集合時間に合わせて到着した小学校ではチラホラと人が集まり始めていた。みんな楽しみだったのか、今日はうちなータイムじゃないみたいだ。
「名前〜久しぶり!元気〜?」
「うん!本当に久しぶりだね。チケットありがとう」
わたしの姿を見て駆けてきた彼女は、昔よりずっと綺麗だった。そう言うと、彼女は当たり前だとばかりに笑って、「名前も可愛くなったね」と褒めてくれた。
久々の再会に喜んでいたのはほんのわずかで、彼女は学校に着いてから迎えに来なかった友達に文句を言いに行ったソータくんに視線をやった。
「二人で来たの?」
「た、たまたまだよ!空港のバス停で会ったの」
「へえ。じゃあ作戦成功したんだ」
「作戦……?」
「ソータと名前二人にさせるために迎え行かせなかったの。ほら、あいつとあたし、今付き合ってるから」
「……うそっ!?」
ソータくんと話している彼――あまり覚えていないけど、ソータくんと仲良かった子だ――と目の前にいる彼女を交互に見比べる。意外な組み合わせだ。でも、驚くのはそこじゃない。
作戦とは、一体。怪訝な顔をしたわたしに、彼女ははっと笑う。
「気まずそーな名前とソータを会わせてやろうってやつ」
「な、なんでよっ」
「だって同窓会するのにあんたみたいに気まずい顔したのがいたら空気悪いからさー。先に会わせて仲直りさせてあげようと思って」
「強引すぎるよ……そもそも、そんなうまく行くはずないじゃん……」
「顔さえ合わせれたらうまくいくでしょ、だってソータやし」
まさしくその通りだった。わたしの中にあった過去のソータくんへの負い目は、ソータくんのおかげでここに来るまでの間にずいぶん軽いものになっていた。残ったのは、今でも残るソータくんへの未練がましい恋心だけだ。
「それに、あんただけのためじゃないから」
どういうこと?聞きたいのに聞けなかった。彼女がソータくんを見る目が、昔見たままだったから。
「ソータ、カッコよくなったね」
「……うん」
「勘違いしないでよ。わたしはもう、とっくに吹っ切れてんの。彼氏だっているしね。ただ、この場所があのときの気持ちにさせるだけ」
そうか。さっきまでのソータくんも、きっとそうだ。思い出に引っ張られただけ。燻っているわたしの恋心とは違う。そうやって自分に言い聞かせていたのに。
「けどさ、あんたらは違うんだから。今度はソータにあんな顔させないでよね」
思い上がるなって言ったのは彼女なのに。どうしてそんなことを言うの。言葉に詰まったわたしの鼻を彼女がつまむ。カラフルで長い爪が皮膚に刺さって痛かった。
「成人式のとき、あんたのことずっと探してたよ」
あんな顔って、ソータくんどんな顔をして過ごしていたの。なんでわたしのことを探していたの。聞きたいことが顔に書いてあったのか、「もうガキじゃないんだから、それくらいわかるでしょ」と彼女は意地悪く笑うだけで、答えを教えてくれなかった。
長年放置されていた倉庫の中からスコップを取り出し、男子を中心にタイムカプセルを掘り起こしていった。タイムカプセルという響きからカプセル状のものを想像していたわたしは掘り出された缶詰を見て、がっかりした。そういえばあのときも同じことを考えていたような気がする。
小学六年生だったあのとき、あの瞬間。わたしは確かに一日一日を一生懸命生きていたのに、何を考えて過ごしていたのかなんて記憶は断片的にしか残っていないのだ。
「ソーター!こっちしに硬い!手伝って〜」
「おー、任せろ!」
けれど、と周りの人の手伝いをしているソータくんをそっと見つめる。ソータくんを好きでたまらなかったことは覚えている。ソータくんにしてもらったことや、貰った言葉も、ソータくんが書いた二十歳の自分へ宛てた手紙だって。
わたしは、わたしが思い描いていた二十歳になれているのだろうか。そう思うと、タイムカプセルを開けるのが待ち遠しくもあり、怖くもある。掘り出した缶詰を耳の横で振ってみた。カラン。ガシャ。カサ。この中に眠るイルカは、きっとあの頃のように微妙な笑顔でわたしを待っている。
