こんなにも寒い日々だというのに、ここの花たちは我も我もと咲き競っている。その中で、何も植えられていない一角があった。土の色も周りと違い濃い茶色をしていて、手をつくとひんやりと湿った感触が肌に吸い付く。
 直感的にここだ、と思った。掃除用具を入れたカートから、忍ばせておいたスコップを取り出す。ただ無心になって掘り進めた。
 昨日の今日だからか、それともこの辺りの土が柔らかいからか。土山が私の腰あたりまで積み上がったころ、"それ"にぶつかった。

「……やっぱり」

 空いた穴から覗いて見えたトゲトゲの首輪は、さっき見た番犬が着けていたのと同じものだ。よく見ようとマスクをとった。この寒さのおかげでまだ腐敗しておらず、臭くない。きっと凍っているからだ。ぽっかりと空いた眼窩が痛々しい。思わず目を背けた。
 これ以上確認する必要はなかった。元に戻すべく、今度は土山を崩して穴を修復していく。
 覚悟をしていた分、怖くはなかった。むしろ死んだばかりの犬の死体で良かった、とさえ思う。掘る場所を間違えれば、死んで何十日と経った人の形をしていない"何か"を掘り当てることになったのだから。そんな気味が悪い想像を振り払って、手を動かす。
 願わくば、苦しまずに死んだと思いたい。

 穴を埋めれば、いつもの花畑に元どおりだ。冷たい風に晒されて、花たちがその身を揺らした。いくつもの花弁がチラチラと飛んでいく光景に、こんな場所でなければ素直に綺麗だと喜べたと思う。しかし、私の足下にはいくつもの死体が埋まっている。途端にやるせなくなった。
 こんなに寒いのに咲き乱れる花たちは、何を訴えているのだろう。

 後ろからはじゃりじゃりとこちらに歩み寄る誰かの足音が聞こえてきていた。揺れるビニール袋の音に、ハッと息を飲む音も。
 私はそれが誰だか、振り向かずともわかっていた。

「ねえ、もう全部やめにしようよ」

 番犬の次は、きっと人間だ。
 クラピカのこんな姿を見る羽目になりたくない。なんとしてでも目を見つけてここから逃げなければ。
 その為にも、市長側の人間の力が必要だーー振り向いた先にいる、先輩の力が。

「……あんたなんかに、何がわかるってのよ」

 今朝の威勢はない。
 先輩の声からは、失望の色が滲み出ている。

「このままじゃ良くないことくらいわかるよ」

 出来るだけ優しく語りかけた。
 先輩は孤児で、これだけ大きくなった今もここから逃げることも出来ず、市長の言うことを聞くしかなかった。
 可哀想な人なのだ。そう思うと同時に、軽蔑もしていた。
 逃げるタイミングなんて幾らでもあったのに、ここでの暮らしを手放そうとせず人殺しに加担している。次に誰が殺されるかわかっていながら、助けてあげない酷い人、と。
 可哀想な彼女に寄り添ってその背を撫でてやろう、そしてそんな私に絆されてくれたらいいとさえ思った。
 しかし、先輩はそんな私の浅はかな考えはお見通しのようだ。

「のうのうと生きてきたあんたになにがわかる?
 親がいて、金があって!住む場所もあって、学ぶこともできて!どれだけ恵まれているか!
 あんたなんかに!なにが!」

 同情なんて無意味だ。
 違う環境に生まれ、今もなお立場の違う私が寄り添ったって先輩の心に響くはずがない。
 ましてや、快く思っていない裏の心がある私では。

「いたっ」

 先輩は持っていたビニール袋を私に投げつけた。急なことに反応できず、袋は肩に命中した。痛みに霞んだ目の端に映るのは、袋が吐き出した中身。

 打算がないわけじゃなかった。先輩を絆せれば、目の在り処がわかるかもしれない。クラピカの手助けができるかもしれない、と。

 でも、"それ"を見てしまった今、私の中では彼女に対する気持ちが大きく変化した。
 先輩は自分のために他の子達を見殺しにしている。それに対して心を痛めていない。そうやって私は一方的に決めつけていたのだ。
 でも、違う。彼女は苦しんでいる。"それ"がその証拠じゃないか。

 先輩を助けてあげたい。苦しみしか生まないこの屋敷から、連れ出してあげたい。
 企みなんてない、素直な気持ちでそう思えた。
 そのためには、本気でぶつかるべきだ。

「そんなの……そんなのわかるわけないじゃん!だって、私とは全然違うもん。
 私には、家族がいて、学校にも通えて、それなりに裕福で、先輩よりずっと幸せに生きてきたよ!」
「なによ!あたしを馬鹿にしてるの!」

