寮生活にもすっかり慣れ、毎夜熟睡できるようになったころ。学校では文化祭に向けての準備が着々と進みだしていた。
 一年C組の出し物はおばけ屋敷に決まり、わたしは友達に誘われるがままメイク担当になった。割り当てをチェックすると、わたしがメイクをする相手のところに心操くんの名前があって、メイク担当の子たちから「名前ちゃんがんばってね!」と言われた。心操くんと仲がいい子には「あんた見すぎ」と笑われたこともある。もはやわたしの恋心はだだ漏れらしく、クラスを上げて応援されている状態だ。
  
 自室にて血糊片手に鏡とにらめっこしながらホラーな顔を作りあげていくけれど、頭の中でクラスメイトの視線や声掛けが過ぎってその都度手が止まる。
 
「なんでバレてるのお……」
 
 わたしが心操くんを好きってそんなにわかりやすいのか。自分では隠しているつもりなのに。一人泣き言をこぼしながら血の涙を指で描いてみる。うう、これはわたしの心からの涙だ。
 昨日なんてほぼ接点のない男子グループにまで「心操ってモテるから早めに告ったほうがいいんじゃね?」「とりあえず告って意識させろ」「好き好き言っときゃ思春期の男はソッコー落ちる!」と余計なアドバイスを頂いてしまった。
 そもそもここまで周囲にバレているということは本人にバレていないはずがないのでは……?という恐ろしい可能性が湧いてくる。
 
「どうしよう……」
 
 心操くん、鈍くなさそうどころか色々鋭そうだし。いや、でも普通に接してくれているし。でもでも、心操くんは「こいつ俺のこと好きなんだよな」って思っても態度を変えたりするタイプじゃないだろうし。あれ、やっぱりバレてないこれ?
 出来上がったホラーメイクが鏡の中で情けなく崩れる。
 これじゃあ誰も驚かないってば。
 
 あれからやけくそになってメイクの練習を続けたせいで、わたしの顔は恐ろしい出来になっていた。この失敗作な顔を誰にも見られたくなくて、お風呂の時間をみんなが入る時間からあえてずらした。お風呂に入る前に洗面所でこっそり顔を洗おうとしたら先に上がった子たちが歯を磨いていたものだから慌ててエレベーターに飛び乗った。
 メイク落としシートを持っていないことを悔いつつ、タオルを被って慎重にお風呂へ向かう。エレベーターに乗っている最中、誰かが乗り込んできたらどうしようかと思ったけれど幸いなことに誰にも会わずに済んだ。
 ほっと安心したいところだけど、問題は共有スペースだ。
 
「今風呂上がったん?遅くね?」 
「さっきまで走ってたから」
「やだっ心操ってば役のためにそこまで……!?」
「違うから」 
「いやでも大役だからな?」
「そうそう、逆さにならなきゃなんねーし結構つらいよ?俺ら無理だもんな」
「なー」     
 
 ギャハハハ、と盛り上がる声に談話室へと続くドアノブを掴んでいた手が止まる。やばいぞ、結構な人数がいる。しかもこういうのをネタにしそう系の男子グループ。しかもしかも!一番見られたくない心操くんまでいる。
 ていうか心操くんこんな時間までトレーニングしてるんだ。偉いなあ、すごいなあ。なんて感心している場合ではないぞ、名前!
 スマホを見るとお風呂の利用時間終了まであと三十分くらいしかなかった。今日は諦めて明日の朝一で入ろうかと考えたけど、さすがに血糊まみれでベッドに入りたくないし、朝に入ると登校時間ぎりぎりになってしまう。
 ということは選択は一つだ。今、ここで猛ダッシュで行くしかない。不審に思われるかもしれないけど、タオルを被ってるし顔を見られることは避けられるはず。
  
「つーかさ、心操ってどーなん?」 
「なにが」   
 
 お風呂までの最短ルートを描きながら捻りかけたドアノブを寸でのところで止める。
 
「すっげー見てくるじゃん、苗字」
 
 どうしてそこでわたしの名前が出てくるの。嫌だ。この会話はやばい。聞きたくない。面白がっているのが丸わかりの声が耳に入ってくる。聞きたくないのに。
 
「なあ、もし告られたらどーすんの?」
「あり?なし?」  
 
 やめてよ。告るとか、今はそんなんじゃないんだよ。心操くんが毎日頑張って、疲れて帰ってくる。傷だってたくさん作っていて、心配して声をかけても「俺は何十歩も出遅れてるから。こんなのじゃ全然足りない」ってもっと先を見て言う。そんな姿を、寮生活をしていたらよく目にするんだ。
 いまは努力して、頑張ってるとき。邪魔しちゃいけない。今だからこそ、そういうのを伝えるときじゃない。進展を望んじゃいけない。心操くんの気持ちを知りたい、できたら好きになって欲しいって思いはもちろんあるけれど、それは今じゃない。
 そんなこと、わたしが一番わかっているんだから。コバエにならないように必死なのに、周りが茶化すようなこと言わないで。
 
「……そういうのやめてくんない」
「心操ノリ悪ー」 
「はいはい」   
 
 ぽた、と落ちた雫のせいでスリッパが赤く染まる。猫のイラストがトシコさんみたいでお気に入りだったのに。ぽたぽた、と続けてトシコさん似の子たちが怪我していく。耳の奥がキューッと痛くなったけど、そのおかげでみんなの声が聞こえづらくなってちょうど良かった。
 もういいや、部屋に戻ろう。夜中になってから洗面所で顔を洗って、明日の朝一でお風呂に入ろう。この際、遅刻したっていいや。
 引き返して、エレベーターホールへ向かう。歩く間もどんどん涙は溢れてくるし、耳も痛い。廊下を汚すわけにいかないからタオルで顔を覆った。一刻も早く部屋に戻りたい。帰りも誰にも会いませんように。
 
「っ、苗字」
「ぅえっ」 
  
 突然、肩を引かれて体が後ろに引かれた。「しんそ、くん」さっきまで向こうにいたはずの人がこんなところにいて、驚きのあまり蛇口を閉めるかのようにピタッと涙が止まる。思わず顔を上げそうになってやめる。自分の顔がひどいことを思い出したから。
 
「……これ、血?」 
 
 俯いたままだろうがスリッパやタオルについた血糊は彼の視点からはよく見えているようだった。わたしが大怪我をしたとでもいうように深刻な声色に大袈裟なほど頭を振って否定する。
 
「ちが、れんしゅっ、失敗……」
「練習……? ああ、文化祭の」 
 
 泣き止んだばかりで喉が詰まって片言になった。頭の上で心操くんがため息をつく。きっと盗み聞きしていたことや、それで泣いていることも心操くんにはバレている。恥ずかしくてまた泣きそう。さっきの聞いてた?って聞かれたらなんて答えたらいいんだろう。
 
「……さっきの」 
 
 心操くんが話し終わる前に頭を横に振る。聞こえてないからって。
 だからその話をしないで欲しい。わたしは聞こえてなかったから、心操くんもわたしの気持ちには気付かなかったことにして欲しい。まだいつもの関係のままでいたい。
 止まったはずの涙が雫になって、顎を伝って落ちる。猫を汚すそれはだいぶ薄くなっていた。
 
「……そう」 
 
 うん。声を出したような出してないような頷きを返した。
 心操くん、今から部屋に戻るのかな。先に行ってくれないかな。今は同じエレベーターに乗るのが嫌だ。だけど談話室にいる人たちと鉢合わせるのも嫌だ。
 自分勝手な考えに悶々としているまま、床をじっと見つめて時が過ぎるのを待つ。真新しいストライプのスリッパと血だらけの猫のスリッパとツルツルの廊下がわたしの視界を占めていた。
 
「階段とこ、隠れとけば」
 
 そんなことが聞こえたと思えば、ストライプが視界から消える。静かな廊下にパタパタとスリッパの鳴らす音。「隠れるって?」思わず顔を上げて引き止めると、首に手を当てていた彼は立ち止まった。でも、振り向かなかった。
 
