※キメツ学園
 
  
 同じ美化委員であるふたつ年下の煉獄くんは実に平均的な男の子だ。
 自信がないのか垂れ気味な眉は高等部の先生である人気者の兄とは真反対。うるさいほど元気いっぱいな煉獄先生の弟と言われても見た目以外の共通点はあまり見つからない。
 同じ委員をしているクラスメイトの女子からの評価は「んーかっこいいより可愛い系?ですね。優しいけど煉獄先生みたいに男らしくはないかなーって。委員活動は真面目に取り組んでくれてありがたいですけど」という辛辣なもの。
 運動も勉強も可もなく不可もなく、という平均値をキープしているそうだ。
 煉獄くんはそんな微妙な立ち位置にいる後輩だけど私に懐いてくれているのか、私が委員の仕事をだらだらとしていると一緒に残って手伝ってくれたりする。それがどうにも可愛くて仕方ない。
 
「煉獄くんって字、綺麗だよね」 
 
 煉獄くんは字が上手い。煉獄とかいうちょっと格好良くて恐ろしい響きの漢字を小さな枠内にきっちりおさめて書けるほど達筆なのだ。
 私が話しかけたからか、煉獄くんはシャーペンを動かす手を止めてわざわざ私の方を見てくれた。字が上手いから、と半ば押し付けられた書記の仕事を彼は律儀にこなしている。真面目系男子だ。
 
「そ、そうですか?」
「うん。私こんなうまく書けないや。ペン字とかやってんの?」
「その、書道を少し……」 
「へえー! ちっちゃい頃から?」
「はい。母が先生をしていますので」 
 
 なんとなんと。彼は書道教室の母がいるらしい。道理で止めも払いも完璧な字が書けるわけだ。
 
「すご。やっぱちっちゃい頃からしてたら字って上手くなんだね。羨ましい」 
「そんな、僕なんてまだまだ。それに僕は先輩の字のほうが可愛らしくていいと思います」 
 
 委員に参加者した者は各々が名前を記入することになっている。さっき私が書いた名前を煉獄くんは少し照れくさそうに短く切りそろえた指先でそっとなぞった。
 中学生になり、丸くて可愛い字を目指した一年生。やっぱり綺麗目なほうが逆にイケてる、と気付き方向転換した二年生。どっちも中途半端なまま手癖のついた変な字体が今。 
 
「……どこが?」 
 
 思わず眉をしかめる。苗字、と書かれた字は丸さと角っぽさがうまくマッチしていない。
 
「苗字先輩らしいというか」
「ふーん? 私は煉獄くんみたいな字に憧れるけどなあ。頭良さそうに見えるし」
 
 私も書道やろうかなあ。特に意味なく呟くと煉獄くんは「本当ですか!」と顔を輝かせた。
 
「なら、一緒に習いませんか!」
 
 彼にしては大きめな声に驚く。なぜだか頬が赤い。
   
「あの、よければ、なんですが……」
  
 言ってしまってから恥ずかしくなったのか、煉獄くんは自信なさそうに口元に手を持っていき視線を右へ左へ動かした。餌の隠し場所を探しているハムスターみたいでかわいい。
 
「……お試しコースとかある?」
 
 綺麗な字をすらすらっと書けたらそれだけで美人になれる気がする。あとオフの日の煉獄先生を見れたりしたら友達に自慢できそう。それにこの可愛い後輩ともっと仲良くなりたい。
 そんな不純な思いを抱きつつ、二日後の土曜日、書道デビューすることを決めたのである。

 
 
「筆はこう持つ! やってみなさい」
「は、はい!」
 
 勢いに促され私もつい声を張り上げてしまった。
 ただいま土曜日午前十時。私は早速煉獄書道教室に無料体験しにやってきていた。
 畳の間で正座し、言われたとおり筆を握る。
 オフの日の煉獄先生が見れたら友達に自慢ができる、とは思った。しかし。しかしだ。煉獄先生に書道を教わるなんて聞いてない。
 