 先輩のキンキンと高くなった声につられるように私の声もひときわ高くなる。

「違う……そうじゃない!私は、先輩の言うように恵まれてると思う。でも、だからって私と比べるのは違うでしょ!
 先輩がこんな生活を続ける理由になってない!」
「だったらどうすればいいのよ!
 あたしだって馬鹿じゃないわ!孤児のあたしがここを抜け出せたって、裸になって男に媚び売らなきゃ生きていけないことくらい知ってるわよ!そのうち病気をもらって死ぬでしょうね!
 なら、今の生活の方が百倍マシだわ!」

 今の生活の方がマシだって?思わず、かちん、ときた。
 声の大きさで勝ち負けが決まるわけでもないのに、お互いに叫ぶように声量が上がっていく。

「死体を埋める生活がマシだって言うの!」
「ええそうよ!自分が死体になるよりマシよ!」
「信じられない!最低!」
「うるさい!」
「人でなし!」
「なんですって!」

 いつのまにかお互いの荒い鼻息すら聞こえるほど近くにきていた。次の一言があれば、どちらかが飛びかかってもおかしくないほどヒートアップした言い争い。それに待ったをかけたのは、さっき彼女が勢いに任せて放り投げた袋の中身ーー花の苗だった。
 そうだ、私はさっきとっくに気付いていたのに。喧嘩なんかしたいわけじゃない。
 平常を取り戻そうと深く息を吸った。話すことも行動することも、なんでも考えなしに飛び込むのは、私の悪い癖だ。

 しゃがみ込み、ポットから溢れた苗を拾った。先輩は何も言わずにこちらを見ていたが、私が犬の埋まっている場所を手で掘り、そのまま苗を植えようとすれば、「貸しなさい」と奪っていった。
 先輩は手慣れた動作で根をほぐし、私が掘った穴に苗を植えた。その様子をじっと見ていた私に気づくと、先輩はばつが悪そうに目を逸らした。

「……先輩、さっきはごめん。言いすぎた」

 先輩の真似をしながら苗をほぐして、謝罪の言葉の後にちらりと彼女を見た。先輩はあえて私の方を見ようとせず、ただ黙々と土を掘る。

「……この花畑、世話をしているの先輩なんでしょう」

 先輩はなにも答えないから、私のひとりごとみたいだ。一人でブツブツと話すのもおかしい気がして、お互いに無言で苗の植え替え作業を行った。
 爪の先が真っ黒になったころ、先輩はポツリと零した。

「仕方ないじゃない。あたし以外、弔ってあげる人はいないもの」

 先輩の消え入りそうな声に、言い知れぬ思いがグッと喉を迫り上がる。
 殺された子たちは行方不明の女の子を除けば、みんな孤児だ。親はおらず、この屋敷でしか存在しなかった子たち。消えたって誰も探さない。最初からいなかったようなものだから。
 きっとその存在を今も覚えているのは、先輩だけ。
 先輩を通して花たちは訴えているのだ。ここにいる、と。

「……もう、放っておいて」

 ここまで巻き込んだ張本人のくせに、なんて嫌味は今日のところは封印しよう。
 それに、放っておくなんて出来ない。
 私はさっき、先輩を助けると決めたのだ。

「一緒に逃げようよ」

 私の言葉に先輩はパッと顔を上げた。信じられないものを見ているかのようにひとつふたつと瞳を瞬かせたが、すぐに首を横に振る。そんなの無理だわ、と爪先に視線を落とす。「もうこんなに汚れちゃったもの」

「こんなの、洗えば落ちる」

 石鹸で泡立たせて丁寧に洗えば、すぐに綺麗になる。それでも汚れているのなら、爪を短く切ってしまえばいい。
 立ち上がり両手をはたけば、掌にへばりついた土はパラパラと落ちていった。「そういうことじゃなくて」物分かりが悪いとでも言うように、先輩は呆れ顔でため息をつく。
 私はそんな彼女に手を伸ばした。

「先輩の罪だって償えばいいってことだよ」

 私にできることは、怖かったね、頑張ったね、なんて同情して寄り添うことじゃない。酷いやつ、人でなし、と詰って突き放すことでもない。
 こっち側に引っ張り上げて、新しい生き方を示すことだ。

「……でも」
「でももだってもない!はい、手をとって」

 躊躇うように伸びてくる手が私の掌に届く前に、私は一歩踏み出して彼女の手を掴んだ。
 ヒビ割れや硬いマメが沢山出来た、掃除婦の手。きっと私の考えなしの行動が無ければ、出会わなかった人。
 たまには私の悪い癖だって、長所になり得るのだ。

「外の世界で生きよう」

 何も言わなかった先輩は、ようやくこもった声で頷くと、しばらく顔を上げなかった。


2018.3.16

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