「キャラメルポップコーンですね。サイズはどうされますか?」
 
 映画といえばポップコーンは欠かせない。私のそのポリシーにより、座席を選んだその足で売店に来ていた。大きいのにしようか、小さいのにしようか。それとも中くらい?「どうする?」隣に立つクラピカはゆるく首を横に振る。自分は食べない、ということらしい。ああそうですか。

「ラージサイズで!」

 支払いをする私をクラピカは訝しげに見ていた。

 映画のチケットを譲ってもらったのは今日の夕方のことだった。キミーちゃんが彼氏と行くはずだったのに、喧嘩したせいで行けなくなったらしい。「いまこんなの見る気になれないんです!」といつもの甘ったるい話し方を止めたキミーちゃんが半ば押し付けてきたのだ。チケットには今流行の純愛物語のタイトルが記されていた。恋愛映画はあまり興味がなかったけれど折角チケットを貰ったのなら行かないのは勿体ない。ということで私はその足で102号室の友を誘ったのであった。

 チケット片手に座席番号を読み上げる私より先にクラピカが席を見つけた。真ん中よりやや後ろ。いい席だ。話題作だけあってすでに人が何人もいて、夜ということもあってかそのうちの殆どがカップルで、私達の両隣も当たり前のようにカップルだった。
 席に座り、ドリンクホルダーにトレーを取り付けた。山盛りのポップコーンががさがさと音を鳴らす。いくつか摘んで口に放り込む。にちゃり、と奥歯にくっつくのは難点だけれも、甘くて美味しい。奪われた口の中の水分はセットで買ったオレンジジュースで潤し、再びポップコーンを食べる。あー美味しい。最高。

「一人で食べきれる量じゃない」

 クラピカは呆れた顔をしてコーヒーの入ったカップを傾けた。

「だって二人で食べる気だもん」
「は?」
「はい、クラピカも食べてね」

 私は前置きしたはずだ。映画といえばポップコーンは欠かせない、と。食べないという選択肢はないのだ!
 納得がいかないという表情でクラピカは私を見ていたけれど、その口に無理やりポップコーンを詰めようとすると諦めがついたようだ。
 私の指がクラピカの口に届くより先に、彼の隣に座ったカップルが「あーん」と仲睦まじくポップコーンを食べさせ合う姿が目に入った。客観的に見ると今の自分たちの状況も同じなのでは。そう考えた途端、恥ずかしくなった。でも、今更引っ込めるのもなんだかお隣を意識していると言っているみたいで引くに引けない。どうしよう。

「……いい。自分で食べられる」

 私の葛藤を読みとったのか、クラピカは私の手からポップコーンをとって、一粒口に入れた。「あ、そう?」全然何も気にしてませんよ、という顔してみたけれど、あのカップルみたいにならなくてよかったと内心ほっとした。
 クラピカは咀嚼すると、「甘い」とポツリと漏らす。

「歯に挟まりやすく、音もうるさい。映画を見るときに適した食べ物とは思えないな」
「それいま言う?」
「それによく溢れる。名前、さっきから何度も落としているぞ」
「え」

 クラピカが座席から身を乗り出す。彼の指の行方を追うと、その指は私のお腹辺りにくっついていたポップコーンの欠片を掴んでいた。ほら、と掴んだそれを見せようとクラピカが私の方を向く。少し身をかがめていたこともあって、かち合う視線が近い。というかクラピカが肘掛けを乗り越えているせいで身体が近い。近すぎる。

「えっあっ、ありがとう!これに包んどいて!」

 自分でもわからないほど焦って、すごい速さでティッシュを差し出した。なぜ私はこんなに慌てなきゃいけないのだろう。クラピカもクラピカでさっと離れて、「いや、その……すまない」とか言ってそっぽを向きながらティッシュを受け取る。なんで謝ってるのか意味がわからない。二人揃って謎だ。
 さっきから変な空気で嫌だ。その空気をかき消すためにわざと音を立ててポップコーンを食べる。今度は落とさないように慎重に摘んで。
 ちら、と横目でクラピカを見ると向こうも私を見ていた。気まずいけれど、目を逸らすのはもっと気まずい気がする。きっと向こうもそう思っているのか、お互いに見つめ合う。無言の攻防の末、私は動いた。