廃校になった校舎内は子どもたちの話し声などなく、あの頃の騒がしさが嘘みたいにしんとしていた。
六年の教室ではまだ机も椅子も一揃いに残っていて、わたしたちは卒業時の席に座った。わたしの席は窓際のうしろから二番目。わたしのうしろの席には、ソータくんが窮屈そうに座っている。
「先生〜オレの椅子壊れるって」
「まったく。お前はデカくなりすぎやんに」
「そこ褒めるとこ〜」
当時の担任の先生とソータくんのやりとりにみんなが笑う。小学校時代の空気がここでは流れていた。
前の席から順に缶切りが渡され、それぞれ自分のタイムカプセルの蓋を切っていく。小学生の机と椅子は大人のわたしたちには小さすぎて、振り返るだけですぐにソータくんがいて、わたしは緊張しながら缶切りを渡した。
開けたあともみんな中を見ないようにしていた。先生の指示を待っているのだ。その様子に先生は「昔もこれくらい聞き分けが良かったらなあ」とため息をついていた。
先生の許可が下りて――そもそも、そんな厳密な許可なんていらないのにみんな勝手に待っていただけだ。――みんな一斉にタイムカプセルを開けた。「懐かしい!」「こんなん入れたばー?」とはしゃぐ周りの声のなか、わたしもタイムカプセルから取り出した思い出たちに懐かしさを感じていた。
机に並ぶ宝物。どれも保存状態が良く、当時のままだ。そうそう、これを入れたんだった、と思い出す。
手紙にヘアゴム、家族写真、ミニシーサーの置物――ソータくんに貰ったピンクのイルカ。
想像通り、相変わらず微妙な笑みを浮かべているイルカを軽くつついていると、同じように後ろからツンツンと背中を突かれた。驚きのあまり、びくっと体を震わせると、後ろから笑いを押し殺した声が聞こえた。ソータくんだ。
わたしは恥ずかしさを隠すために眉を寄せて不満げな顔を作って振り向いたのに、「あ……」とまた驚かなければならなかった。ソータくんの大きい手にストラップをつままれた水色のイルカが揺れていたからだ。
「覚えてる?」
「……うん」
覚えていないわけがない。ソータくんに貰った宝物なのだから。
「寂しくないようにって名前も入れてくれたもんな」
「え?そ、そんな理由だっけ?あれ?……そうだったかも……」
ソータくんに「名前しにてーげー」と笑われて、わたしはソータくんの机に目線を下ろした。だって、一緒に入れたことは覚えていたけれど、そんな恥ずかしくて幼稚な理由だったとは覚えていなかったのだ。
「なんか、自分の言ったことって案外覚えてないっていうか……人に言われたこととか、してもらったことは覚えてるのに」
言い訳じみた――事実、言い訳なのだけれど――わたしの言葉に、「それはあるなー」とソータくんは相槌を打ってくれて、わたしは少し許された気になり視線を少し上げた。頬杖をついたソータくんと目が合う。
「オレが覚えてんのも、名前のことばっか」
ソータくんはそう言って少し照れくさそうに目尻を下げて笑った。途端に、心臓が激しく暴れだす。ばくばくする心臓の音がクラス中に聞こえているのではないかと錯覚しそうになる。
「それって……」
震える唇がなんとか言葉を絞り出そうとしたとき、「ソータ!名前にちょっかい出すな〜」と先生の注意が教室内に響き、わたしは慌てて前に向き直した。授業中でもないのに、昔に戻ったかのような先生とわたしの態度にクラスでは笑いが巻き起こった。
頬が熱い。でも、これはクラス中の注目を集めてしまった恥ずかしさとは別の理由だ。
隣に座る彼女が「か・お・あ・か・い」と口パクして、わたしをからかう。ソータくんとのやりとりを見られていたみたいだった。わたしは首を横に振って、これ以上見られまいと手紙を開いて顔を隠した。隠しついでに手紙に目を走らせる。
「二十歳のわたしへ。」と印字された手紙は、あの頃のわたしの素直な気持ちが綴られていた。
――六年生のときに好きだった人のこと、覚えていますか?
――今も好きですか?
