※トリップ
 
 
 吐く息が靄となって冷たい空気に薄っすらと色をつける。かじかむ手を擦り合わせ箒を握りなおした。襟巻きの隙間から入る凍てついた空気に身震いする。家事なんてほとんど母親に任せっきりで乾燥知らずだった手はあかぎれが目立つようになった。
 この時代には使い捨てカイロもなければ、カシミヤやウールを編んだマフラーもカーディガンもない。保湿成分がたっぷり含まれた良い香りのするハンドクリームだってない。
 やるせなさについたため息と同じように吹かれた寒風が集めた落ち葉を攫う。
 少し離れたところで同じように箒で落ち葉を集める千寿郎くんは風の当たらない角に落ち葉を寄せていた。
 生活の知恵なのだろう。この世界にきて二ヶ月になるけれど、私はなかなかそういったところが身につかないでいた。現代の生活ではこんな私でも何不自由なく生きてこれたのに。
 
「名前さん。そろそろ集まりましたか……あ、まだかかりそうですね」 
「ごめんね。風で飛ばされちゃって」
「まだ兄上が帰られるまで時間はありますから大丈夫ですよ」  
 
 今日はこの家の長男であり、ある日急に空から降ってきた私を受け止めてくれた命の恩人である杏寿郎さんが帰ってくる日である。鴉から本日の昼頃に帰る旨の手紙を受け取った千寿郎くんはいつも以上に気合を入れて家事に炊事に勤しんでいた。今だって兄の好物である焼き芋をするためにこうして寒い中落ち葉を集めていた。
 千寿郎くんは良く出来た子だ。私の妹はこんなに優しくなかった。母や父に妹だからとの理由で甘やかされ、私の服や化粧を悪びれもなく勝手に使う妹のことはそんなに好きではなかった。それでも今はそんな我儘な妹が恋しい。
 
「私も早く帰りたいなあ……」 
 
 思わず漏れ出た心の声のせいか、乾燥した唇が切れた。舐めると血の味がした。
 「名前さんもきっとお家に帰れますよ」と千寿郎くんが寂しそうに笑った。
 
 落ち葉が集まりきったころ、タイミングよく帰ってきた杏寿郎さんは私たちの顔を見ると表情を和らげた。
 
「ただいま帰った!」
「兄上! ご無事で何よりです!」 
  
 私の前では年齢以上に落ち着いて見える千寿郎くんが嬉しそうに駆け寄っていく。そんな千寿郎くんが可愛くて仕方がない様子で杏寿郎さんは千寿郎くんの頭を撫でた。
 
「杏寿郎さん。お帰りなさい」  
 
 大きな目がゆっくりと細められる。千寿郎くんに向けるのとはまた違った表情。それだけで寒かった身体が温まる気がした。
 
「ああ。ただいま」
 
 千寿郎くんのように駆けよりたい気持ちをぐっと抑える。箒を持つ手に力が入った。
 
 杏寿郎さんが荷物を起きに行ってる間に千寿郎くんが手際よく薪に火をつける。やがて熾火となったそれにさつまいもを並べ、戻ってきた杏寿郎さんも一緒になって集めた落ち葉で蒸し焼きにしていく。
 
「まだ時間がかかりますので、お茶でも淹れてきますね」   
 
 気遣い名人な千寿郎くんはそう言うとさっと台所へと向かった。
 赤く燃える炎から白い煙とぱちぱちと火の弾ける音がする。火を足すとか落ち葉をもっと被せるとかした方がいいのだろうか。そもそも、お茶の用意だって私がするべきだったのでは。
 考え始めると落ち着かず、隣で腕組みをして焼き芋の行く末を見守っていた杏寿郎さんを見ると視線が合った。

「なんだ。どうした?」  
「いえ、あの……焼き芋って初めて作るのでなんだかそわそわしちゃって。このままでいいんでしょうか」 
「ああ。火加減によっては落ち葉を足すこともあるが……今のところ何もせずとも大丈夫だろう」
 
 それに俺が手を出すと火加減を誤ることが多い。と杏寿郎さんはあっけらかんと言って笑った。
 杏寿郎さんのことを尊敬し尽くしている千寿郎くんが、「兄上は料理や針仕事はからっきしで……」と苦笑いしていたことを思い出し、頬が緩んだ。
 
「焼き芋は初めてとのことだが、君の時代ではどのように焼き芋をしていたんだ?」
「えーっと……基本的には店で売ってるんです。私も詳しくないですけど、機械の中に芋を並べてしばらくしたら出来上がる仕組みみたいですよ」  
 
 キャンプする人は本格的に焼き芋をしているかもしれないけれど、私なんかが食べるのははせいぜいスーパーやコンビニのものだ。正方形の機械の石上に置かれた焼き芋を思い浮かべながら話すと杏寿郎さんは大きな瞳を瞬かせた。
 