「あいつらに部屋戻るよう言ってくるから。……風呂、まだなんだろ」

 それだけ言うと心操くんはまた談話室へと戻っていった。言われたとおり階段の踊り場で小さくなって、男子グループが立ち去るのを待つ。数分もしないうちに廊下が騒がしくなって、エレベーターに乗り込むとまた静かになる。恐る恐る階段を降りてみると、心操くんも一緒に上がったみたいで廊下にはもう誰もいなかった。
 しんとした談話室を抜けて、シャワー室へ入る。頭からお湯をかけると真っ赤な血の水が足元にまとわりつくみたいに流れていった。
 悔しいなあ。こんなふうに優しくされたら、わたしもっと好きになっちゃうじゃん。
 
「……心操くんのばか」
 
 わたしばっかり好きで、感情に振り回されて。なにがコバエになりたくない、だ。心操くんのまわりをうざったく飛び回っているくせに。
 シャワーで顔をきれいにしても、鏡に映った顔は情けないままだった。  
 
 
 
 メイク担当の仕事は本番以外はやることがないから他の係の応援をすることがほとんどで、わたしは小道具作りを手伝うことが多かった。おばけ役の人たちもそれは同じで、心操くんは大道具などの力仕事を任されていた。
 大道具担当は外で作業することが多くて、室内作業の小道具担当とは顔を合わせることがあまりない。今までわたしから話しかけに行くことが多かったから、そのわたしが話すことをやめれば必然的に心操くんと話す機会は少なくなっていった。
 
「ねえ」
「んー?え、あ、心操くん……」
 
 そうして心操くんと話すことがなくなっていくなかでたまに発生する本人との会話をスムーズにこなすのはとても難しいことだった。
 
「これ、こっちって言われたんだけど。ここでいい?」 
「っごめん。わたし大道具わかんないや……他の人に聞いてみて」 
 
 わたし、今までどんなトーンで話していたっけ。こんなそっけなくなかったはずなのに。
 たまにあるわたしと心操くんが話すとき。いつも通りにしよう、しなければ、と考えるたびに"いつも"がわからなくなった。だって最近は用事があるときにしか話しかけないし、なんなら他の人で足りる場合はあえて心操くんに話しかけたりしない。
 それなのに、心操くんはこうやって向こうから話しかけてきたりする。絶対、わたしの態度がおかしいことに気付いているはずなのに。それがあまりにも今まで通りなトーンだから、思うようにできないわたしとしては気まずかった。
 おばけ屋敷が完成に近づいているのに、わたしと心操くんの関係は前より崩れていっている。
 
「わかった。向こうに聞いてみる」 
「うん……ごめんね」 
 
 去っていく心操くんの背中を見つめるわたしは、やっぱりわかりやすいらしい。近頃はみんな、そんな様子のわたしたちをからかわなくなった。「なんかあったの?」と気遣う言葉に首を振る。
 なんにもないよ。わたしの気持ちが知られていて、それを知らんぷりしてくれているだけ。なにかがあるもなにも、心操くんの周りを飛び回っていたコバエの寿命が尽きただけ。
 
「なんにもないよ、本当に」 
 
 だって勝手に好きになって、勝手に落ち込んで、勝手に気まずくなっているだけだから。
 
 
 
 メイクの相手を替えてくれないか、というわたしの交渉は叶えてもらうことはなかった。
 文化祭当日、C組内はおどろおどろしい出来になっていた。各担当が朝から最後の仕上げに追われるなか、おばけ役とメイク担当は理科室に詰め込まれた。流れ作業のように何人かのおばけを仕上げ、完成したおばけ達が持ち場に向かう。
 
「よし、あたしら担当分全員終わったー!名前は?」 
「……まだ」
 
 メイク担当の子たちはうんと伸びをしたり、メイク道具を片付けたりともう店仕舞に入っていた。わたしは何度か確認した割り当て表をもう一度チェックしていく。おかしい、心操くんがまだこない。 
 
「えー誰?遅くない?」
「教室の方先に手伝ってんのかな?」 

 割り当て表とにらめっこしているわたしの上から覗き込んだ子たちに心操くんの名前を指さす。頭の上でなんとも言えないニュアンスの「ふうん」がハモったかと思えば、皆は示し合わせたかのように扉に向かっていく。

「ちょ、みんなどこ行くの!?」 
「あたしら教室の手伝いしてくるわ」
「えっ」 
「名前ちゃん片付けよろしくね!」  
「ちょっとくらい遅くなってもいいからねー」 
「まっ、待って!」 
 
