縁側に並んでスイカに齧りつく夏。「スイカ切ったから名前ちゃんも食べにきてー」アンナに誘われ、断りきれずやってきた名前は、ソータの姿を確認するとそっと視線を落とした。これから起こることを考えると心臓がどくどくと音を立てる。
 名前は出来るだけ時間をかけてスイカを食べた。「おせー」とリョータにバカにされようとも、少しずつ、少しずつ。味のしない白い部分に到達し、それでもかじり続けていると、「名前」と呼ばれる。びくりと肩を震わせ、名前は呼ばれた方へ顔を向けた。
 
「名前。きて」
 
 この呼び出しに素直に応じるしか他ないことを名前は知っていた。小さく頷いた名前とソータを交互に見比べたアンナが首を傾げる。
 
「名前ちゃんとソーちゃん、どこいくの?」
「勉強教えてくれんだって。な」
「……うん」
「はー?夏休みに勉強?ソーちゃん海行こうって言ったやし」
「それはあとでって言ったどー」
 
 アンナがわがままを言って引き止めてくれないだろうか。もしくは、リョータがごねてくれないだろうか。そんな名前の願いは虚しく、アンナは聞き分けよく「勉強えらいねえ」と立ち上がって名前の頭を撫で、リョータは「じゃあ絶対あとで!約束だからな!」と不貞腐れるだけだった。
 後ろ髪を引かれる思いで名前は立ち上がった。時間をかけて、ゆっくりと。悪足掻きだろうとわかっていても。
 
 二回目の過ちを犯した日、名前は帰宅前にソータの部屋に訪れ、彼にはっきりと拒絶を口にした。年長者としてこれ以上ソータの暴走を受け入れる気はなかったし、彼が正気に戻ると信じたかった。
 しかし、ソータは両腕を突き出して距離を取ろうとする名前の手にじっとりとした熱を発する自身の手を重ねると、緩やかな速度で指を絡ませた。まるで侵食されていくようで名前は手を引こうとしたが絡め取られた指が抜けない。ソータはどこか満足気に笑うと、名前に顔を近付けた。またキスをされると名前が顔を下に向けると、「じゃあ、今、ここに誰か呼ぶ?」とソータは耳元で囁いた。
 
「そしたら、オレと名前。どっちが悪いことになるんだろうな」
 
 十二歳と十七歳。責められるのはどちらか。火を見るより明らかだ。高校生である名前が小学生を誑かしたようにしか見えない。周囲から軽蔑の目を向けられることになるだろう。
 
「やだ、やめて」
 
 引っ越してきてから二年間、新しい土地に馴染もうと積み上げてきた信頼が崩れてしまう。積み上げてきた信頼。それはソータに対しても同じだった。欲に駆られれば、少年はこうも容易く今まで築き上げた自分との信頼関係を裏切れるものなのか。名前はひどくショックを受けた。目に涙を溜めて首を横に振った名前は、もうソータの顔が近付いてきても避けることができなかった。
 
 二人でぎしぎしと音を立てて廊下を歩きながら、名前はわずかに震えていた。緊張と不安で胃の中がぐるぐると揺れて気持ち悪かった。
 ソータの部屋の前につき、彼が引き戸に手を掛ける。逃げ出せるものなら逃げ出したいと名前が無意識に後ろに足を引く。二人の距離が開く前に、ソータは名前の手を取って部屋へ引き入れた。
 
「名前、閉めて」
 
 名前は閉めたくなかった。この部屋で少年と二人になるということは、この間の出来事を繰り返すということだ。それでも名前は頷くしかなかった。ゆっくり、ゆっくり。名前は振り返って引き戸を引いた。自らの手で退路を立った。
 
「名前」
 
 名前を後ろから抱きしめたソータの声は穏やかで、優しい。名前のよく知るいつものソータの声で、今までのことはすべて夢だったのではないかと錯覚しそうになる。
 
「こっち向いて」
  
 けれど、首筋に押し当てられた唇の熱が、熱い吐息がそれを否定する。
  
「……ソータは、なんでこんなことするの」
「なんでだと思う?」
「……そういうことに、興味があったから」
 
 興味があって、試してみたかったから。手頃なおもちゃが偶々手に入ったから。きっとそんなところなのだろう。彼は自身の性衝動をコントロール出来ないのだ。だから、名前に手を出した。信頼を裏切ってまで。名前は泣きそうになった。彼のような弟が欲しかったのに。
 
「ほかに理由があるとは思わないんだな」
「ほかって、な、っ」
 
 無理やり振り向かされ、唇が重なる。すぐに離れていったそこをソータの親指がゆっくりと滑る。
 
「わかるまでずっと考えてて」 
 
 ソータの親指が下唇をまくって、内側の粘膜をなぞる。くすぐったいとも言えるその感覚に、名前はぞくぞくとしたものを背中に走らせた。迫り上がってくる涙で滲む視界でソータを見つめた。じっとりとした熱を孕んだ瞳が閉じられ、唇をうっすら開けて近付いてくる瞬間を名前は見ていた。名前の心拍数が上がり、息が荒れる。ぞくぞくとした感覚が消えない。これは不安や恐怖からくるものであると名前は自分に言い聞かせた。
 
