二月が終わりに近づいてきて、少しずつ暖かくなってきているなと季節の変わり目に気付いたのは昨日で、帰り道に並び咲く桜の鮮やかな濃いピンクに改めて本州との気候の違いを実感した。だというのに、今日は雨でいつもより肌寒さを感じる。
 
「今日雨やんに?体育なにするんだろうね」
「マットかな?それともバレー?」
「マットでいいやし。それか跳び箱。バレーは手首痛いからやだー」 
 
 冬でも半袖半ズボンを指定される体育の授業。みんなでむき出しの肌を擦りあう。
 この寒い時期に行われる体育は持久走で、それは沖縄だろうと変わらないみたいだった。そして人気がないのも全国共通。雨でラッキーだと喜びあいながら体育館へ向かった。
 
「今日は雨だからな。バスケするかー」
 
 なぜバスケ、と思ったけれど、先生はきっと雨の日の体育について何も考えていなかったのだと思う。マットや跳び箱は準備するのに時間がかかるから嫌だったのかもしれない。その証拠に、「班ごとで試合するかー。誰かー、ボールとホイッスルとビブス用意して。あとは……ソーターなにがいるばー?」と先生はやる気なさそうに頭をかいていた。
 
「先生ー得点板ないと試合ならんどー」
 
 班ごとで並んだ背の順の一番後ろから宮城くんが笑いながら言うと、先生はそうだったなと頷いて、「ソータ、お前そういえば体育委員長だったな。みんなに指示出してやってー」と宮城くんに丸投げした。みんなで文句を言ったけれど、先生は「自主性」「責任感や協力」「チャレンジ精神」を養うために自分たちで考えてやってみることが大切だと語っていた。それっぽいことを言っていたけれど、職務放棄に違いなかった。だって今朝、教頭先生が「昨日は校長先生や六年の担任たちと遅くまで飲んでたんどー」とこっそり教えてくれたし、今だって先生はあくびをしていたから。
 結局、宮城くんが前に立って必要な用具を言って、それぞれの班が用意することになった。班分けもいつもの班じゃなくて、平等に戦えるようにそれぞれの班の中にミニバスに通っている子たちや球技に強い子を振り分けて再編成してくれた。さすがだ。
 準備の途中、すれ違った宮城くんに「大変だね」と声をかけると、「先生しにてーげー。ありえん」と不満そうに唇を尖らせていて、それがなんだか可愛かった。
 
 体育の授業だからほとんどがバスケ素人。だから、ルールはわかりやすく変更された。ドリブルはなし。ボールを持った人は五歩まで歩いてオッケー。接触プレーは禁止。つまりは、ボールを持ったら五歩以内で進んで、パスで繋げてゴールを狙うということだ。その点だけ、先生は先生らしく説明してくれた。
 各班で準備体操とパス練習をこなしたあと、体育館を二つのコートに分けて試合が始まることになった。わたしは早速試合で、どきどきしながら白のビブスを着てコートに入った。赤いビブスを着た相手の班には宮城くんがいる。
 
「ソータいるのいんちきやし!」
「ソータはシュートなしな!」
「ジャンプボールもソータはなし!」
 
 こっちのチームにもミニバス経験者はいるのに、その子が「ソータはレベル違うからマジでやばいぜ」と言うから、わたしたちのチームは試合開始前からゴネて宮城くんにハンデを要求した。なんだかんだみんな負けたくないのだ。
 「なんかオレだけ楽しめないんだけど」と納得できていなさそうな宮城くんと向こうのチームに「じゃあソータちょーだい」「こっちの誰かと交換してくれん?」と強気で駆け引きした結果、良いのか悪いのか、こっちが有利な条件を飲ませることに成功した。途中で目が合った宮城くんは呆れたように苦笑いしていて、少し申し訳ない気持ちになった。
 そして、いよいよ試合が始まった。
 
 宮城くんを抜きにしたジャンプボールでは見事わたしたちのチームがボールをゲットした。ハンデを貰っているぶんやる気が十分で、テンポよくパスが繋がる。一人、二人、三人、と繋いできたボールが「名前、はい!」とわたしに繋がれた。
 両手でぎゅっとキャッチして、ゴール前まで運ぼうと前を向く。一歩、二歩、三歩。四歩目を踏み出したところで、わたしの前に大きな壁が立ちはだかった。
 
