風呂上がりに部屋で寛いでいると、窓を叩くキルアを発見した。片手にはスケボー、背中にはリュック。
 ここは三階なのだが、壁をよじ登って来たのだろう。そこに驚く私ではない。リュックを担いだ様子からどういう状況でここにきているのかわかる。家出だ。またいつものように家出の"お誘い"に来たのだろう。
 開けるか開けまいか悩んでいる私に焦ったく思ったのか、キルアがガラスをぶち破ろうとスケボーを掲げたので、仕方なく窓を開けた。

「家出してきた」

 私の推察通り、キルアは何度目かわからない家出をしてきたらしい。部屋にも上がらず、私の腕を引く。

「お前も来い」

 いつもの「来いよ」じゃなくて、「来い」。断定的な言い方だ。これは家出の"お誘い"ではなく、"共犯"に仕立て上げるつもりなのだと気付く。いざとなったら私を隠れ蓑に折檻を免れる気だな、と。

「絶対失敗するし。イルミさん怖いからやだ」
「やだやだ言ってんじゃねーよ」
「はあ?何様」
「いいから来いって!」

 窓から身を乗り出した私の手を無理やり引っ張って、二人して重力に任せて真っ逆さまに落ちた。無事着地した私をキルアは強引に屋敷の外へと連れ出した。
 力業で連行されちゃ、敵うわけがない。なぜなら彼はあのゾルディック家の次期当主を期待されている天才暗殺者だ。同じ暗殺者とはいえ、上の下、いや中の上に位置する私の実力とは比べ物にならない。

 陽はとっくに沈んでいる。肌寒く感じ、片手でカーディガンの前を閉じた。足元に至っては、もこもこソックスにスリッパだ。歩きにくいことこの上ない。ここら一帯では一段と大きい我が屋敷を振り返って見ても、屋敷の灯りはもう遠く、薄らぼんやりとしかに見えない。
 今から戻ろうにも、私の腕を掴むキルアの手を振り払うのは容易ではない。私を離すまいとするこの力の入れよう、どうやら今回は本気の家出らしい。

 街に着いた頃、私は既に家へ帰ることを諦めていた。それに気付いたのか、キルアは私の腕を掴む手を解いた。
 家からここまで、体感時間で二時間以上はかかった。つまり、逆も然り。面倒くさがりの私にとって、二時間もかけて元来た道をスリッパで歩いて帰るのは億劫なことだ。
 携帯は持ってくる暇がなかったので持っていない。お財布もそうだ。家族も執事たちも、今頃私が部屋でぐっすり眠っていると思っているだろうから、明日の朝までは探しに来れないだろう。

 着の身着のまま連れてこられ、ブスくれた私とは対照的に、キルアは上機嫌にスケボーを転がしている。
 自分だけ家出の準備バッチリなようで、リュックに忍ばせたお菓子ーーいつも通りのチョコロボくんであるーーを取り出して、放り投げては口でキャッチしている。どこか楽しげにしている様子に腹が立つ。
 私の苛立ちを察したのか、キルアはスケボーを降りて、私の機嫌を伺うように、「いる?」とチョコロボくんを差し出した。大好きなチョコロボくんを分け与えようとするなんて、キルアにしては大変珍しいことだ。
 私はというと、チョコロボくんがそこまで好きではない。が、しかし。

「あ!おまっ!取りすぎだろ!」

 私はキルアからチョコロボくんの箱ごと奪って、口の中に流し込んだ。チョコレートのコーティングごと中身のビスケットを噛み砕く。口内に広がるのはいつものそこそこの味。

「ほんと微妙な味。太る」
「くそ!なら食うなよ!」

 この身勝手な坊ちゃんの我儘に付き合うことで、私の未来は既に決まった。イルミさんによる折檻だ。それだというのにこのくらいで手を打ってやろうとしているのだから、感謝されこそすれ文句を言われる筋合いは無い。

