屋敷が最低限の灯りで営む真夜中。私は先輩の就寝を確認した後、こっそり部屋を抜け出した。念のためマスクを装着して、なるべく気配を消して壁伝いに歩く。
 あの衝撃的な再会の後、一通りの仕事を終えて部屋に戻った私は、いの一番に携帯をチェックした。その期待通り、メッセージは送られてきていた。
 待ち合わせ場所は、今日出会った廊下ーーではなく、私と先輩の部屋の二つ右隣の空き部屋。当初別の場所を指定されたが、『屋敷の地図、覚えていない』と泣き笑いの絵文字を付けて嘆いた私に対する配慮らしい。

 部屋の前に来てノックをするか迷ったが、ここで音がして先輩や他の者たちに気付かれてはいけないと思い、何もせずに出来るだけそうっと扉を開けた。
 部屋の中は何ひとつ灯されていない。
 慎重に扉を閉め、辺りを見渡す。暗闇に未だ慣れない視界。幽霊に足を掬われたらどうしようと怖くなり、マスクを下げて、「来たよ」と少し大きな声を出した。

「静かに」

 暗闇の中、私の前まで来ていたのか、その声はすぐそばで聞こえた。ひいっと声が漏れそうになった口を私ではない手が押さえ、恐怖で心臓が跳ねた。相手はわかっている。
 驚かすつもりがないのならば妙な演出はしないで欲しい、と思ってしまうのは私だけか。

 カーテンをしっかりと閉め、ランプを灯し、私は部屋の隅に膝を立てて両腕で抱えた。目の前の彼女は、スカートだというのに気にもとめずあぐらをかいて座った。
 ぼうっと浮き出されるのは、腕組みをしてこちらを睨みつける美しいブロンドを結わえた少女ーー本当は少年だ。彼女の正体は、私の友達、クラピカなのだから。

「名前、どうしてここにいるんだ」

 早速本題に入ったクラピカの囁きながらも怒気が含まれた言葉に、「深い事情がありまして……」と歯切れ悪く答えた。事情、と繰り返すクラピカの視線は"キチンと説明しろ"と言わんばかりに痛くて、そうっと目を逸らす。
 本当は、私の方が聞きたいくらいなのだ。どうして女装しているの、と。
 そんなこと言えた空気じゃないので、私は自身のつま先を見ながら、ポツリポツリとこの屋敷に住んでいる現状を話し始めた。

「まあ、そんなわけでして……」

 話の途中、時折顔を上げてクラピカの様子を見てみれば、彼の眉間のシワは話が進むにつれ目立ち始め、話し終えた頃には目頭を押さえて深くため息をつく始末だった。

「つまり、名前は後輩とやらの身代わりなわけか」
「そうそう、その通り!さっすがクラピカ!物分かりがいいね!」

 パッと顔を上げれば、未だ目頭を押さえているクラピカに、「声が大きい」と注意された。

「あ、ごめん」

 謝りはしたが、私は意識しなければ声を潜めるのを忘れてしまいそうなくらいテンションが上がってきていた。クラピカとも再会でき、この理不尽な状況に巻き込まれた経緯をわかってもらえて嬉しかったのだ。ちょっとした冒険気分だったとも言える。
 しかし、そんな能天気な私とは違い、ランプの灯りに浮かんだクラピカの表情は厳しいものだった。

「今すぐここを出てくれ」

 一瞬、シンとなった空気を壊すように、私の疑問はすぐに言葉として飛び出した。

「え?なんで?」
「わからないのか?足手まといだと言っているんだ」

 そう言ったクラピカの声は、突き放すように冷えたトーンだ。
 その物言いにカチンときたが、ここに来る前に喧嘩したことを思い出す。この言い方は、突き放す"ような"じゃなくて、突き放す"ため"のものなのだ。
 ならば、私が選ぶ答えはムキになって言い返すことじゃない。

「なんで?むしろ好都合じゃん」
「何がだ?」
「だってクラピカ、まだ手に入れてないんでしょう」

 緋の眼、と目的の物を挙げると、クラピカは一瞬たじろいだ。ビンゴだ。

 先輩の話では、クラピカは私がこの屋敷にくる一週間ほど前から付き人として現れたらしい。GPSの記録でもその辺りから屋敷に矢印が出るようになったので、その証言に間違いはないはずだ。
 それだけの期間、付き人として市長の側にいるのに、クラピカは未だに少女の姿のままこの屋敷に留まっている。つまりそれは、交渉が上手くいっていないということ。

「市長と話したの?断られた?」
「……答える筋合いはない」
「あっそう。じゃあ私の考えなんだけど……市長と直接交渉って無理だなって思ったんじゃない?」

 屋敷は広い。掃除をしていて思うのは、これは一体幾らなんだろう、と思ってしまう装飾品の数々だ。使用人もそれなりにいる。私たちの食事は萎びた物だが、たまにすれ違う市長へ運ばれる食事はレストランのフルコースのようなものだった。
 私から言わせれば、ズバリ金持ちの生活なのだ。そんな金持ちが、自分の宝物を金と交換で取引するとは思えない。ましてや、クラピカが持っている程度の金など、市長にとっては端金だろう。

「どう?当たってるでしょ」

 やけに冴える私は、にっと歯を見せて笑ってみせた。一段と眉根を寄せたその表情から察するに、その推理はドンピシャだったようだ。
 しばらく、私たちは見つめあった。色気のあるものじゃない、攻防戦だ。沈黙だけが制するなか、今回の勝負に負けたのはクラピカだった。額に手を当てて、軽くため息をつく。

