「名前、お隣のクラピカさんってわかる?その人の職場から電話があってね−−」

 ありがたいことに二連休をゲットしたので、レンタルした映画を三本夜通し見た後、昼まで惰眠を貪った。ノロノロと起床し、簡単な朝ごはん、いや昼ごはんを摂りながら休みを満喫していた。

 残りの半日と明日一日、何をしようか。大したことないスケジュールを頭に浮かべながら、携帯が揺れていることに気づいた。着信履歴が6件も溜まっていたのに驚きつつ、リダイヤルしようとする前に追加で掛かってきた電話に出れば「やっと出た!」と第一声をあげたのはお母さんだった。

 後ろから聞こえるおばあちゃんの泣き声に掻き消されまいと、お母さんは大きめの声でハキハキと述べていく。

 お隣さんが倒れた。迎えに行ってあげて欲しい、と。

 おばあちゃんのツテで入った職場で、保護者のいない彼に何かあったらおばあちゃんに連絡がいくようになっていたそうだ。電話に出たおばあちゃんは倒れたと聞いてパニックになったため、お母さんが代わって話を聞いたようだ。

「今はあなたが管理人でしょう。おばあちゃんの代わりにあなたが行ってちょうだい」

 なんで私が、と反論する前にそう言われては何も口をついて出てこない。
 言い合いをしていても仕方ない。諦めて携帯片手に腕時計をはめ、出掛ける準備を始める。

「はあーわかったよ。その仕事場に迎えに行けばいいのかな」
「ええ、住所は聞いてあるから、後で地図を送るわ」
「オーケー。それより、おばあちゃん大丈夫?すごい声聞こえるけど‥‥‥」

 「倒れたですって!どうしましょう!」「お義母さん落ち着いてください、名前に頼みましたから」電話越しにも向こうの状況が手に取るようにわかる。混乱するおばあちゃんを相手に、お母さんは相当参っているようだ。

「こっちはおばあちゃんを病院に連れて行こうと思ってるの。おばあちゃん、そのクラピカさんって人の話になるとちょっと異常なのよ」

 もしかしたら「精神的なもの」の原因ってその人じゃないかしら。ため息を漏らしながら、ぽつりとお母さんが零した言葉がやけに耳に残った。



 電話を切った後、簡単に荷物をまとめて家を出た。お母さんから送られてきた地図を確認すれば、彼の働く職場はすぐ近くだった。

「すみません、えーと、クラピカという人を迎えにきたのですが」
「ああ、お姉さんっすか?あっちの部屋で休ませてるんで」

 辺りを歩いていた作業服姿の男性を捕まえれば、そう言われた。わざわざ誤解を解くのも面倒なので、「どうもご迷惑をおかけしています」と曖昧に笑っておいた。男性は、広告紙の裏紙に『医務室』と書かれた一室まで案内してくれた。

「こいつ、最近様子おかしくて。最近っていってももう半年くらいになるんすけどね。来た時は割と話しやすかったのに」
「‥‥‥はあ、そうですか」
「もうちょい愛想良くしろってお姉さんからも言ってやってくださいよ。 上には迎えが来たって報告しておきますんで、このまま連れて帰ってもらって大丈夫っすよ。後はよろしくお願いします」

 男性は軽く頭を下げて、去って行った。おそらく仕事に戻るのだろう。お姉さんじゃないんだけどなあ、と内心思いながらも、やっぱり曖昧に笑ってもうこちらを見ていない男性に対して形式ばかりの浅いお辞儀をした。

 部屋には簡素なベッドが一つ置かれてあり、そこには最近見慣れた金髪が先ほどの男性と同じ作業服に身を包まれて沈んでいた。

「だ、大丈夫‥‥‥?」

 薄っすら目を開けて彼は私を見たが、熱に浮かされているのか瞳は潤み虚ろんでいた。浅い呼吸を繰り返し、頬は赤く染まっている。そうっと額に手をやればジワジワと熱が移っていく。掌にはじんわりとした汗がくっついた。これは大丈夫ではなさそうだ。

「立てる?」

 僅かに頭を縦に振ったので、背中に手を回しゆっくりと彼の体を起こした。体に触れれば想像以上に固く、骨と皮という表現がピッタリ合う。

「外にタクシー呼ぶから、そこまで頑張って」

 さっきの男性に手伝って貰えば良かった。今更ながらそんなことを思いながら、その腕を私の肩に回す。痩せているといっても、私も力がある方じゃないし、力の入っていない人ほど重く感じる。ぐう、と歯を食いしばって入り口まで彼を引きずって歩いた。



