「好きなひと言い合いっこしよ〜!はい、そっちからね」
「やっぱソータかなー」
「だからよー。ソータはなし!」
「なんでよ」
「ソータはみんなのモノだからね」
「はい〜?じゃあシンゴー」
「しにてーげー!シンゴかわいそやっし」
 
 修学旅行一日目が終えようとしている。女子同士で盛り上がる部屋の中、わたしはこっそり布団を被った。どうかわたしはいないものと思って!順番を飛ばして!そう願うけれど四人部屋で順番を飛ばすなんてあり得なかった。寝たふりをしようとしていたわたしの布団はすぐに引っ剥がされた。
 
「はい、名前の番」
「ええっと……い、いない」

 二人の目が探るようにわたしを見る。うう、と助けを求めるために残りの一人――彼女を見た。風呂上がりでウェーブした髪を梳かしていた彼女は呆れたようなため息をつくと、「ほら、名前困ってるやし」と急遽この会を始めた子の肩を叩いた。良かった、助かった。ほっとしたのもつかの間で、彼女はニヤリと笑うと「だってソータなしって言われたら名前答えられないもんね」なんて言ってのけたのだ。
 
「えっな、なななな!」

 なんでそんなこと言うの!言葉にならなくなって悲鳴のような声を上げる。みんなにバレてしまう!とパニックになるわたしの気持ちとは裏腹に、他の二人は顔を見合わせると「あ〜」とか「そうだったね」とか頷き合うと、「名前はソータありでいいよ」「ソータありっていうかソータだもんね」なんて言う。これはもう、明らかにわたしの気持ちはバレている。
 
「え……みんな知ってるの……?」
「だってソータ見る目がハートって感じやし」
「私らがありって言うのとレベル違う感じするよね、正直」
「班決めのときしに落ち込んでたし」
「今日もせっかくの国際通りなのにため息ばっかー」 
 
 そうなのだ。わたしは宮城くんと同じ班になれなかった。というのも、男女はそれぞれ好きな人同士で組んでよかったのに、出来上がった男子と女子のグループを組み合わせるのはくじだったのだ。グループの代表としてわたしはくじを引いて、「オレ七番」と同じく代表としてくじを引いた宮城くんの隣でくじを開いた。そこには三番と書かれていて、「名前三番好きだな」と上から覗き込んで笑う宮城くんの前でわたしはがっくり肩を落としたのだ。
 そんなわけで迎えた修学旅行の一日目。午前中はバス移動と平和学習が主だった。午後は国際通りでの班ごとの自由行動。みんな「行ったことあるやし」なんて言っていたのに、いざ到着した国際通りではその都会っぷりに普通にはしゃいでいた。そして、わたしはというとみんなとはしゃぐのは楽しいのに、別の班とすれ違うたびに宮城くんを探していた。けど見つからなくて、そのたびにため息をついていた。
 「はいさーい!」「修学旅行?どこからさ?」「久浜三小?どのあたり?」「なんだい、うちなーやんに。そのわりにはないちゃーじらーしてるね」客引きをするおばちゃん達は何を思ったのか辛気臭い顔をしたわたしの肩を叩いて「あい!人生良いこともあるよ」「なんくるないさ〜」「これ食べて元気だして」と試食を渡してきて、わたしはそれに乗せられるまま一日目にして散財してしまったわけだけど。
 まさかみんなにバレていたとは。恥ずかしくなってまた布団を被ると、彼女達は面白がってわたしの上に乗っかった。「苦し〜!」息ができなくなって這い出てきたわたしに三人は悪巧みをするみたいな笑いを浮かべる。
 
「それにさっきソータと会ったときの反応とかしに笑えた」
「えっ……!なんで!どこがっ!?」
「のぼせたーとか。ゆくしだし」
 
 ついさっきの出来事だ。大浴場の前で宮城くんとばったり出会ってしまった。風呂上がりの濡れた髪――混むからドライヤーは部屋でする決まりなのだ――とパジャマ――この日のために新調したのだけれど、パジャマはパジャマ。もっとラフだけどお洒落な格好をすればよかった――という姿を見られ、わたしは恥ずかしさを隠すために首にかけていたタオルを頭に被せた。風呂上がりの宮城くんの髪はいつもより湿ってつんつんしていなくて、湯上がりでほんのり赤くなっていた肌にどきどきしたせいでもある。
 「なんで隠す?」と面白がってわたしの顔を覗き込もうとする宮城くんにわたしは「のぼせてるから」とかなんとか誤魔化した。あの場面をこの三人はそんなふうに見ていたなんて。
 
