※センリツ視点
 
 
 クラピカは事務所へ戻るべく車の後部座席に座った。任せられた仕事を終えたセンリツもその隣に座る。二人が腰を落ち着けるのを待って車は走り出した。 
 革張りのシートに体を沈めたクラピカが窓枠に肘をつく。右手に具現化された鎖がやけに目立つとセンリツが感じたのは、先程までそこに存在しなかったからか。
 車窓から街の景色が流れていくなか、クラピカは従業員の不祥事についての処分を淡々と話しだした。それは至って普通のトーンで、今の彼が平常ではないと気付ける者はそうそういないだろう。しかし、センリツはその稀なうちの一人だった。
 
「……何も聞かないのか」
 
 クラピカが外を見ながらそんなことを言うので、センリツは思わず笑った。平常を保てていない自覚はあるらしい。
 
「あら?聞いてほしい?」
「そういうつもりで言ったわけではない」
 
 現在のノストラードファミリーはクラピカが乗っ取ったといっても過言ではない。彼は彼自身の目的のためにマフィアに転がり込み、今の地位までのし上がったのだ。
 目的のためならば、手段は選ばない。しかし、彼は悪人ではない。清廉とも言えないが、それでも目的外のことに対しては人として正しくあろうとする若頭であった。若く聡明な彼の指揮のもと、ノストラードファミリーは生まれ変わろうとしている。しかし、所詮はマフィアである。その配下にある会社の従業員も意識が高いとは言い難い。
 ノストラードファミリーが運営するカジノの従業員に不審な動きをする者たちがいる。先日、支配人から相談を受け、クラピカとセンリツが向かうことになった。いくらクラピカが法を遵守し、納税の義務を果たそうと努力していても、まだ浄化の過程である。こういった不祥事はよくあることで、その対応を二人が行うのもまたよくあることだった。
 大量のチップを抱えた観光客がバックヤードに連れて行かれた――その知らせを聞き、現場を押さえたまでは良かった。犯罪行為があれば手順を踏んで警察に突き出す、それだけだ。現在のノストラードファミリーはクリーンでなくてはならないのだから。もちろん、マフィアなのだからある程度の仕置きは必要ではあるが。
 不運な観光客は若い女性だった。あ、とセンリツが驚いたのは顔見知りだったからではない。悲喜交交という言葉では表現しきれない複雑な心音がすぐそばから聴こえてきたからだ。
 
「まさかあなたの知り合いだったとはね」
「昔の話だ。今は違う」
 
 彼女の話をしたいのか、それともしたくないのか。窓の向こうに視線をやったままのクラピカは相反する心音を奏でる。冷静でいようと努めながらも、隠しきれない動揺。
 
「心配しなくてもきちんとホテルに送り届けたわ。彼女、あんな目にあったのにそんなことすっかり忘れたみたいにあなたの話しかしなかったわよ」

 センリツは取り乱した様子の彼女に一曲披露し、リラックスさせた上で眠ってもらったことは黙っておいた。隣に座る彼は、彼女に念能力の存在を知らせたくなさそうだったからだ。彼女と鉢合わせたとき、クラピカは咄嗟に鎖の具現化を解いたのだから。
 クラピカはそうか、と素っ気無く返事をした。しかし、心音は正直だ。彼女のことを拒絶しようとするくせに、その奥に安堵と喜びが入り混じっている。センリツがまた笑うと、クラピカは視線を彼女へ向け、ばつが悪そうにため息をついた。全てお見通しのセンリツ相手に意地を張り続けても仕方ないとわかっているのだ。
 ヨークシンで旅団を捕らえるとなったとき、激情に任せた行動で彼は仲間を危険に晒した。それに対して未だ負い目を持っていることもセンリツはよくわかっているつもりだ。今まで以上に人との深い関わりを避け、冷酷になろうと孤高を保っているのだから。目的のためならば、手段を選ばない。そう振る舞っているのに、情を捨てきれずにいる。
 一見、彼は理性的だ。しかし、彼を知る人ほど激情すると何を仕出かすかわからないと思っている。ようするに危なっかしいのだ、彼は。センリツを含め仲間たちは、彼のそういった不器用な面を知っているからこそ放っておけなかった。そんなふうに思われていることなど、彼自身はおそらくわかっていないだろうが。
 
「ゴン君たちとは何が違うのかしら」
 
 センリツ相手に気持ちを隠し続けることを諦めたのか、クラピカは「……何もかも」と答える。
 何もかも――彼女は見るからに一般人だ。悪質な従業員から身を守る術が体を縮こませるだけなほど非力だった。マフィアの世界などフィクションでしか知らないだろう。センリツがハンターと聞いてあんなに驚いていたのだから、クラピカがハンターということも知らないはずだ。ましてや、念能力のことなんて。
 ふふ、とセンリツはまた笑った。何もかも違うというのは、そのことだけを指しているわけではないからだ。
 
