木々が色付きだしたかと思えば、それはあっという間に落ち葉となり、気付けばもう冬だった。ガサガサと葉が崩れる音をBGMにコートの隙間から入り込もうとする風に足踏みで格闘する。
 
「さむいさむいさむい……寒すぎてイライラするんですけど……」
 
 そんな文句さえも白い靄にしてしまう寒さが腹立たしい。無防備な耳は空気の冷たさをダイレクトに受け、冷たさを通り過ぎて痛むばかり。両手を耳に当て、もはや足踏みというより駄々っ子のようになりながら体を温める。
 
「こんな寒いのやだ。冬、やだ!」
「さっきまで雪が見たいだの、冬は美味しいものが食べられるから好きだのと言っていた口から出る言葉がそれか」
「温かい部屋で雪を見たいし美味しいものを食べたいの。外はむり! 寒い! 電車まだこないのっ!」
「……どうやら十三分の遅れがでているみたいだ」

 クラピカが時刻表の下に流れるメッセージを読み上げるのを聞いて私はさらに足踏みを早めた。
 
「十三分! この寒さであと十三分も待たされるの!」
「うるさい。周りの迷惑を考えてくれ」 
「だって寒いもんは寒い! 耐えられない!」 
 
 三十分前の私が憎い。あのときマフラーや手袋を身につけるという選択をとっていれば!そもそも抜かりなくマフラーをしているクラピカが「寒いからもう少し着込んだ方がいい」と一声かけてくれたら!
 ううう、と唸りながら手を擦り合わせていると隣からため息が聞こえた。呆れられているのだろうなとそちらに視線を向ければ、ほら、とマフラーを差し出された。

「……いらない。クラピカ寒くなるし」
「私はそこまで寒くない。それに横で喚かれる方が迷惑だ」
「む!」
「いいから大人しく巻かれておけ」
    
 クラピカはマフラーを広げるとそのまま私の首にぐるぐると巻いていく。そんな行動に思わず身構えてしまう私の気持ちなんて知るはずもないだろうな。自分でも気付かないように小さく小さく丸めた気持ちなんて伝える日が来ることはないけれど。
 
「どうだ。これで少しは暖かくなっただろう」 

 クラピカの匂いがする。暖かいどころか熱いくらいだ。熱を帯びだした頬は寒さのせいにしておきたい。 
 
 それから私たちは十三分どころか二十分遅れで到着した電車に乗り込んだ。今度はむっとする熱気に「暑い暑い」と文句を垂れるとクラピカが呆れ顔で私からマフラーを回収していった。
 
「エレーナさんはもう家に帰っているのか」
「うん。病院にはリハビリとかで行かなきゃいけないらしいけど、基本的には家にいていいんだって」
「そうか。不便をしていなければいいが」   
 
 今回の目的地は私の実家だ。この間、おばあちゃんが転んで足を骨折してしまったのでお見舞いがてら帰省することにしたのである。
 その話をクラピカにすると「一緒に行ってもいいだろうか」と心配そうにクラピカに聞かれ、二つ返事で頷いた結果今に至る。
 
「元気は元気みたいだよ! 電話でも明るかったし」 
 
 年寄りの骨折は怖いとよく聞くのでお母さんから骨折の話を聞いてすぐに入院していたおばあちゃんに電話した。おばあちゃんは「そうなの。こけちゃってねえ」といつもの調子で話していたのでホッとしたことを覚えている。
 クラピカは少し表情を和らげて「そうか」と言うと窓の外を見た。「あ」とクラピカが短く声を上げるので私もそちらを見てみると外では雪がちらついていた。
 
「雪! クラピカねえ見て雪!」
「言われなくても見ている」 
「やっぱりあったかいところで見る雪って最高だね。ねえねえ、アイス食べようよ!」
 
 進行方向からちょうど車内販売のお姉さんがカートを押してきているところが目について、手を挙げる。
 
「こういうところってチョコとバニラしかないよね。私チョコにしよっかなあ。クラピカは?」 
「私は遠慮しておく」  
「えー。食べればいいのに」
「さっきまで寒いと喚いていただろう。体を冷やすぞ」  
 
 お姉さんが向かってくるまでの間にいそいそと財布を準備しているとクラピカは呆れた顔をしていた。
 
「だって電車のなか暑いし! それに雪見ながらアイス食べるってよくない?」 
「よくない」
「いいよーだ。一人で食べるから……あ、お姉さんチョコアイス一つお願いします」 

 300ジェニーと引き換えに手に入れたアイスはとても固くてすぐに食べられそうになかった。手で包んで溶かそうにもすぐに手が冷えて痛くなった。
 
「ぬぬぬ……! 早く食べたいのにい」 
 
 クラピカは「忙しいやつだな」と軽く笑う。それから鞄の中から分厚い本を取り出すと本の世界へと入っていった。
 
 
 