「なに想像したん?」
「そっ想像ってなに!?変なこと言わないでっ」
「風呂上がりの宮城くんしにかっこいい〜って顔してたやし」
「してないっ!」
「名前のえっち」
「えっ!?ち、違うもん!」
 
 再び布団を被ろうとしたら布団を奪われて阻止された。どうにか彼女達のからかいの的から逃げようと枕に顔を埋めると大笑いされて余計に恥ずかしい感じになった。
 
「けどさー、あんたもソータ本命じゃなかった?」
 
 ソータ本命。その言葉に視線だけ向けると、彼女ははっと鼻を鳴らした。
 
「よく考えたら同級生とかガキやっし。あたしは年上狙うことにしたー」
「良かったね名前、ソータ譲ってくれるってよ」
「……宮城くんは物じゃないもん」
「宮城くんはぁ物じゃないもんっだって!」
「かわいい〜」
「そんな言い方してないしっ!」
 
 不貞腐れてまた枕に埋まったわたしをみんなが笑う。
 
「いつまでそれ言うの?」
「なにがぁ……」
「宮城くんってやつ」
「……なんで、別に……いつまでとかないよ」
 
 「逆に特別感ある〜」誰かが言ったその一言が妙に引っかかった。
 
「特別感ってなに……?」
「なにって。ソータのことそんなふうに呼ぶの、名前だけやし」
 
 宮城くんを宮城くんと呼ぶのはわたしだけ。それは確かにそうだ、そのとおりだ。言われてみれば、わたし以外のひとは誰も宮城くんなんて呼ばない。だってみんなソータと呼ぶから。
――オレのこと、ソータって呼ばないひと。
 夏休みよりも前、宮城くんが教えてくれた好きなひとのヒントが頭を過る。一瞬まさかを期待してそんなわけないと再び枕に顔を埋める。
 そんな、まさかね。ありえない。期待なんてするな。みんなにふらーって言われるぞ、ばか。それでもどきどきして、わたしの心臓は妙な興奮で馬鹿みたいに跳ねていた。なんでよ!わたしのふらー!
 
 
 
 きれいだね、友達の呟きにわたしはベンチに座りながら力なく頷いた。
 
「まだ気持ち悪い?」
「うん……ごめん」
 
 むかむかする胃に必死にぬるい水筒のお茶を送り届ける。けれど、旅館で入れてもらったお茶は飲み慣れない味で余計に気分が悪くなった。ぎゅうと目を瞑って刺激を少なくする。それでも気持ち悪い。運転の荒いバスに揺られたことと寝不足で車酔いをしたのだ。昨日みんながあんな話をしたせいだ。なんて寝れなかった理由を人のせいにしてみるけれど、そんなことをしたところでこの気持ち悪さはなくなってはくれない。
 
「先行ってて。すぐ追いかけるから」 
 
 わたしがここで小休憩をとっている間に他の班員には先に行ってもらっていた。友達だけが心配だからと残ってくれたけれど、せっかくの水族館なのにわたしに付き合わせてここに留まらせるのは申し訳なかった。今ならまだ先に行った子達に追いつけるはずだから、と「ほんとにいいの?」と渋る友達に先に行ってもらった。
 もう一度お茶を飲んで深呼吸をする。少しマシになってきて、ぼうっと水槽を見ていた。小さな魚が珊瑚の中で隠れんぼをしたり、カラフルな魚が泳いだり。有名だからか水族館は平日なのに混んでいて、家族連れや観光客なんかが楽しそうにしている。
 わたしはというと、感想を言い合う友達が今はいなくて虚しい。夏に家族で来たときよりももっと楽しく過ごせるはずだったのにな。せっかくの修学旅行なのに車酔いで一人ぼっちで魚を見るはめになるなんて。
 帰りのバスでは酔わないように絶対に寝よう。はあ、と深呼吸にまじって吐き出したため息。「酔ったんだって?」それを拾い上げたのは笑い混じりでわたしの隣に腰掛けたひとだった。
 