――好きな人のことをずっと好きでいてくれたらいいな
ただでさえ熱い頬がさらなる熱を帯びていく。あえてこんな質問を二十歳のわたしに向けて残すなんて。わたしはあの頃から、ソータくんのことばかりだ。
「そろそろお開きにするか。じゃあみんなまた後でなー」
未だざわついているクラスにあっさり解散を促した先生に不満の声が上がる。「先生最後にいい話してくれないのー?」と誰かが言えば、「酒が入らんと口が回らんのよ」と先生が茶化して教室から出て行った。この後は近くの居酒屋で同窓会が行われるのだ。
「名前、一旦あたしの家寄る?荷物あるし。集まるまでまだ時間もあるしね」
わたしは今日、彼女の実家にお邪魔することになっている。ながら解散を始めた教室内で、彼女にそう聞かれて頷く。じゃあ行こう、と声をかけられ立ち上がったとき、後ろから手首を掴まれた。振り返らなくてもわかる。ソータくんの大きな手だから。
「名前、オレと残って。いい?」
いい?と聞かれたのはわたしじゃなくて彼女だった。
「同窓会には間に合わせてよ。ソータいないと始まんないんだから」
「わかった。遅れんようにする」
掴まれていた手首がぱっと離された。固まっているわたしをよそに勝手に話が進められ、「荷物、廊下にある分だけ?持ってってあげるね。じゃ、また後で」と彼女はわたしたちに手を振った。
ちょっと待って、と視線で訴えると、彼女は意地悪く笑った。
「みんなーソータが名前に話あるんだって。二人にさせたげてー!」
えー!とまだ教室に残っていた人たちが声を揃える以上の驚きと羞恥で、わたしも心のなかで叫んだ。えー!何言ってんの!って。
みんなの視線がわたしとソータくんに注がれる。まるで卒業式の日の再現みたいだった。その目はなんだか期待に満ちていて――いったい、わたし達になにを期待しているの!――恥ずかしすぎてどうにかなってしまいそうだ。
どうかあの頃みたいにこの状況をどうにかしてくれないかな。ちら、と振り返って助けを求めた。なのに、目が合ったソータくんはニッと口角を上げると、みんなに向かって「そういうことやし。二人にして〜」と言ったのだった。
嵐が過ぎ去ったように静かになった教室でわたしはもう一度椅子に座り直し何も無い机の上をじっと見ていた。どうしたらいいのかわからなかったから。
「名前、怒った?」
呼ばれた声に素直に振り向くのは今の心情的にできなくて、だからといって振り向かない選択もなくて。わたしは納得のいかない顔をしながら渋々振り向いた。
「お、おこっ……た!だって、わたし、目立つのやなのに。あんな言い方したら、まるで……!」
まるで、今からとても大事な話があるように聞こえる――例えば、みんなが期待していたことみたいなことが。
ソータくんはわたしが言わんとしていることを汲み取っているはずなのに、「まるで?」と言葉の先を促そうとする。絶対に面白がっている!
「……なんもないです」
「なんだそれ」
ソータくんはそう言って笑ったあと、「名前目立つの苦手だったもんな。すまん」と続けた。うん、とわたしはまだ納得がいっていないような顔をしたけれど、本当はそこまで怒っていない。ただ、恥ずかしかっただけだ。
「けどさ、酒入ったあとじゃだめだから」
まただ。またこの目。ソータくんがじっと見つめてくるから、わたしはそれを受け止めきれずにそっと視線を下に下ろした。
ソータくんの机の上にはまだ片付けられていないタイムカプセルの中身が広がっている。家族五人の写真、当時流行っていたカードゲーム、外国人のバスケット選手の切り抜き――水色のイルカ。
「……ソータくんのそれは、きっと勘違いだよ」
妙な緊張感で心臓がおかしくなる。ソータくんが伝えようとしていることがわからないほど、わたしはもう鈍くなかった。
「久々に会って、ここにきたからそう思っちゃうだけ。思い出が美化されてるだけだよ……きっと向こうに戻ったら忘れちゃうから、わたしのことなんて」
ソータくんが抱く想いは、一時的なものだ。苦い思い出が、色褪せたせいでいい思い出だったかのように錯覚しているだけ。きっとこの土地を離れたら、それで消えてしまう感情だ。
「名前、こっち見て」
力なく首を振る。顔なんて上げられるはずなかった。それなのに、ソータくんは「名前」ともう一度言い聞かすように優しくわたしの名前を呼ぶ。ソータくんにそんなふうに言われたら、わたしは自分の意志を貫けない。
ゆっくりゆっくりと顔を上げた。目を見たら、逸らしたくなった。ソータくんの瞳に映っているのが嬉しくて仕方ないことなのに、それと同時に怖かった。
「オレ、名前のこと忘れたことなんて一日もない」
「……うん」
「名前はオレのこと、今日までずっと忘れてた?」
瞳の奥が揺れて、目の前にいるソータくんが歪む。その質問はずるい。忘れようとしても忘れられなかったのだから。
「……忘れるわけ、ないよ」
うん、そう言ったソータくんの表情は視界が滲んでよく見えない。
「知ってた?オレさ、名前が電話出てくれんくなったとき、向こうで他に好きなやつできたんかなって考えて死にそうなくらい凹んでた」
そんなの知らない。だって、中学二年のわたしは自分のことでいっぱいいっぱいで。自分の辛さばっかりで。ソータくんをどれほど傷つけたか考えられるだけの余裕がなかった。
「内地に来たときも、ないちゃーみんなイケてるから名前もそんな男と付き合ったりしてんのかなって考えたりした。こないだの成人式も名前がいるかもって、しに探してさ。ふらーだろ」
他の人と付き合おうだなんてそんなの考えたこともない。わたしの好きな人は最初からずっとソータくんで。ソータくんしかいないのだから。
「なあ、名前。オレ、未練たらたらよ」
そんなのわたしだって。わたしのほうが。
「……名前が隣におらんと、寂しい」
ぽつり、と落とされたソータくんの声は頼りなくて、儚げで。これが本音じゃないとは思えなかった。
もう堪えることができなかった。目元に強く袖を当てても涙の量に追いつかず頬が濡れた。喉の奥が引きつってうまく息ができない。
「っわ、わたし、もっ」
寂しかった。ずっと、ずっとずっと。
ソータくんが隣りにいないことが寂しくて仕方なくて、それに耐えられないから離れたのに、前よりももっと寂しくなった。
久しぶりに会ったソータくんが昔みたいな目でわたしを見るから、期待を持たすようなことを言うから、勘違いをしないでおこうと思っていた。だって、全部今更だから。
けれど、本当は気付いていた。ソータくんは昔から、わたしの期待を裏切ったことなんてないってことに。
そこからわたしが泣き止むまでどれくらい経ったのだろう。ソータくんはその間ずっとわたしの頭を優しく撫でてくれていた。
「お、止まった?」
「……うん」
返事をすると喉の奥がひく、と引きつった。しゃがれてしまったわたしの声をソータくんが笑う。あんまりにもわたしを真っ直ぐ見て優しく笑うから、恥ずかしくなって前に向き直した。「どーしたー?」とソータくんが後ろで笑う。
椅子を引く音がして、わたしは慌てて腕を枕にして机に顔を伏せた。予想通り前に回ってきたソータくんが、「名前」とどこか楽しそうにわたしを呼ぶ。
「いま、わたしすごい顔になってるから……!」
「なんだそれー」
ちら、と少しだけ腕をずらしてみると、ソータくんはわたしの前にしゃがみこんだ。太い腕がわたしと同じように机の上に乗せられて、ソータくんがその上に顔を置いてわたしと目線を合わせる。
「オレの好きなひと、誰かわかる?」
そんな意地悪な問いかけをしてくるソータくんがやっぱり意地悪な顔をしていて、わたしも意地になってもう一度顔を伏せた。
「……わかんないから、ヒント、ちょうだい」
そうきたかー、とソータくんは声を上げて笑うと、「顔上げてくれたらヒントあげんど」とわたしの耳元でそっと囁いた。ヒントが欲しいわけではないけれど、泣いたばかりのぐちゃぐちゃの顔も見られたくないけれど、あまりにも近くにソータくんを感じていっぱいいっぱいになったわたしはゆっくり顔を上げた。
「オレの好きなひとは昔からずっと名前だけやし」
ソータくん、それってヒントじゃなくて答えだよ。
愛しげに細められたソータくんの目に映っているのがわたしという事実に胸が一杯になった。止まったはずの涙が大きな粒となって、また落ちる。ソータくん、好き。そんな言葉と一緒に。
ソータくんはわたしの真っ赤になった頬に片手を添えた。低い温度で、しっとりとして、固くて大きな手。
触れた唇は少しカサついていた。僅かな震えは、わたしのものなのか、ソータくんものなのかわからない。ほんの少しの接触ですぐに離れていった唇が、ふ、と息を漏らす。
七年ぶりのキスは、初めてのキスと同じ、海の味がした。
わたしたちが学校を出たとき、時刻は同窓会の開始時間に迫っていた。「遅れちゃう!」と焦るわたしと対照的にソータくんは「うちなータイムだな〜」なんて呑気に笑う。
