神の前では人は皆平等らしいが、果たしてそれは本当なのだろうか。少なくとも、今の私は不平等を感じて生きている。

 礼拝堂はいつも静かだ。厳かな雰囲気の中、私は椅子にもたれてぼんやり天井を見上げた。ぶら下がったシャンデリアが微かに揺れている。教壇の背後に掲げられる十字架に向かって、誰かさんの真似事みたいに両手を組んで祈りを捧げるふりをした。
 学校がキリスト教主義だからといっても、生徒にクリスチャンなんか滅多にいない。例に漏れず私もその内の一人だ。学校行事の形式ばった「アーメン」は何度も口にしたけれど、心の底からイエスキリストに祈りを捧げたことなど一度もない。だから、所詮私のこの祈りには何の意味も効力も持たないのだ。

「やっぱりここにいた」

 私以外存在しないこの空間にやってきたのは、この学校では珍しい敬虔な信者である誰かさんーー利央である。

「やっぱりって何よ」
「だって名前さん、落ち込むと大体ここじゃん」

 あんたの行動パターンなんてお見通しなんだからね、なんて先輩を敬う気の無い口調で利央は私の隣に腰を下ろすと、そのままひょろ長い背を折り曲げて私の顔を下から覗き見た。首にかけられた十字架のネックレスが、キラリと光って顔を出す。

「あれ、泣いてない」
「うっざ。なにそれ泣いてて欲しかったの」
「うーん、どうだろ。わかんない」
「あっそう」

 利央はすぐに体勢を戻して、深く座り直した。ネックレスの十字架に一つキスを落とすと、シャツの中にしまった。日本人離れした容姿も相まって、その瞬間だけ切り取ればまるで外国映画の一コマみたいだ。

「で?何しに来たの」
「慰めてあげよーと思って。どーせ準さんと何かあったんでしょ」

 図星だ。利央のクセに勘が鋭いとは腹が立つ。なんて内心貶してみれば顔に出ていたみたいで、利央は、「当たりでしょ」と得意げに笑った。その笑顔、最高にムカつく。

「ほらほら、俺が話し聞いたげるよお?」

 慰めるという言葉とは裏腹に、利央の声色は弾んでいる。面白がっているのか、喜んでいるのか。きっと答えは両方だ。

「利央ってさあ、私のこと好きだよね」

 利央にとっては、強烈な一撃だったようだ。最初に私が一人で居た時のような静かな空気が流れる。それを掻き消すように、利央は、「あ」とか「う」とか口ごもるばかりで、次の言葉が思い浮かばないようだった。

「当たりでしょ」

 さっきの利央の言葉をなぞらえて、口角を上げる。利央は真っ赤な顔をして、さっきの私以上に苦い顔をした。それから、深いため息を吐いて項垂れる。いつもは背が高くて見えないツムジが確認できて、つい押してしまった。すぐにその手を掴まれて、「ちょっとお」と恨めしそうに下から私を睨む。

「あんたさ、分かりやすいんだもん。私だって鈍い方じゃないし、仕方ないじゃん」
「だからって普通、本人に言わないでしょ。ほんとありえない‥‥‥」
「私も同じことされたから、ついやり返したくなって」

 利央は私の言葉を聞いて、パッと顔を上げた。複雑そうに眉を寄せた表情で、「準さんに?」と分かりきったことを問う。

「告ってもいないのに、振られた」

 つい一時間前に見た高瀬も、今の私と同じだった。教室の窓からぼんやり外を眺めているかと思えば、その視線の先には見知った誰かがいた。
 恋をしているのは知っていた。それが叶わない恋ってやつなことも。
 恋ってのは厄介だ。好きな人には、好きな人がいて、その好きな人には恋人がいて‥‥‥なんてこと多々あり得る。最後の一組だけはカップル成立で幸せ、他の片思い組達は不幸せ。なんて不平等なんだろう。