「げ、宮城くん」
「こっからは行かせんどー」
 
 ボールを落とすまいと抱えていて背が曲がっているからか、宮城くんが大きく腕を広げているからか。わたしの前に立つ宮城くんがいつも以上に大きく見えた。
 
「お願い、どいてー!」
「お願い聞いてばっかだと試合にならんよや」
「うう……そうだけど……」
「頑張って抜いてみるんだな」

 不敵に笑う宮城くんはカッコいいけれど、なんだか妙な威圧感がある。悲しいかな、そんな宮城くんの隙を抜いてゴールへ向かえる気がしない。「じゃあ手加減してよぉ」とただでさえハンデを貰っているのに無茶なことを言えば、「してるって」と宮城くんは楽しそうに笑っていた。
 
「名前ー!こっちー!」
 
 宮城くんと攻防している――攻防になっているのかすら危うい。ただ宮城くんがわたしのお喋りに付き合ってくれただけな気もする――うちに、近くまで上がってきたチームの子が手を振る。なんとかそっちにパスをしようと投げる動作に入れば、ぬっと宮城くんの長い腕が伸びてくる。だめだ、今投げたら取られる。
 
「う、うう……宮城くん、手長いのずるい!いんちきだ!」
「褒めてるー?」
「褒めてない!」 
 
 なんとかこの長い手足の隙を縫ってボールを繋げなければ!宮城くんは余裕の表情でわたしを見下ろしていて、それが今日はとても憎らしく感じて、なんとしても裏をかきたくなった。
 
「っいくよー!」
 
 チームの子に向かって掛け声とともにもう一度ボールを投げる動作をしたら、また腕が伸びてくる。その瞬間、空いた脇の下を小さく屈んでくぐり抜けた。
 
「……まさかやー」
 
 振り向けば、宮城くんが驚いた表情をしていて、わたしは大満足した。よし!と気分良くボールを味方にパスしようとしたら、ピピー!とホイッスルが鳴った。
 
「名前、トラベリング!あと接触プレー!ソータにボール渡してー」
「えっ……えっ!?」
 
 どういうこと!?と思わず宮城くんを見れば、「五歩どころじゃなかったな。あと普通にぶつかってたー」と宮城くんは大笑いしていた。恥ずかしくなって下を向いていると、「どんまい」と笑いながら頭をぽんと軽く叩かれ、余計に恥ずかしくなった。
 ルール違反をしたので、わたしの持っているボールを宮城くんに渡した。またホイッスルが吹かれて試合が再開される。わたしなんかじゃ追いつけない速さと大きな一歩で五歩進んでゴール下まできた宮城くんはそのままボールを投げた。シュートだ。わたしもチームも、なんなら他のコートで試合している子たちだってその瞬間を見ていたと思う。ふわっと飛び上がってボールを投げ入れる動作は、みんなの目を惹きつけていた。
 わっと盛り上がる体育館内と、駆け寄る赤チーム。それからワンテンポ遅れて、ホイッスルが鳴った。
 
「ソーター、今のすげーけどさ、お前シュートなしじゃなかった?」
「あー!忘れてたー!」
「はい、今のノーカウントー」

 無慈悲な審判の判定に宮城くんは頭を抱える。体育館が笑いに包まれるなか、わたしはどきどきする胸を鎮めるので必死だった。それくらい、シュートする宮城くんがかっこよかった。
 
 試合はわたしたちのチームが辛うじて勝った。本当にギリギリで。試合後、喉が渇いてタオルを持って体育館の外にある水飲み場に行くと、別チームの男子たちがいた。ミニバスに通っている人たちだ。
 
「そっちソータとだったば?しに強かっただろ」
「強かったー!だからシュートとジャンプボールなしにしてもらったの」
「なんならそれ、いんちきやし」
「いんちきしてもギリギリだったよ。普通にやったら勝てないもん」
 