「すみません、母上が展覧会に行っているのをすっかり忘れていまして……。でも兄う……いえ、煉獄先生は段位も高いですし、上手なので!」
「む! 千寿郎、俺はここでは先生ではないぞ! それに長らく筆を持っていないので正直教える資格もないな!」
 
 いや兄弟間の呼び方なんてどっちでもいいわ。私にとっては煉獄くんと煉獄先生に変わりない。
 とにもかくにも、書道教室の師範である彼らの母は本日不在らしい。書道教室は休みだったのだが、「せっかく来てくれたのだから」と今日は暇なのだという煉獄先生を特別講師とした書道教室が開催された。
 
「なんか私だけのためにしてもらうみたいでごめん」  
 
 隣で墨を磨る煉獄くんはその手を止めると胸の前で手を振る。
 
「確認し忘れた僕が悪いので……先輩は気になさらないでください!」
「ほんと? じゃあお礼に今度委員のときお菓子でも持ってくね。なにがいい?」
「えーと、あの……」 
 
 煉獄くんは口籠るとちら、と私の前に座る煉獄先生の方を見た。
 やばい。煉獄先生のどこに視点があるのかよくわからない瞳の中に入っている気がする。今の話、先生の前ですることじゃなかったかも。
 
「君、中等部はお菓子の持ち込みは禁止ではなかったか?」
「……そんな気がします」 
「先生の前で校則を破る話をするのはいただけないな」 
「おっしゃるとおりです……あれ?でも先生。ここでは先生じゃないんじゃなかったでしたっけ?」
 
 ついさっき煉獄くんとそんなやりとりをしていたような。屁理屈をこねてみると煉獄先生はきょとんとしていたかと思うと「一本取られたな!」と豪快に笑った。
 
「確かに俺がさっきそう言ったところだ! では今の話は聞かなかったこととしよう!」   
 
 おお。煉獄先生、意外に柔軟な考え方をしている。
 感心していると煉獄くんはぱっと顔を明るくさせ、内緒話をするみたいに私の耳元で囁いた。その距離に少しドキッとする。
 
「先輩に貰えるなら何でも嬉しいです」
 
 なかなか可愛いことを言ってくれる。帰り道はスーパーで爆買いするしかない。
 まかせな!と親指を立てると、彼は目尻を下げて柔らかく微笑んだ。 
 
 よし、やるぞ。腕を捲くって教わった通り筆を持った。授業でしか書道をやったことがないので適当に先だけ墨に浸してみた。ちなみに今日は書くことを楽しんでほしいから、と煉獄くんが墨作りを買って出てくれたので有り難くそれを使わせてもらうこととする。
 
「墨ってこのくらい?」 
「もう少しつけたほうがいいです……ちょっと貸してもらっていいですか?」

 言われた通り煉獄くんに筆を渡すと彼は硯の中に沈ませた。思ったよりたっぷり墨を含ませるみたいだ。
 
「これくらいです。やってみて下さい」 
 
 煉獄くんの真似をしてたっぷり墨をつけた。文鎮を置いた半紙を前に、「好きな字を書いてみたら良い」と煉獄先生に言われて困った。これといって好きな字なんてない。
 うーんと悩んでいると煉獄くんが助け舟を出してくれた。
 
「簡単なものでいいですよ。例えばひらがなとか数字とか」 
 
 ひらがなは丸っこい部分が案外難しそうだ。ここは数字で行くとしよう。
 たかが練習。されど練習。一発目となるといい字が書きたい。ナンバーワンの一でいくべきか。それともラッキーセブンの七でいくべきか。いや、その二つはありきたりすぎる気がする。
 あ、数字といえば。
 
「煉獄くんって下の名前せんじゅろうだっだよね」
「えっ!は、はい……」
「数字の千でせんじゅろう?」 
 
 なぜか頬を染めた煉獄くんはこくりと頷く。
 
「よし。なら千にする! 千里の道も一歩からって言うし!」
 
 後付の割には良いことわざを思いついて自信たっぷりに煉獄くんを見る。
 
「その、とても良いと思います……」
 
 いまだ赤い顔のままの煉獄くんを煉獄先生が優しい表情で見守っていた。   
 
 早速半紙に筆を走らせた。うまく筆を操縦できず、なんだかニョロニョロと情けない字になる。五枚連続でそんな字になり、早くも書道の壁にぶつかった。 
   
「うーん……難しい」
「肩の力が入りすぎている。もう少し力を抜くといい」 
 
 煉獄先生の今の言い方がなんかあれだ。ちょっと大人な感じでどきどきする。
 アドバイス通り肩の力を抜いて、一筆ずつ丁寧に下ろしていく。
 
「こ、こうですか?」 
「そうだ。うまいぞ」 
「へへへへ……」 
 
 煉獄先生に褒められた!嬉しくてにやけていたら隣で墨を磨っていた煉獄くんとバチッと目が合う。いくらかっこいい煉獄先生といえど、煉獄くんのお兄さんである。自分の先輩が兄にデレデレしているところを見て幻滅したのかもしれない。ただでさえ下がり眉の煉獄くんの眉が、下降していく。
 「煉獄先生かっこいいから、つい」と煉獄先生に聞こえないように小声でよくわからない弁明をしてみたけれどあんまり意味はなかったようで、煉獄くんは控えめに微笑むだけだった。私の先輩としての威厳が崩れていく音がした……。
 
 それからは真面目に取り組むことにした。千という字を何回書いただろう。隣に座る煉獄くんは墨をすったり、煉獄先生と一緒にアドバイスをくれたり、自分の筆を持ってきて見本を見せてくれたりした。
 ふうと息を吐き出す。さすがに疲れてきた。煉獄くんが気遣うように私の顔を覗き込む。

「先輩、疲れましたか?」
「あ、ばれた?」
「そうだな。一旦休憩にするとしよう!」 
「なら僕、お茶を入れてきますね」
「そんな、いいよいいよ。お構いなくー」
「いえ!僕にはこれくらいしかできませんので……」  
 
 煉獄くんはさっと立ち上がると、足早に部屋を出ていった。

「書道教室ってお茶とか出してくれるんですねー」
 
 習い事といえば小さい頃に通っていたプールと現在通っている塾くらいしか知らないので、書道教室が生徒にこんな手厚くもてなしてくれるなんて知らなかった。
 感心していると、煉獄先生はにこっと笑う。かわいい。
 
「君が相手だからだろう」 
「なるほど……?」
 
 今日はお試しだから気分良く帰ってもらって確実に入会させたい的な?それとも同じ委員会の先輩だから?うん、それだな。
 一人納得していると、煉獄先生は柔らかく微笑んだ。そういう顔を見ると煉獄くんと兄弟なんだなと改めて思う。
 
「同じ委員をしていると聞いた。学校での千寿郎はどんな感じだ?」
「そうですねえ……」
 
 煉獄くんと言えば真面目だ。クラスのことは知らないけれど、運動も勉強も平均的と聞いている。委員の仕事も書記を押し付けられても一言も嫌な顔せずに取り組んでいる。けれど真面目ってあんまり言われて嬉しい言葉じゃない気がする。そこしか取り柄がないように聞こえるし。
 さて、なんと言おうか。
 
「女子からは可愛いって言われてたり……」
 
 嘘ではない。かっこいいより可愛い系ってクラスの子も言っていたし、事実私は小動物みたいで可愛いと思っている。
 
「委員では書記をしてくれていて……その、一生懸命取り組んでいますね!」 
「そうか!」 
「あと字がうまいですね! 真面目で良い子だと評判です!」 
 
 あ。真面目ってワード使ってしまった。内心焦ったが煉獄先生はそんなこと気にしていないようで嬉しそうに笑っていた。
 
「そうだろう! 千寿郎は昔から真面目なやつでな、何事も根気強くコツコツ取り組むことができる男だ。大器晩成型だな!」 
  
 さすが煉獄先生。そのポジティブさは弟にも発揮されるらしい。若干の弟贔屓を感じつつもうんうんと同意していると、「ところで」と先生が続ける。
 
「君は? 千寿郎をどう思っている?」
「え?煉獄くんのことですか?」
「うむ! 君には千寿郎がどのように映る?」
 
 なかなか難しい質問だ。私の中でブラコン疑惑が生まれつつある煉獄先生にとってさっきの答えは満足できるものじゃなかったのかもしれない。
 私にとっての煉獄くん、ねえ。
  
「うーん。字が上手くて羨ましいーとか思ってますね」
「うむ。千寿郎は美しい字を書くからな!」  
「えーっと……優しいですよね。私の下手な字でも褒めてくれますし、委員も残って手伝ってくれたりします」
「そうだな、千寿郎は思いやりのある子だ! それにしても君、自分のことを卑下することはない。立派な字を書いていたぞ!」 

 煉獄先生の相打ちに押されつつ、いくつか彼の良いところを挙げてみる。時々私が自分を下げたり謙遜したりしても煉獄先生はすべて肯定的に返してくれるので気分が良くなり、煉獄先生が人気の理由がよくわかった。
 それにしても、一体いくつ言えば煉獄先生は満足するのだろう。
 
「あとは、たまにハムスターみたいだなって」
「ハムスター?」 
「手のひらに乗せてもいいくらい可愛いってことです!」 
「ははは! それは手厳しいな!」 
  
 煉獄先生が一際大きな笑い声をあげると同時に襖が開き、お盆を持った煉獄くんが真っ赤な顔をして入ってきた。
 彼は唇をきゅっと包めて私と煉獄先生を見てまた私を見たかと思えばすぐに視線を反らし、机の端に湯呑を置いていく。あれ、もしかして聞かれていたかもしれない。
 
「さて、俺はそろそろ退散するとしよう」 
「え? 先生もう行っちゃうんですか? 今日暇って言ってたのに?」 
「たった今仕事が残っていることを思い出した!」 
「ですが兄上。せっかくお茶を入れてきたんですし、せめて飲んでからにされては……」  
「部屋に持っていくとしよう。俺はお邪魔なようだからな!」 
「え、ちょ、あ、兄上……!」
 
 別に邪魔じゃないのに。煉獄先生行っちゃうのか。寂しいな、と立ち上がった煉獄先生を見上げると笑顔を返された。
 
「君が入会するかは知らんがいつでも遊びに来てくれ! 歓迎する!」
「ありがとうございます! 前向きに検討します!」 
 
 熱血教師煉獄先生の熱にあてられ、私も燃え上がり勢いよく返事をする。煉獄先生は満足そうに頷くとその熱さのまま煉獄くんに向き合った。
 
「それから千寿郎!」 
「は、はい! なんでしょう?」 
「頑張れ!」
「なっ! ななな何をですか!」
「兄はお前を信じている! 一番の味方だからな!」
 
 今日一番の火照り顔を見せた煉獄くんに先生は優しく肩を叩くと、煉獄くんが持ってきてくれていたお茶とお菓子を持って部屋を出ていった。
 残された私たちはしばらく煉獄先生が出て行った方を眺めていた。
  
「なんか……煉獄先生って嵐みたいな人だね。良い意味で」 
「……はい……兄上は昔からあんな感じで……」 
「ていうか煉獄くん、なんか頑張ることあんの? 書道のコンクール近いとか?」     
 
 煉獄先生は煉獄くんの何を応援しているのだろう。テストはこの前終わったばかりだし。
 千と書かれた半紙を揃えていた煉獄くんはう、と言葉に詰まるとさっと半紙で顔を隠し、消え入りそうな声で呟いた。
 
「後生ですからさっきの話は聞かなかったことにしてください……!」
 
 
 
2021.1.4

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