 日を重ねるごとにソータの行為はエスカレートしていた。ソータの部屋で彼の膝の間に体育座りをした名前は自身を守るかのように体を小さくさせる。自身の状況を頭の中で俯瞰して、あまりの情けなさにすぐに頭の中から消した。
 
「っ……ぅ、ぁ」 
 
 近頃のソータはキスをすることだけでは名前を解放してくれなかった。夏場で汗をかいているというのに、彼の舌が首筋をあがり、耳裏を這う。いまだ慣れないぞくぞくとした感覚から逃れたくて身を捩るも、ソータの腕がしっかりと名前の腹に回って逃げ出せない。
 名前は膝に頭を押し当てて、妙な声が出そうになるのを必死で堪えていた。体中が熱くて、涙が出そうだった。そんな名前を嘲笑うかのように、ソータは耳元で「我慢してんだ?」とわざと息を吹きかける。それにもなんとか耐えていると、次はうなじに唇を落とされる。軽い調子でいくつも落とされるリップ音が身体中に鳴り響くのを名前はただひたすらぎゅっと目を瞑ってやり過ごすしかなかった。
 
「名前」
 
 ソータの体が離れ、ようやく終わったと息つく暇もなく名前を呼ばれる。名前は自分がなぜこんなに泣きそうになっているのかわからないまま顔を上げた。
 
「真っ赤やし」
「……うるさい」 
 
 ソータが嬉しそうな理由が名前にはわからなかった。ソータはべったりと汗で張り付いた名前の前髪をかき上げると額に唇を落とした。柔らかで優しいキスに名前はいつも戸惑っていた。不健全な行為のなか、唯一健全さしか感じられないものだったからだ。
 一転して、ソータは名前の唇を親指でなぞるとそのまま口付けた。角度を変え、次第に唇を挟み、柔らかく吸い上げる。舌が固く閉ざした名前の唇をなぞり、ソータは一度唇を離すと「口、開けて」と言った。名前はおそるおそる唇を開いた。
 遠慮などしないソータの舌は慣れた様子で名前の中に入ってきた。奥で縮こまる名前の舌を撫で、段々と絡めていく。
 舌を吸い上げられたとき、名前は目眩がしそうだった。思わず変な声が出そうになって、ソータの服を掴む。その手はソータによって剥がされ、そのまま絡め取られていく。触れた指の付け根すら敏感になっていて、ぞくぞくとした感覚が止まらない。
 自分たちのしていることは不健全である。早く止めなければならない。名前はこの関係が始まってすぐ、そう思っていた。たとえソータに全てをバラされようとも、止めることがお互いのためだと。何度も何度も自分に言い聞かせていた。それでも止められないのは、ソータだけのせいではないと名前は薄々気付いていた。
 名前の舌は自らの意志で動き出していた。
 
 
 
「名前、家行っていい?」
 
 ソータとの不健全な関係に終止符を打てないままズルズルと続いていた秋。帰宅帰り、ランドセルを背負ったリョータに声をかけられた。なにか後ろめたいことがあるように、目を逸らしたリョータに不思議に思いながらも名前は「いいけど。リョータが喜びそうなものなんもないよ」と彼を家に招いた。
 名前は二人分のお茶とお菓子を用意しながら、いつもなら四人分なのにと思った。リョータが一人で来るなんて珍しいどころか初めてのことだったのだ。
 一人っ子であり、女子高生の名前の家に小学三年生が喜ぶゲームや少年漫画は何一つない。ついでに言えば名前の部屋にテレビもない。リョータもそんなことは知っているはずで、それでも来たいと言ったということは相談したいことがあるのかもしれない。ここは近所のお姉さんとして、悩める少年の不安を取り除いてやらねば。
 ソータに手玉にとられているぶん、名前はリョータが以前に増して可愛くて仕方なかった。
 だから、まさか。あんなことになるとは思ってもみなかったのだ。
 
「ちょ、リョ、リョータ。どしたの……?」
 
 お茶とお菓子を持って部屋に戻った名前は、腰を下ろした途端抱きついてきたリョータに戸惑った。それほど悩んでいるのかもしれない、と名前がリョータの柔らかな猫毛を撫でると、腕の力が強まった。
 
「……見た」
「え?」
「名前、ソーちゃんとちゅーしてたやし」
「……え」
 
 撫でる手が止まる。今回ばかりは取り繕えなかった。言葉をなくした名前を窺うようにリョータが顔を上げる。その頬は真っ赤だ。
 
「ソーちゃんにしてたこと、オレにもして」
「なに、言って……」 
「……してくんなきゃ、みんなに言うから」 
 
 ソーちゃんとのこと。真っ赤な顔をしながら、その脅し文句は確実に名前の急所を突いてきた。
 進むも地獄。逃げるも地獄。どこで選択肢を誤ったのだろう。
 リョータの気怠げな瞳の奥にはじっとりとした熱が孕んでいる。ソータと同じ熱。名前はぞくりとする感覚にぎゅっと目を瞑りそうになる。築き上げた全てが少しずつ崩れていく音がして、頭の中がぐちゃぐちゃで泣きたくて仕方なかった。
 

2023.6.16

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