 そう、わたしたちのチームはだいぶハンデを貰っていて、実質四対五のようなものだったのにボールを持つたびにどこからか追いついてくる宮城くんに苦しめられた。宮城くんはこぼれ球を拾うのも、あまり活躍していないノーマークの子にパスして得点に繋げるのだってうまかった。最終的にわたしたちのチームは、「ソータ今当たった!気がする!」「一歩が大きいから三歩にして!」と難癖をつけて、「そっちがいんちきだろー」と宮城くんに呆れられたのだけど。
 そんな話で盛り上がって、一段落ついて蛇口をひねった。冷たい水で喉を潤していると、「なに、なんの話ー?」とよく知った声が聞こえてきて思わずむせた。「名前大丈夫かー?」とのんびりした声で笑われる。宮城くんだ。
 
「お、ソーター。ちょうどお前の話してたんど。オレらにもハンデしてくれよ」
「はー?そっち強いよや。だめだ、なしー」
「女子よえーし。な、頼むって。ディフェンス手ェ抜いて」
「じゃあ女子のときだけな」
「オレらは?」
「男なら勝負だろ」
「うお、まじかー」
「ソーター強気ィー」
 
 笑いながら男子たちは先に体育館に戻っていった。わたしはタオルで口元を拭いて、横に並んで水を飲みだした宮城くんをちらりと見た。ガブガブと勢いよく水を飲んでいる姿になぜだかどきどきするのはさっきの余韻が残っているせいだと思う。
 視線に気付いた宮城くんが水を止めた。「ん?」襟ぐりを伸ばして口を拭く姿が男の子っていう感じで、わたしは「なんでもない」とわけもなく照れてタオルで口を隠した。
 
「そのわりにはしに見てたけど」
「お、美味しそうだなって」
「……水が?」
「……水が」
 
 適当なことを言ったせいで、宮城くんにわけがわからないとばかりに首を傾げられた。「もっかい飲めば?」と笑われ、もう喉は渇いていないのにとりあえずもう一度飲んだ。控えめに水を出して口をつけていると、「名前意外とやるよな」と言われ、水から口を離してタオルで拭いた。
 
「ん、え?」
「さっきの。いい動きしてたー」
「これ?」
「そう。これ」 
 
 これ、と脇の下に手をくぐらせてさっきの再現をすれば、宮城くんも同じ動きをする。宮城くんに褒められた誇らしさに「中学でバスケ部入ろうかな」と調子のいいことを言えば、宮城くんは目を瞬かせたあと、「それ、ありだな」と笑った。
 
「それにしてもさー、ハンデハンデってみんなやりすぎやし。オレの成績下がるんど」
「大丈夫だよ。宮城くんが実技できるの先生もよくわかってるだろうし……それにほら、あのシュートすごかった!ひょいって」
「ノーカンにされたけどな」
「もったいないよね。本気のとこ、一回見てみたかったなー」
 
 たった一回のシュート。あれだけで、他の子がレベルが違うと言った意味がわかったような気がする。できることなら、もう一度見たい。残念ながら、体育の授業で宮城くんが本気でバスケをするところは見れそうにないけれど。
 
「じゃあ、観に来る?」
「え?」
「試合。ちょうど今度引退試合あるやし」
「……いいの?」
 
 さらり、話の流れで、たまたま、一緒に移動教室に誘うみたいに、簡単に。きっと宮城くんにとっては試合観戦に誘うことはそれくらい容易いものなんだ。そう言い聞かせていたのに、宮城くんは頭をかくと、「ん〜いいっていうか……」と一度視線を逸らして、それからまたわたしを見た。
 
「オレが来て欲しい」
 
 いつもの余裕のある、大人びた顔とは違う。わたしの反応を気にしているような、そんな素振り。
 わたしたちに流れる空気はどこか緊張していて、同時に何かが高まっていく気配がする。その空気に飲まれたまま、その日の予定のことなんて考えることもなくわたしは頷いていた。
 「約束な」そう言って柔らかくはにかんだ宮城くんに胸がぎゅっと締め付けられる。なんで宮城くんがそんな顔をするの、なんて。頭を抱えるわたしと、わかっているんじゃないのってその後ろで腕を組んでいるわたしがいる。
 タオルを持った手のひらからじわじわと汗が出てくる。今日は雨で、わたしは半袖で、外はこんなに寒いのに。熱くてたまらない。

