中学一年生が始まってしばらくしてから、沖縄から転校生がやってきた。宮城リョータくん。
 ぶっきらぼうな自己紹介にわたしは思わず笑ってしまったけれど、クラスメイト達はいい気分ではなかったらしい。宮城くんは皆の反感を買ってしまった。休み時間、「あれはないよね」と友達が私に耳打ちしてきたし、調子に乗っている男子達が自分たちを差し置いて「イキってんなー」なんてわざと大きな声で言っていた。
 だけど、教室での宮城くんは大人しく、誰かに迷惑をかけるなんてことはしなかった。私は単純にその不器用な自己表現が可愛いと思った。しかし、気に食わない人はとことん気に食わなかったらしい。翌日には顔にアザを作って登校してきた。驚いて、私は思わず声をかけた。「大丈夫?」って。
 宮城くんは私に話しかけられたことに驚いて、それからすぐに顔を逸した。別に、とかそんなことを小さな声で言っていた気がする。無理して低く唸ったような声。私より小さな背。ぶかぶかの制服。それらは私に庇護欲を芽生えさせた。
 
「やめるように言ってあげようか?」
 
 クラスの男子が朝から嬉しそうに武勇伝を語っていた。同じ小学校出身で、ドッチボールを顔面に当てられて号泣していたところや好きな子に振られたことなど、恥ずかしい過去を知っている身分としてはあんな奴怖くもなんともない。だからそう言った。けれど、宮城くんにとっては大きなお世話であり、余計なお節介だったらしい。
 
「ふざけんな」 

 低い位置から睨まれ、しまったと思った。怒らせてしまった。「ごめん」謝ったけれど許しの言葉は貰えなかった。
 宮城くんがクラスの反感を買ったように、私も彼の反感を買ったらしい。

 色も形も統一された建物、そこに記された番号で私達の住処は管理されている。父と母が離婚して早五年。庭付きの戸建てと違い、団地での暮らしは窮屈だけど悪くはない。
 五階まであるのにエレベーターはないし、部屋は狭いし、団地内の公園にある木陰では怪しいおじさんがいたりする。小学生が駐車場で走り回っていて「ここで走るな!」とよくクラクションを鳴らされている。団地内の人間関係も狭く、学校帰りに買い食いしようものならすぐに告げ口される。とまあ、挙げてみたら嫌なことばっかりだけど、それでも嫌いじゃなかった。
 
「名前ちゃん!一緒に遊ぼ!」
「いいよ。けどここじゃ怒られるよ、公園じゃないと」
「だってあそこ変な人いるもんっ」
「確かにね〜あれ?そっちの子は初めて見るね」
 
 団地の子達と遊ぶのはもはや日課になっていた。懐いてくれるのが嬉しかった。見慣れない顔があって訊ねると、最近転校してきた子らしい。沖縄からやってきた宮城アンナちゃん。活発な印象の彼女だけれど、生意気そうな顔立ちが宮城くんそっくりだ。これはもう、確定と言っていいと思う。
 
「中学生のお兄ちゃんいたりする?」
「うん!リョーちゃんって言うの!」
「リョーちゃん……」
 
 リョーちゃん、リョーちゃん。彼女達と遊んでる最中もそればかりが頭の中でエコーする。あんな不機嫌で無愛想な宮城くんなのに、妹にはリョーちゃんなんて呼ばれてるんだ。へえ。その響きの可愛さに私の庇護欲は更に増幅した。それと同時に、少し意地悪な気持ちが湧いてきた。

 翌朝、登校してきた宮城くんは相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。顔の怪我は少しマシになったのか青みが引いている。誰とも挨拶を交わさずに歩く姿に、私の中でむくむくと顔を出し始めた意地悪な気持ちが抑えきれず出てきた。
 
「おはよーリョーちゃん」
「は……?」
「妹いたんだ?自己紹介で言えばよかったのに」
 
 つい今しがたまで気怠げに歩いていた宮城くんは、私の席の横で歩みを止めると目を丸くさせて私を見ていた。それに対して、私の顔は多分悪い顔をしていたのだと思う。だって口角が上がるのを抑えられないから。
 