 電車から降り立った途端、その寒さに身が凍りそうになった。海の近くである我が故郷は電車に乗る前よりも更に寒いのだ。アイスのせいで冷えていた身体で歯を鳴らすと「ほらみたことか」と眉を寄せたクラピカがまたマフラーを巻いてくれて、おまけに駅前でコーンスープを買ってくれた。
 寒いと泣き言を零すたびに考えなしの行動を責められ「おっしゃるとおりです……」とちょっぴり反省しながらようやく実家へ辿り着いた。
 
「ただいまー! 帰ったよー」
「こんにちは。ご無沙汰しております」 
「まあクラピカくんひさしぶりね!あらやだまた一段とカッコよくなっちゃって!」 
「……ただいま!」 
「はいはいおかえりおかえり。いくつになっても騒がしい子だこと」 
  
 クラピカとの温度差にむっと眉を上げると母は肩を竦めた。
 苗字家の愛娘は私のはずなんですが。隣に立つクラピカは肩を震わせ、下を向いている。ちくしょう。皆して私のことをなんだと思っているんだ!
 
「おばあちゃんはー?」
「リビングにいるわよ。先に荷物置いてきなさい」
「えー! 先におばあちゃんに会いたい」  
「名前は話し始めたら長いんだからだめ。やることやってからじゃないと放ったらかしにするでしょう。小さい頃からなんでも後回しにして! 昔なんてトイレを後回しにして……」
「はいはい! 先に荷物置いてきますよう!」 
 
 なんでクラピカの前でそんな恥ずかしい話をしようとするんだ。これ以上余計な話をしてくれるな、と念じながらお母さんの肩を押す。お母さんは「まったくもう」と肩をすくめてリビングに戻っていった。まったくもう、じゃない。まったくもう!
 クラピカは俯いていて表情はわからないけれど、片手で顔を覆っているし、肩が震えている。こやつ、笑っておるぞ。くそう。恥ずかしい。

「笑わないでよ!」
「ふっ、いや、すまない」
「もういーや……早く上がろ」
「ああ。お邪魔します」
「どーぞお上がりください」    
 
 靴を脱いで靴箱に入れようとしたけれど、そこにはお父さんの仕事用の靴が入っていた。ちょっと前までは私の靴を置く位置だったのに。少し寂しい。
 
「……とりあえず荷物置きにいこっか」 
 
 今日はクラピカが私の部屋で寝るので、私はおばあちゃんの部屋だ。お母さん、部屋の掃除してくれているといいけれど。
 
「私の荷物は玄関に置かせてもらってもいいか?」 
「いいけど……? 不便じゃない?」
 
 風呂上がりや歯磨きのたびに二階から降りて玄関まで取りにいくつもりなのだろうか。私が首を傾げているとクラピカはちら、と私を見てすぐに視線をそらした。
  
「……近くに宿をとっている」 
「え……ええ? 聞いてないよ!」
「母君には先週電話で伝え済みだ」
「なにそれ! 初耳なんだけど!」
 
 てっきり以前のように私の部屋に泊まるのだと思い込んでいたので驚いた。なんでなんでと問い詰めるとクラピカはむっと口をへの字にした。
 
「名前が聞かなかっただけだろう」 
 
 だってそんなことわざわざ聞く?
 前もって言ってくれたらいいのに。そもそもお金だってかかるしわざわざホテルなんてとらなくても泊めてあげたのに。
 かがんで荷物を端に寄せるクラピカのつむじを見る。どこか距離を置かれているようでさっきよりもうんと寂しくなった。  
 
 クラピカには先にリビングに行ってもらい、私は一人で部屋に荷物を置きに行った。部屋はこの間帰ったときのままの状態だった。読みかけの漫画が机に放置されていたり、くしゃくしゃになったカーディガンが床で寝ていたり、布団がまくれ上がっていたり。自分のだらしなさに脱力する。
 
「帰ってくるって言ってんだからお母さん掃除しといてよね」

 お母さんに責任転嫁して文句を言ってみたけれど、実家を出ていく前に「出ていくからって私の部屋物置とかにしないでよね。なんか無くなったりしたら怒るから!」と宣言していった記憶が蘇ってきたのでこれ以上文句を言うのはやめた。それにここにクラピカが泊まることになっていたらきっときちんと掃除してくれていただろうし。
 漫画を巻数通り本棚に並べて、カーディガンを畳んで、布団を整えて。
 それを崩したくなってそのままベッドに飛び込んだ。私の体に沿って布団が沈む。
 考えるのは、クラピカのこと。
 
「あーもう!」 
 
 私ってそんなに頼りないかな。友だちだったらお泊りくらい普通なのに。前は泊まっていたのに。それとも、友だちの枠でさえいさせてくれないのかな。私の気持ちがどこからか漏れてしまったのだろうか。
 