「ソーター次の試合始まるぞー」
 
 体育館からの呼び出しが、わたしと宮城くんに纏わりついているふわふわで、それでいて妙な緊張感をもった空気を掻き消す。
 
「おー今行くー」
 
 「戻るかー」と声をかけられ、二人で歩き出した。
 
「名前も次試合出るんだっけ?」
「し、え、次、えっと、あ、審判」
「……あふぁってんな?」
「あ、あふぁってない!」
 
 さっきまでの空気なんてなかったかのように宮城くんは笑う。わたしはまださっきのどきどきを引き摺っているのに!あんなの、あふぁーになるに決まってるじゃん!
 今日はどきどきしてばっかりだ。試合なんて観に行ったらどうなるのだろう。わたしの心臓、破裂してしまうかもしれない。
 

 
 土曜日に学校に入ることなんて運動会や参観日以外は初めてだった。わたしがなにかをするわけでもないくせに緊張しながら体育館に向かう。ユニフォームを着た人や保護者らしき人たちとすれ違うたびに知っている顔はいないかなと探してみたけれど見当たらなかった。対戦相手の他校の人なのかもしれない。
 恐る恐る入った体育館は、よく知った場所なはずなのになんだか知らない場所に来たみたいでわたしは余所者の気分になった。試合はまだ始まっていないけれど、コートの中ではチームカラーなのか白と黄色二つのチームがそれぞれ練習に励んでいた。聞き慣れない、ダンダンとボールが弾む音とキュッと鳴るバッシュの摩擦音。
 宮城くんを探そうにもうまく見つけられない。白と黄色。応援席もその色で別れていて、わたしはどちらの応援席に行けばいいのかわからない。
 頑張りすぎず、だけど可愛く、をテーマにタンスの中身とにらめっこした今日の服のカラーは白。黄色の方に行ったら浮くだろうし、とりあえず白のチームに行こうとしていたら、「名前ちゃん!」と名前を呼ばれた。
 
「こっちこっちー!」
「え、あ!アンナちゃん?」
 
 わたしに向かって小さな体で大きく手を振っていたのはアンナちゃんだった。運動会以来の再会だ。応援団とお揃いのぶかぶかの黄色のティーシャツを着た彼女はわたしのそばまで駆けてきた。
 
「ファイターズの応援でしょ?アンナ、ソーちゃんに名前ちゃんのこと任されたの!」
「そうなんだ。ありがとう、迷子になってたから助かった〜」
  
 任された、を強調したアンナちゃんは得意げに頷くと、わたしの手を引いて黄色チームに連れてきてくれた。揃いの黄色のティーシャツを着た応援団の中に入るのは勇気がいて、その中に連れて行こうとするアンナちゃんに「わたし、端っこで見てるよ」と体育館の隅を指さした。だけどアンナちゃんは「お母さんにも言ってあるから大丈夫だよ!」とにっと笑うとわたしの手を引いたままグイグイと応援席に向かった。なにが大丈夫なのかわからない。
 
「お母さん〜名前ちゃん来たよ!」
「こ、こんにちは」
「あら、名前ちゃんこんにちは。今日はわざわざありがとう。席とっといたから良かったら応援してあげて」
「はい。ありがとうございます……!」
 
 アンナちゃんに連れられた先にいたのは宮城くんのお母さんで、やっぱり黄色のティーシャツを着ていた。緊張しながら挨拶を済ませて、アンナちゃんを挟んで席に座った。
 
「名前ちゃんここからがんばれー!って応援するんだよ。すごいときはナイスプレーって言うの!わからなかったらアンナに聞いて。教えてあげるから!」
「ありがとう。大きな声で応援するね」
 
 今回はわたしに教えてあげる先輩という立場になったアンナちゃんは誇らしげで可愛かった。
 ちら、と宮城くんのお母さんを盗み見る。会うのは参観日以来で、そんなにしっかり見たことがなかったから気付かなかったけれど、以前宮城くんが三人ともお母さん似と言っていた意味がわかった気がした。そんなことを考えていると、お母さんは「名前ちゃんもバスケするの?」とわたしに話しかけてきた。
 