「アンナちゃん、良い子だね」
 
 宮城くんは私を睨みつけた。全然、怖くはない。怒らせてしまうことなんてわかりきっていたのに、今回は謝る気はなかった。私は彼をからかいたいのだ。そしてその反応を見たい。
 
「うっせ」
 
 そう吐き捨てられた声はやっぱり無理して低くしているようで。予想通り不機嫌な顔をした宮城くんは私の横を通り過ぎて行く。その可愛さに耐えられなくなって私はにやついていた。
 
「なに、名前。にやにやして」
「え〜?そう?」
 
 不思議そうに首を傾げた友達は「変なの」と言って私の前の席に座ると昨日見たドラマの話をしてきた。悪いとは思いつつ、どれだけ面白かったか熱弁する友達の話など聞いちゃいなかった。私の頭の中は宮城くんでいっぱいだったから。
 小動物をいじめる人の気持ちってこんな感じなのかもしれない。庇護欲と加虐心が両立する。さて、次はどんな絡み方をしてやろうか。宮城くんが嫌そうな顔をするところを想像するとぞくぞくした。
 

 
 日曜日の午前十時、私は近所のスーパーの週に一度の大安売りに駆り出されていた。土日も忙しく働きに出るシングルの母を助けるためと言えば響きはいいけれど、実際のところ行き渋る私を「母さんは働きに行くのにあんたは何もしてくれないの?誰が食わせてやってると思ってんの!」と一家の大黒柱になって以来ヒステリックになった母に押し切られた形だ。片親であるのに僅かながらであるものの小遣いまで頂いている身分の私が母に強く出れるはずがなく、エコバッグと財布を自転車のかごに投げ入れてスーパーまで漕ぐしかなかったのである。
 お一人様一本まで、お一人様一パックまで、お一人様一つまで。どれもこれもお一人様と限定されている安売り商品。ごった返す店内を強引にカートで押し進めながら商品をかごに放り込んでいく。どうせなら友達を誘えばよかった。そうしたら二倍買えたのに。
 団地の子にでも声をかければよかった。そう、例えば同級生の妹とか。アンナちゃんに似た背格好の女の子を卵売り場で見かけてそんなことを思った。
 
「ソーちゃん!卵も安いって!」
 
 あ、これ本人だ。キラキラした目で卵を持って振り返ったアンナちゃんは誰かを呼びかけた。ソーちゃん。確か宮城家の長男だ。会ったことはないけれど、アンナちゃんいわく「リョーちゃんよりしに背が高くてしにかっこいいお兄ちゃん」らしい。
 宮城くんという可愛い兄の存在を知っている私からすれば、宮城くんのお兄さんもまた可愛い感じだろう――きっと妹から見れば兄というのはかっこよく見える存在なのだ――し、背が高いと言っても宮城くんが基準なのだからそこそこ、いやむしろ低いくらいなのだろうと勝手に想像していた。そう、私からすれば宮城くんをほんの少し大きくした、そんなお兄さんを想像していたのだ。
 
「おお〜アンナよく見つけたな。えらいぞ」
「内地のスーパー安いねぇ」
「だからよー。もやし三十円だってさ。しに安いー」
 
 それなのに、どうだ。アンナちゃんの頭を撫でる宮城くんのお兄さんはアンナちゃんの言う通りうんと背が高かった。卵が並べられている商品棚より大きい。手に持っている商品がいっぱいに入ったかごが小さく見える。宮城くんと似たような顔立ちなのにシャープで男の人っぽい。高校一年生と聞いていたけれどもっと大人に見える。まさにアンナちゃんの言う「しにかっこいいお兄ちゃん」だ。
 あの可愛い宮城くんも三年後にはこんなふうにかっこよくなってしまうのか?この場にいない同級生を思い浮かべていると、彼は人混みの中から抜け出てきた。
 
