「ソータくんは今、なにしてるの?」
 
 人伝に聞こうとしていたことを本人に聞けることになるなんて、成人式の夜のわたしに知らせるときっと驚きすぎて三十秒くらい呼吸を止めるかもしれない。
 なにせ、わたしの隣には今、ソータくんがいるのだから。
 ソータくん、ソータくん。本人を前にして名前を呼べる喜びをわたしはしみじみと噛み締めていた。さっきまでの暗い気持ちが嘘みたいに軽くなると、合わせて口も軽くなった。我ながら単純だ。ソータくんを前にすると昔となんにも変わらない。
 
「大学行ってバスケしてるよや。目指すはプロだな」

 「大学……!」驚き、小さく呟いたその声をソータくんは拾い上げて、「インカレ二連覇した。有言実行だろ」とピースサインを作った。
 ソータくんが大学に通えている。しかも、二十歳の自分へ宛てた手紙通り二連覇をして。それを知れて嬉しかった。ソータくんがプロになる過程として目指していたことを知っていたから。
 
「高校んとき沖縄代表にもなったんど」
「えっ、すごい!」
「だろー?雑誌にも載ったからな。知らないの名前だけやし」
 
 少し意地悪にソータくんが眉を上げる。地元じゃ有名な話とのことだ。わたしは肩身の狭い思いがして曖昧に笑った。
 わたしたちが連絡を取らないようになってから、ソータくんも色々あったらしい。
 高校生のときに家族が神奈川県へ引っ越すことになったけれど、すでに高校で寮生活をしていたソータくんはそのまま沖縄に残ったそうだ。沖縄代表でインターハイに出て、そのおかげで大学からスポーツ推薦がきて、今に至るらしい。
 まさかソータくんが内地に住んでいるなんて。だから空港にいたんだ。
 ソータくんの話すこと一つ一つに驚いていると、「オレも名前が何してたか知らないから、お互いさまか」とソータくんは仕方ないとばかりに肩をすくめた。
 七年分、わたしたちはお互いを知らない。
 
「名前は?今何してる?」
「わたしも大学行ってて……えーと、バイトしてることが多いかな。実は、転校してすぐにやめちゃったんだ、バスケ。だから雑誌も見てなかったっていうか……」
 
 バスケを辞めたことを言うのには少し勇気がいた。あの頃のわたしが一生懸命隠していたことだから。しかし、ソータくんは気付いていたらしい。「なんとなく、無理して明るく話してんなーって感じだったから」と返され、わたしの方が驚かされた。わたしの強がりなんてソータくんにすべてお見通しだったのだ。
 
「けど、なんもできんかった。ごめんな」
 
 ソータくんが謝ることなんて一つもないのに。それでも、布団に丸まって泣いていたあの頃のわたしが救われた気がした。
 
 そこからわたしたちは七年分の月日を埋めるようにお互いの話をした。ソータくんは今、神奈川で一人暮らしをしていて、基本はバスケ中心の生活だそうだ。バスケも講義もない空いた時間はガソリンスタンドと居酒屋でバイトをしているらしい。「時給しに高いから騙されてんのかと思った」とソータくんは沖縄との違いにカルチャーショックを受けたと笑っていた。
 名前は?と聞かれ、わたしも都内で一人暮らしをしていることや、バイトに励んでいることを話した。「東京ならカフェとか?」とバイトについて聞かれ、本屋で働いていると答えたらソータくんは「あー、名前っぽい」とうんうんと頷いていた。
 
 バスが揺れて、体がソータくん側に傾いた。当たってもいないのにごめん、と言ってすぐに離れる。今のソータくんは昔よりずっと大きくて近くにいると緊張する。
 七年でソータくんはどれくらい身長が伸びたのだろう。バスに乗る前の立ち姿は最後に会ったときよりもずいぶん大きかった。スポーティーなスニーカーが足元のスペースで窮屈そうにしている。
 あの頃のわたしはソータくんを大人みたいだと思っていたけれど、やっぱりあの頃のソータくんはわたしと同じ子どもだったみたいだ。二十歳になったソータくんは、昔よりももっと大きくて、大人びていて、逞しくて、カッコよかった。

「東京と神奈川か。近いけど、今さらだな」
 
 そうだね、そんな相槌を打ったと思う。自分の言ったことなのに自信がない。ソータくんの口からさらりと告げられた「今さら」という言葉に勝手に傷ついたからだ。
 自分でもわかっている。今さらだって。過去のことだって。
 だけど、もし。あのときわたしたちが住んでいるのが東京と神奈川だったら?
 一緒に二十歳を迎えられたのかな。飲みに行く約束だって、果たせたのかな。
 羽田から一緒に飛行機に乗れたかもしれない。この六十センチは縮まってたかもしれない。
 全部、今さらだけど。
 
 
 