「えっ、しないです……」
「あら、そうなの。応援来てくれるって聞いてたからてっきり……」
「えーっと、中学でしようかなって興味があって。あの、それで、誘ってくれたんだと思います……」
「名前ちゃんもバスケするの?アンナの家の近くにゴールあるよ!今度おいで!」
「う、うん。ありがとう、今度ね」
 
 嘘ではない。嘘ではないけれど、真実でもなかった。歯切れ悪く答えたわたしに、「そうなの。ソーちゃんから、へえ」とお母さんは楽しそうに微笑んでいて、わたしはなんだか居心地が悪くなって横髪を耳にかけた。
 
「ソーちゃん七番なの、ほらあれ!キャプテンなんだよ!」
 
 練習を終えたのか、チームが円を作る。その中で口を動かしているのは宮城くんだった。 
 
「ほんとだ。あれ、向こうに座ってるのリョータくん?」
「うん。リョーちゃん今日は出ないって言ってたー」
「引退試合だからね。六年生がメインなのよ」 
 
 お母さんとアンナちゃんと話しているうちに――途中、ミニバスに弟が通っているというクラスメイトに見つかって「名前なんでいるの?」と話しかけられたからさっきと同じ答えを返した。――、両チームが真ん中に集まりだした。試合開始だ。
 
「名前ちゃん、あれソーちゃんだよ!ほら、今ジャンプボールした!」
 
 試合が始まると、アンナちゃんに教えてもらわなくても宮城くんがどこにいるかすぐにわかった。背が高いからじゃない。真剣な表情で試合に臨むその姿に惹きつけられたから。
 正直、細かいルールもポジションもよくわからない。でもこの中で一番すごいのが宮城くんだということはわかった。宮城くんがボールを投げると、まるで入るのが当然なことのようにゴールネットが揺れる。
 深く落とした腰、ボールを持って走り出す足。相手と競り合う背中。指示を出し合う声。授業とは違う、鋭い眼差し。流れ落ちる汗を拭う、赤いリストバンド。
 
「名前ちゃん、ほら!今のソーちゃんがまた入れた!すごいー!ソーちゃんー!」
 
 応援の声を上げる余裕なんてなかった。ただ膝の上でぎゅっと拳を握るだけ。
 
「名前ちゃん?」

 気付けば、がんばれの一言も言わずに見入っていたわたしをアンナちゃんが不思議そうに見ていた。「っごめん」慌てて周りの真似をして手を叩いた。
 
「ねえねえ、名前ちゃん。お耳貸して」
「ん?どうしたの?」 
 
 審判のホイッスルが鳴って、試合が止まっているとき、アンナちゃんはわたしの服の裾を引いた。そして、体を傾けたわたしの耳元で囁いた。
 
「ソーちゃん、かっこいいでしょ」
 
 運動会のときのように、うまく流すことができなくて、わたしは頷いた。照れくさいままアンナちゃんと目配せすると、アンナちゃんはえへへと嬉しそうに笑う。こっそり見た宮城くんのお母さんは隣に座る他のお母さんと話していて、今の話は聞かれてなさそうだった。
 「もういっこ」とアンナちゃんはまたわたしの耳に唇を近付けた。「あのね、あのね」と次に言うことを早く言いたくてたまらないみたいに。

「ソーちゃん、好き?」 
 
 ぐっと息が詰まる。照れとは違う、ばくばくと早まる心臓。どう答えるのが正解なのだろう。誤魔化す言葉が思いつかないまま、とにかく何か言おうと口を開いたとき、ピー!とホイッスルが鳴った。試合再開の合図だ。わくわくした様子でわたしの答えを待っていたアンナちゃんだけれど、ボールが弾む音が響き出すと「あーあ、始まっちゃった!」とコートに体を向けた。
 わたしはこっそり息を吐いた。危なかった。もう少しでアンナちゃん相手にボロを出すところだった。
 でも、とコートを走る黄色の七番を目で追う。わたしはひっそり、こっそり、アンナちゃんに気付かれないように頷いた。
 好きだよ、宮城くんのこと。
 体育館のフローリングに反射する照明。窓から入ってくる日差し。呼吸をするのがやっとなくらい、目の前がチカチカして、それなのに逸らせない。瞬き一つしたくない。それくらい宮城くんのすべてが輝いて見えた。
 
 
2023.6.8

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