「これはお前らが二十歳になったときに見るものだからな。大人になったときに読んでも恥ずかしくないことを書くんだぞ」
先生の話を聞きながら、配られたプリントの一番上に太字で印刷された文字をなぞった。『二十歳のわたしへ。』八年後のわたしに宛てた手紙だ。
「しつもーん。これ、先生は読むんですかー?」
「読まんから安心して好きなように書けー」
卒業を間近に控え、わたしたち六年生はタイムカプセルを埋めることになった。その中に入れることになったのがこの手紙だ。
二十歳のわたしへ向けたメッセージ。二十歳のわたしはどんな大人になっているのだろう。大学に通っているだろうな。バイトとかしているのかな。お化粧を覚えて少しは可愛くなっているかな。
周りと相談してもいいと先生が言った途端、クラス中が騒がしくなる。「どうする?」と相談し合う声が聞こえてくるなか、わたしはちら、と後ろを振り返った。鉛筆を回していた宮城くんは何かを考えるように頬杖をついて窓の外を見ていた。
二十歳の宮城くんはどんな大人になっているのだろう。きっと今よりももっともっとカッコよくなっているんだろうな。
「ん?」
視線に気付いた宮城くんが「どうした?」と眉を上げる。
「えっと……なに書くのかなって」
「考え中〜。名前は?」
「うーん。わたしも悩んでる」
先生は遠くにいる友達に語りかけるようなことを書くと書きやすいと言っていた。例えば、将来の夢についてどうなっているかとか、今の自分はこんなことを頑張っているとか、そんなこと。将来の夢も頑張っていることもこれといってないわたしと違い、宮城くんはそのどちらもありそうなのにスラスラと書けないのは意外だった。
「バスケのことは書かないの?」
「だってこれ二十歳の自分にだろ?オレが目指してるのは高校バスケの方だしなー。年齢がズレてるよや」
「そっかー。大学とかプロとか目指さないの?」
「んー。そこまでは考えてないー」
「そうなの?」
周りからは今習い事をしていることの延長線上の夢を語る声が聞こえてくる。「サッカー選手」「野球選手」「ピアニスト」それが普通なのに、宮城くんは高校までしかバスケの夢を見ていない。「なんで?」それが不思議だった。宮城くんは「なんでも」と笑う。なんともないようないつもの笑顔。なのになんだか切なく感じた。
「大学なんていったら金かかるし。バスケはプロになんのも大学出なきゃ厳しいからな。高校出たら働いてるはずー」
わたしが想像した二十歳のわたしはふわふわしたものだったけれど、宮城くんにとっての二十歳の宮城くんはしっかりとしたイメージがあるみたいだった。でも、それは夢というには違う気がする。宮城くんのしたいことじゃなくて、宮城くんがしなければならないことみたいだ。もったいないなと思った。宮城くんにはわたしなんかよりももっとたくさんの可能性があるのに。
わたしはその日に手紙を書けなかった。他にも書けなかった子が何人もいて、カプセルを埋める日までに書き上げるように先生に言われた。リビングで手紙に書く内容を考える最中、過るのは宮城くんのことだ。結局宮城くんはどんなことを書いたのだろう。二十歳の宮城くんに、何を伝えるのだろう。
「お?なんだ名前。面白そうなの書いてるなあ」
「もう。お父さん見ないでよ」
コーヒー片手に向かいに座ったお父さんは興味深そうに手紙を覗いてくる。まだ何も書いていないけれど、手紙を書いているところを見られるのが恥ずかしくて手で隠すと、「見ないって」とお父さんは苦笑いした。
「これ、二十歳になったら郵便で送られてくるのか?」
「ううん。学校にタイムカプセルを埋めるから。その中に入れるんだって」
「タイムカプセル?じゃあその頃になったら名前はこっちに戻ってこなきゃいけないな」
「なにそれ。引っ越す予定でもあるの?」
「それはわからないけど。父さんの会社は色んなとこにあるからな。いつかそんな日も来るかもしれないよ」
「じゃあお父さんだけ単身赴任してよね」
「ひどいことを言うなあ」
「引っ越しとか、絶対しないから」
お父さんはまた苦笑いする。だってわたし、引っ越したくないもん。ずっとここにいたい。宮城くんがいる沖縄がいい。
むす、と膨れていると、お父さんはやれやれと言ったようにコーヒーを飲んだ。
「それにしても、二十歳の名前かー。二十歳なら大学二年生かな」
「……大学ってやっぱお金高いの?」
「なんだ?家計の心配でもしてくれるのか?」