「確かに。ゴン君たちと違って、仲間という括りではないものね」
 
 彼と彼女が奏でる心音は互いを想うものだった。対等な信頼で成り立つ友情とは違う。互いを切に求め合う気持ち。情熱的とも言える感情。
 さきほどの場面、本来のクラピカであればもっと冷静に対処できたはずだった。それができなかった。彼女が傷つけられていたから。
 そこまで大切ならなんであんな態度をとってしまったの、と言いたいところだが、センリツはクラピカの性分をよくわかっていた。彼の気持ちが痛いほど理解できるのだ。
 
「巻き込みたくないのね」
「……君に隠し事はできないな」
 
 そっと息を吐いたクラピカが僅かに微笑む。張り詰めていた空気が少し柔らいでいく。
 
「幸せになって欲しい。それだけだ」
「自分の知らないところで知らない誰かと?」
「ああ」
「嘘ね。聴かなくてもわかるわ」
 
 クラピカは仕方なさそうに眉を下げる。センリツは大泣きしてまともに歩けなかった彼女を思い出し、彼女にこそそんな顔を見せてあげればよかったのにと思わずにはいられなかった。
 ――知らない場所で知らない誰かと幸せになって欲しい?そんなこと、望んでないでしょうに。
 およそ二年、会っていなかったと彼女は言っていた。二年もあれば人は変わる。それでも、二人の気持ちは変わらなかったのだということくらい、心音を聴かなくてもセンリツにはわかっていた。
 
「あなたが幸せにしてあげたらいいじゃない」
「できると思うか?」
 
 ジャラリ、彼女と離れた後に再び具現化された鎖が揺れる。クラピカは、ふ、と自嘲した。諦めにも似ているそれ。見えない鎖は彼自身を縛っている。

「さあ。それはあなた次第ね」
 
 彼女は知らない。クラピカの言うように、何もかもを知らない。
 それでも、それをわかった上でクラピカを探し求め、大陸を越えて会いに来たのだ。ハンターでもない一般人の若い女性がたった一人で見知らぬ土地へ。恋する人のために。
 
「泣かせないであげて」
 
 彼を想って泣く姿を慰めながら、お節介ながらセンリツは思ったのだ。想い合う二人が幸せになれる手助けが出来たら、と。しかし、クラピカはそれを望んでいない。センリツができることは何もなかった。
 「関わりを持たなければ泣くこともないだろう」と言うとクラピカはまた視線を外へ向けた。これ以上この話を続ける気はないようだ。
 
 センリツも同じように窓の向こうの景色を眺めた。流れていく綺羅びやかな夜の街を高級車に乗って走り抜けていく。昼間とは違う、夜の世界。そんななか、着慣れないドレスに身を包んだ同じ世界で生きるのは難しそうな彼女を思う。
 彼女が泣きながら羽織っていた、ドレス姿には不釣り合いなジャケット。露出の激しい姿に見かねた彼が渡したものだ。他人でいたいのなら気遣いは無用だ。関わりを持たないと決めたのなら中途半端な優しさを見せてはいけない。そういうことをするから、冷たさの中のあたたかさを探してしまうということを彼はわかっていない。
 きっと、彼女はまた泣くことになる。
 可哀想に、とセンリツは心のなかで呟き、ネオンの眩しさに目を瞑った。
 

 
「昼間に変な女が来たんだ」
 
 リンセンが語る「変な女」の話を聞いて、センリツは目を丸くした。「マフィアのアジト」なんて呼ばれることも多いが、秘密結社なわけでも、悪事を働いているわけでもなく、堂々と会社経営をしているので彼らは事務所と呼んでいたが――それでも、一般人の目から見ればここはマフィアのアジトに違いなかった。
 彼女を送り届けたあの夜、現在置かれているクラピカやセンリツの立場の話もした。迂闊に近寄ってはならないことは彼女もわかっているはずだ。それに、二人の仲を取り持つようなことは今すぐには出来ないと伝えたはずなのに。
 彼女は自分が考えるよりもずっと強い女性だったのだろうか――いや、ただ無鉄砲なだけなのかもしれない。
 
「変なことばっかり言うからストーカーかと思ったぜ。けどな、クラピカに確認をしたらあながち嘘でもなさそうだった。センリツも知り合いなんだろう?」
「ええ、たまたまカフェでご一緒して、それから色々あってね。それで、クラピカはなんて答えたの?」
「丁重にお引き取り願え、と。ただし、いつもとは違ったな」
 
