「わあ、どれも美味しそう!」

 小麦の香ばしい香りがなんとも食欲をそそる。サクサクのクロワッサンにイチゴたっぷりのジャムパン、長いフランスパンにクリームのはみ出したクリームサンドなどなど。トング片手に例の隣の彼が持つトレーに商品を積んでいく。どれもこれも美味しそうだ。

 彼がお会計を済まして出口に向かう。その後ろについて店を出た。

「‥‥‥本当にこれだけでいいのか」
「じゅうぶん!それにほら、結構買ってもらっちゃったし」

 ひーふーみー‥‥‥。指折って数える。よくもこれだけ食べれるな、という表情で彼は私を見たが、彼こそ年頃なのだからもっと食べる方がいいと思う。
 頬は相変わらずこけていたが、幾分かましになってきたように見えるのが救いだ。



「先日のお礼は何が良いだろうか」

 毎朝の日課である掃除をしている私に尋ねてきたのは彼だった。『先日のお礼』とは、五日前に彼が熱を出して私が看病したことに対するものらしい。結局あの日は、昼過ぎまで横になった彼だったが、熱が下がると同時に部屋へ帰って行った。
 その間に大したことは会話しなかったが、なんとなく流れる空気は以前より柔らかくなった気がした。その証拠に、というべきか彼は私に対して敬語を使わなくなった。私の方が年上なのに、という気持ちがないわけではないが、対等な関係を築けたようで悪い気はしない。

 お礼なんて、と最初こそ辞退した。物をねだるのは恥ずべきことだという気持ちがあったのだ。しかし彼は引き下がらなかった。結局押しに負けたのは私だった。「じゃあ美味しいパンが食べたい」と105号室の住人が言っていた角のパン屋を指名し、今に至る。



 帰りまでの道すがら、買ったばかりのカレーパンが出来立てで油のいい匂いを漂わせるものだから、私は食欲に負けてしまった。グウ、お腹が鳴る。

「ふふっ、家まで我慢できないのか」
「‥‥‥朝ごはん、まだだったから」

 口元に手を当てて彼が笑うものだから、私はビックリして喉が詰まった。不意打ちだ。この前まで無愛想の極みだった彼が笑うなんて。元から女の子と間違われるような端正な顔立ちだとは思っていたけれど、笑うとこんなに威力があるとは。
 ますます痩せっぽちの体が勿体無い。

 なんだか無性にほっとけない子だなと思う。今なら心配ばかりするおばあちゃんの気持ちが少しわかった気がする。

「食べればいい。こういうのは温かいうちに食べる方が美味しいだろう」
「ではでは、遠慮なくいただきます」

 カレーパンを袋から取り出して、半分に割って差し出すと、彼は首をかしげた。キョトンとした顔は中々に可愛いと思う。

「私に?」
「出来立ては美味しいからね」
「いや、でも」
「はい、口開ける!」

 半ば無理やり彼の口にカレーパンを突っ込んだ。もう片方の手で私は半分になったカレーパンに齧り付く。熱々だ。口の中で転がしながら食べる。牛すじ肉がホロホロと溶けた。

「美味しいね」

 口元を押さえながら、彼は「あつい」と言葉にならない声をあげながらも頷いた。

 食欲とは不思議なもので、一度食べると満たされるどころか更にお腹が減った。結局アパートに着くまでにチョコクリームパンとクロワッサンも食べてしまった。勿論、二つに分けて。

「今日はわざわざありがとう。じゃあ、これ」

 差し出した袋を見て、彼は面食らった顔をした。中身は残ったパン八個のうち、四個を厳選したものだ。

「最初からこんなにたくさん一人で食べるつもりじゃなかったから、どうぞ」
「いや、それではお礼にならないだろう」
「いいからいいから。これ食べて少しは肉付けてね。また倒れられたら困る」

 そう言って私は茶化すように自分の頬を指差した。釣られたように自身の頬に手をやりながら、いや、と彼は渋ったが「さっきも食べてたから今更じゃない」と言えば困った顔をして受け取った。

「ありがとう‥‥‥でいいのだろうか?この場合」
「どうだろ、貰い物をくれた人にあげるって本来ならなかなか失礼な話だもんね」

 全くだ、彼は眉尻を下げて微笑んだ。私もつられて笑う。
 意図せず、この一時間足らずの中で彼の笑顔を何度も引き出せた。陰気な顔をしているより、こっちの方がよく似合う。

 それぞれの部屋に入る前に、じゃあ、と言い掛けて詰まった。折角仲良くなりかけたのに、「じゃあ」でさようならをして元の『管理人』と『住人』の関係に戻るのは味気ないと思った。

「じゃあ、またね。クラピカくん」

 そう後ろに付け足して、手を振る。彼はパチリと瞬いたのち、ニッと口角を上げた。

「クラピカで結構だ、名前さん」

 今度は私が面食らう番だった。どうやら彼−−クラピカからも歩み寄ってくれているようだ。

「うーん、じゃあ、私も名前でいいよ」
「そうか」
「うん」

 頷きながら、頬が緩んだ。呼び捨てなんて大したことではないけれど、こう改めて宣言すると照れるものだ。

「じゃあ、またね、クラピカ」
「ああ、名前も、またな」

 確認し合うように名前を呼び合った。顔をあげれば目が合った。私と同じように少し照れたクラピカと笑い合って、今度こそお互いの部屋へ戻った。

「まさか仲良くなれるなんて」

 数週間前の私に教えてあげたい。一人部屋に入って思わず呟いた。ひとまず、心配性のおばあちゃんに報告でもしよう。仲良くなれたよって。


2017.7.21

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