 「これしか持ってきてねーのに」とぶつくさ文句を零しながら、キルアは私が返した空の箱をゴミ箱に放り投げた。ナイスシュート、とそれを横目で見送って、本題に入る。

「で、今回はなんでこんなにマジなの?」
「知りたい?」
「そら、知る権利あるでしょ。ここまで来たら」

 キルアは勿体付けて笑うと、質問には答えずに、「コーラいる?」と通り沿いにある公園の中で光る自販機を指差した。本腰を入れて話すには飲み物が不可欠らしい。

「ココアがいい」
「了解」
「奢り?」
「だってお前金ねーじゃん」
「誰のせいだと思ってんの」
「オレ?」

 キルアはズボンのポケットに剥き出しのまま突っ込んでいる小銭を取り出して、自販機でコーラとココアを買った。ベンチに座った私に、ほらよ、とココアを放って寄越す。それをキャッチして、手指を温めた。この辺りは暖かい地域だが、流石に夜は冷える。だからといって、私もキルアもこの程度で風邪を引いたりする柔な体ではない。
 ある程度温もったところで、プルタブを開けた。甘いカカオの香りを楽しみながら、ちびりちびりと缶に口を付ける私と違い、キルアはコーラを逆さに傾けるとゴクリゴクリと小気味良い音を立てて喉を上下させる。
 その勢いのまま一気に飲み干して、ビールを飲む中年男性さながらに「プハー」とオヤジみたいな息を吐くと、自販機の横に備え付けられているゴミ箱に空き缶となったそれを捨てた。

 キルアは、「やべーゲップ出そう」と口を押さえながら私の横に腰かけた。こっちむいてしないでね、と伝える前に、私に向かってゲップをかました。ココアの良い匂いにコーラ臭が混じる。顔を顰めた私を見て、当の本人は"してやったり"とニヤリと笑った。確信犯だ、最悪。

「うざ。やっぱ帰る」
「ちょ、待てって!わりーって!ほんとに!マジで!」

 私が立ち上がって来た道を帰ろうとすれば、キルアは大慌てで私の服を掴んで引き留めた。ベンチに腰を据え直すと、「お前怒りすぎ」と悪いと思っているのかいないのかわからないようなスネた顔をするものだから、無言でもう一度立ち上がろうとすれば慌てて謝ってきたので、仕方なく許すことにした。

「で、結局なんで?」
「なにが?」
「そーいうのいいから」
「んー」
「なんで家出したの」
「兄貴と母ちゃん刺した」

 唖然とした私を尻目に、キルアはどうだと言わんばかりにVサインした。それぞれ顔と腹を指したらしい。二人の怪我の具合は、という心配は無い。私たち同様、刺されたぐらいで大事に至るような柔な体をしていない。
 それよりも、気になることが一つ。

「兄貴って……イルミさん?」
「ばっか、ブタくんの方に決まってんだろ」

 頭に浮かんでいた人形のような造りをした恐怖の対象が風船のように膨らんで、彼の弟であり、目の前にいるキルアの兄へとなった。「ああ、ミルキーね」手に持った針は、スナック菓子と美少女フィギアへと変化した。
 彼ならば、腹が分厚すぎて刃は内臓まで突き刺さらなかっただろう。きっと今頃大声出して泣き喚いてるに違いない。

「お前、イルミに対してはあれなのに、ブタくんに対しては舐めてるよな」
「仲良いから言えるんだよ。なんかお姉ちゃんに似てるし、親近感ある」
「似てるって、デブなとこだけじゃん」
「それ、お姉ちゃんに言ったらマジでキレられるよ」

 先日、私はついうっかり、お姉ちゃんの逆鱗に触れたところなのだ。流石に体重計が三桁の数字を表していたので、お姉ちゃんの健康を心配して言ってしまった。「痩せたら?」と。
 その瞬間、体重を乗せたビンタを十発以上食らい、頬はパンパンに晴れ上がり、鼓膜まで破れた。"年長者に恥をかかせた"として何故か私が食事抜きだった。食事を抜くべき体重なのはお姉ちゃんなのでは、という言葉はギリギリのところで飲み込んだ。
 パパもママもお姉ちゃんの味方になって、「お姉ちゃんにそれは禁句だろ!」と私が怒られた。それに対してお姉ちゃんが、「禁句ってどういうこと?」とパパにビンタを繰り出したところまでがこの事件のあらましである。

「お前のとこも、大概だな」
「いやーゾルディックには負けるよ」
「まあな」

 私がまだ温かいココアを口に含もうとしたとき、「さみー」と言ってキルアは私の缶を奪った。あ、と私が呟いた頃には、ココアはキルアの喉を潤している。

「私のなのに」
「オレの金だし」
「奢った時点で私のものだし」
「じゃあ奪った時点でオレのもの」

 ああ言えばこう言う。何も言い返さずにいたら、まだ残っている状態でキルアはココアを返した。随分軽くなったそれを揺らして、中身を確認すればほんの少ししか残ってなかった。
 私が飲もうとするとキルアがじっと見るものだから、「なに」と声をかけると、「別に」と視線を逸らした。大方なにを考えているのか想像出来て、あまりに幼稚な発想に噴き出しそうになりながら残りのココアをすする。ガキか。いや、まだ私たちはガキだけども。

「ま、とりあえず、今回はガチで捕まる気はねーから」

 仕切り直しと言わんばかりにキルアは立ち上がって、宣言した。それは結構なことだ、頑張ってくれたまえ。

「そう。私を連れてきた意味は?」
「暇つぶし?」
「ふざけんなよ」
「いーじゃねーか、たまには付き合ってくれてもさ!」
「あんたのせいで、鞭で打たれるんだけど?」
「だから捕まる気ねーってば」
「えー。このままじゃ私まで家に帰れないじゃん」

 土曜日には暗殺の仕事が入っているし、来週からはパパが新しい技を教えてくれる予定がある。お姉ちゃんとケーキバイキングにも行きたいし、あと二週間でお小遣い日であるし、なによりお気に入りの服も靴も家に帰らないと着れない、履けない。早く帰りたい。
 しかし、このまま帰ってもキルアと家出をしたという事実は覆らない。イルミさんによる折檻はもう確定事項だ。
 「どうしよう」と零す私に、キルアは不機嫌そうに、「別に帰んなくてもいいんじゃね」と頭の後ろに手をやった。ムッとして私が睨み付けると、キルアはそっぽを向く。

「ま、ある程度付き合ってくれたら、お前だけでも家に帰してやるって」
「のこのこ家に帰ったらイルミさんに捕まる。死ぬ」
「そこはほら、電話とかでオレからなんか言い訳してやるしさ」
「そんな嘘、通用する相手だと思う?」

 じとりとした目でキルアを見ると、彼はそうっと目を逸らした。あのイルミさん相手に嘘なんて通用しないことくらい、他の誰よりもキルアが一番わかっているのだ。

「……やってみなきゃわかんねーだろ」

 歯切れ悪い返事がその証拠。

「無計画じゃん。キルアのバカ。アホ」
「仕方ねーだろ、こっちだって勢い余って刺しちまったんだからよ!まさかこんな展開になるなんて思ってなかったんだよ!」
「そのわりには、家出グッズしっかりあるじゃん」
「これはいつでも逃げれるように用意してんだよ」

 用意周到なわりに、リュックの中身は一日分の服と札束、お菓子だけだった。あとは片手に持ってるスケボーくらいか。リュックの中はチョコロボくんが占めていた割合が大きかったようで、他のお菓子はガムや飴といった腹の足しにならないようなものばかりだ。
 キルアはこの中で一番信頼のおける札束を減らしてなんとか乗り切るつもりだったのだろう。なんだかんだで家出するにもしっかり親の脛をかじっている。

「てか、カードは?お金持ってくるより軽いし楽じゃん」
「バカか。んなもん使ったらすぐ特定されんだろ」

 私より頭の回転が早いキルアは、意外にも色々考えているらしい。
 「行くぞ」とキルアは言って公園の出口へ向かう。私も空き缶をゴミ箱へ放り投げると、早足でキルアの横に並んだ。
 街灯に照らされ、同じくらいの背丈をした二人の影が伸びる。横を向くと、キルアの父譲りの銀髪がキラキラと反射していた。

「これからどーすんの」
「ハンター試験受けようと思ってる」
「まじ?私はまだダメって言われたんだけど。あんたもそうでしょ?」
「まあな。だけど別に受けたってよくね?」

 そこからキルアはめくるめくる夢物語を話しだした。
 ハンターライセンスを手に入れたら、家族をしょっぴいて懸賞金をゲットするらしい。絶対無理だ、とは言わずに黙って頷いておいた。人の夢に水を差すことはしてはならない、とはパパの教えだ。

「ねえ、スケボー貸してよ」
「なんで」
「スリッパだし」
「マジじゃん。だっせー」

 私がスリッパ姿なのに今気付いたのか、キルアはスケボーを渡した後ゲラゲラ笑い始めた。誰のせいだと思ってるんだ。

「まだ店開いてるだろ。靴買えば」
「じゃあ、服とお菓子とーアクセサリーと……」
「調子乗んなっつーの!誰の金だと思ってんだ」
「ゾルディック家」

 私はそう言ってスケボーに乗って前へ蹴り出した。横にいた銀髪が一瞬で消えて、「オレの金!オレが自分で稼いだ金なの!」というキンキン声が後ろで響く。
 それも親のお膳立てあってのものだよ、とは可哀想なので言わないでおいてあげようか。

「ったく。なんなんだよお前」

 すぐに併走してきたキルアはさっきまでの私のようにブスくれた顔をしていた。



2017.12.14


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