「悔しいが、名前の推測通りだ。
 奴と取引をしようにも、求められるものは金ではないだろう。だからといって、奴の求めるものを用意する気もない」

 市長の求めるものーーここでの意味は眼球、に当たるのだろう。
 それが他者のものなのか金髪を結い上げたこの美しい付き人のものなのかは定かではないが、どちらにせよ普通の神経をしているものからすると寒気のする話だ。そして、クラピカはそのどちらも、差し出すつもりはないという。そりゃそうだ。

「そもそも本当に持ってるの?」
「いや、それも確認出来ていない」
「どこかに隠してるのかな?」
「だろうな」

 私の質問に、まるで検討もつかない、とクラピカは半ば諦めたようにゆるく首を振る。

「私は日中、奴の仕事に付きっきりで怪しい動きはできない。敵の懐に忍び込んだはいいものの、逆に行動範囲を狭めてしまった」

 本末転倒だ、とばかりにため息をつき、クラピカは揺れるランプの炎を見つめていた。炎に照らされたその表情は、憂を秘めている。
 策士策に溺れる、とはこういうことを言うのだろうか。女装までして忍び込んだ先で手詰まりとは、可哀想に。なんて、どこか余裕を持って同情できるのは、私にとっておきの閃きがあるからに他ならない。

「ふっふっふっ」
「なにがおかしい?」
「私が最初に言ったこと、思い出してみてよ」
「名前が最初に言ったこと……?」

 クラピカは、小さな声で私の言葉を復唱した後、ハッとしたように私を見た。

「まさか、好都合というのは……!」
「そのまさか!」

 私、掃除婦よ?掃除を名目にどこでも忍び込み放題じゃない!

 にたりと笑った私に、他に打つ手のないクラピカ。
 彼は散々悩んだ挙句、うな垂れるように頷いた。今回も私の考えなしの行動に折れるはめになったのだ。
 クソ、と少女の格好をして膝を叩く姿は、なんだか滑稽だ。
 そして、私はついに一番最初に聞きたかった質問を投げた。

「ところで、なんで女装なの」

 クラピカは自身のスカートを少し摘むと、苦々しげに、「仕方ないだろう」と言って続ける。

「奴のターゲットは若い女だからな」
「なんか……似合うよね」
「……あまり見るな」
「写真撮っていい?」

 その言葉と同時に携帯を構えると、クラピカは素早くそれを私の手から抜き取った。私は残念、と手持ち無沙汰になった手を遊ばせる。次からはこっそり撮ろうと思う。
 クラピカは、私の携帯の電源を落としながら、「そもそも、名前に携帯を貰ったのが仇となった」とGPSで辿られたことを言っているのだろう、悔しそうな呆れたような、そんなニュアンスで今日一番の深いため息を吐いて私に携帯返した。

 しかし、私はそれに異論を唱えたいと思う。

「それを言うなら友達になったことじゃない?」

 携帯なんてなくても、きっと探し当てただろうから。
 クラピカは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、それから次第に表情を緩めると、「それもそうだな」と力なく笑った。

 それから私たちは作戦を練った。といっても私が掃除をしながら市長のお宝を置いた部屋を探すという策もクソもない話だけれど。めぼしい場所は思い浮かばないので、虱潰しに探すしかなさそうだ。なにぶん、お互いに持っている情報が少ない。

「そろそろ出よう。名前の同室に怪しまれては困る」

 しかし、クラピカからはいくつか重大な情報を告げられた。
 一つは、行方不明の女の子について。彼女は残念ながら、もうこの世にいない、と。クラピカは私の知らぬ間に彼女の家族と接触したらしく、その子の目を取り戻すことも今回の目的の一つとなったそうだ。
 もう一つは、先輩について。彼女は、市長の趣味の残骸を処分する仕事についているらしい。いわば市長の手下、死体処理班。信じられないことに、あの花畑の下に死体が埋まっているそうだ。勿論、行方不明の女の子も。

 冒険気分はもうおしまいだ。私たちは、殺人鬼のアジトに忍び込んでいるのだから。

「うん」

 クラピカがランプの灯りを消せば、部屋はたちまち真っ暗闇となった。「何にも見えない」と私が手を伸ばすと、その手をクラピカが攫った。しっとりとした、少しかたい掌が私の手を包む。私の手とは違う。
 暗闇の中、手を引かれ、扉に向かってゆっくりと歩き出した。

 クラピカは、殺されてしまった女の子の家族の家に私に似た後輩が逃げ込んでいてそこから事情を聞いたそうだ。先輩に対しても、「奴に脅されているのだろう」と言っていた。「だからといって、油断するな」とも。

 携帯のライトをつければ良かったなと今更ながら気付いた。しかし、電源を入れるのは面倒だ。それに、少し怖い。誰にでもなく一人心の内でそんな言い訳をして、暗闇に目が慣れても手を離さなかった。

「無茶はしないでくれ」
「そっちこそ」

 互いの無事を祈って扉を開けた。
 どちらともなく手を離し、長く続く廊下を別々の方向へと歩き出す。振り返りはしなかった。
 私は顎に引っ掛けたマスクを上げる。
 ここからは、市長の付き人と、ただの掃除婦。二人の間に何もないのだから。


2018.01.05

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