 でも、私なりに色々頑張っていたのだ。じっくり距離を詰めて、なるべく笑顔を作って、落ち込んでいる時に傍にいて。そうすればいつか、つけ込むチャンスが巡ってくるはずだった。
 そのチャンスが今なんじゃないかと、私は高瀬に懸命に話しかけた。昨日見たテレビがどうとか、委員会でこんなことがあったとか、内容はどうでも良かった。ただその瞳に私を映して欲しかった。

 「お前さ、俺のこと好きだよな」って高瀬は眉を下げた。驚いて何も言えない私を見ずに、また窓の向こう側へ視線を寄越しながら続けたのだ。「けど、ごめんな」と。

 利央は話を聞くと、「準さんも、悪い人だからねえ」と呆れたように呟いた。

「高瀬だってどうせ振られるのにね」
「でも、準さんが振られたところで名前さんとこには来ないよ」
「‥‥‥そんなのわかってるよ」

 振り向いてもらえないことを誰よりわかってるのは私だ。つけ込む余地なんて、最初から存在しなかった。高瀬の『好きな人』の枠は、あの人で敷き詰められていて、どんなに頑張っても私のためにそれを端に詰めて隙間を空ける気なんて更々ないのだ。

「だからさあ、あのさあ、えっと‥‥‥」

 利央はモゴモゴと焦れったい態度で、視線を右へ左へ彷徨わせてから、意を決したように私を見た。きゅっと結んだ唇を開く。

「オレにしときなよ」

 ああ、そうだよなあ、そりゃそうだよなあ。好きな人が落ち込んでいたら、つけ込むチャンスだもんなあ。
 そこに転がれれば良いのに、私は今この瞬間は振られた女から振る女に切り替わる。

「ごめん」
「‥‥‥だよね」

 力なく利央は笑うけど、目には薄っすら涙が浮かんでいた。それを隠すように、そっぽを向く。

 利央の気持ちは、よくわかる。だけど皮肉なことに、私を振った高瀬の気持ちもわかってしまった。私の『好きな人』の枠はもう高瀬でめいいっぱい埋まっているのだ。利央の為に空けてあげる余裕なんて無い。

「私よりイイヒト、早く見つけなよ」

 利央はいい奴だ。だから、私なんかを好きでいる時間が勿体無い。
 でも利央は、「それさあ、好きな人から言われるの一番キツイよ」と片手で顔を覆った。表情は見なくても何と無く想像できる。利央は泣き虫なのだ。

「だってそれしか言えることないし」
「もーやだ。名前さん喋んないで」

 鼻にかかるような涙声。指の隙間からは、止めきれなかった涙が溢れているーー今の利央は、さっきまでの私だ。
 申し訳なくて、慰めたくて、許してもらいたくて、バラバラな気持ちを胸に、利央の背中を摩る。

「ごめん、ごめんね利央」
「ほんと黙っててってば」
「うん、ごめん」
「ああ、もう!」

 シャツの袖でゴシゴシ顔を擦るように涙を拭いて、利央は振り返って私を見た。まだ目に涙を溜めたままの瞳を大きく見開いて、ムスッと口をへの字にする。

「なんで名前さんが泣いてんの」

 その言葉に、頬を触ると濡れた感触があった。そこでようやく、自分が泣いていることに気付いた。

「同情したのかも」
「なにそれ。最悪なんだけど」
「ごめん」
「謝んないで。虚しくなる」

 そう言って、利央はまた顔を隠した。私は今度こそなにも喋らずに、利央の背中を撫でてやった。上下する肩に、心が痛んで私もまた少し泣いた。高瀬も私を振った時、同じ痛みを感じてくれたのだろうか、なんて。目の前にいるのは利央なのに、私の頭を占めるのはやっぱり高瀬だった。

 神の前では人は皆平等らしいが、果たしてそれは本当なのだろうか。その正しい答えは導き出せないが、私の周りの人たちは皆不平等な思いをしているのだから、ある意味では平等なのかもしれない。

 暫くして落ち着いた後、「ちょっとも期待しちゃダメ?」と瞳を潤ませながら往生際悪く縋ってくる利央を一刀両断したら、また泣かれた。


2017.10.1

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