 「言葉通り、丁重に、だ。リンセン」と電話越しに念押しされたことを話すリンセンはどこか面白がっているようだった。いつも言葉に含みを持たせるような言い方をするクラピカが、招かれざる訪問者相手にそこまで言うのだ。変な女ではなく、特別な人。そう捉えられてもおかしくないだろう。すべてを知っているセンリツから言わせれば、それがまさに事実であるのだが。
 彼女から預かったというスーツのジャケットをリンセンから受け取り、センリツはクラピカの部屋へ向かった。「彼女、来たらしいわね」ソファに座り、会計さながらに帳簿を睨みつけていたクラピカは浅く息を吐いた。
 
「ここがどこかわかっていないわけではなさそうなのに。一応、忠告はしたつもりよ」
「向こう見ずなだけだ」
「そうね、恋は盲目だもの」
 
 眉を寄せて睨みつけてきたクラピカにセンリツは肩を竦めると彼の隣にビニールに包まれたジャケットを置いた。「残念ながらポケットに手紙は入っていないみたい」そう茶化せば、クラピカは「……からかうな」とため息とともに帳簿を閉じた。
 
「なにかわかった?」
「ああ。裏金作りに勤しんでいる事務員がいるようだ。明日にでも問い詰める」

 ノストラードファミリーはまだクリーンとは言えないようだ。十代の若さだというのに苦労ばかりしているクラピカの目の下には薄っすらと隈が出来ている。いっそマフィアに染まりきってしまえばもっと楽に生きられるのに、とセンリツは思うが、彼女自身そんな生き方が出来ないタイプなのだから口には出さなかった。
 センリツはクラピカの隣に横たわるジャケットに視線をやる。それに、今回ばかりは隈の原因の大半はこっちの彼女だろう。
 
「あなた、きちんと寝てないわね。そろそろ休憩にしましょう」
「いや、まだやるべきことがある」

 クラピカはそう言ってテーブルに置いていた缶コーヒーに手を伸ばした。見覚えのあるメーカーのそれは、クラピカが常飲しているからと普段から車に積まれているものだ。先日、ホテルに送り届けた彼女のベッド横のテーブルにも置いてきた。
 
「あなた、いつもそのメーカーのを飲んでいるわね。美味しいの?」
 
 センリツが好んで飲むのは専ら紅茶なのでどんな味かは知らない。だから、興味本位で聞いてみた。
 しかし、返ってきたのは「美味いものではないな。カフェインの含有量が市販の中では一番多いから飲んでいるだけだ」と味など気にかけていないものだった。眠気覚ましに飲んでいるだけのようだ。センリツはしまったわ、と片手で口を覆った。
 
「私、彼女にこれを置いてきてしまったの。美味しくないなら、悪いことをしてしまったわね」
 
 缶に口付けかけていたクラピカは、「……彼女は甘いものを好むから心配しなくとも飲まないだろう」とポツリと言うとコーヒーを傾けた。その言葉にカフェインたっぷりの苦いコーヒーが掻き消されるほどの甘やかさを感じ取り、センリツは手のひらの下で口角が上がるのを抑えられなかった。
 ――よく知っているのね、彼女のこと。
 センリツの微笑ましいとも言えるような生温い空気を感じとったのだろう。クラピカはコーヒーを飲み干すと、「やはり休憩させてもらう」と足早に部屋を後にした。

「あなたの部屋、ここじゃない。どこで休むのよ」
 
 一人残されたセンリツは隠すことなく笑った。すれ違う際に見えた、照れ隠しのような不機嫌な顔。そんなわかりやすい顔を普段のクラピカはしない。
 「知り合いに手強くなってるって言われたんです」と泣きながら言っていた彼女を思い出す。きっとまた泣くことになるだろう。けれど、向こう見ずな彼女の行動は確実に彼を揺るがしていた。
 
 
 
「明日は手土産を持ってくるだってさ。信じられるか?」
 
 リンセンから彼女とのやりとりを聞かされ、センリツは笑った。どうやら、彼女はここに通い詰めているそうだ。しかも、丁重に扱うよう言われているリンセンが彼女との距離を測りかねていることを見抜いているのか、それともただ能天気なだけなのか、日を重ねるごとに大胆になってきている。
 