「そんな便利なものがあるのか?」 
「便利なものが溢れている世の中だったので……」
「羨ましいかぎりだな!」 
 
 杏寿郎さんは時々私の元いた時代の話を聞く。過去の人間が未来の話を知るのは邪道な気もするが、私ごときの知識では大したことを話せないし、「聞いていると希望がもてる」と杏寿郎さんが笑ってくれるから邪道かどうかは考えないようにしている。
  
「そんな豊かな世の中なのだ。きっと君も早く帰りたいだろう」 
 
 なんてことないように杏寿郎さんは言うが、私の心はざらりとした。
 早く元の世界に帰りたい。最新の家電に囲まれて楽な生活がしたい。妹とくだらない喧嘩をしたい。
 
「……そうですね」
 
 うまく笑顔が作れない。千寿郎くんを前に零した本音を杏寿郎さんにはぶつけられない。
 常日頃帰りたいと願いながらも、ここでこの人の帰りを待っていたいという矛盾した想いを抱いているのだ。
 吊り橋効果とはよく言ったものだと思う。私は命の危機を救ってくれた杏寿郎さんに恋をしていた。
 
   

 恒例の千寿郎くんとのお風呂の譲り合いは私が負け、先に入らせてもらうことになった。一番風呂は槇寿郎さん、二番風呂は杏寿郎さん。つまり、この湯船には私の前に杏寿郎さんが入っていたわけで……と毎度のことながら余計なことを考えてしまい、湯船に浸かるか迷った。しかし寒さに勝てるはずもなく、できるだけ無心で済ませた。
 風呂を終えたあと、千寿郎くんを呼びに行こうと彼の部屋前に向かった。
 
「千寿郎くん、お風呂先にありがとう。次ど……」
 
 どうぞ、と言い終わる前に部屋の襖が開いた。
 
「千寿郎は今台所で朝食の下拵えをしている! 風呂なら俺から後で声をかけておこう」 
「きょ、杏寿郎さん!」  
 
 千寿郎くんの部屋から出てきたのは杏寿郎さんだった。
 湯上がり後の彼は浴衣の上に半纏を羽織っている。普段かちっとした隊服で隠されている首筋が惜しげもなく晒されて、その際どさに思わず目を逸らした。
 さっきまで彼の残り湯に浸かっていたことを思い出し、頬が勝手に赤くなる。杏寿郎さんはふ、と笑う気配がする。その太い指先が私の頬に触れた。
 
「熱いな。のぼせたか」 
   
 私の体は杏寿郎さんの体温を感じ、更にのぼせた。
 
「す、少し……長く入りすぎました」 
「そうか! 俺も風呂は好きだ。気持ちはわかる。だが、ほどほどにな!」 
「はい……」 
 
 杏寿郎さんの指が離れていったところだけ、感覚が研ぎ澄まされたかのように肌がぴりぴりと張りつめていて隠すように自分の手で撫でた。
 
「……あの、杏寿郎さんは千寿郎くんの部屋でなにを?」
「先の戦いで羽織りが破れてしまってな。裁縫道具を借りに来たところだ」  
 
 ほら、と見せられたのは杏寿郎さんがいつも着ている羽織りだった。炎をモチーフにしているのか、白地に揺らめく赤とオレンジの波が美しいその羽織りは裾のほうが何かに引っぱられたかのように破れていた。
 
「……ほんと。破れてますね」

 彼が戦っているという、鬼によるものなのだろうか。鬼が長く伸びた鋭い爪をこの羽織りに突き立てる様を想像すると恐ろしかった。
 私がぐっすり眠っている夜中、杏寿郎さんたちは戦ってくれている。文字通り、命を懸けて。
 
「あの、縫いましょうか? 私で良ければ、ですけど……」
 
 私にできることなんてほとんどない。着物を一人で着るのすらもたもたするし、火の扱いだって千寿郎くんに見守ってもらいながらじゃないとできないポンコツっぷりだ。千寿郎くんが前日から朝食の準備をしているというのにちゃっかり先にお風呂だって入っている。
 だから、これくらいは。そんな気持ちで言い出したものの、差し出がましかったかもしれない。杏寿郎さんは目を丸くして私を見ていた。
 
「す、すみません! 自分でされるというのにお節介ですよね。杏寿郎さんが裁縫が苦手だと聞いていたので、つい……」 
 
 尻すぼみになっていく言葉と同じように顔も下に向いていく。所在なさげに手を擦り合わせていると、その上にふわりと羽織を乗せられた。顔を上げると、笑顔の杏寿郎さんがいた。
 