「違うけど……友達、が。大学はお金かかるから、働くって」
宮城くんの家の事情をわたしは知らない。けれど、宮城くんが高校を出たら働くと言うだけの事情はあるのだろうなって推測くらいはできた。
「大なり小なりお金はかかるな。けど、どんなに苦しくても親は子供にやりたいことをやらせてあげたいと思うよ」
「……うん」
「それに、今は奨学金があるだろう」
「奨学金ってなに?」
「お金を貸してもらって大学に通うことができる制度だ。まあ、大学が全てでもないし、やりたい仕事があるなら就職してもいいだろうし。未来の選択肢の一つとしてその子に教えてあげたらいいよ」
お金を貸してもらう。そうか、大学に通うのはそういう手段もあるんだ。
お父さんは苦いコーヒーを一口飲むと、しんみりとした様子で頷く。大人っぽい、なんて普段宮城くんに思うような雰囲気じゃなくて、本当の大人な仕草だった。
「その子は背負い込みすぎなのかもな」
クラスにいるとき、バスケをしているとき。いつだって宮城くんはかっこよくて、頼もしい。わたしもみんなもついつい頼ってしまう。家でもそうなのだろうなと簡単に想像できる。リョータくんやアンナちゃんの頼れるお兄ちゃん。見た目だって、余裕のある表情だって、わたしから見たら大人みたい。けれど、本当はわたしと同じ小学六年生だ。
「……そうかも」
大学に行くことを考えていないと笑った宮城くんが過る。笑顔の裏に、あの背中の後ろに。何を抱えているのだろう。何を背負っているのだろう。わたしは知らない。知らないことが悔しい。わたしなんかが思うのは身の程知らずなのかもしれないけど、少しでもその負担を軽くしてあげたいなって思う。少しでも、宮城くんに頼って欲しいなって。
翌朝、わたしはいつもよりも早く家を出た。少しでも早く学校に着いて宮城くんと話したかったから。宮城くんが早く登校しているかどうかなんてわからないのに。それでも、下駄箱にはすでに宮城くんの大きい靴があって、わたしは急いで上靴に履き替えて駆けた。バタバタ音を立てて廊下を走っても朝だから誰にも注意されなくて、特別な存在になったような気がする。
「おはようっ!」
「おー。朝から廊下爆走してたなー」
「うんっ!はやく宮城くんに会いたかったの!」
昨日お父さんに教えてもらった大学のことを早く宮城くんに伝えたかった。三月の朝、沖縄はうりずんの季節で、もう暑くなりだしている。「暑いね」と席について話しかけると、宮城くんは「走ったからだろー」と頬杖をついて窓の方へ顔を向けた。あれ、今日は目が合わない。なぜだろうと思っていたら、宮城くんは少し眉を歪めて不貞腐れるみたいに唇を尖らせた。
「名前ってたまにすげーの仕掛けてくんな」
「え?なにが?」
「わかんなくていー」
「なんか怒ってる……?」
「違う。悔しいだけー」
「ええ……?」
この短い時間の中で、わたしはどこで宮城くんが悔しがることをしてしまったのだろう。うんうん頭を悩ませていると、「それで?」と宮城くんはこっちを向いた。
「ん?」
「なに?オレに会いたい理由」
「えっわ、わたしそんなふうに言ってないっ」
「言ったどー」
「言ってないっ」
「言ったって」
打って変わって宮城くんは楽しそうだ。歪んでいた眉はいつの間にか楽しげに吊り上がっている。わたし、そんな大胆なこと言ってない、はず。恥ずかしさと暑さで熱い。顔の前でパタパタと手を扇ぐ。換気のために開けられた窓から風は吹かない。
「あのさ、もう書いた?二十歳の手紙」
「あーまだだな。持って帰んの忘れてたー。名前は?」
「わたしもまだだよ」
机の中から取り出された宮城くんの二十歳の自分へ宛てた手紙は白紙で、角が少し折れていた。「二十歳じゃなくて高校生とかにしてくれれば書きやすいのにな」と宮城くんは印字された二十歳の文字を指でなぞった。
「あのね、宮城くん」
「ん?どしたー?急に真剣な顔して」
「将来さ、働くって行ってたじゃん」
「うん」
「でもさ、やっぱ……したいことがあるなら、してもいいと思う。大学とか、プロとか、そういうの。したいなら目指そうよ」
「あーその話?けどなあ、実際金かかるし。リョータとアンナが行きたいとこ行ける金は残してやりたいから。なんか気遣わせたな、悪いー」
宮城くんにとって、家族が大切で、自分の優先順位は一番下なのだろうなと思う。けれど、もっと自分のことを考えて欲しい。宮城くんが自分のことを一番に考えないなら、わたしが宮城くんのことを一番に考えたい。
「……お金、なんだけど。奨学金っていうお金貸してくれるのがあるらしいの。返すのも働いてからでいいんだって。高校のときの頑張り次第でもらえるってお父さんが言ってたの。宮城くん、バスケうまいんでしょ?きっと貰えると思う」
わたしは、二十歳のわたしを想像したとき、当たり前に大学に通っているのだろうと思った。お父さんだって、大学二年生かなって言っていた。わたしは一人っ子で、お金のことで悩んだことなんか一度もない。きっと宮城くんの家より恵まれている。だから、わたしがこれを伝えるのは宮城くんにとって嫌味にしか聞こえないかもしれない。
「だからさ、やりたいこと、書こうよ。宮城くんがやりたいことなら、絶対何でも叶うと思う」
でも、宮城くんには宮城くんが一番輝く将来を目指して欲しかった。だって、わたしにとって宮城くんは一番特別なひとだから。
「二十歳の宮城くんさ、絶対かっこいいから。なりたい自分になろうよ!……なんて、ね……」
暑さのせいだけじゃない熱で体が火照る。熱く語ってしまった、と今更恥ずかしくなって、またパタパタと手を扇いだ。形だけで、全然涼しくないけれど。
宮城くんは口を開けてぽかんとしていたかと思えば、下を向いた。肩が震えている。もしかして泣いている!?と焦っていたら、笑いを噛み殺していた。
「わ、笑わないでよぉ……」
「っだ、ってさ、名前、自分のまだなんだろー?なのにオレの将来の夢考えてくれたんだ?」
「そ、それは……そうだけど……」
改めてそう言われるとくすぐったくて、恥ずかしい。まるで宮城くんのことばっかり考えてました!とでも言うようで。まあ、事実なのだけれど。
「あーしにうける……」笑いが収まったのか、宮城くんは顔を上げた。わたしと目を合わせると、にっと笑う。
「名前、転校してきた頃は下ばっか向いてたのになー」
「え?……そうだっけ」
恥ずかしくてとぼけると、宮城くんは「そうだって」と笑う。
「いっつもなんか言いたげに振り返るだけだっただろ」
転校してきた頃。確かに、わたしは下ばかり向いていた。慣れない土地、知らない顔触れ。新しい生活に緊張していたから。けれど、それを宮城くんは上向かせてくれた。
「強くなったな、名前」
「……うん」
優しくはにかむ宮城くんを見ていると、わたしの心臓はぎゅうっと締め付けられる。苦しいはずなのに嫌じゃなくて、じんわり温かい。これが好きってことなんだなと思う。
「じゃー書くか。これ」
宮城くんは鉛筆をくるりと回すと力強い大きな字で手紙に文字を走らせた。一体何を書くのだろう。わたしは見ていていいのかな、と思っていると宮城くんは『インカレ二連』まで書いて、ちら、とわたしを見た。「二連覇のぱの漢字ってどんなんだっけ?」と少し恥ずかしそうに唇を尖らせる。わたしは宮城くんから鉛筆を受け取って、手紙の枠外に薄く書いた。
「あーこんな字だったな。さんきゅー」
「インカレ?ってなに?」
「ん?大学バスケの大会のことー」
「大学……!」
「そ。プロになるには大学出とかないとな」
にっと宮城くんは得意げに眉を上げる。
「名前にそこまで言われたら目指すしかないよや」
「……応援するね」
「おー頼んだ」
宮城くんが突き出した拳にわたしも同じように拳をコツンとぶつけた。宮城くんの人生を少しでも照らせたようで、今ばかりは自分が特別な存在になった気がした。
「な、二十歳になったらさ、一緒に酒飲もうな」
「うん。約束」
指切りなんかしなくても絶対に忘れない約束。二十歳になるのが楽しみで、待ち遠しかった。
二十歳のわたしへ。
こんにちは!元気ですか?
わたしは今、沖縄の久浜三小の六年生です。
卒業記念にこの手紙を書いています。
わたしはわたしに聞きたいことがたくさんあります!
大学生になれましたか?
バイトはしていますか?
お化粧は好きですか?
友達とは今も仲良しですか?
毎日楽しいですか?
六年生のときに好きだった人のこと、覚えていますか?
今も好きですか?
一緒にお酒は飲みに行きましたか?
わたしは毎日楽しいです。
あなたも楽しいと嬉しいです。
好きな人のことをずっと好きでいてくれたらいいな。
注意!恥ずかしいからこの手紙はゼッタイに他の人に見せないでください!
2023.7.2
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