「ソータくん、遅れないようにするって言ってたのに」
「ん?ん〜言ってたっけなー」
「てーげーだ!」
あまりの適当っぷりに呆れていると、「名前口説いてたって言ったら許してくれんだろ」とソータくんは眉をあげて意地悪に笑うと、繋いだ手を揺らした。わざとわたしを照れさせようとしているのだ。
その手には乗るものか、と唇を尖らせてぶすっとしていたら、繋いでいない方の手で頬を掴まれソータくんの方へ向かされた。親指の腹で唇の際をゆっくりとなぞられて、「もう一回しとく?」なんて言われてしまい、わたしは真っ赤になって突き出していた唇を慌てて引っ込めた。完敗だった。
「……ソータくん、昔のほうが可愛かった」
「名前は今も可愛いけどなー」
「そっ、そういうとこだって!」
じとりと睨みつけたわたしと対象的にソータくんは嬉しそうに笑うと、むにむにとわたしの頬を楽しんでから手を離した。まったく、もう。昔よりさらに手強くなってしまった。
同窓会の会場に向かって行く道はどれも見覚えがあった。この辺りはどこもかしこも思い出の場所だ。小さな思い出をひとつひとつ振り返りながら歩いていたせいで、わたしたちの歩みはいつの間にかゆっくりしたものとなっていた。腕時計の時刻は同窓会がもう間もなく始まることを知らせていて、結局、わたしたちはうちなータイムを使うことになった。
途中で神社の前を通り過ぎた。思い出すのは最後に行った夏祭りの日だ。リョータくんとアンナちゃんの目を盗んでキスをして、次の年は二人で来ようと約束した。
果たせなかった約束を思い出して少し寂しく思っていると、「今年の夏、リベンジだな」とソータくんが言った。「リベンジ……」、その言葉を口の中で転がすと繋いだ手みたいに自然に馴染んだ。
そうだ、これからのわたしたちはどこにだって行ける。二人で、何度だって。
「じゃあ、博多にもリベンジしよう。わたし、今度こそラーメン食べたい」
「お、いいな。オレはスノボも行きたいー。まだ雪降ってっかな」
「北海道とか?」
「南から北か。ありだな」
「寒すぎでソータくん凍えちゃうかもね」
「だからよー。カイロしに貼らんと」
中学生の頃に果たせなかった約束も、実現しなかった博多への逃避行も、今のわたしたちにはできる。それが嬉しくて、なぜだか少し切なくて泣きそうになる。でも胸に残るような嫌な辛さじゃなくて。自分でもよくわからない。
「カイロ賭けて走る?けど、わたしじゃ勝てないかー」
込み上げてくる涙を見せないようにさりげなく横を向いたのに、ソータくんは歩みを止めた。「今日の名前はなちぶさーだな」なんて、よくわからないことを言って、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「悲しいんじゃないの」
うん、わかってる。まるで小さな子に言い聞かすみたいな優しい声色でソータくんは相槌をうつ。「色々、思い出したら、なんか……」うん。「勝手に出てきた、みたいな……」うん。「悲しいんじゃなくて」うん。「……嬉しいの」うん、オレも。
気付けば、わたしはソータくんの背中に手を回していた。昔よりがっしりした背中は逞しくて、頼りがいがあって。それでも変わらないソータくんの匂いと、心臓の音が心地よくて。わたしはもっとソータくんを好きになる。
ソータくん、好き。大好き。ずっと会いたかった。好き。ずっと好き。ずっと一緒にいて。好き。わたし、ソータくんがずっと好き。
ソータくんの胸に顔を隠していることを良いことにわたしは何度も何度も言葉を重ねた。言えば言うほど涙が溢れてきて、ようやくわかった。きっとこの涙はソータくんへの好きが大きすぎて、わたしの体から漏れてしまったのだ。
「……やばい。オレが口説かれてる」
抱きしめる腕に力を込められたせいで、ソータくんの顔を見上げることはできなかった。けれど、耳元で囁いてくれた言葉で、わたしはその表情を頭の中で描くことができた。
「オレも好き。ずっと、これからも」
きっと、わたしの大好きなはにかんだ顔をしてくれているから。
七年の月日を埋めて。二千キロを越えて。六十センチをゼロにして。
わたしたちは今さらになって動き出した恋を歩んでいく。
2024.1.30
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