恵み溢れる瑞々しい緑の森、虫の鳴き声とコーラスする川のせせらぎ、心を安らげる木や土の独特の匂い。瞼を閉じればいつもそこに故郷はあった。

「おーい、二人とも!いつまでそこにいるんだよ!」

 丘のてっぺんに登って、早く早くと手を振りながら私たちを急かすクラピカは、いつでも先陣を切るのが役割だ。草木の生い茂った道無き道を掻き分けながら、「待ってよう」と情けなく半べそをかくのは、足の遅い私の役割。

「大丈夫だよ、名前。ほら、ゆっくり行こう」

 「先に行っておいて!」とクラピカに軽く手を上げて合図しながら、もう諦めてうずくまりたい私に手を差し伸べるのは、いつもパイロの役割だった。

 私たちの集落に子供は少なく、十人にも満たない。必然的に、年の近い私たち三人はよく連むようになっていった。

 昔からクラピカは何でも出来た。頭も良いし、木登りも上手いし、走るのだって速い。でも、クラピカのお母さん譲りの、自分の意見を通そうとする気の強さが少し苦手だった。
 対して、パイロは特に何かに秀でているわけではなかった。頭だって悪くはないけれどクラピカには及ばないし、木登りも走りも視力が落ちてからはしなくなった。でも、人の気持ちに敏感で、私がクラピカの一言に傷付いているといつもそばにいて慰めてくれたし、沸点の低いクラピカを宥めてくれた。私もクラピカも、そんなパイロが大好きだった。きっと、パイロがいなければ私とクラピカは仲良くなっていなかっただろう。
 大人になってもずっと三人で仲良くやっていけるもんだと、幼い私たちは信じて疑わなかった。



「どうした」

 真っ白いシーツの海に身を委ねた私の首筋に埋まっている亜麻色が、顔を上げる。サラサラと流れるような髪が頬をくすぐる感触に目を細めた。私は何度か瞬き、女の子のようだった幼い頃の面影を残しつつも、確実に大人の男性へと遂げた姿をこの瞳に映す。

「ううん、昔の夢を見てたの」
「起きていたのに?」
「起きていたのに」

 おかしな奴、とでも言いたげに不可解な面持ちをしながらも、「そうか」とクラピカはひとつ頷いて私の額に唇を落とした。そのあと降ってくる唇へのキスを受けるために目を瞑る。



「ねえ、名前知ってる?この花が美味しいんだよ」

 あれはいつだったか。私とクラピカが喧嘩をした時だ。
 喧嘩といっても、クラピカの一方的な物言いに、私は何も言い返せず泣くまいと口を噤んで逃げ出すしか出来なかった。パイロが追いかけてきた頃には、とうとう泣き始めた私に、彼は彩り豊かな花をひとつ手折って渡した。首を傾げる私に「こうやって吸うんだ」とパイロはまたひとつ花を手折ると、根元を口に咥えた。私も真似をして口に含んだ。

「ね、甘いでしょ」

 花弁を唇に咲かせたまま、私はこっくり頷いた。潤んだ瞳から溜まっていた涙がポロリと流れると、パイロは指の腹で拭ってくれた。

「クラピカも悪気があってあんなこと言ったんじゃないと思うよ」
「クラピカは口が強いもん。あんな風にキツく言われたら、怖いよ」
「そりゃそうだよね」

 仕方ないなあ、みたいに笑って、パイロは次々に花を摘んでいく。私はもう蜜を吸い尽くしたそれを手にとって、すぐに捨てるには忍びなくて花びらを一枚ずつ剥がした。

「ここだけの話、クラピカがさっき、名前になんて言って謝ればいいかなって悩んでた」

 内緒だけどね、とパイロは口元に人差し指を立てた。パイロはいつだって、こうやって私たちの緩急材になってくれた。

「本当に?」
「本当。だから、名前も許してあげようよ」
「じゃあ、仲直りする時はパイロも一緒にいてくれる?」
「もちろん。二人と一緒にいるよ」

 パイロの優しい手が私の頭を撫でて、前髪をそっとかきあげると額にキスをした。そこで、ようやく私は笑う。クラピカにもあげよう、と二人してたくさん花を摘んで、村に戻った時には少しバツの悪そうな顔をして私に謝ったクラピカに「私もごめんね」と言って、三人で蜜を吸った。
 後日、クラピカが調べた図鑑であの花には微量の毒が含まれていたことを知り、三人で青ざめたことは今思い出しても笑える話だ。



 唇には何の感触も無かった。不思議に思って目を開けると、クラピカはぼうっと私を見ていた。どうしたの、と手を伸ばして彼の髪を梳く。細く柔らかな金の糸は、私の指に絡むことなく逃げていく。

「不毛だ」

 ぽつりと呟くと、クラピカは私の肩に顔を埋めた。不毛、意味のないこと。私だってわかっている、そんなこと。
 私がまた目を閉じて可愛い思い出たちに縋ろうとする前に、肩がじんわり温かいのに気付いた。何故だろうか、なんて考えることはしたくない。

 私たちが女と男でなければ良かった。互いの穴を埋め合うには、異性では都合が良すぎた。寂しさに苛まれては、埋まらない穴を無理やり埋めて。どれだけ埋めても空いてしまう隙間に気付かないふりをして、何度も体を重ねた。
 せめて、私たちに通う気持ちが恋や愛であれば良かったのに。そうしたら、この行為にももっともらしい理由をつけられた。しかし、私たちの気持ちは、どれだけ目を凝らしても交わることのない平行線だ。

「ねえ、クラピカ。覚えてる?毒があった花の蜜のこと」

 クラピカの髪をできるだけ優しく撫でた。パイロの真似事だ。彼からの返事はなく、ただただ私の肩を濡らす。

「美味しかったね。また食べたいなあ」

 パイロがいれば、私たちの関係は変わらずにいられただろうか。あのまま、三人で、いつまでも仲良く。過去に縋ってもどうしようもないというのに、私たちはまだこうして後ろ向きに歩いている。
 私の顔の横についたクラピカの手を握った。若く肌触りのいいこの手は、見えない血に塗れている。それは私も同じで、二人のこれからを暗示しているようだった。
 もうどこにも戻れない私たちには、修羅となる道しか残されていない。

「パイロに会いたい」

 どちらの呟きだったのだろう。わからないまま、私は宙を見上げる。そこにあるのは、どこまでも広がるあの頃の爽快な空とは違う、息苦しささえ感じる窮屈なホテルの天井。
 あの花は何という名前だったのだろうか。きっと、あの森にしか咲かない花だ。もう二度と味わうことは出来ない。
 どれだけ目を瞑っても、もうそこには何もなかった。


2017.11.9 企画サイト「Eimy」様提出作品
イメージソング「ポロメリア」 by Cocco

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