 言い終わる前に扉をぴしゃりと閉められた。さっきまで賑やかだった空き教室にわたしだけ取り残される。
 
「待ってって言ったのにぃ……」 
 
 くそう、こうなりゃわたしも出ていってやる!やけくそになって、椅子を引いて立ち上がった。手をついた机の上には一人だけチェックがされていないプリントが一枚置かれている。
 言葉にならない感情が胸のうちでうねうねと暴れて、それに呼応するみたいに唇が形を変えて、ついには情けなくへの口になって。溢れる。
 
「……なんでこないの」 
 
 わたしが嫌になったから?なんて思うのは身勝手だ。わかってる。でもそう思わずにはいられない。だって心操くんは普通にしてくれているのに、わたしは自分の気持ちがバレたからって彼を避けてる。それも周囲が驚くほどわかりやすく。それなのに自分が避けられる立場になったら嫌だなんて思うのはずるい。
 みんなが出しっぱなしにしていたメイク用具を一つずつ集めた。筆とパレットを洗う。リアルを追求した生々しい色をした血糊が水と混じって排水口へと流れていく。後ろ向きな感情が身体の中をぐるぐる巡ろうとするから、できるだけ片付けに集中して頭を空っぽにした。
 段々透明に戻っていく水の流れをぼうっと眺めていたときだった。コンコンと扉を叩く音のあと、「入るよ」と控えめな声がした。ドアが開くのを感じて、わたしは水を止めた。心操くんだ。
 
「遅れてごめん。向こうの手伝いに手間取って」 
「……そうなんだ。お疲れさま」 
 
 平常心を保たねば、とできるだけ平坦な声を出せば、思いのほか冷たく響いた。まるで怒っているみたい。
 血塗れの衣装を着た心操くんは居心地が悪そうに首をかいて、積み上げていた洗い終わったメイク道具に視線を移す。
 
「ごめん、もう片付けた?」
 
 ううん、と首を振る。さっきまで座っていた場所には一セットずつメイク道具が残っている。完全に頭を空っぽにできていない証明みたいで悔しい。
 それを悟られたくなくて、「あんまり時間がないからちゃちゃっと終わらそうよ」と心操くんを急かして向かい合わせに座った。
 ドーランをとって手の甲で伸ばす。その様子を物珍しそうに見る目のせいで手がうまく動かない。
 
「目、瞑っておいて」 
「わかった」 
「……塗るね」 
 
 スポンジで肌に塗り拡げる。久々の二人っきりのこの状況が気まずい。なにか話したほうがいいのかもしれないと思えば思うほど、会話のネタが見つからない。それに今まで避けてきたから、今更どんなふうに話しかけたらいいのかもわからない。だからできるだけ手早く終わらしたかった。
 
「ちょっとこそばゆいかもだけど……」 
 
 ん、と目を瞑ったまま答えた心操くんの瞼に筆で血を乗せる。くすぐったいのか堪えるように寄った眉間のシワを可愛いと思ってしまって、そんな自分が嫌になった。虫が良すぎるぞ、ばか名前。
 練習を重ねた割にはシンプルな出来のメイクはあっという間に終わってしまった。パレットと筆を端に寄せて、マニキュアの蓋を開ける。
 
「手、出してもらっていい?」  
「わかった。目、開けていいの」 
「……うん、まあ」
 
 目を瞑ったままでいて欲しかったのに。心操くんと目があって、すぐに下を向いた。
 マニキュアを塗るために触れた手がわたしと全然違う。締め付けられた跡みたいに赤紫になっている親指の付け根が痛そうで、無意識になぞってしまった。びく、と反応した大きな手。
 
「ご、ごめん」
「……べつに」 
 
 健康的な色をした爪先に不健康な色を塗る。震えてはみ出さないように、無心になろうと自分に言い聞かせても、掴んでいる指先の持ち主のことを考えてしまう。
 
「爪まで塗るんだっけ」 
「その、ミコちゃんが爪も血の色したほうがぽいからって、昨日言ってて。急遽決まったからそっちまで話いってないのかも……」 
「ふうん。どうやって剥がすの」 
「お風呂でとれるやつ。多分……」
「そうなんだ」  
 
 対して興味があったわけでもないのか話題はすぐに流れていった。小指の先を塗り終わる。
 
「……つぎ、反対するから」
 
 うん、という声が聞こえてもう片方の手が置かれる。その手の先を軽く持ち上げて塗ろうとしたとき、きゅ、と握られた。「え、えっ……?」わたしの心臓も一緒に鷲掴みにされたみたいに、どくっと跳ねる。
 
「心操くん。あの、これじゃあ塗れない、よ?」
「……ごめん。わざと遅れた」  
「え?」  
 
 この行動も言っていることも。よくわからなくて、答えを求めたくてつい顔を上げた。
 
「こうでもしないと苗字、俺と二人になってくれないだろ」 
 
 心操くんは真っ直ぐわたしを見ていた。
 
「っ、そんなこと……」 
「あるよ。あの日からまともに話したことないし」 
「それは……」 
 
 あの日って、あの日だ。心操くん、やっぱりわかってたんだ。喉元から迫り上がってくる悲しみを一生懸命飲み込む。今ここで泣いちゃだめだ。
 「俺は」と言った心操くんの眉根が寄る。
 
「今は自分のことでいっぱいいっぱいで、他のことに気を割く時間なんかないってずっと思ってた」 
 
 知ってるよ。いつも前を見て頑張っている姿を見てたから。
 
「だから、苗字の気持ちにも気付いてないふりしてた。応えられるようになったら、自分からちゃんと言おうって」 
 
 ずっと気付かないふりをしてくれてて良かったのに。返事なんて求めてないよ。振り向いてもらえないことくらいわかっているから。だめだ、泣くなばか名前。
 
「けど、それって俺のひとりよがりだった。苗字のこと泣かしていい理由にはならない」
「……そんっなこと、気にしなくて、いいから。わ、わたしが勝手に……ごめん。これだって、涙なんかじゃなくてっ……だから、心操くんは気にしないで」 
「気にしないわけ、ないだろ」 
 
 俯いていくわたしを引き留めるように掴まれた指先に力が入る。ああ、この指先、まだ塗れてない。
 
「……好きなんだから」 
 
 思わず握り返してしまった。弾かれたように頭を上げる。いま、なんて。
 
「え?……っえ!?」 
「……驚きすぎ」 
 
 好きって言った?心操くんが?わたしのことを?
 
「うそだあ……!」 
 
 信じられなくて食い入るように彼を見る。心操くんはわたしの手を離してそのまま首に手をやって、視線を逸した。「……こんなことで嘘つくヤツいないでしょ、ふつう」その仕草は照れているというには十分で。
 
「だって……だって、わたし、そういうのは今だめだって思ってて」 
「……うん」 
「だから、こ、告白とかもっと先にしようって……でも、みんなにからかわれるし、心操くんにもバレてそうだし、ど、どうしたらいいのかわからなくなって……」  
 
 心操くんがわたしのことを好きな可能性なんて考えたことなかった。
 身体中、ぐつぐつと煮えたぎるほどの熱を持つ。わー!とかぎゃー!とか泣きながら叫び出しそうで両手で顔を覆う。どうしよう。好きな人の好きな人がわたしだなんて。
 
「わたし、心操くんを好きでいていいの?」 
 
 うちから沸き起こる衝動で震える掌の隙間から、心操くんがきゅ、と唇を結ぶ。
 
「……ごめん。今すぐに付き合うとかは無理だと思う。ずるいことを言ってる自覚はある、けど」

 心操くんはひとつひとつの言葉を丁寧に伝えようとしてくれていた。
 
「俺も、好きだから。待ってて欲しい」 
 
 そんな真剣な声で、目でわたしにぶつけてくることのほうがずるい。
 わたしは、心操くんが夢に向かって頑張っているのを応援したい。だから待つことなんて、わたしにとっては今までも当たり前のことなんだよ。
  
「……そんなの、いくらでも待てるよ」 
 
 心操くんがわたしのことを好きになってくれた。そのことだけでわたしの寿命はいくらでも延びるんだから。
 塗り残したマニキュアのことなんて、もうどうだってよかった。
 
 
2021.7.25

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