クラピカと別れ、部屋に帰ったころには夜中の二時を回っていた。
 固い床板の上に敷いたペラペラの布団の中にそうっと潜り込む。目を瞑ってあと数時間で始まる仕事に備えようとしても、私の頭は勝手にクラピカから聞かされた話を持ち出してくる。それを整理すればするほど、眠気がどこか遠くに飛んでいく。
 なんとか眠ろうと、なるべく音を立てないように寝返りをうてば、すぐそばで私に背を向けて眠る先輩が目に入った。

 行方不明の女の子は死んだ。市長の手によって。
 その子を埋めたのが、先輩。

 先輩とは、わずか数日しか共に過ごしていない。仕事に厳しく、当たりの強い女の子。
 行方不明の女の子のことは知らないと、そう言ったのに。
 雑巾を絞る、箒を握る、あの荒れた手で、目を取られて亡くなった子たちを埋めているのか。あの花畑の下に。そして何食わぬ顔をして私といる。同じように日々を過ごし、今この部屋で寝ている。

 彼女が望んでそんなことをしているわけではないとわかっている。それでも、素足を伝って何かが這ってくるような、そんな薄気味悪い悪寒を感じた。頭まで布団を被り、冷えた両足を擦り合わせても、温かくなんてなりゃしない。
 結局その日は一睡も出来なかった。


 眠れずに迎えた朝から、私は寝不足など吹き飛ばす勢いで部屋の中をくまなくチェックするようになった。先輩には、「余計なことをしない!」と怒られたが、掃除をするふりをしてタンスを開け、引き出しを開け、クローゼットを開け、と様々なところを開けた。携帯の充電器は拝借できたけれど、肝心のものは何一つ出てこなかった。
 最初から人目につくところにあるとは思っていなかったので、特に落胆はしなかった。なんたって人の目玉だ、タンスやクローゼットに置いておくわけがない。
 そんな呑気ともいえる考えも、日数が経つにつれ雲行きは怪しくなる。

 結局、五日ぶりに会ったクラピカに私は良い報告をすることができなかった。

「本当にどの部屋にもないの」

 私が掃除婦として掃除できる部屋はこの屋敷の全てだ。それは、市長の部屋も含まれる。もちろん、その部屋も見回ったが、書類や骨董品などが置いてあるばかりで、それらしきものがなかったのだ。
 私が見つけてやるだなんて、大見得切ったくせに。
 情けないやら申し訳ないやらな気持ちでいっぱいで、うなだれる。

「私もこうして抜けれるときに見回っているが、置いていそうなところは見つからなかった」

 どうやら、クラピカも同じらしい。ここまで何もないならば、「市長が眼球収集を趣味とする猟奇的な殺人鬼である」という前提が間違っていたのではないか、という疑問が私の中で浮かび上がっていた。本当にただの人なのでは、と。
 しかし、クラピカが続けた言葉はそれを否定する。

「ただ、奴の"趣味"は本当のようだ」

 クラピカは、普段市長の付き人として様々な仕事に付き添っているらしく、日中は外に出ていることが多い。屋敷の中にいる間は、常に近くに市長がいて、与えられた部屋から抜け出すことも難しいらしい。
 五日前と今日、こうして会うことが出来たのは、市長が一人で出掛けているからだ。それでもいつ戻ってくるかわからないため、クラピカは常に時計を気にしている。

「本当って……」

 "趣味"の中身は分かっている。それが本当だとわかった、とはどういうことかなのか。

「今日は警察署長との会合だったのだが……私を見てつい口を滑らせたよ、"もったいない"と」
「どういうこと?」
「殺すには惜しいと、そういう意味合いだろう」

 その言葉が"彼女"の有能さに掛かっているのか、その美貌に掛かっているのかは定かではないが、"彼女"であるクラピカは心底嫌そうにしていた。

 殺すには惜しいーーそうだ、この屋敷にいる時間は無限にあるわけじゃない。早く"市長のお宝"を見つけて交渉するなりなんなりしないと、クラピカが殺されてしまう。かつての彼女たちのように。
 そんなこと、絶対にあってはならない。

