「ソーちゃん。一年間、キャプテンお疲れ様。よく頑張ったね」
「ん、母ちゃんもいつもありがとう」
 
 試合を終え、キャプテンとしてチームを率いて応援席に挨拶に来た息子の様子がいつもと違うことに母は気付いていた。勝利を喜ぶ妹の相手もそこそこに、視力の良い目で応援席を見渡している。その目が一巡しても目当ての人物は見つからないらしく、ソータはわずかに眉を顰めた。母にしかわからない表情の変化。カオルは、「ソーちゃん」とコーチの元へ戻ろうとした息子を呼び止めた。
 
「名前ちゃん、塾の体験だからってさっき帰ったのよ」
「えっ、あー……そう」
 
 お気に入りの赤いリストバンドで額を拭う仕草。もう汗はとっくにひいているというのに。我が子の年相応な姿を垣間見て、カオルはくすりと笑った。
 
 その日の夕方、台所に立って揚げ物を作るカオルの後ろのテーブルでは子どもたちが味見と称してつまみ食いをしていた。盛り付ける前に無くなりそうだと苦笑いを零すカオルの気持ちなど知る由もなく、揚げたての唐揚げを片手に子どもたちは本日の主役である兄を囲んで大盛りあがりだ。
 
「ソーちゃん、今日しにかっこよかったー!」
「だろー?最後だからな、張り切ったんど。次はリョータだぞ、レギュラーがんばれよ」
「言われなくてもがんばるし……あちっ」 
「もう、出来立てだから気をつけてよー」
 
 はーい、と三人の声が揃う。返事だけは立派ね、とカオルは笑うと揚げたての唐揚げを彼らの前に追加する。我先にとすぐに手を伸ばしたリョータに、「熱いから冷ましてからね」と声をかけてからコンロの前に戻った。
 
「ソーちゃんソーちゃん、お耳貸して」
 
 近頃、女の子らしい仕草を見せるようになったアンナのブームである内緒話に、賑やかだった後ろが急に静かになる。パチパチと鳴る揚げ物の音で何を話しているのかカオルの耳までは届かない。
 
「お〜……まじか……」
「なに、オレにも教えろって」 
「リョーちゃんには関係ない話やし」
「はあ〜?なんだよそれ!教えろってば」 
「だって名前ちゃんのことだもん。リョーちゃんに関係ないでしょ」
 
 一丁前なことを言う末の妹に、次男はすでに口では勝てないらしい。「あっそ」と聞こえてきた声は明らかに拗ねている。
 名前ちゃん。彼らの話題の中心である少女についてカオルは思い出していた。六年生の途中に内地から転校してきた、息子が試合に誘った子。こちらから話しかけた質問に答える以外は言葉数少なく、控えめな性格をしていた。けれど、その瞳は彼女の想いを雄弁に語っていた。その姿に夫に恋い焦がれた昔の自分を重ねた。懐かしさと少しの切なさ。
 ふ、とカオルは息を吐くように小さく笑う。
 
「もう食べようか。ソーちゃん、ご飯よそってくれる?二人はお箸とお茶の用意お願いねー」
「ん、わかったー」
 
 素直に立ち上がり台所に手伝いに来てくれるソータはカオルにとって自慢だった。頼りがいのある、聞き分けの良い子だ。周りをよく見て、人を助けてやれる優しさを持っている。女の子にモテるのも当然だろうと思っていた。その反面、カオルはソータに対して申し訳ない気もあった。彼は父親が亡くなってから本人の元来の性格もあり、同級生より早く大人になるしかなかったのだから。
 カオルは食器棚から茶碗をとる息子をちらりと見ると、呟いた。
 
「名前ちゃん、可愛い子だったね」
 
 小学生とは思えない、大人びた子。そんな息子が自分の一番輝く瞬間を見せたいと思える相手。あの子がソータを見つめる瞳と同じくらいの熱で、ソータもあの子を探していた。
 オレがこの家のキャプテンになるよ――その日以来、泣いている顔は見たことがない。悲しいことや苦しいことがあってもカオルの前ではそんな素振り一つ見せない。父代わりになろうと背伸びする息子が年相応になれる存在。カオルはソータにそんな存在が出来て嬉しかった。
 
「……母ちゃんまでなにぃー」
 
 少し恥ずかしそうに唇をつんと出すソータにカオルは頬を緩ませる。照れくささを誤魔化すようにご飯をよそう姿が可愛くて、カオルは余計な世話だとわかっていながら口を出したくなった。
 
「ホワイトデー、いいの買わないとね。あれ、ケーキ屋さんのでしょう。いいはずよ」
「は……母ちゃん部屋入った?」
「入られたくなかったらちゃんと自分で掃除しないと」
 
 掃除に入った部屋でたまたま見つけた近所のケーキ屋のロゴが入った箱。こんなものを残すなんて珍しいと思っていたけれど、中を開ければ甘いチョコレートの匂いを残したメッセージカードが入っていた。いつもありがとうという素っ気ないメッセージとは裏腹に、小学生にしては高価なチョコレート。カードの端にはあの子の名前が書かれていた。
 毎年、バレンタインデーにたくさんのお菓子を貰って来る息子のホワイトデーのお返しを用意するのはカオルの役目だった。安価なお菓子を大量に買って袋に詰めて、不公平がないように「くれた人に直接渡しなさい」と言い聞かせてきた。今年もその役目は変わらないだろう。ただ一人の分を除いて。
 
「ソーちゃん、がんばらないとね」 
 
 ぽん、と軽く背中を叩く。頼りになる、けれどまだ薄い少年の背中。ソータは照れくささと気まずさの入り混じった顔をして「……ん」と短く頷いた。体は大きくなってもまだまだ可愛い子どもだ。ふふ、とカオルは思わず笑みが溢れた。

「……で、名前がなにって」
「えー?リョーちゃんなんで聞きたいのー?」 

 盛り付け終わった揚げ物をテーブルに運ぶと、下の二人はまだそんなことを言っている。「お箸ないとご飯食べれないよ」と呆れて声をかける。渋々といった様子で立ち上がったリョータに「アンナも動けよ」と言われてアンナはぷいと顔を背けた。
 
「そんな言い方するならアンナしない〜」
「はあ?お箸用意しろって母ちゃん言ってただろ。やれよ!」
「ケンカする人たちは食べなくていいのよ。お母さんとソーちゃん二人で食べようか、ねー」
「あーあ。せっかくの唐揚げなのに。オレと母ちゃんで全部食べちまおう」 
「だめっ!すぐ持ってくるから待ってて!」
「あっアンナずりー!走んな!」 
 
 さっきまでつまみ食いをしていたくせにまだ食い気はあるらしい。競い合うように走っていくリョータとアンナに、カオルはソータと顔を見合わせて笑う。なんて賑やかなこと。
 食卓を囲み手を合わせる。いただきます!と大きな声が響き、子どもたちは我先にと好きなおかずに手を伸ばす。おいしいと頬をほころばせる姿にカオルは胸がいっぱいになった。なんて可愛く、愛しい子たちなのだろう。かけがえのない日常にカオルは幸せを噛み締めた。
 

2023.6.8

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