新米管理人となってから、一週間が過ぎ、私はある程度住人の生活パターンを掴み始めていた。
まず、隣の102号室の例の住人は朝六時前から家を出る。帰宅時間は疎らだが、私より年下であるのに(おそらく13、14歳くらいだろう)、日付が回って帰ってくることもあった。学校は行っていないようだ、まあ身分証が無いくらいなので当たり前の話だけど。ああ見えて不良なのかもしれない。
105号室の女性は、働いているらしく、いつも規則正しく朝7時45分に家を出て、夕方の18時過ぎに帰ってきていた。そこまでは本当に普通の生活なんだろうけど、わざわざ出勤前と帰宅後に102号室のインターフォンを鳴らしているのが怖い、怖すぎる。
私の一日の生活パターンはというと、朝から廊下の電球交換やその下に落ちた虫の死骸の掃除、ゴミの日のネット出しや空き缶・ビン用のバスケットの準備など、管理人の仕事はあまり難しいことは無かった。ビックイベントである家賃回収は、私が引っ越してくる前にお父さんがおばあちゃんの代わりに済ませているため三週間後になる。
ようするに暇だった。いちいち住人の生活パターン把握なんて気持ち悪いことをしていることからして、時間を持て余しているのだ。
「そろそろバイト始めよっかな」
生活費は出してくれるって言っても、お母さんから働くよう強く言われているし。
とりあえず、テーブルの上に昨日コンビニに行ったついでに貰ってきた無料求職誌を広げる。
ウエイトレスは注文を覚えるのが苦手だから却下、新聞配達は朝早いのが無理、コンビニの店員も覚えることが多そうだしなあ、と一人文句をつける。
雑誌をパラパラと流し見していたら、あるページが目に留まった。
〜惣菜作り〜
なんと余ったお惣菜は持ち帰り放題!
初心者歓迎・年齢不問・履歴書不要・ダブルワークokです!
お金も稼げて、食費も節約できるという、なんとも魅力的な情報に心を躍らせながら採用係へと電話をかけた。
「じゃあ、明後日からお願いね」
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
アルバイトの面接はありがたいことに即採用だった。
明後日から出勤するたびに惣菜が貰えるのだ。店内の美味しそうな匂いを思い出して、ふふふ、と笑う。家へと帰る足取りが軽い。細い路地裏を抜けて、アパートメントエレーナが見えた。ドアの前で鞄に手を突っ込み、鍵を探していると、私の後ろを誰かが通り過ぎ、そのまま横に並んだ。
私と同じくらいの背丈に、金髪。お隣さんだった。
ちら、とこちらを見たお隣さんが無言で会釈をしたので、私も同じように返した。すぐさま視線を外して、私と同じように鍵を探すその姿を横目で盗み見る。
最初に出会ったときは気付かなかったけれど、随分痩せている。というよりもやつれているという表現が正しいかもしれない。頬は子どもとは思えないほどほっそりと影を作っていたし、目の下には深い隈が出来ていた。民族衣装だろうか、ぼわっとした青い服を上から着ている。そんな体の線がわかりにくい服からでも、彼の体が健康体でないことはなんとなく察せた。袖からのぞく腕は骨が浮いている。よくよく見れば髪の毛だってぼさぼさだ。
その姿はなんだか不気味で、不謹慎ながら幽霊みたいだと思った。
「……エレーナさんの体調は回復しましたか」
もはや盗み見るというよりも、上から下までまじまじと見始めていたころ、彼がこっちを向いて口を開いた。まさかあっちから話しかけられるとは、と驚くと同時に、人の体調を気にしている場合じゃないのでは?と疑うほどその声に覇気が無いことに気付く。
ふと、この前電話してきたおばあちゃんの話が浮かぶ。
――あの子はちゃんとご飯食べてるかしら、心配だわ
断言できる。
おばあちゃん、この子絶対ちゃんと食べてないよ。
「うん、今はもう大丈夫。なんかストレス溜まってたみたいでさ、特に病気とかではなかったみたい。まあもうしばらくは戻ってこれないだろうけど」
「そうですか」
せっかくの会話の糸口も彼はその一言で切ってしまった。沈黙が流れる中、お互い鍵を探す。この雰囲気に耐えられなくて、私は無駄に口を回した。
「私が管理人するって言うまでは早くこっちに帰りたいって駄々こねてたんだけどね、最近はおとなしいみたいで……その代わり電話であなたのことすごい気にしてたよ」
伺うように彼を見ると、彼は一瞬目を見開いた。ただの管理人のおばあさんが自分を心配している状況に驚いているのかもしれない。
すぐに表情を戻した彼は、また「そうですか」とだけ返してポケットから出した鍵を手にドアを開けて先に部屋へ戻っていった。
2017.6.26
back