「それであなたは何をリクエストしたのかしら?シュークリーム?それともケーキ?」
「ばか、そんなこと言えば本気にして持ってくるタイプだぞ、あれは」
 
 彼女との攻防に疲れ切っているのか、リンセンは深いため息をついた。ずいぶん仲良くなっているようだとセンリツは喜ばしく思う一方、不安もあった。彼女のような一般人がマフィアの事務所に何度も出入りしている状況を他人が見たらどう思うだろうか。例えば、それがノストラードファミリーを敵対視するグループだとしたら。彼女が若頭にとっての特別だと知られたら。その利用価値について、答えは安易に導き出されるはずだ。
 近々、彼女に事務所への出入りを控えるように伝えようとセンリツが考えていた矢先のことだった。急に降り出した雨の音に耳を澄ましながら自室で寛いでいたセンリツの癒やしの時間を邪魔するかのように携帯が鳴った。
 
「センリツ、悪いな」
 
 彼女を電話で呼び出したのはリンセンだった。言われるがままタオルを持って部屋へ向かうと、疲れた顔をしたリンセンと雨に濡れた彼女がいた。
 よっぽど雨に打たれたのか、とひと目見たときセンリツはそう思ったが彼女の心音と表情を見てすぐにその考えを変えた。彼女は確信犯だ。
 びっしょりと濡れた服はタオルでは拭いきれず、彼女は大きく身体を震わせた。ガタガタと歯を鳴らし始め、センリツは苦笑いした。
 ――確信犯のわりには、無鉄砲で、考えなし。クラピカに会いたい一心でなんでも飛び込んでいっちゃうのね。
 センリツが仕方なく彼女を自室へ招けば、リンセンが「いいのか?」と眉を顰めた。いいもなにも、ここまでの侵入を許してしまったのはリンセン、あなたでしょう。センリツはそう言いたくなったが、彼を責めたいわけでも彼女を責めたいわけでもないので、「丁重にって話なんでしょう?風邪を引かれたら困るわ」と肩を竦めるだけに留めた。
 
 彼女に見合ったサイズの服をセンリツは持っていないため、着替えは使用人に用意してもらった。彼女が着替える間、少しでも体を温めるものを、とセンリツは気を利かせてカフェオレを作った。「彼女は甘いものを好む」とどこかの誰かさんが言っていたのを思い出し、砂糖とミルクを普段より少し多く入れた。
 
「すごく、美味しいです。あったかーい」
 
 寒さによる震えもなくなり、マグカップで両手を温めながら彼女はニコリと笑った。しかし、彼女の求める味はこれではないようだ。心音は仄かな寂しさを奏でていた。
 
 彼女を送り届けたあと、事務所に戻れば入ってすぐの部屋でクラピカとリンセンが書類を片手に立ち話をしていた。聞こえてくる内容は彼女のことではなく、事業に関する至って真面目なこと。センリツの存在に気付いた彼の心が僅かに乱れる音を聴き、センリツはこっそりと笑う。
 
「心配しなくてもきちんと送り届けたわ。雨も止んだことだしね」

 独り言のように呟く。ついこの前も同じようなことを言ったばかりだ。
 彼は一言も声を上げなかった。聞こえないふりを決め込むらしい。書類に目を落としていたリンセンからの意味ありげな視線にセンリツも目配せをして答えた。
 
 彼女は知らない。何もかも。
 彼がこれまでどんな手を使って目的を遂げてきたかを。見えない鎖に縛られていることを。
 彼女は知らない。
 冷たくあしらう一方で、彼女から目を離せないことを。幸せを願いながらも、隠しきれないほどの感情を彼女に向けていることを。
 彼女は知らない。
 「もう私のこといやになったのかな」と落ち込む彼女を三階の窓から見守っている誰かさんのことなんて。
 
 揺れるカーテンを見上げて、「猫でも飼ってるんですか?ここ」と首を傾げた何も知らない彼女を思い出す。彼女はセンリツの忠告なんて聞かずに、色々と理由をつけてまた事務所にやってくるだろう。そして、それを受け入れ始めている自分たちがいる。ここに来てはならないと言いながらも、彼女に絆されてしまっているのだ。
 なんの力も持たない、ただの一般人。今の彼と彼女を繋ぐものなんて、思い出だけのはず。彼が断ち切った縁を彼女は結び直すつもりみたいだ。彼が折れるまで、何度だって。
 
 ――どうやら手強いのは、あなたみたいよ。
  
 冷酷であろうとする若く聡明なボスは、一体いつまで逃げ切れるのだろうか。彼のこれからの人生に光が差し込んでいく過程を、自分たちは間近で見ているのかもしれない。センリツはそんなふうに思った。
 そして、彼と彼女のこれからにあたたかな未来があって欲しいと願いかけて、センリツは内心笑った。願わなくたって、叶うだろうと思ったのだ。センリツの手助けなど最初から必要なかった。なぜなら、彼女は彼が折れるまで止まる気がないのだから。
 
 
 2024.2.23

  back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -