「次はこれを頼む」
『お取り寄せ専用』と印字された用紙の書籍欄に書かれたタイトルを見て、私は眉を顰めた。一般の書店では入手困難な代物だからだ。そして何より、この男が何食わぬ顔で店に現れたことに対して、より強く眉間にシワを刻んだ。
「こちら、一般に流通していないため、お取り寄せが大変難しい商品でして‥‥‥」
「だが、ここでは取り寄せ可能なのだろう?」
ーーまた何かやらかすつもりか、この男。
接客用スマイルの口端が引き攣るのを何とか抑え、「ええ、まあ」と歯切れ悪く答えた。
曾祖父の代から続く年季の入った我が書店では、流行り物や娯楽作品の品揃えは良くない。その代わり、知る人ぞ知る古書や出版規制の掛かった今や絶版のもの、そもそもが市場に出回っていない有名小説家の未発表作品など、四代に渡って築き上げたコネと知識のお陰でこっそり横流ししてもらっている。
もちろん、それに見合うだけの対価を払い入手しているため、取引相手との関係は至って良好。有難いことに商売はうまく回っていた。
この男と出会うまでは。
初めて男が店に訪れたとき、この本屋には珍しい若く整った顔立ちの男に少し心が踊った。物腰は柔らかく、爽やかな笑顔を見せながら、今と同様に入手困難な商品を所望し、こちらの提示した高値に即決。欲しい物には金に糸目を付けない客に、私は新たな常連客をゲット出来るかもしれないと内心銭勘定をしながら、取り寄せの手続きを行った。
一ヶ月以上かかった末、相手方と無事取引が成立。いざ私の元に届くとなったとき、商品を乗せた運搬車が不運な事故に遭った。火事場泥棒をした輩がいたそうで、運んでいた荷物の中から金目のある物は盗まれていた。その中に、男の注文した商品も含まれていたのだ。
私にとって一番の不幸は、運送会社が格安を売りにする余り、杜撰な運営でまともな保険に加入していなかったため何の補償もされなかったことだった。
私に不備はないとはいえ、客商売である。私は誠心誠意謝った。謝金も用意した。当店は後払い制を採用しているため、商品を客に渡せない上に弁償もしてもらえない、そして金まで包んだとなれば大赤字だったが、仕方がなかった。
「すぐに同じ商品を取り寄せます」と言えば、「もう他で手に入れたので必要ない」と謝金は辞退された。
これは上客を逃したな、とガックリと肩を落とした私に、その場で次の注文をしていった男がその時は神様に思えた。
二度目の過ちは起こさないと心に誓い、取引の段階から念入りに作業を行ったため、二ヶ月掛かった。どれだけ時間が掛かろうとも、確実に仕事をこなさなければ。運搬車も以前のような安さ第一のところではなく、少し値が張るが補償も行き届いた信用あるところを選んだ。
なのに、また同じことが起こった。この報告を受けた時、短期間で二度も同じ客に対して損害を出してしまった事実に、頭が真っ白になってしまったことを覚えている。
擦れんばかりに頭を床につけて謝罪する私に、「もう他で手に入ったから顔を上げて」と男はにこやかに言った。そして、男が三度目の正直と言わんばかりに新たな注文をしていったので、私はやっぱりこの男は神様に違いないと確信した。
私は今度こそ客に商品を届けなければならないと使命感に燃えた。三度目は、運搬を自分で行うことにした。最初からこうすれば良かったのだ。私は社用車を運転しながら、鼻歌交じりに店へ向かった。今回の商品が無事男の手に届けば、暫くは店を休んで旅行にでも出掛けよう。それくらいの稼ぎになる予定だ。
何の前触れもなく、頭上から凄い音がした。思わず急ブレーキをかけたせいで、勢い余って車はスリップし、ガードレールに突っ込んだ。
一体何事だ。体のあちこちが痛む。額に手を当てれば、滑った感触がして掌を見てみればべっとり血がついていた。
何なんだこれは。過去の二件と全く同じ状況じゃないか。漏れたガソリンの臭いと立ち込める煙に鼻と口を押さえる。このままじゃいつ引火してもおかしくない、一先ず車を出なければ。尋常じゃない事態がかえって私を冷静にさせた。
「まさかお前が乗っていたとはな」
ドアを開けた先に見えた景色は、ガードレールに腰掛けながら本を読む男の姿だった。いつも店に来る見た目とは異なるが、声からしてあの客だと判断した。手にしている本は、私が男のために取り寄せたもので間違い無い。
ちら、と私を一瞥した後、男は次のページを捲った。普段の爽やかな好青年の装いとは違い、黒いロングコートを身に纏った男は、事故に遭って頭から血を流した女の姿を見ても助けようという気は起こらないらしい。
「‥‥‥一連の事故は、事故じゃなくて事件だったの?」
当初述べたように、取り寄せた書籍はどれも私の店がコネと知識、それに見合う対価を払って手に入れた一般入手困難な品物だ。例え手に入れる条件が揃ったとしても、どんなに敏腕な書店員でも取り寄せるまでに一月は掛かる。