「……食べる?」
「……いただこう」
「……ちなみに、このキャラメルたっぷりコーティングされてるやつがおすすめ」

 私に言われるがままクラピカは全身が茶色に染まった粒を食べて、「私には甘すぎる」と少し眉を下げて笑った。

「それが美味しいのに! ま、いいや。白いやつは食べてね、一人でこんだけ食べれないし」
「最初から私はいらないと言ったはずだが」
「それを言うなら私だって映画にはポップコーンが付き物だから一緒に食べようねって言ったし、クラピカもうんって言った……気がする」
「言ってない」
「言った!多分言った!」

 なんとなくさっきの気まずい空気が流れていったのを感じた。しょうもない言い合いをしているのにホッとした。私達を纏う空気はこっちがいい。
 そうこうしている間にブザーが鳴る。上映時間らしい。段々暗くなるシアタールーム。騒がしかった周囲の声もぐっと小さくなる。スクリーンがぱっと明るくなり予告を流し始め、「もう始まるかな」と声を落として話しかけると、クラピカは自分の唇に人差し指をあてた。静かにしろと言うことらしい。

 恋愛映画は普段好んで観ようと思わないけれど、話題の映画ということで少し期待はしていた。けれど、今のところそこまで面白くないなあという感想しか出てこない。愛くるしいヒロインがちょっと鼻につくイケメンと出会って恋に落ちる。王道ラブストーリーだ。嫌いなわけでもないけれど、そそるわけでもない。好きだなんだのが、私は正直よくわからない。だって私の今までの恋は友人に言わせれば"ただの憧れ"どまりなのだ。確かに、映画のヒロインのようにその人の言動に翻弄されたり、ときめいたり、胸が苦しくなったり、なんて気持ちを抱いたことはない。
 つまらなくはないんだけれど、集中できるほどではないかな。口寂しくて、クラピカが文句を言っていたガサガサ音をなるべく立てないようにそうっとポップコーンを摘んでは、食べ。食べては摘んで。たまに全身がキャラメル塗れになった当たりを引いて、堪能したり。隣ではクラピカも同じ感想を抱いているのか、それとも私のポリシーを律儀に守っているのか、時々ポップコーンに手を伸ばしていた。

ーー私があなたを幸せにしたいのです
 
 ふーん。へえ、そう。お幸せに。そうしてまたポップコーンへと手を伸ばす。ふいに、もさもさした軽い感触を掴む手の上に別の手が重なった。少しカサついて、じんわりと温かい。「え」「あ」今まで静かに見ていたクラピカの声が漏れたと思っている間にその手はすぐに離れていった。どうやら食べるタイミングが合ってしまったようだ。すぐに離れたはずなのに触れた場所がまだ温もりをもっている気がしてどうにもこうにも落ち着かず、むずむずする。軽くかいてみたらかいた方の指先までかゆくなった。
 ごめん、と謝ろうとしたけれど、口をつぐむ。こんな些細なことで謝るのは変だ。横目でクラピカを見たけれど、彼は握りこぶしを膝においてただ真っすぐ映画を見ていた。私の方を見る気なんてさらさらないみたいで、謝らなくて正解だと思った。ただ手が当たっただけだ。何も気にすることじゃない。
 クラピカがあんまりにも真剣に画面を見ているのでそんなに面白いシーンなのか、と私も視線を移す。まさかのキスシーンだった。

「うわっ」

 予想外の場面につい漏れ出た声が結構な大きさで、後ろの人に席を蹴られた。両隣のカップルも一瞬こちらを睨む。これってもしかしてクライマックスで最高に良いシーンだったのかも。申し訳なくてごめんなさい、と声に出さずに頭を下げて精一杯謝っているアピールをして身体を小さくする。クラピカはなんとも言えない表情をして私を見て、最後はため息をついた。でも、少し笑ってもいた。仕方ないやつ、とでも言うみたいに優しく。
 暗いところで見たからなのか、その姿がいつもとちょっぴり違って見えて胃のあたりがきゅっとなる。どぎまぎして、足の先からざわめきが登ってくるような変な感じ。その妙な感覚はエンドロールが流れるまで続いた。


2020.4.28

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