携帯のお礼をしたがるクラピカとあまり気遣って欲しくない私との折衷案により、私たちは帰り道にアパート近くのコンビニに寄った。
 入り口前には素行のよろしくなさそうな男が三人、缶ビール片手に座り込んでこっちを見ていて、ちょっと怖い。このコンビニ横の路地は『危ない』のだと105号室の彼女が言っていたことを思い出した。
 面倒ごとに巻き込まれないように、目を逸らして店の中に入る。

 クラピカが提げたカゴの中に新発売のチーズクリーム大福とベストセラーであるミックスオレを放り込む。
 さっきは納得していたはずなのにいざ買うとなったら、「またこんな物でいいのか」と若干不満気な声で尋ねるクラピカに私は待ってましたとばかりに答えた。

「だって友達だし!困ってたら助けるのが友達でしょ?当然のことをしたまでさ」

 決まった。演技過剰なまでに身振り手振りを加えて、フフフと不敵に笑って見せれば、

「私は親しき仲にも礼儀ありだと思っている」

とバッサリ断ち切られた。



 買い物袋を引っさげてコンビニを出て、家までの道を歩く途中、急にクラピカが立ち止まって後ろを振り返った。どうしたの、と声をかける前に、クラピカは「行こう」とすぐに前を向き歩き出した。そして、さっきまでよりもスピードを上げて歩き始め、小さな声で言った。「つけられている」と。驚いて私も後ろを振り返る。さっきコンビニ前にいた男が三人、私たちの後ろにいた。

 互いに目配せしながら、最小限のボリュームで言葉を交わす。

「えっと‥‥‥もしかして、私たち狙われてる?」
「恐らく。店を出てから一定の距離を保ちながらつけてきている」

 こちらが悟っているとバレないようになるべく自然にしよう、とクラピカは言うが、私はこの危機的状況に体が震えた。

 どうしよう、どうしよう!強盗?いやいや、でも私たち子供だし、大してお金があるようには見えないだろうし。それじゃあなに、誘拐?あり得る、クラピカは女の子に見える。しかも極上の部類だ。私だって若いから需要があるかもしれない。それとも強姦?一番有力だ。そういうことをする人って欲求を満たせれば見た目も性別も関係ないって聞くし。

 狙われる理由がポンポン浮かんできて、頭の中はパニックの嵐だ。怒涛の勢いで押し寄せる不安をどうにかしようと自分の服の端を掴んだが、震える体に対して何の気休めにもならなかった。

「走って逃げようよ!家までもう少しだし、それから警察に‥‥‥」
「逃げるのには賛成だ。しかし、アパートの方向はダメだ、再び狙われる可能性がある。それに、名前はともかく私は警察の世話になれない」

 そうだった、警察に通報すればそのままクラピカも保護されてしまう。でも、どうすれば。二人して周囲に目を走らせ、逃走経路を模索する。そして、くい、とクラピカが私の服の袖を引いた。

「名前、あの角を曲がった先にある赤い屋根の家はわかるか?あの家の庭は大通りに繋がっていたはずだ」
「お、大きな犬、飼ってるとこ、だよね?」

 怖くて声が喉に張り付いてしまい、うまく話せなかった。クラピカは一つ頷くと、「角を曲がったら走ろう。庭を抜けて大通りに出たら、人混みに紛れるんだ」と前を向いたまま言った。額には汗が浮かんでいる。このただならぬ状況に、クラピカも焦っているようだった。
 曲がり角まで、あと少し。ヨーイドンで走ったとして、あの家まで逃げ切れるだろうか。生憎、走りには自信がない。

 角を曲がった瞬間を合図に、私たちは走り出した。クラピカがグイッと私の腕を掴んで前へ引っ張るので、縺れそうになる足を懸命に踏み出して食らいつく。クラピカは、とんでもなく速かった。これが自然と共に育った賜物か。ぐんぐん変わる景色を横目に、場違いなことを思った。

 私たちが走り出したことに気付いた男たちが同じように走って追いかけてくる気配が振り向かずともわかった。「待てコラ!」「オイ!」罵声を浴びせられながらも、私たちは走る。

 速く、速く、赤い屋根、ここじゃない、もっと速く、走って、走って、犬、庭、違う、息が切れる、それでも走って、はやく、はやく、犬が吠えている、赤い屋根、あそこだ!