 わたしたちは、ローカルバスに乗り換えるために高速バスを降りた。ここまで来るとどこも見覚えのある景色だ。舗装が荒く細い、急な坂道。七年前に登った坂道を今度は下っていく。わたしは前を歩くソータくんを見つめていた。
 でこぼこ道をガタゴトと音を立てながらキャリーケースを引いていると、途中でコマが引っかかって危うく転びそうになった。転ばなかったのはソータくんにぶつかったからだ。
 
「あがっ!」
「ぎゃ!ごめんっ」
 
 背中に思いっきりぶつかったのに、ソータくんは姿勢を崩すことはなかった。広い背中に驚いて、わたしは慌てて離れた。振り返ったソータくんは、鼻を抑えたわたしを見て意地悪く笑う。
 
「鼻血出た?」
「で、出てないっ」
 
 ソータくんは軽く笑うと、わたしの手からキャリーケースを取った。あまりにも自然な流れに戸惑っていると、ソータくんはその上に自分の軽そうなボストンバッグを乗せる。
 
「学校着くまでに怪我されたらオレが困んど」
「たまたま、石に引っかかっただけだもん……」
「名前は昔からよく転ぶからなー」
「そんなこと……うーん……」
 
 ない!とは言い切れない。ソータくんの言うようにわりと鈍臭いほうだ。でも、さすがに自分の荷物を持ってもらうほどではないはず。
 そもそも、転びそうになったのだってぼうっとしていたからだ。ソータくんの広い背中が昔よりも頼もしくって、胸の奥が疼いたせいだ。昔は一緒に尻餅をついたのに、なんて思うのは意地が悪いだろうか。
 
「やっぱり自分で持……っわ!」
 
 歩き始めたソータくんからキャリーケースを取り返そうと手を伸ばしたとき、バランスが崩れた。つま先が窪みに嵌ったのだ。もう一度背中にダイブしてしまったわたしは、大笑いするソータくんに何も言い返せずに鼻の頭を押さえた。
 
 ようやくバス停にたどり着くというときだった。すぐそこまで見えていたバスはわたしたちを待たずに発車してしまった。走っていくバスを眺めて、あ然とする。今日に限ってうちなータイムじゃないバスだったのだ。
 
「次、一時間後だって」
「一時間かあ……」
「名前歩けそう?」
「うん。いけるよ」
 
 幸いなことに歩きやすい靴を履いてきていた。ここから小学校まで歩けない距離ではないし、集合時間までまだまだ時間もある。わたしたちは目的地まで徒歩で向かうことになった。
 キャリーケースを持つ権利をソータくんから奪還することに成功したわたしは、ガタガタとキャリーケースを転がす。今のわたしはきっと端から見れば観光客に見えるだろうな。
 軽そうなボストンバッグを持って前を歩くソータくんはわたしと違ってこの街に馴染んでいた。おばあちゃんがまだ健在だから、ちょくちょく帰ってきているとさっきバスの中で話してくれた。
 バスを降りて歩き始めてからソータくんは隣に並ばない。昔なら、そんなどうしようもない考えが過って頭を振る。わたしは隣を歩けないことに違和感や切なさを感じてもいい立場じゃない。
 
「あ」
「ん?どーしたー」
 
 呼び止めたわけではなかったけれど、ソータくんが振り返る。
 
「この花、前も見たから。なんて名前なんだろうって」
 
 三月の沖縄はもうとっくに春で、あちこちに鮮やかな花が咲いている。その中でも通りに並ぶ街路樹の桜のような黄色い花には見覚えがあった。
 
「ああ、いっぺー?春に咲くやつ」
「いっぺー?なんか人の名前みたい」
「多分、ちゃんとした名前あるはずー。そういえば、前も咲いてたな」 
「前?前もこのくらいの時期に帰ったの?」
 
 てっきり夏や冬の長期休みに家族揃っておばあちゃんの家に行くものだと思っていた。けれど、大学生だとこの時期に帰る方が色々と楽なのかもしれない。そう納得していたのに、ソータくんは「覚えてない?」と言って再び前を向いた。
 
「ずっと前。名前とバス乗ったときの話」
 
 あの日のことだ。あの日、バスから見た景色を覚えていたの、ソータくん。
 また泣きそうになって、俯いた。前を歩くソータくんの足が見えて、少し安心した。隣じゃないから、わたしの顔は見られない。昔みたいに手を繋ぎたくなっても、隣じゃないから間違いを起こさないで済む。
 
 あれから二人の間で会話が途切れてしまった。嫌な空気が流れているわけでもない。ただ、なんとなく。きっと、お互い話す気分じゃなくなったのだ。
 前を歩くソータくんは、ときどき立ち止まってわたしがちゃんとついてきているか確かめていた。大丈夫、ちゃんと少しの幅を空けてついて行くから。心のなかで返事をして、なにか言いたげなソータくんに下手くそな笑顔を見せた。
 ソータくんと、一定の幅と、わたし。その図は崩れることなく続いていたのに、ソータくんは足を止めた。そうするとわたしは追いついてしまって、隣に並んでしまった。

「どうしたの?」
 
 隣に並ぶと、今のソータくんの大きさがよくわかる。見上げたわたしにソータくんは笑いかけると、「腹減らん〜?」と少し先に見えるエンダーの看板を顎で指した。
 腕時計に目を落とす。今から小一時間休憩しても集合時間には十分間に合う時間だ。それに、まともに昼ご飯を取っていなかったからちょうどお腹も空いていて、「いいよ」と頷いた。
 エンダーといえば、テスト勉強のたびに自転車を走らせてジュースとポテトで粘ったあの頃の記憶が過った。楽しくて幸せだった記憶。嬉しくて、懐かしくて、つい頬がゆるむ。そして言ってしまった。「昔よく行ったね」って。
 
「あ……ごめん」

 咄嗟に謝ったのは、ソータくんが驚いた表情をしていたからだ。わたしが過去の付き合っていた日々を持ち出すからびっくりしたのだ、きっと。いくらうりずんの季節だからといって気が緩みすぎた。
 
「名前さー、彼氏いる?」
「……へ?」

 なんの脈絡もない質問をすぐに処理できなかったわたしは悪くないと思う。だって、エンダーと今の質問に共通点がなにもない。それに、恥ずかしながらわたしは彼氏なんて存在、ソータくん以外いたことない。
 ぎこちなく首を横に振ると、ソータくんがわたしの手を取った。
 
「……えっ?」
 
 わたしは今、なにをされているのだろう。さっきの質問どころではない異常事態に、「え?な、え?」と変な声しか出てこない。
 
「彼氏いないってさっき言ったー」
「え?ええ?いないけど……そ、そういうもんなの?」
「そういうもんだろ」
 
 彼氏がいなければ、別れた恋人同士は手を繋いでもいいなんてルールがあるものなのだろうか。いや、絶対ないはずだ。
 意味がわからない。久しぶりに会ったソータくんのとる行動が理解できなくて、わたしを困らせる。
 
「あふぁー?」
 
 ソータくんの声が弾んでいるように聞こえたのは気のせいだろうか。あふぁーに決まってる!そう答えたいのに、わたしはまたしても舌がもつれてまともな言葉が出てこない。今のわたしにできるのは、手を引くソータくんに合わせてキャリーケースを転がして歩くことくらい。
 エンダーまでの道には、いっぺーの花が道案内するみたいに咲いている。だから、きっとソータくんもわたしみたいに感傷に浸ってしまったのだ。そうじゃないと、ソータくんがこんな間違いを起こすはずがない。
 これは間違いだと、わかっているのに嬉しさに頬がゆるむ。初めて手を繋いだ頃のようにどきどきと胸を高鳴らせるわたしがいる。勘違いしそうになる。
 久しぶりに握られた手はあの頃より大きくて、分厚くて、固くて。それなのに体温は変わらず、わたしの手に馴染んでいった。
 
 エンダーについてすぐに手を離したソータくんは、そのときにはもう頬を真っ赤にしていたわたしと目が合うと意地悪く眉を上げた。まるでわたしの気持ちなんてバレバレだと言われているみたいで恥ずかしくなって顔を背けた。
 
「セットのドリンクは何になさいますか?」
「ルートビアとオレンジで」

 注文しているとき、ソータくんは当たり前みたいにわたしの分のオレンジジュースを頼んでくれていた。わたしがいつもオレンジを選んでいたのを覚えてくれていたことにむず痒い気持ちになったまま、席についた。
 
「ソ、ソータくんはさ」
「ん?」
「……さっきのみたいなの、して大丈夫だったの」
 
 暗に彼女の有無を聞いたわたしに、大きな口でバーガーに齧り付こうしていたソータくんは食べるのを止めると、「どうかなー?」なんて楽しげに笑った。わたしは全然楽しくないのに。お腹が空いていたはずなのに全然食欲が湧かなくて、ポテトにすら手が伸びない。
 
「気になる?」
「……だって、その……ほら、彼女とかいたら、だめじゃん」
「そりゃだめだろうなー」
 
 わたしだけ聞かれるなんてフェアじゃないから聞いただけ。そこに深い意味なんてない。そうやって自分に言い聞かせた。それなのに。
 
「彼女はいない。けど、好きなひとはいる」
 
 ソータくんが意味をもたせるみたいなことを言う。
 どんな人?大学の子?それともこっちの子?色々と言葉は浮かんできたのに聞き返すことができない。だって、ソータくんがわたしから目を逸らさないから。
 
「ヒント、聞きたい?」
 
 まるで小学生のときみたいな言い方。
 あのときと違うのは、わたしがもう昔ほど鈍くなくて、素直に頷けないところ。
 
「べ、別にいいっ」
 
 なんでこっちを見て笑うの。無性に恥ずかしくなって目を逸らす。誤魔化すみたいにストローを啜った。久々に飲んだオレンジジュースは記憶よりもずっと甘かった。
 
 
2024.1.30

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