それをこの男、何と言った?「もう他で手に入れたので必要ない」と言ったのだ、それも二度とも。このタイミングで他所から手に入れることなど、あり得ない。
つまりは、男が手に入れたのは、私が取り寄せたものなのだーー今のように。
私の頭は急速に回転していた。さながら探偵小説における名探偵の推理シーンだ。
タネがわかれば何てことはない、最初から男が仕組んだことだった。私はまんまと罠にハマって、馬鹿みたいに三度も損をした。
何が神様だ、悪神の間違いだろう。
「ご名答。名推理じゃないか」
「ふざけないで!たかが本のために、こんな、こんな大それたことを‥‥‥!」
「たかが本?面白いな、本の価値を知るお前がそれを言うのか。オレからしたら実に興味深いお宝なんだがな」
「一歩間違えれば、死ぬところだった!」
言葉にすれば、現実味を帯びた。そうだ、私死にかけた。あの時ブレーキを踏むのが遅れれば、ガードレールの当たった位置が運転席ならば、あの瞬間車が燃えてしまったら、どの場面を切り取っても私は死んでいた。
ゾッとする事実に、体の震えが止まらなくなった。何か言ってやりたいのに、歯がカチカチと噛み合って言葉にならない。
「その怪我なら大したことはないだろう。ここから五分も歩けば病院がある。念のため診てもらえ」
男はパタンと音を立てて本を閉じると、そのままどこかへ去って行った。
悲しいかな、私は追いかけることもできず、この状況をどうこう出来る術も持ち合わせていないため、警察に事故報告をした後、歩いて病院へ向かった。
そんな出来事があったのに、常連客の如く店へ訪れた男に対して嫌悪しか感じなかった。
こいつは犯罪者だ、接客なんてする必要はないだろう。営業スマイルを引っ込めれば、自分でも驚くほど無表情になった。
「もう笑ってくれないのか、残念だな」
そちらの態度も随分横柄になったくせに。内心毒づいた。
「あなたにつけられた傷が痛むもので」
「不運な事故だと聞いたが?」
私の頭に巻いた包帯を指差して、男は笑った。不運な事故だって?その口でよく言う。睨みをきかせてみても、全然効かないらしい。
ならば、と『お取り寄せ専用』用紙を突き返した。
「こちら、当店では受け付けられません、他を当たってください」
儲けられないどころか、殺されかける仕事だなんて誰が受けるか、バーカ。
「さっきは取り寄せ可能だと言っただろう」
「儲けが出なければ、店も潰れますので」
「なるほど、そういうことか」
男は顎に手を当てて、何やら考える仕草をした。
早く帰ってくれ、そして二度とこの店の敷居を跨ぐな、犯罪者め。
私はわざと男の肩近くの棚をハタキで叩いた。埃が舞うのを男が嫌そうに顔の前を手で仰いだところ見ると、私の小さな仕返しは功を奏したようだ。
「ここに潰れられては困る。まだ読みたい本が山ほどある」
「そう言われても、今までの損失で今年度は大赤字ですから。私が怪我で暫く店に出られなかった分、バイトの給料も随分払いましたし。私の代でおしまいですね」
四代続いたこの店をまさか私で潰してしまうとは。
この男が最初に訪れた時に見抜けなかった私がバカなのか?いや、それはない。悪いのはこの男で間違い無い。だからと言って、どうしようもない、どうしようもないのだ。はあ、と思わずため息が漏れた。気を緩めると泣いてしまいそうだ。
レジ台に手を置いて下を向く私の視界に、コロン、とした光る何かが映った。ハッとして顔を上げる。
「生憎、今は手持ちが無い。これでも売れば一億はくだらないだろう。これで損失を補填してくれ」
その横に『保証書』と印刷された紙を置いて、男は「次はきちんと受け取ってやるから、頼んだぞ」と出入り口に向かって歩き出した。
私はポカンとバカみたいに口を開けて、その光る何かを拾い上げる。見たことない大きさのダイヤモンドだ。
どこでこれを、なんでこれを私に、ていうか剥き出しっておかしくない?これってヤバイ品じゃないの、そもそも注文は受け付けないってば!
言ってやりたいことが次々に出てくるのに、うまく言葉が出てこない。
「ちょっと!」となんとか絞り出した声に、男は振り返った。そして思い出したように言う。
「売るにしても売り手を選んだほうがいい。足がつくぞ」
それからは振り向かずに出て行った男の背中が見えなくなるまで出入り口を呆然と眺めた。そして何カラットかなんて想像も出来ないダイヤモンドを握りしめる。
それにしても、『足がつくぞ』とは果たして何を意味するのか。
「や、やっぱり盗品じゃない!」
ひえっと咄嗟にダイヤモンドを手放したが、時すでに遅く、散々私の指紋がついた後だった。
2017.9.5
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