「……宮城くん?」

 薄暗い館内でわたしの横に座ったのは宮城くんだった。驚くわたしに宮城くんは手に持ったジュース缶のプルタブを開けると、「ん」とわたしに渡してきた。冷たいスポーツドリンクだ。
 
「飲んだら少しはマシになるはずー」
「ありがとぉ……」
 
 スポーツドリンクが喉を下って、飲み慣れないお茶の味を掻き消していく。冷たさが体に染み渡って気持いい。おいしい、とつい零したわたしの呟きを宮城くんは「買ってきたかいあったな」と笑った。
 
「お金払うよ」
「別にいーって」
「でも……」
「いいから。しんどいんだからそんなん気にすんなー」
「う……ありがとう」
 
 それにしてもなぜここに宮城くんがいるのだろう。宮城くんの班はわたし達の班よりも先に入場していたはずなのに。不思議に思って訊ねた。 
 
「さっきそっちの班の女子達が呼びに来たー名前車酔いで一人でいるから連れてきてやってって」
「えっ」
  
 なんでわざわざ宮城くんを呼びに行くの!そりゃあ会えて嬉しいけれど、こんなわざとらしい形は求めてなかった。昨日恋バナという名でからかってきた三人の意地悪な顔が思い浮かんで、缶を持つ手に力が入った。
 
「なんか変なこと言ってなかった……?」
「変なことー?」
「え、いや……なんでもない」
 
 さすがに宮城くん本人にわたしの気持ちを伝えたりするようなことはしていないようだ。よかった、と安心して、また一つ不安が湧いてくる。
 そもそも、わたしがしんどいからって宮城くんを呼ぶこと自体、宮城くんも変に思ってるんじゃないか?って。変というか、なんというか。わたしが宮城くんのことを好きだから周りが余計なお節介をしたことに気付いているんじゃ?というか、宮城くんもなんで呼ばれたからって来ちゃうの。いや、宮城くんは優しいからそりゃ指名されたら来ちゃうだろうけど。けど、けどさあ……宮城くん、絶対こういうのわかるひとだよね。どうしよう。
 車酔いの気持ち悪さなんかよりももっと胃に悪い話だ。妙な汗が出て、缶を持つ手が滑りそうになる。
 
「あ、あのさあ……えっと、あの」
「ん?」
「……宮城くんはなんで呼ばれたのって思わなかった?」
「え?」 

 わたしのふらー!いくら不安だからってなんで宮城くんに直接聞いちゃうの!あまりの自爆っぷりに血の気が引いた。

「あ、いや、ごめん!今のなしなしなし!」 
 
 どう返してくるのかわからなくて怖くて、宮城くんがなにか言い出す前に慌てて遮った。「名前がオレのことを好きだから呼ばれたんだろうな」なんて言われたら立ち直れない。お願いだから気付いていても気付いていないふりをして欲しい。
 
「名前、しにあふぁってるよや」
「……あふぁってないもん」
「それ、いつも言うなー」
「……言ってないし」
 
 気まずさを打ち消そうと缶を傾ける。車酔いのしんどさなんてとっくに消えてしまっていた。
 
「さっきの話さー」
「え、ま、待って。やだ、聞かなかったことにしてっ」
 
 話を蒸し返されて、わたしは再び焦った。隣では宮城くんが笑っている。
 
「なんでオレ?って思った」  
  
 なんでって、そんなの、答えられるはずない。言葉に詰まっていると、宮城くんは片眉を上げている。
 
「って言ったらどうする?」
 
 どうするって。なにそれ。薄暗い館内のせいなのか、なんだか宮城くんが意地悪な顔に見えた。まるでこの状況を楽しんでいるような、そんな表情。
 
「……そ、そうなんだ〜って思う。それだけっ」
「なんだそれー」
「も、もう治った!早く行こっ」
 
 残っていたスポーツドリンクを飲み干し、立ち上がる。「ゴミ箱あっち」と後ろから言ってくる宮城くんの声は笑っている。やっぱり意地悪だ。わたしは青くなったり赤くなったり忙しいのに!
 
