運動会の代休明けの学校ほど嫌なものはなかった。気怠いまま上靴を履き替え、ゆっくり廊下を歩く。「失礼しまあす」とノックしてから入った職員室では同じように気怠そうな教頭先生が「今日も名前は早いなー」と椅子に座りながら伸びをしていた。
 一番乗りの教室は静かで、普段の騒がしさなんてひとつも感じさせない。十月下旬の沖縄の朝は暑くもなく寒くもない、過ごしやすい気候だ――昼には観光客が海水浴を楽しむくらい暑くなるのだけれど。あくびを零しながら、いつもよりも怠けたくて、ナマケモノになった気分で朝の準備をした。今日は本を読む気にもなれなくて腕を枕に机に伏せる。きっと今日はみんないつもよりゆっくり来るだろうな。遅刻してくる子もいるかもしれない。いつかわたしもうちなータイムを使いこなしてみたいな。なんて、そんなくだらないことを考えてみたりした。

「珍しいな」

 夢うつつ、ぼんやりした脳を覚醒させるには十分な威力を持ったその声にわたしは瞬時に頭を持ち上げた。

「っみ、宮城くん」
「すまん、起こしちまったな」
「ダイジョーブ。ぼうっとしてただけだから」

 あれだけ忙しかったのだ。今日は宮城くんもうちなータイムを取ると思っていたのに。みっともないところを見られてしまった。なんとか繕おうと髪の毛を撫でつけて整えていると宮城くんが笑う。運動会のときのかっこよすぎる宮城くんの思い出に引っ張られて、どきどきして目を逸らした。

「でこ、赤くなってんど」
「えっ」

 机の中から手鏡を取り出して見てみるとおでこに腕のかたがついて赤くなっていた。宮城くんにこんなカッコ悪いところを見られるなんて!必死で前髪を整えているわたしに「しにあふぁってる」と眉を上げてからかったあとランドセルを背負った宮城くんは自分の席に向かう。その後ろ姿に「あふぁってないもん」と言いつつおでこを隠した。
 教室の端、廊下側、一番後ろ。そこが今の宮城くんの席。その席で朝の準備をする宮城くん。もう宮城くんはわたしの後ろの席じゃないから。それが寂しくて、手鏡に映るわたしの眉が下がる。情けない表情を見たくなくて鏡を閉じて、机の中から本を出して開く。
 宮城くんと教室に二人になるのは席替えをしてから初めてかもしれない。なにせ、運動会に向けてクラスの士気が高すぎて張り切って朝早く登校する子達が多かったし、わたしも日々の練習で心も体も疲れていて理由もなくゆっくり歩いて登校することが多かった。
 前まではみんなが登校してくるまでの間に話すことは自然なことだった。だって、席が前後だったから。でも今は一番前と一番後ろ。どうやって話せばいいのだろう。いや、話すも何も、宮城くんが朝早く来ているのは勉強がしたいからだし。それに、それは好きなひとのためだし。そんな弱気なことを考えるわたしを二学期初日のわたしが怒った。あの日の決意はどこにいったのって。
 席替えをして後ろの席じゃなくなっても。話すきっかけがなくなっても。わたしは自分から話しかける努力をしなきゃいけないなって。自信を持って好きと言える自分になりたい――そう思ったんでしょうって。
 よし、と気合を入れて本を閉じた。

「宮城くん!」
「ん?」

 振り返って声をかけると、ランドセルから教科書を取り出して朝の準備をしていた宮城くんが顔を上げた。
 言え、言うんだ!名前!

「……ゆんたく、しませんか」

 もし、勉強しないなら、だけど。弱気なわたしは最後にそう付け加えた。宮城くんは頷いてくれるかな。どきどきしながらその時を待っているわたしに宮城くんは柔らかくはにかんだ。

「オレも言おうと思ってたー」

 その声に、その表情に、わたしは心臓を鷲掴みされて息が苦しかった。おでこの赤みなんか比じゃないくらい顔中赤いと思う。だってほら、こっちまで来てわたしの隣の席の椅子を引いた宮城くんが「暑い?」なんて言って笑ってる。

「うん……今日気温高いらしいし」
「今日涼しいだろ」
「……ないちゃーからしたら暑いのっ」
「ははっなんだそれ」
 
 通路を挟んだ隣の席に座った宮城くんは頬杖をついてこっちを向く。後ろの席じゃなくて隣の席なんだ。なんてそんな小さなことにどきどきする。「勉強しないの?」自分から話しかけておきながらそんなばかな問いかけをして、「誘っといてそれ?」と宮城くんにまた笑われた。まったくもってその通りだ。
 運動会の日の夜の話――お風呂を上がったらすでにリョータくんとアンナちゃんが居間で爆睡していて二人を布団に運んだあと即寝したらしい。「疲れてたからしにきつかったー」と宮城くんは笑っていた――、休みの日にしていたこと――宮城くんは運動会の次の日にミニバスの練習に行ったらしい。疲れてないの?と聞いたら寝たら治ると言っていた。すごい。わたしは二日とも家で読書をしたりドラマを観たりとグータラしていた――、今日の給食の話――なんと今日はタコライスだ!喜んでいるわたしに「ゴーヤじゃなくて良かったな」と宮城くんは少し意地悪に笑った――、あとは運動会の思い出を話したり、と宮城くんとの間に話題は尽きない。

「今日の国語は運動会の作文だね」
「作文かーにりーな」 
「そう?書くこといっぱいあるよ。楽しかったもん」

 不安だったり、泣いたりもしたけれど、その何倍も楽しかった。たくさんの思い出ができた運動会だった。全部宮城くんのおかげだ。さすがに作文にそんな恥ずかしいことは書けないけれど。
 「良かったな」そう言う宮城くんはきっとわたしのすべてをお見通しなんだと思う。だって、大人びて笑うから。

「運動会も終わったし。次は修学旅行かー」
「国際通りと水族館だよね。あとは平和学習だっけ。沖縄なのに沖縄旅行って変な感じ」
「だからよー。こっちの子供なら一回は行ったことあるやし。せっかくなら内地連れてって欲しいよなー」

 沖縄の修学旅行は県内が基本だ。中学生になれば本州への修学旅行が解禁されるらしい。

「水族館、名前こないだ行ったばっかなのにな」
「うん。けど、みんなで行くのは初めてだから楽しみだよ」

 夏休みに家族で水族館には行ったけれど、今度はクラスメイトと行く。きっと前とは違った楽しさがあるはずだ。立て続けに行われるイベントは六年生ならではだ。宮城くんは「それもそうだな」と頷くと、頬杖をついて 唇を軽く突き出して考える素振りをしてから、「修学旅行さー」と切り出した。

「同じ班になれたらいいな」

 そう言ってはにかんだ宮城くんはさっきまでの大人びた顔なんてしていなくて、わたしは唇と胸をぎゅうっと縮こませた。嬉しくてどうにかなってしまいそうだ。
 好きなひとじゃなくて、わたしと同じ班でいいの、宮城くん。言いたいのに言えない。心臓がむずむずする。

「……うん」

 宮城くんにとって、わたしは今どのくらいの位置にいるのかな。少しでも上の方にいるといいな。
 ただでさえ楽しみな修学旅行が待ち遠しくて仕方なかった。
 

2023.4.12

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