「頼めるか!」
「……っはい!」 
 
 少し待っていなさい、と言って杏寿郎さんは千寿郎くんの部屋から裁縫道具を持ってきた。それを預かろうと手を伸ばすと、やんわりと断られ首を傾げる。
 
「部屋は寒いだろう! 居間なら炬燵がある。そちらへ行こう」 

 言われるがまま居間に向かうと、ちょうど朝食の準備を終えた千寿郎くんが炬燵で暖を取っていた。
 
「お二人ともどうされたのですか?」 
 
 ぱちくりと大きな目を瞬かせる千寿郎くんに朝食の準備をしてくれたことやお風呂を先に入らせてもらったことのお礼を伝えてから説明すると、彼は「自分がやります」と言い出した。しかし、こればっかりは「私がやる!」と押し通した。千寿郎くんばかりに負担を強いたくない。
 
「ですが……」 
 
 千寿郎くんはちら、と私を心配そうに見た。着物すらまともに着れなかった女が本当に裁縫ができるのかと言いたげだ。
 
「大丈夫! 裁縫は得意なの!」 

 胸をはると、千寿郎くんはふふ、と笑う。炬燵から出ると「じゃあお任せしますね」と風呂へと向かって行った。
 
 炬燵に入り、早速取り掛かろうと針に糸を通した。玉結びをしていると、「君も案外器用なところがあるのだな!」と杏寿郎さんが若干失礼なことを言ってくるのでむっと口を尖らせるとはは、と笑われた。
 
「あの……見られると緊張します。お部屋に戻っていただいていいですよ、出来上がったら持っていきますから」

 千寿郎くんの手前、大見得を切ったけれど本当は得意でもなんでもない。昔授業で習ったっきりで、しかも普通の縫い方しか覚えていない。
 出来る事なら一人で集中して取り組みたい、という意味を込めてみたのだけれど、伝わっているのか伝わっていないのか向かいに座った杏寿郎さんはにこりと微笑むだけだった。どうやら部屋に戻る気はないらしい。
 
 杏寿郎さんを部屋に戻すことは諦めよう。きっと杏寿郎さんも炬燵で温もりたいんだ。いや、それとも私の裁縫レベルを気にして大事な羽織がとんでもないことにならないように見張っているのかもしれない。……何も考えないでおこう。
 羽織に針を刺し、ちくちくと拙く動かしていく。できるだけ縫い目を細かくした。進めば進むほど歪んでいっている気がして自然と眉間に皺がよる。
 千寿郎くんならあっという間に仕上げられたのだろうな、と情けなさとちょっぴりの後悔が生まれだしていた。
 
「手が荒れているな」 
「……はい?」 
 
 頬杖をついて私の一挙を見ていた杏寿郎さんが静かに呟くので、針をすすめる手を止めた。
 
「出会った頃は指先一つ一つが白魚のようだった」 
「しらうお……」 
 
 あまり聞き馴染みのない言葉だけれど、褒め言葉なのだろう。確かに家事炊事全般をお母さんに任せっきりで、暇さえあればハンドクリームを塗り込んでいた時代はあかぎれ知らずだった。そのように伝えれば杏寿郎さんは表情を和らげた。
 
「君は本当にここにいるのだな」 
「……目の前にいますが」 
「いや、なに。出会いが出会いだっただろう」 
「そりゃそうですよね。人間が空から落ちてくるなんて夢みたいな話ですし」
 
 漫画やアニメのごとく空から落ちてきた私は杏寿郎さんが受けとめるなり意識を失った。目覚めたときはそっくりな顔をした二人が自分の顔を覗き込んでいたので再び意識が飛びそうになったものだ。
 
「今でもたまに、すべてが夢なのではないかと思うときがある。羽衣伝説のように、君が消えてしまうのではないかと」 
 
 否定できなかった。急に現れた人間なのだから急に消えてもおかしくない。
 これが夢だったら。私は今ごろ暖房の部屋で動きやすい洋服を着てソファに沈みながらテレビでも観ていたのだろうか。あかぎれなんて知らずに。
 夢だったら、杏寿郎さんとの出会いはなかったことになるのだろうか。今ここでこうして過ごしたことさえ夢だと片付かれてしまうのだろうか。
 視界が僅かに滲む。
 
「帰る宛はついたか」 
 
 そんなもの、つくわけがない。私は自分の意思でこっちの世界に来たわけじゃない。私は天女じゃないし、羽衣なんて持っていないのだから。
 
「……ちっとも」
 
 帰りたい、だけど帰りたくない。そんな矛盾した気持ちを吐露するわけにはいかない。彼を見つめ返すと杏寿郎さんがわずかに眉を下げた。彼も私との別れを惜しんでくれている。
 杏寿郎さんはふ、と寂しげに笑う。
 
「……千寿郎が軟膏を持っているはずだ。後で貰いなさい」
 
 話はお終いということだろう。はい、と頷いた。
 
 だけどもし、私が天女だとしたら。私の羽衣は何を指すのだろう。どこへいってしまったのだろう。
 この世界に現れたときには着てきたはずのカシミヤのカーディガンがどこを探しても見当たらないことと関係があるのだろうか。
 その事実を誰にも伝えることなく、私はまた針を動かした。
 
 
2021.1.18

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