 早く進んでみんなとの合流を目指すわたしと違い、宮城くんは長い足をゆっくりゆっくり進めて、水槽があるごとに止まって魚を眺めていた。

「名前ー見て」 
「わあ、かわいい……」
 
 チンアナゴだ。小さな体を砂に突き刺して上を向いてゆらゆら揺れる不思議な生態がとても可愛い。しばらくその可愛さに癒やされていた。しかし、先を急いでいることを思い出して、「早く行かないと」と宮城くんに声をかけた。
 
「そんな急がなくてもいーって」
「でも、みんな待たしてるし……」
「イルカショーに間に合えばいいってさ」
「本当?」
「うん」
 
 欲を言えば、わたしだって宮城くんとゆっくり見てまわりたかった。昨日の国際通りだって平和学習だって一緒にいたかった。でも、同じ班になれなかったから無理だった。
 
「せっかくだし、見てから行こう」
 
 宮城くんと一緒にいたい気持ちに流され、わたしは頷いた。
 このわざとらしい形を作ってくれたみんなだったら、少しくらい合流が遅れても怒らないでいてくれるよね。後でどれだけからかってくれてもいいから。昨日の夜、からかってきたみんなの顔が思い浮かんだ。
 
 小さい水槽を過ぎ、鮫コーナーに立ち寄った。生態について書かれた文章には「意外におとなしい」だとか「人を襲うことは極めて少ない」だとか書かれているけれど、並べられている鋭利な歯の標本や大きな水槽を泳ぐ本物の鮫の小さく鋭い真っ黒な目の感じからはとてもそう思えなかった。
 
「鮫かー。やっぱでかいな」
「やっぱり釣りしてたら鮫とかいるの?」
「こんなでかいのは見たことないけど、小さいのだったらどこにでもいるよや」
「うそぉ……こわぁ……」
 
 特に薄暗い館内で見る鮫は迫力があった。沖縄の海にはこんな鮫がたくさんいるんだよな、と思うと来年海で泳ぐのが怖くなった。川にも上ってくると宮城くんに教えてもらって――国際通りの川にもいるらしい。恐ろしすぎる――、川にも近付かないでおこうと思った。沖縄の水辺は危険だ!
 宮城くんは端に置かれたガチャガチャを見つけると、「リョータのお土産はこれでいいだろ」とお祭りのときのようにあっさりと決めるとお金を入れて回し始めた。丸いボールの中から出てきたのは鮫の歯のレプリカ。キーホルダーのようにストラップがついているわけでも、消しゴムとして使えるわけでもないただの歯、それもレプリカだ。本当にこれがお土産で喜んでくれるのかと首を傾げたわたしに、「男はみんなこういうの好きだから間違いないやし」と宮城くんは言っていた。いつか聞いた覚えのある台詞に、わたしは今回も男の子ってよくわからないなと思った。

 次にやってきたのは巨大水槽だった。映画館よりも大きな水槽。分厚いアクリルガラスの向こうで大小様々な魚が泳いでいる。
 この水族館の一番有名なスポットだからかたくさん人がいて、写真を撮ったり、魚が泳ぐ姿を指さして同行者と話し合ったり、ただただ見惚れていたりとそれぞれの楽しみ方をしていた。わたしも同じように楽しもうとしていたとき、先生達の姿が見えた。しかも、次のコーナーへ行くには先生達の後ろを通らなければならない。
 班行動を外れて宮城くんと二人でいるこの状況を見られたらどうしよう。怒られるかもしれない。「宮城くん」わたしはそっと宮城くんの服の裾を引いた。
 
「ん?」
「あそこ、先生達いる……」
「うお、やっけーだな」
 
 宮城くんは先生達を見つけると屈んで小さくなった。「見つかる前に進んじまおう」先生との距離はそれなりにあるのにわたし達はそこから話すことを禁じた。宮城くんと違ってわたしはたくさんの人に埋もれているのに、つられて体を小さくしながら歩く。
 わたし達がきちんと班行動出来ているか見守っているはずの先生達は、案外暇なのかぼうっと巨大水槽を見ていた。
 