「ソーちゃん、かご持ってきたよ。こっちに入れれば……げ」
「おーリョータさんきゅー。どうした?」
「あ!名前ちゃんだ!」
 
 宮城くんは私を見るなり顔を歪めた。なにせ、私はことあるごとに彼にうざ絡みしているからだ。「ねーねー、リョーちゃん沖縄弁喋ってよ」「リョーちゃん部活入んないの?」「リョーちゃん話聞いてる〜?」嫌がるのがわかっていてリョーちゃんと連呼する――もちろん、周りに人がいるときはしない。宮城くんが私以外にいじめられたりからかわれたりするのは本意じゃないのだ――私にリョーちゃんこと宮城くんは「リョーちゃんって呼ぶな!」と顔を真っ赤にして怒ってくるのが楽しくて仕方なかった。
 
「おはよーアンナちゃん、リョ……宮城くん」
 
 兄妹の前でも呼んでみようか。そんなイタズラ心が湧いたけれど、それを察知したのか宮城くんが「絶対に呼ぶなよ!」オーラを出して私を睨みつけきたから流石に自重しておいた。それに、このかっこいいお兄さんの前では私も良い子でいたかった。
 
「ソーちゃん!ほら前言ってた名前ちゃんだよ。名前ちゃん、こっちはソーちゃん!」
「いつもアンナと遊んでくれてる子かー。ありがとうな」
「いや、そんな全然!アンナちゃん良い子ですし、話してて楽しいので」
「仲良しだもんね〜」
「ねー」
「いい姉ちゃん出来て良かったなー、アンナ」
「うん!」
 
 のんびりとした口調と独特のイントネーションが落ち着く。お兄さんは気さくな人だ。アンナちゃんと波長が似ているのかもしれない。ちら、と気さくではなく波長も似ていそうにない同級生に視線をやると、彼は不本意だと言いたげに私を見ていた。
 
「なんでこんなとこで会うんだよ」
「スーパーといえばここだし。今日大安売りの日だし」
「はあ……」
 
 教室にいる宮城くんは基本的には無口だ。けれど、最近は私が話しかけまくっているからか仕方なく会話してくれる。なぜか標準語で。沖縄の言葉を封印しているみたいだ。そんなことを気にするところが可愛いのだけれど、きっと本人は気付いていないのだろうな。
 宮城くんはかごに三パック卵を入れた。お一人様限定商品に対して三人で来るとはなかなかやるじゃないかと思いつつ、私も一パック入れた。
 
「次は牛乳だな」
「ぎゅーにゅー!」
 
 ノリノリで牛乳コーナーに歩いていく兄と妹。「……じゃ」とそっけなく別れてその後ろをついていこうとする宮城くんの背中に向かって軽くカートを当てた。
 
「あがっ、なにすんだよ!」
「あが?私も牛乳買いに行こうと思っただけー」
「ぶつける必要ないだろっ」
「ひひっ」 

 カートを押して宮城くんの横に並ぶ。宮城くんはぶすっと不機嫌に唇を突き出していた。かわいい。
 
「お兄さんかっこいいね」
 
 突き出した唇はそのままなのに、宮城くんは当たり前だとばかりに私に視線だけを寄越した。アンナちゃんと同様に自慢のお兄様のようだ。
 
「兄妹、仲良いんだ。いいなー」
「別に。ふつー」
「ふつーねえ?」
「……なに」 
 
 私達の少し前では牛乳コーナーの人混みに突入していく二人が見えた。良い子でいなくても良くなった私は、意地悪な気持ちを隠さずにいられなかった。「リョーちゃんさあ」彼の気に食わない呼び方をしたせいで宮城くんの機嫌がまた悪くなる。睨まれて、思わずにやけた。
 
「お兄さんのこと、ソーちゃんって呼ぶんだ?」
 
 かっと目を見開いて顔を真っ赤にした宮城くんは、「うるさいっ」と言うと早足で兄妹のところに向かった。いつもより高い声と沖縄なまりのイントネーション。
 
「標準語、忘れてるじゃん」
 
 頼りない背中に向かって呟いた。恥ずかしさのあまり取り繕えなかったのだろうなと思うとにやけ笑いが止まらない。どうしよう、宮城くんがかわいすぎる。
 
 
2023.4.16

  back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -