チキンをひたすら揚げ続けたクリスマスも過ぎ、年末年始を前にバイト先は長期休暇に入ることとなった。その期間も書き入れどきじゃないですか、と誰かが店長に尋ねたが、クリスマスシーズンの悪魔のようなシフトでボロボロになっていた私たちを見て「ここで休まなければ死人が出る」との店長の英断により、無事休みを確保できたのだ。

 これを機に実家にでも顔を出すよ。お母さんに伝えれば、「折角だからクラピカ君も連れてきたらいいじゃない」と言われた。それは名案だ。その気になった私とは裏腹に、クラピカにはにべもなく断られた。
 いかに私の地元が良いところか、お母さんの手料理が美味しいか、お父さんのウンチクがタメになるか、懸命なプレゼンを行なったがその頑張りも虚しく「断る」と一言。理由を聞けば「読みたい本がある」だと。年末年始にわざわざ読書?頭でっかち、本の虫め。
 しかし、私もこのまま引き下がるわけにもいかなかった。最後の手段を使うほかない。

「おばあちゃん、元気な姿見せて欲しいって言ってたのになあ……」

 ぴくり、とクラピカの耳が動くのを私は見逃さなかった。
 「あーおばあちゃんが心配でまた倒れたらどうしようかなあ」「老い先短いのに、このままでいいのかなあ」長いため息の後、わかった、とクラピカが折れた時、私は密かにガッツポーズをした。クラピカはおばあちゃんに弱いのだ。

 画して私は旅のお供を手に入れた。



「これはクレープと言いまして、大変美味な食べ物でございます。この店はテレビにもよく出ておりまして、私のオススメであります」
「本で読んだので知っているが……本物はこんなに柔らかいのだな」
「おいしーから食べてみて!ちなみに、バナナキャラメルとチョコアイスの組み合わせが最高だから!」

 知識ばかりで経験の少ない頭でっかち君、もといクラピカは私のオススメであるバナナキャラメルチョコアイスに、そうろりと口をつけた。どうやら美味しかったようで、口の端にクリームをつけながら「これは……!」と呟いていた。
 そうだろう、美味しいだろう。オススメを気に入ってもらえて、自慢気な私はイチゴチーズクリーム抹茶アイスに齧りつく。うまい。
 腕時計は十五時を指していた。家には夕飯に合わせて帰るつもりだったので、まだ時間に余裕がある。
 今年最後の日である今日はどこもごった返していた。私の地元に着くまでに駅は大混雑だったし、電車もぎゅうぎゅう詰めだった。やっと地元に着いた後も、行きたかったカフェは行列が凄くて諦めた。残念ながら、今日のランチはコンビニ弁当である。唯一並んでも大して時間がかからなさそうなのは、このクレープ屋くらいだった。クレープは美味しいけれど、腹は満たせても時は満ちない。
 これからどこで時間を潰そうか。頭を悩ませても中々いい案が思い浮かばない。

「この近くに海があるのか」

 そう言ってクラピカは、広場に立った周辺地図を指差した。頷くと、へえ、と興味深げな声を漏らした。最後の一口を食べきって、「これ食べたらさ、海行かない?」提案すれば、色よい返事。
 というわけで、私たちは近場の海で時間を潰すことにした。



 冬の浜辺は風が強くて、びゅうびゅう吹いては砂埃を立てていた。肌に刺さるような寒さだ。波も随分荒れている。
 でも、私は夏の陽射しで照り返る美しい青い海より、冬の寒さに対抗するような荒い波風を立てる黒い海の方が風情があって好きだ。独特の磯の匂いも嫌いじゃない。

「どうよ、海!初めてでしょ?」

 森で育ったクラピカにとって初めての海。
 さっきのクレープの比じゃないくらい大きな瞬きを繰り返して、「すごいな」と壮大な海に感嘆の吐息を漏らした。
 どちらともなく、浜辺を歩き出した。歩くたびに砂がパンプスの中に入って来て、今日も靴選びに失敗したことを悟った。一方、最初は歩きにくそうにしていたクラピカは、今じゃジャリジャリと音を立てて、軽快に歩いていた。
 石段が見えた辺りで、私は休もうと声をかけた。三十センチほどの距離を空けて、クラピカと並んで座った。

「お菓子買ってこればよかったー」
「名前は食べることばかりだな」
「だって何もないと寂しいじゃない」

 冬の海はセンチメンタルな気持ちにさせる。そこが好きなところでもあるのだけど、クラピカといる今は明るく笑っていたいな、と思う。

「ねえクラピカ、これ見て。小さい頃こういう綺麗なのよく集めてたんだよ」

 私は足元に転がっていたガラス片を拾って見せた。曇りガラスのような赤いカケラが丸みを帯びて、一種の宝石のようになっていた。

 「シーグラスか」物知りなクラピカは見事に正式名称を当ててみせた。「へえ、シーグラスって言うんだ」きっと夕飯の頃には忘れてしまうだろうその名前を反復する。

「赤は珍しいらしい」
「そうなの?……言われてみれば緑とかはよく見るけど赤はあんまり見たこと無いかも」
「他にも黒やオレンジは希少価値が高いそうだ」

 どこで仕入れたのかわからないウンチクを聞きながら、今挙げられた色を探そうと砂場に目を走らすが、落ちているのは割れた貝殻やビニール袋、かろうじて緑色のシーグラスしか見当たらない。
 無いね、と呟くと、今までその価値を知らないことがすごく惜しいことのような気がした。

「あるのが当たり前に感じていれば、それが宝物なんて気付かないものだ」

 クラピカはどこか遠くを見た。地平線の果てよりもっと遠くに想いを馳せているようで、そっと目を伏せる。その横顔が綺麗で、だけど儚かった。
 私は赤いシーグラスを手の中で転がした。もう砂浜に膝をついてシーグラスを集める年齢じゃないけれど、今日のこれは置いてけないな、と何故だか思った。
 びゅうっと風が吹いて、私たちの髪を揺らした。瞬きをすれば、クラピカはもういつものツンとした横顔に戻っていた。

「本当は私に気を遣っているのだろう」

 確信めいた声色だった。

「え……な、なんで」

 歯切れの悪い返事をすれば、だろうと思った、とすべてお見通しだとでもいうように言われた。
 どうやら私たちの企みはとうにバレていたらしい。
 実はというと、お母さんの話には続きがあった。
 おばあちゃんと私以外はクラピカがクルタ族の生き残りだということは知らない。しかし、家族を亡くした身元不明の未成年、ということまでは知っている。だからこそお母さんは言ったのだ。

 家族を失った年に一人で過ごすのはあまりにも酷でしょう、と。

 そして、お母さんと同じ気持ちを抱えていた私は、何とか家に招こうと『おばあちゃんを利用する』という汚い手段を使ったのである。

「いや、気を遣ってるわけじゃないよ?折角の新年、大勢で楽しく迎えたいじゃない?本読んで過ごすとか、あり得ないじゃない?友達の家で年越しって楽しいし、それに、私のオススメのクレープ食べて欲しかったし……」

 話すほど言い訳じみてしまい声が小さくなれば、最後の方は大きな音を立てた波音に掻き消された。
 悲しい出来事を乗り越えることはまだ出来なくても、気を紛らわせることくらいして欲しかった。楽しむことは別に罪じゃないから。
 それに、美味しいもの食べて欲しかった気持ちもあるんだよ、本当に。
 私はそれらを言葉に出しては言わないけれど、気持ちはクラピカに伝わったらしい。

「……クレープは、確かに美味しかった」

 名前が連れて来たがった理由がわかったよ、とクラピカは笑う。柔らかい微笑みだった。私もニッと口角をあげる。

「でしょ!おかず系も美味しいから……今度、また来ようね」
「……そうだな。また連れてきてくれ」

 じゃあ、約束。私が差し出した小指にクラピカは首を傾げた。どうやら指切りを知らないらしい。

「こちら、指切りといいまして。約束を破ったら針千本飲まなきゃいけないという昔ながらの伝統文化です」
「なるほど、恐ろしい文化だ」

 私のふざけた口調に、ふふ、と笑いながらクラピカは小指を絡めた。絶対ね、と念を押して、私たちは指切りをした。

「さ、そろそろ帰ろう」

 立ち上がりうーんと伸びをして、それからお尻の砂を払う。もう夕陽が落ちかけて、時刻は十七時を過ぎていた。足がじいんと鈍く痺れる感覚。思ったより長居をしてしまった。
 まだクラピカは座っていたので、上から見下ろす形になった。オレンジ色に輝く夕陽が地平線に沈む前に、海とクラピカをキラキラと照らす。
 やっぱりどこか遠くを見ている顔で、クラピカは目を細めた。
 その表情がなんとも言えなくて、私は心臓がぎゅっと掴まれる感覚がした。思わず泣きそうになるのを、目元に力を入れて抑える。

「なんだかセンチメンタルな気分になるね」

 ああ、と空返事をして、クラピカは立ち上がった。もうさっきの表情の面影はない。
 冬の海は好きだ。だけど今日の海は嫌いだ。だってクラピカにあんな表情をさせるのだから。
 手の中にあるシーグラスをぎゅっと握る。絶対に失くさないようにしようと思った。

「来年は夏に来よう」

 精一杯の反抗をして、冬の海にさよならをした。センチメンタルなんて糞食らえだ。


2017.8.25

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