 タクシーを拾ってなんとか家へ辿り着いたが、家へ着いてからの方が大変だった。

 一人では立つことも出来ない彼を102号室に戻すことと体調の悪化はイコールだったため、私の部屋へ連れて来た。正直人をお呼びできる状態ではないのだけれど、緊急事態なので仕方ない。

 流石に作業着のままでベッドに寝かせるのは嫌だったので弱々しく抵抗する彼を無理やり脱がせた。その際に痛々しいほどまで痩せた体を見てしまい、思わず眉をひそめたが、なるべく見ないようにしながら私の大きめのパジャマに着替えさせた。
 横にさせる頃にはほとんど意識が無かったのが、彼にとって不幸中の幸いではないだろうか。

 その後薬局で薬やスポーツドリンク、ゼリーなど病人に必要なものを一通り揃えた。額には熱を下げる冷んやりシートを貼った。
 それから窓を開けて空気の入れ替えを行い、音や埃を立てないように掃除をした。

 本当は医者を呼びたかったのだけれど、身分証も無いような子供を診察させると児童福祉施設関連に連れていかれる気がしたのでやめておいた。おそらく彼もそれは望んでいないだろう。

 お母さんに簡単な経過報告をメールした。うーんと伸びをして、ソファに腰掛ける。

「これもいわゆる施しってやつなのかな」

 ついこないだ彼に言われた台詞を思い出す。恩知らずな彼のことだ、起きたら「迷惑だ」とか「頼んでいない」とか文句を言われるのだろうか。休みを返上して世話を焼いてやったこの苦労も馬鹿みたいだ。

「あー疲れる‥‥‥」

 先のことを考えると今までの疲労がどっとやってきた。せっかくの休日がとんだ一日になりそうだ。



「おはよう」

 ばっと起き上がった彼は、挨拶をする私を食い入るように見た。その顔には何故ここに、と書かれていたがすぐに昨日の出来事を思い出したようで。

「‥‥‥ご迷惑をお掛けしました」
「いや、まあ、うん」

 彼がベットを占領してくれたお陰で私は固い床で寝ることになった。ワンルーム一人暮らしの部屋に予備の布団セットがあるわけがなく、バスタオルを掛け布団代わりにしたもので随分肌寒かった。

「お礼はまた後日させていただきます」

 そう言って彼は勢い良く立ち上がったが、すぐに頭を押さえてしゃがみこんだ。うう、と呻き声を上げる。

「病み上がりだし、まだ寝てた方がいいんじゃない‥‥‥?」
「いえ、これ以上施しを受けるわけにはいかない」
「施し‥‥‥」

 倒れたところを迎えに来てもらって、私のパジャマを着て、私のベッドで寝て、私が買ってきてあげた薬とスポーツドリンクを飲んで。なるほど、確かにこれは施しかもしれない。

 彼はまだ熱があるのか頬を赤く染めてフラフラと立ち上がろうとするので、思わずその腕を掴む。私に掴まれた反動で彼はまた座り込んだ。

「こんな状態じゃ無理でしょ」
「‥‥‥心配は無用だ」
「そうは言われても、このまま帰ってもまた倒れるだけだよ」
「例えそうだとしても、君には関係ないだろう。放っておいてくれないか」

 随分な言われようだ。いつの間にか敬語じゃなくなってるし。呆れてため息を漏らすと、彼は睨みつけるように私を見た。

「私はあなたと仲良くないし、今まで世話してたのはおばあちゃんだけどさあ。関係なくはないんじゃない。あなたが倒れて警察沙汰にでもなったら、困るし」

 未成年、保護者なし、身分不明、うーん、怪しいキーワードばかりを持つ彼を実質的に匿っていたようなものなのだから、私もおばあちゃんもそれなりの処分を受けるんだろうな。

 私の言い分を受けて、彼はぐっと口を噤んだ。

「施しでもなんでもいいじゃない。人に親切にしてもらってラッキーくらいに思ったら?」

 バツの悪そうな顔をして、彼は反論しかけたがすぐに口を閉じた。言い返す言葉が思い浮かばなかったようだ。それから耳を澄まさなければ聞こえないくらい小さな声で「すまない」と言った。

「‥‥‥こういうときは、素直にありがとうと言うのが正しいかな」

 しばらく沈黙が流れた後、彼は俯きながら言いづらそうに、「ありがとう」と零した。


2017.7.14

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