「それだったら困る……」 
 
 友だちじゃないといけないのに。それなのに握りつぶしたはずの気持ちの欠片が掌にくっついて離れない。
 心臓のあたりがぎゅうっと締め付けられる。苦しいなあ、とぼやくと少しだけ視界が滲んだ。
 

 
 リビングに降りるとクラピカとお母さんとおばあちゃんの三人が楽しそうに話している最中だった。どうやらお父さんは仕事のようだ。
 
「おばあちゃん! 元気そうだね!」
 
 椅子に座ったおばあちゃんに後ろから抱きつくとおばあちゃんはあら、と振り返った。半年前に会ったときより目が窪んでいて、頬がこけている。歳には勝てないのだから仕方ないことだけれど少しショックだ。
 そんな私の気持ちを察してか、おばあちゃんは変わらない笑みを浮かべ私の手の甲をそっと擦った。
 
「名前ちゃん。相変わらず元気そうね」 
「元気すぎるくらいですよ。名前、いつものでいい?」  
「うん。お願いー」 
 
 いつもの、とは私の大好きな甘さとミルクたっぷりのコーヒーとは呼べない代物。席を立ったお母さんに代わってクラピカの隣に腰掛ける。テーブルの上にはクラピカが持ってきてくれたお土産や私だけのときには絶対に出てこない高そうなクッキーやマカロンがお皿に盛り付けられていた。
 だから苗字家の愛娘は私なんだってば。目に見える格差を感じながら高級クッキーを齧る。
 クラピカのコップには相変わらず苦さしかないブラックコーヒーが入っていた。
 
「名前ちゃんしっかり食べれてる?」
「もちろん! 働いているところがお惣菜屋さんだからね、食べすぎるくらい。いつもお裾分けしてるからクラピカもほら、こんなに大きくなったし!」 
「どういう意味だ」 
 
 クラピカの背中を叩くとじとっとした目で見られたけれど知らん顔をしておいた。どういう意味も何も出会ってすぐのときは痩せ細っていたじゃない。と言うのは酷だと思ったので。

 他愛ない日々のことを話すとおばあちゃんは嬉しそうにするので、私はつい話を膨らましてしまってそのたびにクラピカやお母さんから「おおげさな」「オーバーねえ」と笑われた。でも二人とも仕方がないなあと優しい目をしていたので嫌な気はしなかった。

「そうそう、名前」  
 
 ほとんど私だけのためにあると言って過言はないほど私しか食べない高級クッキーに手を伸ばしたとき、お母さんが思い出したように手を叩いた。
 
「んー? なに?」 
「こないだクラピカくんには言ってたんだけどね。手放すことにしたの」
「ん? なんの話?」
「今住んでるアパートのことよ」
「へ?」
「だからアパートよ、アパート。おばあちゃんと話し合ったんだけどね、足のこともあって向こうに戻るのは難しいかなってなってね。もう売ってしまおうかって」 
「は……?」 
 
 あまりに突然、予想だにしないお母さんの発言に私の手はクッキーではなく宙を掴んだ。
 アパートを手放すって。私たち、今住んでいるんですけど。驚いて何度も瞬き、隣を見るがクラピカは涼しい顔をしている。それもそうだ。お母さんが今クラピカには伝えていたと言っていた。宿のことで電話したときにでも話したのだろう。
 でもね、お母さん。そんな大事な話をなぜ私じゃなくてクラピカに先にしているの。私とも何度も電話していたし、なんなら昨日だって電話したじゃない。本日何度目かわからないセリフが浮かぶ。
 苗字家の愛娘は私なんだってば!
 
「二年後くらいを目安にしてるから帰ってくるかそっちで家探すか考えておいてね」 
 
 一応猶予はあるらしい。管理人とは名ばかりの私には不動産の権利なんてないのだからお母さんたちの決定を覆すことはできない。
 せっかく社員になれたのだから実家に戻る気はない。住むところを探すのはいいとして、家賃を払わなくちゃいけなくなるのは痛い出費だ。それに、と隣でコーヒーを飲むクラピカを盗み見る。
 引っ越すとなればクラピカと離れてしまう。クラピカには私と違って目的がある。だからいつまでも一緒にいられないのはわかっている。それでもなんとなく、このままぬるま湯に浸かっていられる気がしていた。
 あと二年か。明確に決められた期限は長いようできっと短い。近くに住めたらいいな。住む場所が離れたあとも友だちでいてくれるだろうか。
 はあとため息とも返事ともとれる微妙な声を出すしかできなかった。
 
「クラピカくんも出ていくらしいし、タイミング的にはちょうど良かったのかもしれないわね」 
 
 待て待て待て。それは聞き捨てならない。どういうことだ。
 
「く、クラピカ出ていくの……?」
 
 カップに口をつけていたクラピカはそれを飲み干すとこくりと頷く。嘘でしょ。
 
「聞いてないんですけど」
「聞かれていないからな」 
 
 
 
2021.1.11

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