「はーすごいですねぇ」
「自分が子供のときにはこんなのなかったですよ。今の子達が羨ましいな」
「ゆーて先生らはまだ若いやんに」

 なんて世間話をしていて、わたし達はその後ろを通り過ぎながら目配せで笑った。
 先生達がまだ近くにいるからその次のドーム水槽は早歩きで通り過ぎることにした。歩きながら真上を見上げるとジンベエザメの白い大きなお腹があって、「すごい」と呟くと宮城くんも隣で「でかいなー」と感心していた。
 
「ここまで来たらもう大丈夫だろ。先生も楽しんでたみたいだし」
「先生達、集合時間間に合わないかもね」
「うちなータイムだな」
「はは、先生なのにだめじゃん」
 
 次にやってきたのは深海の生物のコーナーだった。一段と暗くなった館内。天井と足元の僅かな照明を頼りに進んでいく。さっきまでの大水槽とは違い一つ一つこじんまりした水槽が並ぶ。暗い水槽の中ではチカチカと点滅して光る魚や、珊瑚が展示されている。別の水槽では、半透明の魚が特別なライトで照らされてアクアブルーに光って綺麗だった。わあ、とその綺麗さにうっとりしていると隣で宮城くんが笑った。
 
「名前、初めて見たみたいな反応だな。夏に来たんだろ?」
「それがね、夏はすごい人多かったからこんなにゆっくり見れなかったんだ」
「あー夏休みだからな。混むなー、それは」
「でしょ?イルカショーも満員で行けなかったもん」
 
 平日の今日だってなかなかの混み具合いだけれども、夏休み期間中の混みっぷりと比べたら可愛いものだ。そのかわり、といってはなんだけれど夏に来たときは人気のないスポットばかり行っていたから次に現れる生物には自信があった。
  
「宮城くん次の見て!面白いから」
「お、なになに?」
「じゃーん!タカアシガニ!」
「お〜……?」
 
 長い脚で歩くタカアシガニが暗い水槽に何匹もいる。ちょっと不気味で気持ち悪いこの生き物は、夏休みに遊びに来ていた小さな子供達には不人気で「怖い〜!」「ママー!早く次行こぉ!」と避けられていて、混雑を避けていたわたしとの相性は抜群だった。
 
「両脚を広げたら三メートルくらいになるんだって!ハサミがね、なんかこう……ギザギザで歯みたいなの。あとね、食べれるらしいけど料理が難しいらしくてね、そんでね、高級なんだって!知ってた?」

 その時学んだ知識を披露すると、吹き出した宮城くんに、「名前、タカアシガニ博士になったんだ?」と腹を抱えて笑われた。知っていることを伝えたくてベラベラと止まらなくなっていた口を閉じる。なんでこんなに自信たっぷりに語ったんだろう。しかも全部説明に書いてるし。恥ずかしくなってきた。
 
「で?他には」 
「……別名……ヒガンガニ……バンバガニ……シマガニ……」
「それ読んでるだけやし」
 
 生態の説明が書かれたプレートを読み上げると、宮城くんに突っ込まれた。う、と恥ずかしさで小さくなると、「さっきまでの勢いどこにいったー?」と宮城くんが続けて攻めてくる。
 
「……あと、宮城くんに似てる」
「そんなん書いてないんど」
「ほら、手足長いし。そっくり」
「しにてーげー」
「一応褒めてるもん」
「一応ってそれ褒めてないだろ」
 
 宮城くんは呆れたように笑って、「体は二十キロ近くなる、だってさ。アンナと同じくらいだな」と説明文を読み上げる。
 
「生きた化石と呼ばれる……へー」
「ね、すごいでしょ?」
「自慢じらーだな」
「へへへ。えっと、オスはメスより三倍ほど大きい。あ、じゃああっちはメスなんだね。オスは脱皮前の――」
 
 宮城くんに続いて説明文を読み上げていたら、宮城くんは「次行くかー」と先に歩き始めた。

「えっもう?」
 
 声をかけると、振り返った宮城くんは「オレくらげ見たいやし」と色とりどりのくらげが泳ぐコーナーを指差す。人気の癒やしスポットだ。宮城くんの後ろを追いかける前に、読み損ねた文章を目で追いかけた。
――オスは脱皮前の未成熟なメスを長い手足で確保し、メスが脱皮した直後に交尾する。メスは脱皮直後しか交尾出来ないため、オスはこのように発達したと言われている。
 交尾の二文字に目玉が飛び出そうになった。ここは水族館で、生態について学んでいるのだからそんな単語が出てくるのは当たり前だ。この間来たときはこんなことが書かれているなんて意識してなかった。けれど、宮城くんと二人のときに出てくるべきでない単語だ。ましてや、声に出して読み上げかけるなんて!恥ずかしさで顔が熱くなる。
 
「ま、待って!わたしもくらげ見たいっ」

 宮城くんがいつもより早足に感じるのは、わたしの気のせいなのか、それともタカアシガニのように長い脚のせいなのか。ああ、わからない。ただ一つ言えるのは、この深海のコーナーが暗くて良かったということだ。
 
 そこからは種類や名前を読むだけにして、説明文を読み上げるなんて馬鹿な真似はしないことにした。宮城くんもそうしてたから、もしかしたらさっきわたしが目で読んだ文章を宮城くんも読んでいたのかもしれない。そう仮定すると恥ずかしさと絶望で変な汗が出たけれど、さすがにそこを確認する勇気は出ず、何事もなかったかのように振る舞った。
 
「時間までに全部回るのは無理だったかー」
「さすがに広すぎるもんね」
 
 出口で再入場のスタンプを手の甲に押してもらって外に出た。「そろそろだな」と言われ頷く。イルカショーの時間だ。
 人気のショーなだけあって、イルカショーの会場の入り口は混み合っていた。こんなに人がいるとは、とわたしと宮城くんは顔を見合わせる。みんなとの待ち合わせ場所を決めていなかったのだ。
 
「どうしよっか」
 
 人の波に流されるまま後ろの席まで来てしまっていた。ざっと見渡しても班のみんなは見つからず、「前から順に探すしかないな」と宮城くんが階段を降りようとしたとき、「イルカショー!もうまもなく開演です!」飼育員のお姉さんのアナウンスが入った。わたし達は再び顔を見合わせた。
 
「……探してる時間なさそうだな」
「……だね」
 
 合流することを諦め、わたし達は空いていた近くの席に座った。
 
「終わったあと、みんな見つかるかなあ」
「出口に立ってたら向こうから見つけてくれるだろ」  
 
 さっきのアナウンスが入ったからか、イルカショーを見たい人達が次々と滑り込みでやってきた。自然と隣に詰める形になって、宮城くんとの距離が近くなる。足と足が当たって、腕が腕に当たって、ほっぺたが宮城くんの肩に当たる。「満員だな」と笑う宮城くんの声がとてつもなく近くて、体全体に響く。恥ずかしさのあまり思わず俯きそうになって、けれどイルカショーを見に来た手前俯くわけにもいかず、わたしは必死で平気な顔を作ろうとした。だけど、平気な顔ってどんなふうにすればいいのかわからなかった。息をするのも苦しい。きっとわたしは変な顔をしていたと思う。
 イルカショーが始まっても全く集中できなかった。宮城くんとの近すぎる距離にどきどきしすぎたせいだ。時折、宮城くんに話しかけられて――「前に座ったら水掛けてもらえたのにな」「今の見た?しに飛んだー」「……名前見てる?」――わたしはこくこくと頷いた。とてもじゃないけど、隣を見上げて顔を合わせるなんてことできなかった。わたしにできるのは、出来損ないの平気な顔で必死に呼吸して、膝に置いたリュックをぎゅっと抱きかかえるだけ。
 
「……かわいいな」
 
 とりあえず頷いた。正直なところ、イルカなんてほとんど見ていないからどの子が可愛いかなんてわからない。なにがおかしいのか宮城くんが笑う。その笑いがくっついたところから体に響いて、わたしはまた熱くなって、リュックを抱える手に力が入った。
 帰りのバスでは寝る予定だったのに。こんな昂ぶった気持ちのままじゃ寝れない。きっとまたバス酔いするだろうなと思うとその原因を作る宮城くんがちょっとだけ憎らしい。わたしの心を簡単に満タンにしないでよって。
 


2023.4.24

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