 目的地が見えて気が抜けたからか。それともクラピカに引っ張られることで、自分の限界以上で走ったせいだろうか。私の足はこの最悪なタイミングで縺れてしまい、盛大に転んだ。その反動で、クラピカの手が腕から離れた。コンクリートに打ち付けられた膝がジンジンと痛む。

「名前!」

 こんなことになるなら、もっと運動に適した格好をしてきたのに、今朝の私の大馬鹿者め。新しいパンプスなんて履いてる場合ではなかったぞ!
 今朝の段階では予想なんてできない事態だとわかっていても、自分を責めずにはいられなかった。

 私が起き上がるより前に、男たちはもうすぐ真後ろまで迫ってきていた。クラピカが私の元に駆け寄ろうと方向転換したとき、男たちの会話が聞こえた。

「あれ?こいつだっけ?」
「いやいや、あっちの金髪」

ーー狙いはクラピカだ!

 だったら逃げるのはクラピカだけでいい。だけど、クラピカはもうそこまで引き返していた。ここまで近づいた距離でもう一度逃げても、三人相手ならきっと捕まってしまう。

 意を決して、転げた私の横を通り抜けようとする男の足にしがみついた。横並びで走っていた男たちは、避ける間も無く私に引っかかって躓いていった。

「クラピカ!逃げて!」

 どうしてこんな安易な行動をしたのか。後に私はクラピカにクドクドと説教され、事あるごとにこの時の行動を咎められるのだが、まだこの時の私は知らない。

 これで少しは時間が稼げる。男たちの狙いはクラピカなんだから、私に何かすることはないだろうから、きっと大丈夫。それで隙を見て逃げよう。そんな根拠のない自信があった。以前クラピカに『物事を簡単に考えすぎだ』と評価されたように、私にはそんな甘い考えがあった。
 勿論、現実はそううまくはいかない。

「このクソガキ!」

 男の怒声とともに、お腹に衝撃が走った。あまりの痛さに呼吸が止まる。ブワッと脂汗が滲み出てきて、視界は涙で霞んだ。ガンガンと耳鳴りがする。
 ヤバい。痛い。さっき転んだ時とは比べものにらないレベルだ。ぎゅうっとお腹を抱えてなんとか痛みを和らげようとするがなんの気休めにもならない。

 私は馬鹿か。仕返しされるに決まってるじゃない!ほんの少し前の自分の軽率な判断を恨んだ。

 地面に横たわったままの状態では、視界は男の膝あたりまでしか捉えられなかった。狭まった視界の端で、男がもう一発お見舞いしようと足を振り上げたのが見える。お腹に回した手に更に力を込めて、体を小さく丸めた。
 女相手になんて奴だ!心の中で罵ることだけが私にできる唯一の抵抗だった。

 瞬間、目の前の男が消えた。消えた、というよりも男の体が浮いて、私の位置からは見えなくなった。
 再び男が私の視界に現れた時、私のように、いや、私よりも酷く呻きながら両手でお腹を押さえながら地面に這いつくばっていた。続いて残り二人の男たちの喚き声が聞こえたかと思えば、すぐに先ほどの男と同じような呻き声に変わった。

 よくわからないけれど、助かった。

 安心すると同時に、グラグラと視界が揺れる。クラピカが不安げな顔をして、名前、と私を呼びかける。
 大丈夫だよ、心配ない。そう答えてあげたかったけれど、この痛みでは出来そうにないや。

 燃えるような赤い瞳をしたクラピカの姿を最後に、私は意識を手放した。


2017.8.10

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