
「トシコさん、なんて?」
「……心操くんはいいよって」
「へえ」
心操くんが頭を撫でるとトシコさんは自分から喉を見せる。そのまま喉を撫でられると彼の手にもっともっとと頭を押し付けていた。
トシコさんに嫉妬すべきか、心操くんに嫉妬すべきか微妙なところである。しばらく一人と一匹をじっとりと見つめていたら、心操くんが思い出したようにポケットからなにかを取り出した。
「それ、なに?」
「変声可変機構マスク」
「へ、へんっ……?」
「……サポートアイテム。ちょっと試してみたいことがあって」
「試したいこと?」
サポートアイテムと呼ぶにはものものしい見た目をした黒い機械を心操くんは酸素マスクみたいにーーそういえばさっきの意味不明な言葉の羅列のなかでマスクという単語は聞き取れたーー取り付けると、耳の横についたダイヤルのようなものをカチカチと回した。
マイクのテストをするかのように「あー……あー……」と出された声にびっくりした。心操くんの声じゃない。というか、どう聞いても女の子の声だ。
「すごっ!なにこれ声が変わるの!?」
「なにこれ声が変わるの」
「えっえ!?もしかしてわたしの声なの、それ!?」
「もしかしてわたしの声なの、それ」
心操くんの澄ました顔から復唱されるわたしの声はローテンションで不気味だ。
というか試したいことってこれ?心操くんの目的がいまいちよくわからず、首を傾げる。心操くんは私と同じく不気味がって毛を逆立てているトシコさんに話しかけていた。わたしの声のままで。
「トシコさん、右足上げてみて」
トシコさんは「ニャッ!」と一度飛び上がると、心操くんからわたしのほうまで走ってくると、「ヒトシがいつもと違うわっ」とわたしの背中に隠れた。
「なんて言ってた?」
「うーん。なんかね、いつもと違うって言って怖がってる」
「ふうん。言葉は通じてそう?」
「どうかなあ……トシコさん、今の心操くんの言葉、わかる?」
「人間の言葉なんてわかるわけないじゃない!あんたじゃないんだから!」と恐怖のあまり苛立ったのか、わたしの背中に爪を立てたトシコさんはそのまま走って行ってしまった。八つ当たり反対!
だめみたい、と首を振ると心操くんは予想していたのか特にショックを受ける様子もなく、「やっぱり」と頷いてマスクを外した。
「苗字の個性、苗字が猫の言葉を話しているんじゃなくて、苗字の声が猫にも通じるって理屈みたいだから真似したら通じるのかと思ってやってみたけど。そんなうまくいくわけないか」
「じゃあ、もしわたしの声を真似た心操くんの問いかけにトシコさんが反応していたら、トシコさんを洗脳できたってこと……?」
「どうだろう。そこまでは考えてなかったけど。動物相手にそれができたら、色々幅が広がるかな」
「幅?」
「……俺は自分の個性を人のために使いたいから。その幅」
心操くんの今の目標はヒーロー科に編入することだけど、目指すのはもっとその先。そのために自分の個性の特性を理解して、使い方だって考えているんだ。人のために。
「っ心操くん、すごいね!」
「は、なにが」
「だって、だってさ。こう、ヒーロー科にいくためだけじゃなくって、もっと先を考えてたり、とか。なんかうまく言えないけど!すごい!」
心臓がぎゅーっと締め付けられるみたいに熱くなって、吸い込んだ息が勢いよく口から出てくる。
人のためにって当たり前みたいに言えるところが好きだ。かっこいい。わたしの好きな人はめちゃくちゃかっこいい!
「そういうとこ、ほんとかっこいっ、あいたっ」
興奮のままに詰め寄っていったら、おでこをぺちんと叩かれて、そのまま視界が遮られた。「え?おーい、心操くーん?」瞼の上から心操くんの掌で覆われて、わけがわからない。
「……勘弁してよ」
そのせいで、そう言った心操くんの顔だって全然わからなかった。心操くんの大きな手の優しい熱にどきどきしながら、なんだかこんなパターンばっかりだなあと思った。
2021.8.7
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