「私、絶対見つけるから……!だから、クラピカももうちょっとだけ頑張って!」

 見つからないなんて言ってられない。
 私より少し大きくなった手を力の限り握った。クラピカは一瞬たじろいで、それから不敵に笑う。

「言われなくてもそのつもりだ」

 どんなところを探すべきか意見を出し合って、それも尽きたころ私たちは部屋を後にした。互いに背を向けて歩き出し、私はマスクを付けた。
 俯き加減で歩く廊下には、照明によって作り出された影がこっちこっちと急かすように先導する。だけれども、たった二つしか離れていないのに何を急ぐことがある、と私は普段の速度で歩いた。
 案の定、すぐに着いた部屋の前で、音を立てないように慎重にドアノブを回す。わずかに開いた隙間に体を滑り込ませ、真っ暗闇の部屋に一線を作る廊下の光が入らないようにすぐに閉めた。
 ドアに背を任せ、マスクをとって小さく息を吐く。気が緩みそうになったが、もう一息、と深呼吸。抜き足差し足忍び足で布団まで進もうとしたとき、なぜか後ろから光が射した。それが意味するのは。

 あ、と思った時にはもう遅い。

「……あんた、何やってんの」

 振り向く前にかけられた声に、心臓が止まったかと思った。ギギギ、と油の差されていないブリキのオモチャのように硬くなった首を後ろへ向ける。

「せ、先輩こそ」

 眩しい廊下の光を背に、部屋で寝ているはずの先輩が立っていた。手には大きなシャベルを持って、汚れたエプロンを着て。

「あたしは……野暮用よ。あんたと違って忙しいの」
「……じゃあ、私もそんなもんかな」
「嘘おっしゃい。さっき、市長の付き人と一緒にあっちの部屋から出てきたでしょう」

 まさか、見られていたとは。
 何か言い訳しないと、と思うけれど、うまい言い訳が何も思い浮かばずゴクリと唾を飲むだけだった。
 この場をどうしようか考えあぐねる私を先輩はしらっとした目で見つめて、「とりあえずシャワー浴びてくるわ」とシャベルを掃除用具の辺りに置いてシャワー室に向かった。
 この間に言い訳を考えるしかない。ああでもないこうでもないと色々考えるが、こんな急な事態で考える言い訳なんて、どれも嘘と見破られそうな話ばかりだった。
 もうダメだ、と布団に寝転んでしまえば、このまま寝てしまいたい衝動に駆られる。でもこんな状況で眠れるわけがない。
 目を瞑ると、シャワーの音がよく響いた。ジャージャーと流れる水の音につられるように、私の思考も流される。
 先輩は、野暮用だと言っていた。シャベルを持っていた。エプロンだって汚れていた。
 どうして?
 何をしてきた?
 なんの汚れを落としている?
 全てを知った今、答えは一つしか思い浮かばない。

「それじゃあ、聞かせてもらおうじゃないの」

 いつのまにか綺麗な身なりになった先輩は、私の前に立っていた。私を見下ろすその目は冷たい。私は起き上がって、足を組んで、体を守るように腕を回した。私はつま先を見る。靴下の中で、足の指をグーパーした。

「その……たまたま仲良くなって!あっちも新人みたいだから、心細かったみたいで相談を受けてたんだ。
 私と同じくらいに入ったらしいから、後輩……ほら、私が身代わりしている人のことも知らないみたいだし……?」

 我ながらなかなか良くできた言い訳だと思う。けれど、嘘をつくことが上手とは言えず、しどろもどろになってしまった。
 先輩は話を聞いていたのかいないのかわからないようなニュアンスで、「あっそ」と言うだけだった。

「怒った……?」

 ちら、と顔を上げて先輩の顔色をうかがう。先輩は、ふん、と鼻を鳴らしたかと思えば、乱雑な動きで片膝を立てて私の前に座った。

「怒るに決まってるじゃない!どっからあんたがニセモノだってバレるかわからないんだから!
 しかもあいつは市長の付き人、側近よ!」

 ビシ、と眉間に指をさされた。
 先輩の立場からしたら、ごもっともな話だ。私からすれば、あれはクラピカなのだから私がニセモノだろうがなんだろうが関係ないのだけれど。

「まあまあ、落ち着いて……ほら、結果的にはバレなかったわけだし!」
「運が良かっただけでしょ!二度はないと思って。もう会わないで」
「え?で、でもさーせっかく仲良くなったし……相談も受けてるし……これからもちょくちょく会ったりしたいなーって思ってて……」

 先輩にバレてしまった今、私はあわよくばこの嘘を突き通して、今後二人で会うところを見られても問題ないようにしたかったのに。何度も食い下がるが、先輩はダメの一点張りだった。

「ねえ、どうしてもダメ?」
「絶対ダメよ!」

 先輩はそう言って、自分の布団で横になってしまった。仕方ない。次はもう少し慎重に会おう、と決めて、私も寝転がる。
 暗闇に慣れた目で、天井を見上げていると、先輩がポツリと零した。

「どうせ仲良くしたって、近いうちに消えるんだから」

 その言葉を私は聞き逃さなかった。

「……とっとと寝なさい。明日も早いんだから」

 どういう意味、と聞き返す前に先輩は間髪入れずに会話を切った。タイミングを逃した私もとりあえず布団に包まる。

 先輩は市長の悪行を知っている。"近いうちに消える"というのは、多分そのままの意味だ。
 クラピカが私の前任である"後輩"から聞いた話では、最初に埋めたのは小さな動物。それが徐々に大きくなって、最後は行方不明の女の子を埋めた。
 五日前と今日、クラピカは市長が居なかったから抜けてこれた、と言っていた。でも、それは偶然ではないのでは?
 先輩は今日、何を埋めたのだろう。その大きさは?
 私たちが考えているよりも、その日は近いのかもしれない。

 ばくばくと音を立てるように血が巡る。とてもじゃないが眠れる気がしなかった。
 クラピカに伝えようか、とポケットに入ったままだった携帯に手をやるが、やめた。具体的な話じゃないし、何より不安を煽ったところで今のクラピカに逃げ道はない。
 自由に動ける私がなんとかしなければ。
 そのために、何をすればいいのだろう。
 朝日が昇るまで、私に背を向けた先輩の布団が上下するのをじっと見ていた。


 翌朝、いつも通りに起床した先輩は、固いパンをそのまま頬張ると私に告げた。「あたし、今日は買い物に出なきゃいけないの」と。
 使用人は基本的に外出を許可されていない、とここに来てすぐの頃教えてもらったのを思い出し、私はパンをミルクに浸しながら首をかしげる。

「あたしは特別なの」

 先輩は鼻を鳴らす。私はふうん、とあいづちをうった。
 思い返せば、先輩と出会ったのは門の外だった。他の使用人と比べて優遇されているのは本当のようだ。きっと、市長の悪行の隠蔽を手伝っているから、ということなのだろう。

「特別?これで?」
 
 "特別"のわりには、こんな生活を強いられるくらいなら。外に出られるのなら。いっそ逃げてしまえば良いのに。後輩が逃げたとき、続けて自分も逃げれば良かったのに。
 私の言葉には、意図せずそんな気持ちが込められていたのかもしれない。
 先輩は、かっと眉を釣り上げて私に食ってかかった。

「あんたなんかにわかんないでしょうね!あたしは……あたしは、ここの誰より自由なんだから!」

 "自由"を口にしたくせに、ちっともそんな顔をしていない。
 "ここの誰より"、なんて比較は無意味だ。自由のない中にある自由なんて、微々たる差しかないのだから。
 私はなにも言わなかったけれど、そんな気持ちが私の視線から溢れていたのだろう。

「恵まれたあんたなんかにはわかんないわ!」

 そう言い捨てて、先輩は扉を乱暴に閉めて出て行った。
 

 部屋に一人残され、私は今日一日をどう過ごすか考えた。留守番を任された私に言付けられたのは、「誰とも喋らず、仕事だけこなしなさい」ということ。
 でも、今この瞬間にも、クラピカの身に危険が迫っているのだとしたら、悠長に掃除をしている暇なんてない。もうなりふり構ってられなかった。

 ようやく覚えて来た道筋を頼りに、花畑を目指したが、どこを間違ったのか私は入り口まで来てしまっていた。カモフラージュとして持ってきた掃除用具をカートに入れて引きずった私を、門番が訝しげに見つめてくるので、軽く会釈をした。
 彼とは違い、トゲトゲした首輪をはめられた賢い二匹の番犬は当初のようにキャンキャンと吠えることをせずに、道路の方を向いてお役目を果たしている。
 もう一度道を引き返して、花畑へ向かおうとして、ハッとなった。私はとんでもないことに気付いてしまったのだ。

「あの……門番さん」

 とうとう、話しかけてしまった。なるべく目を合わせないように、バレませんように、とマスクを引き上げる。

「掃除婦がなんの用だ」

 しかし、そんなのは杞憂だった。この門番にとって、掃除婦はあくまで掃除婦で、個々の存在なんてあってないようなものなのだ。同じ人に雇われているのだから、職に上も下もないだろうに、彼は門越しに冷ややかな悪意を滲ませて私を見下ろす。
 私はどう言おうか迷って、それから彼の傍らで行儀よくお座りをしている二匹の犬を指差した。

「もう一匹、どこに行ったんですか」

 一匹、足りない。
 初めてここに来たとき、私に向かって吠えた番犬は、三匹いたのだから。


2018.01.29

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